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2009年11月の16件の記事

情報提供

 広島「甘露の会」のご案内。

 http://www.saikyoji.net/09kannro_nonaka_ri.pdf

 今度、野中広務氏と信楽先生の対談がありますよとの話をきいた。ぜひ聞きに行きたいなと思っていたけれど、やはり日程で残念するしかないようだ。

 少し前に、野中広務・辛淑玉著の対談集『差別と日本人』を興味深く読んだ。家族を持つ生身の人間としての複雑な面白さが出ていたし、出生によることも大きいだろうが弱者に対する視線の温かさや戦争経験者としての平和に対する姿勢も共鳴できる部分も多かった。一方で、修羅場をくぐり、自民党という権力中枢にあって、調整型利権政治の手法やその強権ぶりは、まさに「ダーティーなハト」そのものだ。そのギャップが時に自己内矛盾や齟齬を起しながらも、二世、三世のスマートな、清潔そうな政治家がばかりが目立つ今となっては、貴重な強面の叩き上げの政治家だったといえる。まあ、右からも左からも、信頼されたり、批判されたする複雑な面があって、ある種、そのあたりが魅力なんでしょうね。

 先の選挙前にも、京都時代から敵対していた、しんぶん「赤旗」へも寄稿。一般紙でも話題になっていたが、自らの体験による戦争や差別の記述は、感動的でもある。と同時に、そこにも護憲面と、ハッキリした九条(第二項)改憲論について、自ら語っているわけですね。

 さて、講演とシンポジウムですか。噛み合うようで、かなり噛み合わない部分もあるでしょうが、そのあたりも面白そうだったのになー。

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四十九日法要

 華光誌や布教と続くので、大会直後のこの週末は予定を入れなかったが、10月に葬儀があったので、ちょうど満中陰の四十九日法要があった。仏青大会から50日。早いようで、ものすごーく以前の気がする。このスピード感はなんだろう。

 午前中、長女の小学校の学芸会。題目は、Yes! We CAN。劇仕立てに、歌やリコーダーをまじえて、最後は、ボディー・パーカッションで締めくくるというもの。この一年でずいぶん成長を感じたなー。クラスもどうやら落ちいてきた模様で、ちょっと安心。切符の手配などで、混雑する京都駅で所要をすませて帰宅すると、事務所でプリンターの設置中。ご苦労さまです。ながらく不具合が続いていたので、なんとか次号の華光誌に間に合った。早急に対応してもらって、大助かりだ。それでも、ぼくはすぐに法要の準備をして出かける。

Img_7734 ご自宅での法要。やはり古い同人なので、いろいろと華光ゆかりの懐かしいものがあった。この書も、かなりいまの書体とは感じが違う。例によって、心を合わせて念仏や読経をしてもらう。お墓もあるので、ご法話は短め。「人身受け難し」やご恩徳とがテーマか。そこから「仏法聞き難し」に展開するまでにはご縁が必要だ。

 霊園に向い納骨。紅葉が美しく、眺めがいい。そして、誰もがほんとうに最後は、(この世の肉体だった一部は)もろImg_7738 い白骨となり、暗い穴の中に治められていく。いろいろとお墓のことを聞かれたが知っていることはほんのわずか。すみませんね。実は、わが家には墓がないし、もう用事もない身になったので、(先祖の)墓参りには行ったことがない。これがほんとうの門徒物知らずだ。たぶん、大谷さんへの祖檀納骨になるのだろう。

 伏見の料亭に移動して法事の会席。清和荘ですか。病院や助産院に通っていた近くだが、こんなところにこんな場所あったんですね。ちょっと一筋入っただけで、静寂の庭が拡がっている。日頃、高級料亭とは無縁なので、まったく眼中になかった。今回も、なかなか温かい雰囲気の法要になったので、席上、「これで母も天国で…」と言われる方があった。間髪いれず、「先生のブログに、天国とはいわないとあったよ」とのするどいつっこみが…。あ、教えてなっかったのに、偶然見つけてプリントアウトまでして読んでくださったそうなんですね。前回の葬儀の記事、まずいことをかかずによかったなー。でも、急に言われるとちょっと冷汗。まあ、それなら話が早い。仏教、浄土真宗では、天国はまだ天上界で迷いの世界。ほんとうの安心・安楽の世界は、極楽とか、お浄土という悟りの世界。しかもそれは、死んでから行き先が決まるのではなく、元気なうちに聴聞し、仏様のおこころを聞かせていたき、南無阿弥陀仏を疑Img_7741 いなく心の底から称える身になった時にハッキリと約束されることが知れるわけですね。故人はそこをしっかり聞き開いてくださっていました。このあたりは、次回の座での話題にしましょうか。

 ご馳走の合間に、ちょっこちょこ写真をとっていると、「ブログですね」と言われた。そうなんです。これは少々まImg_7742 めさが必要なようで…。

 送迎もあったので、心地よく飲ませていただいて帰宅。御馳走になりました。

 でも夜は、和讃の作業。酔いも覚める。明日も頑張って、月曜日は、高僧和讃の再校を渡し。

 追伸:ご親族に陶芸をされているご夫婦があって、いろいろと話を聞いていると連れ合いと大学は異なるが同級生。いろいろと接点もありそうだったので、帰宅して尋ねてみると、やはり連れ合いが世話になっていた先生のお嬢さんで、お兄さんも知り合い。それどころか、大勢で面識まだはなかったけれど、ある時の大学の交流で、彼女と同じ席の飲み会にも出たこともあるとのことでした。Kさん、もしご覧になったら伝言しておいてね。

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高台寺の紅葉

 白馬社から、浄土和讃の3校が届いた。 やっと2段組の形式が整ったもの。でも手元には高僧和讃の再校が作業中。まず再校が先。うまくいっても日曜日まではかかるだろう。12月は布教に、華光誌と年賀広告と続くが、こちらも年内の〆切日のリミットがあるので、ますますタイトなスケジュールになる。連れ合いも、修士論文が1ケ月ほどに迫って、かなり必死のご様子。お察しいたします。それでも、ぼくは、自力整体も、映画も観たいなー。講演や会合もある。ブログ? 申し訳ないが、いちばんこの時間が制約されるかもしれない。ますます時間配分と集中力が必要になってきた。

Img_7718 夜には、華光大会で延びていた母の誕生日のお祝い。食事をすることになっていたが、要望が出て、5時をすぎてからライトアップされた紅葉を観に行くことになった。自分の時間なら惜しまないのにね。えー、忙しいのにナーと思う。日頃から当たり前にしてきてご恩徳のかけらもないことが、恥ずかしい。

 まあ、こんなときは、京都は場所に事欠かない。でも混雑は必至。すぐ近くに東福寺がある。ある塔頭の方からいただいた招待券があるが、夜間拝観はない。東山沿いなら、清水寺か、高台寺か、聖人ゆかりの知恩院や青蓮院もある。少し足を延ばして永観堂もいまが見頃のようだ。けっきょく、ライトアップの時間もゆるやかだってので、ぼくはまだ未見の高台寺にImg_7712 決めた。 

 高台寺は、豊臣秀吉の菩提を弔うために、秀吉夫人の北政所(ねね)が慶長11年、創建したお寺。06)に創った寺。ねねの寺として、寺院周辺のお店と協力して、まわり景観や小路もに気をつかい、集客のためにいろいろと工夫されていることは聞いていた。 

 八坂の塔(法観寺)が見えている。祇園閣や霊山観音も近くだ。

Img_6417  ライトアップも、さまざまに工夫されている。臥龍池の水面に映し出される紅葉が美しかった。まるで透明な鏡に映っているようだった。でも、枯山水の庭園など、人工的なやりすぎ感が強烈。「エー、興ざめ」というまわりの声も聞こえてきた。色鮮やかなLEDの電飾を多用して、確かにクリスマスじゃないしなー(写真はとれなかった)。まあ、それは差し引いてImg_7731も、いろいろとライトアップの演出には趣向をこらしている。でも、どんどん観光バスやマイカー入ってきて、長蛇の 行列。ゆっくりと鑑賞とはまいりません。トイレまで長蛇の列。そして、6時すぎにはそうそうに引き上げて移動したが、ますます人の波は増えていた。

Img_7719 おひとりさま600円也。この期間だけでも、それはそれはたいへんな収益でしょうなー。もちろん、寺院や庭の維持もたいへんな労力のたものでしょうが…。拝観料は、宗教行為なので非課税にな るんだったかなー。うらやましいことです。あやかりたいですなー。

 

 

 

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年賀交歓の〆切

 華光大会が終わったばかりだが、今日は朝から、電話やFAXが続いた。華光誌の年賀交歓の〆切日なのである。久しぶりの方ともお話することもできた。もしお忘れの方は大至急、ご連絡くださいな。詳しくは、前号の華光誌の折り込みをご覧ください。初めての方でもお申し込みいただけます。いまの時点で、文章が未定ならば、とりあえず場所だけは確保しておいてもいいです。

 ところで、ぼくも驚いたが、今日からブログの標示が変更になっていた。これまでの全文標示から、「続きを読む」式で本文が畳まれる形式が標準的に標示される。でも、設定変更はできるようだ。まあ、しばらくはこの形式でやっていくつもりだが、もとに戻したほうがいいというのなら、お知らせください。

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石・瓦・礫にかかる願い

 華光大会終わりました。

 3日間、まさにお念仏のるつぼでした。

 ご法話も、4名の信仰体験発表も、そして信仰座談会も有り難かった。特に、最後の道場の分級座談。45分ほどしかなかったけど、その短い時間でも、全身全霊でお念仏に会える。初参加の方も多かったけれど、短時間で驚くほど聞法が進まれた方もある。昨晩から、御礼の連絡をいただいた中に、長年求めて気にかかっていた方から、翻りの飛躍を予感させるうれしい連絡。そうですが。これまでのまったく方向違いに涙されたんですね。仏さまが願っているのに、自分が願うつもりでいたとはね。あまりの大馬鹿ものに大笑いするしかないと。南無阿弥陀仏、ありがとう、万歳!。有り難いところをつかみ、なんとかなんとかと確かな信心をつかみにいこうとする。俺が、俺がの心でね。そこに気付かせてもらう。その自分が落ちていくままの自分だと。

 でも、そこがおかしいなんとは気付けない。いや、「頭では分かっている」と分かってふりまでする。ほんとうにトンチンカンもトンチンカン。うぼれている。そのまったくの方向違いを知らされていくのに、ちょっとだけ軌道修正する程度だとうぬぼれている。頭では分かっていると高上りし、決め込んでいる。「黒い心はお許し、暗い心こそを捨てるのだ」「そして南無阿弥陀仏に飛び込みんだ」と、自力一杯ではからいの正解を並べている。そして、「なんでだろう、なんでわからんのだ。なんで有り難い実感がないのだ」と悩むくせに、いつもキョロ・キョロとまわりの人の態度や悦びばがりみて、一遍も「どうか聞かせてください」と頭を下げてこともないのに、「わからん」とたけはいっている。

 最後の座談会で、改めて、ここに黒い心があって、あそこに暗い心があるんじゃないことを聞かせてもらう。まさに、この私の足の爪先から頭の天辺まで、すべてが仏様を疑い、はからっている塊。ご聴聞しているままが、疑いの塊。大恩ある善知識さま、仏さまでも、欲得に目がくらめば、だまし討ちにして殺していく、それも「仕方ない」と正当化するおそろしいわが身。ご法話の猟師そのもの。仏様の命を奪っている奴が、煩悩は黒いこころで、仏様を疑うのが暗いこころなんだと、どこどこまでも聴聞しているつもりでいる。私の足の爪先から頭の天辺までが、それどころか、そこから発する言葉も、態度も、姿勢も、まったく無明煩悩の黒い心の塊。一念一刹那も、清浄心も、真実心もない。まったくない。微塵も、かけらもない。100%黒い心の塊。そして、100%が暗い心の塊。石・瓦・礫のように、何も感じず、シラケ、聞く耳もなく、称える口もない。初参加の方が懺悔される。「どんなに聞いても、頭を下げて頼んでくださっても、それを受け取るアンテナが私にはない。これでは聞けない、ダメだと思っていたら、石・瓦・礫の無機質な私に、それならばこそ救わずにおれんという大悲のお心で、頭を下げてくださっていたとは…、まったく方向違い、まったく聞いてこなかった、申し訳ないと…」。

 石・瓦・礫の私に、如来さまはどんな態度で、どんな言葉をかけてくださっているのか。もう腐っていく頭で分かったの、理解したのといってもダメなので、それじゃ身をかけて聞かせてもらうしかない。目の前に、石ころの私を置いて、如来さまがかけてくださっているお言葉を、如来さまが頭を下げてくださっているお姿を再現してもらう。この石の私、絶対に聞くはずも、絶対に称える言葉も、そしてこころすらを動くこともない輩に向かって、十劫も昔から願い、頼み、待ち続けてくださっている。「聞いてくれ、頼んでくれ。どうか゛どうか、そのまま、そのまま帰ってこい。お願いだから」。

 その願力に撃たれて、絶対に不可能。絶対にありえない不思議がおこる。石・瓦・礫が、石・瓦・礫のまま黄金に変わる不思議。そんなのありえない。絶対にありえない。そのありえないことが、いま、ここで、このわが身に起こってくる。「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」。なんと! 口もない、耳もない、心もないはずの石の目から涙となり、石の口からお念仏がとびだし、その心には、わが身を捨て、一切の衆生、いや貪欲、愼恚、愚痴の心に覆われ、仏様を殺し疑うわたしひとりをお目当てに出来上がって、南無阿弥陀仏の大悲心が、100%「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と満ち満ちている。

 そして100%煩悩具足のわたしに、100%疑いの塊のわたしに変わって、100%真実の塊「南無阿弥陀仏」が満ち満ちているのだ。

 エライこっちゃー!

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明日から楽しみ

  体調管理をかねて、午前中、自力整体へ。京都駅に近い教室の道中は、警察だらけ。警備のヘリコブターも飛んでいた。

 じっくりからだの声を聞いて、かなりリラックスした。声も出して、からだと精神に滞留てしいる悪い気を吐き出しておいた。おかげで、多少、免疫力がアップしたかもしれない。

 教室が終わって、自力仲間とランチをして、久しぶりに新調した背広を受け取りに、烏丸四条まで回った。自転車なら10分もかからない。寄り道せずにすぐに戻ったが、八条堀川の妙なところで人込みができている。「すみませんが、ここでお待ちください」と私服の人の声。一般の人にまぎれて警備しているらしいが、歩行者も、自転車も足止めである。歩道橋もすべて閉鎖されている。別の道に戻ったら、当然、そこでも交通規制。「2~3分のことなので、申し訳ありません」という合間から、隊列を組んだ車両があっと言う間に通り過ぎ、最後の警察車両が通ってから、すぐ解除された。でも、まだ車も人も混雑している。八條口にも用事があったが、しばらく規制されるだろうから、いまはやめておいた。

 やんごとなきおひとを拝んだので、明日からご利益があればいいけどな。

 いよいよ明日から華光大会だ。2009年華光会の最後の大きな行事だ。

 今日は、キャンセルも増えたが、初めての方の参加の問い合わせも急増した。

 皆さんも、連休初日で、高速道路も、新幹線も混雑するでしょうが、どうぞ、お気をつけておでかけください。

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やっぱりインフル

 もうすぐ華光大会だというのに、ちょっと冴えない。

 参加者もたいへん多いし、もちろん求道者も多い。そこに、先生のキャンセルがあって、法話も2座やることになった。そのうえ、初めて第三者の方に、信仰座談会の様子を検証してもらい、来る司会者研修に生かすために、外部からの先生(心理臨床士、グループの専門家)までお招きしている。それだけの自信があるからこそ、しっかり検証いただき、そこに留まらないで進化していきたい。

 僕自身も、講演会や寺院布教、シンポジウムなどで外の空気に触れる機会が続き、逆にしっかりと足元を見つめる機会を得て、「何をお伝えしていくのか」、「華光でしかできないことはなにか」「ぼくがなすべきことはなにか」が、スーッと明確に立ち上がってくるようになっている。これも、長年にわたり質の高い法話や座談、法座活動を維持し継続してきた先輩方からの蓄積された財産が、自然に、滔々と溢れだし拡がっていくかのような可能性の現れで、同時に、時代背景や環境の変化や手応えを肌で感じるのである。そして、ぼくのなかで、「これでいける」というものが、クッキリ立ち上がってきたといっていい。その意味では、肯定的、積極的な態度で、ご法座に臨めそうである。

 そして、迎える華光大会。

 どう考えても張り切る要素ばかりなのに、ここにきて雲行きがあやしくなってきた。

 案の定、参加者からも、インフルなどでキャンセルが急に増えだした。

 そう予想どおりというか、昨夜から長女までが熱を出していたのが、高熱になった。インフルエンザだった。朝から晩まで、「コン、コン」「ゴホン、ゴホン」とやっている。もう寝室はウィルスだらけだ。でも、子どもは、熱がでてまんざらでもなさそう。学校や保育園が休めるからだ。「どうかお熱がでますように、南無、南無、南無」と、ナナが頼んでいたとか、いないとか…。まあ、子どもの時は、ぼくもそんな時もあったなー。でも比較的、みんな元気なので助かっているが、家事や育児も少し手伝うので、仕事が進行しない。しかも、まだ水曜日にきた『高僧和讃』の再校作業に没頭中。まだ曇鸞讃にはいったところ。来週中に渡す段取りだが、これはかなり難しい。法話は、和讃の合間にボンヤリとしか考えていない。悟朗先生ではないが、この世のことはまあなんとかなるだろう。書類の作成もまだだが、連絡すること、たのむことは、だいたいすんでいる。その意味では、あとは、身心ともに元気で、体調整え、皆様をお待ちすればいいのだけれども、なんとかね。大会終了までは、体調を維持しないと。それが、いまのいちばんの仕事かもしれない。

 ともかく、皆さんに不便をかけるが、華光大会では一階の部屋は使用しない方針だ。しかし、それでも大勢の人が集われる。ここは、皆さんも、張り切って楽しむ気分で参加してくださいなー。え、そんなの無理ですか? でもね、「イヤイヤ」参加して、「カッカッ」と腹を立て、愚痴や文句ばかりでは、免疫力さがる一方だものね。ただでも、身命をかえりみずご参加いただくことなんですからね。ちょっと難しい相談かもしれませんが…。

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黒一点

 とうとう連れ合いも発熱でダウンした。数日前から雲行きがあやしかったが、昨夜からちょっと具合が悪い。下の子は、3日間で復帰した。どうやらインフルではなかったようだが、まだ咳が続いている。二人とも高熱ではなくても、ノドから、咳、そして38度台以内の熱がでている。今夜になって、上の子も、咳と熱を訴えだした。

 やはり華光大会前といのうが困りものだ。しかも、ここ1ケ月、ぼくの頭の中は「和讃」一色の状態で、まだ華光大会や華光誌は、これからの大仕事という、大事な時期である。

 しかも、今日は、、午後は、ナナの小学校での健康診断の日だ。最初に学校にいく行事で、欠席すると、後日、耳鼻科、歯科、内科、そして学校と4ヶ所回らないといけない。仕方がないので朝から保育園を休ませた。浄土和讃の再校を出版社に渡すと、高僧和讃の再校が来た、をすませてから、昼を食べさせ小学校に連れて行った。学校につくなり、高学年がナナの手を引いて連れていってくれた。ひとりずつ誘導の担当が決まったいたようだ。その間、親は保護者の部屋で待機していることになった。急な呼び出しもあるので、ここで待っていてくださいというのである。入室すると、やはり母親ばかり座っている。カンロの幼稚園の行事にしても、自力整体にしても、黒一点には慣れているのだが、ひとつだけ空いていた席に座ったが見知らぬ人ばかり。しかもランチルームなので、テープルを囲んで待たされる。どれだけ待てばいいのかもわかず、居心地が悪い。当然、子どもと一緒に検診すると思っていたので、かなり手持ち無沙汰だ。なんとなく、これから6年間、ご一緒するであろう(私立の人も検診は受ける)皆さんの様子をチラチラ眺めていると、皆さんの方でも、さりげなくそんな様子でみている。「ああ、かわいそうに、この男性は、奥さんに逃げられたんやろうなーと、みんな思っているんやろうなー」と、完全に「人の目にうつる自己」の世界で想像している。うーん、確かに、ナナ、知らずにかなり汚れた服を着ていたなーと。2人ほど、祖母(あやしいひとも数名いたが、あきらかなケースのみをカウントした)と思われる人もいたが、まだ赤ん坊を抱いている若い人もいる。そうだよなー。6歳の第一子なら20代のお母さんもいるだろう。保育園からはこの小学校には誰もいかない。町内会でも同級生はいない。ざっとみたが、知り合いはなさそうだ。同じ地域に住む同級生に比べると、ぼくはちょっと年をとっているようだ。児童数は20名程度とかなり少ない。また単級だ。

 40分ほどして、子どもたちがが検診が終わって三々五々戻ってきて、次は内科の検診からは一緒。でも、これがドキドキした。連れ合いの勉強した方針で、一切の予防接種を受けていないからだ。ひどいアレルギーがあるからで、生まれた助産院や通院する内科もそれを勧められない。ぼくも、いまだに薬疹でマイシン系がダメなのだが、その体質を引いているようだ。でも、当然、普通の内科医からはご注意をたまわったが、こちらも方針だけは並べると、ちょっと顔色が変えて、「いまは強制はありませんので」ということになった。あとは、親子での簡単な面接があって、1時間強ほどで終了した。ナナに聞くと、健康診断だけでなく、簡単な面接もあったようで、反対言葉や対応言葉を応えたらしい。

 次回は半日入学があって、春からはピカピカの小学生になる。

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『THIS IS IT』

  『THIS IS IT』を見ていると、 -マイケル・ジャクソンという大司教が、信者の前で、最高の祭祀、祭礼を挙行する-そんなイメージが浮かんできた。もうここまできたら、単なるエンターテイメントやパフォーマンスの枠を超えた宗教性すら帯びて来る。実際、彼を「神」と信奉する信者も多かったのだろう。

  ぼくは別にMJファンでもないので、逝去のニュースに驚きはしたが、別段の思いを持たなかった。でも、そんな程度のものでも、このリハーサル風景から完璧を求める天才ミュージシャンの情熱に撃たれて、胸が熱くなってきた。

Sakuhin007291_1  2009年6月25日、キング・オブ・ポップことマイケル・ジャクソン、急逝。復帰ステージと位置付けたロンドン公演への膨大なメイキグフィルムを映像化したもので、死の直前まで行なっていたリハーサルの模様を収めた貴重な音楽ドキュメンタリーだ。一小節、いやほんの一音の雰囲気や数秒の間合いにも妥協せず、監督に委ねずに指摘できる並外れた才能と、完成度の高い舞台をめざすその情熱、そして、その高い要求に応えるだけの力量をもったダンサー、ミュージシャン、スタッフ、映像関係者の隅々にいたるまでが、世界中から彼のために集まった一流の人達、彼らの一体感を生み出すその求心力…。音楽的才能にしも、まだウォーミングアップで押さえぎみだが、すでに圧倒的だ。そして、50歳にして、このシャープな動き。一流の若いバックのダンサーの中でも、ひときわ異彩を放つダンス。これが報道されるような薬物過剰摂取で亡くなる直前の人間が見せるパフォーマンスなのかと、正直驚いた。

 重ねるが、その過程で見せる妥協のない姿勢と、そのプロセスから生まれるパフォーマンスに、しばしば感動させれた。かっこいいのだ。彼は、テンポ、リズム、その間や余韻まで完璧を求めて、スタッフに次々と細かい注文をつける。しかしその口調は穏やかで、人柄が垣間見えるようだ。バックダンサーのひとりが、彼を「とてもフレンドリーで、謙虚だ」と評していた。最近は、ゴシップや裁判、プライベートの奇行ばかりが話題となって、どうも人間不信や奇人変人というイメージをもっていたが、スタッフやメンバーには「愛」あるファミリーとして信頼していたのだろう。彼のインタビューはないが、何度もそんなメッセージをスタッフやメンバーに伝える場面があった。それだけに、この完成度で、直前の本番を迎えられなかった彼らの落胆は言葉にならないものだったろう。

 あと、コンサートで使用予定だった映像も面白かった。CGを使って10人のダンサーを数千人、無数にみせたり、「スリラー」を3Dで撮ったり、ハンフリー・ボガードの古いフィルムと共演する映像なとが、舞台がシンクロし一体化して進んでいく。最後、映画タイトルになった名曲が流れるが、このタイトルこそがテーマでもある。

 欲を言えば、全般にあまりにも彼を美化した作りであることか。確かに才能はあったし、ポジティブの面はよくわかったが、この復帰公演に向けて、悩んだり、ナィーブになったり、ぶつかったりすることはなかったのだろうか。まあ予期せぬ追悼作品なのだから、それもよしとしよう。ただ、彼の理念や日頃の行動の延長だが、「愛」とか「地球を癒す」といってメッセージが最後のほうは続いて、少々しらけた。エコとは逆行するような超ド派手で、莫大な金をかけた舞台裏を見せられるとなー。

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インフルエンザ?

 今週も、 道場で浄土和讃の校正作業をしている。2校目のなのに先方の手違いで、ルビがついていない。予定外に時間がかかっているが、なんとか週末で仕上げるぞーと、頑張っている。夕食前、「ナナが熱で、保育園を帰ってくるなり自分から寝たわ」と、ゆうこが言いにきた。

 とうとう我が家にもやってきました!?

 だいたい、保育園のクラスで、21名のうち15名がインフルエンザや熱で欠席。女の子で、元気なのは、ナナを含めて二人だけという状況。それでも休園処置にならないのは、共稼ぎやシングルの人が多いからだ。だから、「○○ちゃんは、朝来たと思ったらお熱が出て、熱を計って朝の歌だけ終わってすぐ帰らはった」と言う状態が続いてる。そんな状況でうつらないほうが難しいなー。2、3日前から「コンコン、コンコン」と咳をし出しいた。「咳から始まるよ」と聞いていたので、一応は用心(気持ちだけ)はしていたが、まあ仕方ない。わが家の子どもは熱には慣れっこだけど、自分から進んで、ひとり寝るというのは、やはりしんどいからなんだろうなー。

 事務所に行くと、ムラも、タッキーも、カンロまでマスクをしていた。いつの間に用意したんや、あんたら! でも、「もう手遅れやなー。昨夜も今朝も、ナナはここにズッといたしなー。2、3日前からもうウィルス蔓延しているわ」。第一、もうナナは、事務所に入らないもの。うつった時は、うつった時だ。きっぱり仕事はあきらめて、コウケントーの光線して、2、3日、ただ安静にするしかない。まあ、華光大会の1週間前で、よかったのかなー?

 さて、週末の予定です。今週は、輪読も、大阪支部の法座も華光会館です。

1)14日(土)昼1時30分~5時: 華光誌輪読法座
 華光誌68-4号、誌上法話(邪見驕慢の集大成)の輪読。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/11/rindoku2009-11.htm

2)15日(日)昼1時30分~5時:大阪支部法座
 増井悟朗先生のご法話と座談会。大阪支部の報恩講。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/11/osaka2009-11.htm

 共に、参加費は入りませんが、お賽銭をお願いします。輪読は華光誌をご持参ください。お持ちでない方は、お分けします。

3)14日(土)・15日(日)=仏教青年会リクレーエション。仏青会員対象にした交流会。 いいよねー、若いということは…。うらやましいような、もういいようなー。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/11/bussei2009-11.htm

4)15日(日)朝10時集合(華光会館)。日曜礼拝遠足

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/11/nitirai2009-11.htm

 我が家は、上の子だけの公算が大。ゆうこも予定していたけど、この状況では無理なので、引接の助っ人を頼んでいた。

さて、いよいよ、華光大会(21日~23日)まで1週間を切った。宿食等の申込みは締め切ったけれど、参加はできますので、参加希望の方は、あらかじめお申し込みください。

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タンカ展

Img_7701    真宗学会の講演会、講師は末木文美士氏。東京大学から、いまは、京都市にある研究機関の教授だ。ミーハー気分で、ちょっと覗くことにして、大宮学舎に向かう。でも、どうせあいさつやらなんやらあるだろうからと、その前に、東福寺の退耕庵に足を延ばすことにした。

 退耕庵。聞いたことないなー。日赤の裏あたりだと探していると、あっさり見つかった。慧日幼稚園のすぐ側だ。高校の3年間、毎日、この前を自転車で走り続けていたのにImg_7703 、まったく心に残っていない。関心がないとはこんなものだなー。

 なんでも、小野小町ゆかりのお寺だそうで、他にも歴史的な背景があるお寺のようだ。東福寺の紅葉は見頃にはまだ早いが、さすがに11月になって早くもかなりの人出だ。でも、ここは原則は非公開なので、観光客は通りすぎていく。20分ほどだったが、外の喧騒とは違って、静かに庭を眺めることができた。花頭窓から見る枯山水の眺めが美しかったが、ここの写真は撮れなかった。

 でも、別にお庭の拝観が目的ではない。

 日本人が描く、チベット仏教芸術の「タンカ」の個展があった。この前も、大谷大学の博物館で拝観したりと、「タンカ」にはご縁があるようで、マチャプチャレで、招待券をいただいたのだ。

 http://babasakikenji.com/outline/outline.html

  タンカについては、かりもんブログでも何度か触れている。http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-df94.html

Mandara_2   今回は、現地で修業された日本人作家の帰国展だそうだ。どの作品も色彩豊かで、細部にわたって細密に描かれていて、かなり心惹かれた。ネパールやインドで見たものは、日本人の感性からすると、原色があまりにも色鮮やすぎ、ケバケバしかったり、仏図や高僧の顔貌にも馴染みづらい雰囲気があったが、その点は、やはり日本人の感性なのか、渋い禅寺の雰囲気とマッチする内容だったように思えた。

 作者にも声をかけ、華光会館のタンカについても聞きたみたかったが、ちょっうど接客中で、残念ながら無理だった。でも、これらの作品と比べてみると、大きさや細密度加減から、それなりの値打ちものだということはわかった。ただ保存状態が悪いのが玉にきずだー。

 肝心の講演の方は10分ほど遅刻したが、ちょっど始まったところ。最前列しか空いている席がなかたったが、おかげで退屈な講演も途中退席もできず、寝ないですんだのがよかったー。

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伝道研究会

 夜は、伝道研究会。

 『心身の革命』が終わって、全体の振り返り。

 やはり具体的に、より具体的に、日常の「私」自身のありのままの姿と離れないで聞いていく。先生の罪悪観のおおすめには、学ぶ点が多い。特に、観念的な聴き方や、教義を覚えていくような聞法、グルグルと方法論をこねまますような聴き方をする人が増えてきている。仏法は、現世や自己を否定的に捉えていく法門だと思うが、いまは、自分を肯定したり、自我を肥大させたりすることを是とする風潮が根強くなった。当然、聞法以前にも、否定的な人生観を持つ、自己を内省するということが難しい世の中になってきた。その意味でも、ますます罪悪観や無常観を通して自己を聞いていくことが大切になってくるように思える。

 自分自身の姿を、きわめて具体的に聞くことを勧めると、よく「罪悪観を深めたらその先はどうなりますか」と、まだ聞く前にその先を心配されたり、「自分の罪悪は分かっています」と、簡単に決めつけている方も多い。ではもう一度、その「分かっている」といわれる部分を言葉にしてもらとう、あやふやだったり、今生的なレベルで留まっていることが多いのだ。知ってるつもでだけなのである。ならば、もう一度、具体的に自分の机の引出しを開けてみて、中のものをひとつひとつ確かめてほしいのである。分かっていると決めつけているだけで、結局、いままでの自分の経験や学びの眼でしか内省していないことが大方ではないか。「獲信、獲信」「ハッキリする」と、自分側の変化や確証を追い掛けたり、また獲信の方法論として考えるのではなく、急がば回れである。

 ほんとうに自分自身の姿を聞かせてもらう。

 自分を知ることがないと、いくら聴聞を重ねても、知識や理屈ばかりが増えるだけで、肝心の地獄一定の「私」を哀れと立ち上がられた如来の大慈悲心が他人事に終わってしまいかねない。

 そうはいっても、やはり長年、固着した聞法者の中には、「そんなことは分かっていますよ。その先が聴きたいんです」とおっしゃる方も多い。こちらも、負けずに、もう一度重ねて、最初のボタンがほんとうにしっかりかかっているのか、分かっている中味を、具体的に尋ねて、先輩同行の前に出してみることをお勧めしたいのだ。自分で決めつけているだけで、如来様の眼からご覧になった罪悪とは、まったく違ってはいないか。実は、何も分かっていないことに気付くことだってあるだろう。これまでも、自分の心の変化ばかりを問題にしても埒があかなかったのだから、如来様の仏眼にうつる我が姿-実相を、具体的に、自分自身に即しながら、自分の言葉で聴いてみればいいのである。

 ところで、今夜は、終了時刻10時を回ってから、さらに1時間以上の延長。先日のシンポやさまざまなところでの布教や交流を通して見えてきた華光のあり方や、伝道の態度についてお伝えする機会をえた。いま、目に見えている部分での出来事だけでなく、むしろそこから派生してくる潜在的な可能性を考えると、華光という組織を広めるという、いわば自我(組織)肥大の方向ではなく、もっと門戸を開き、これまで先輩同人が蓄積してきてくださった財産、その精神を宣布していく道が、ぼんやりと立ち上がってきた気がしているのである。いま、いろいろな人にそのあたりを聞いてもらい、具体的に動き出したことも2、3ある。まだまだ、ぼく個人のところであるが、もう少しまとまったら、ここでも披露していきたい。

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一山超えたと思ったのに…

 出張法座の持参して合間にも作業をした「高僧和讃」の初校を、夕方に出版社に渡した。やっとである。ご文の引用が明治書院から出版されている「聖典」の表記だったので、それを、本願寺のものに変更するのだけでも、かなりの手間となった。もちろん、意味は変わらないのだか、ずいぶん書き下しやルビに違いがある。表記はある程度統一する必要があるので、校正が真っ赤になってしまった。それに加えて、分科(科段)の部分を、組み表記から文章にする作業で、表現を増やして文章化して、こちらは別紙で添付したら、かなりの量が増えてきた。

  それでも、とにかく渡せてホッとしたのも束の間、「浄土和讃」の二校の作業がやってきた。こちらは、一週間ほどで仕上げると約束した。そうしないと、次は、「高僧和讃」の二校目がやってくるからだ。初校に比べると二校はかなり楽なのだが、それでも、両者の表記の統一など課題もある。もともと華光大会の発行を目標にしていたが、先方の都合で延べてしまった。ならば、報恩講を目指してということになったが、それには今月中にすべての校正を終えて年内に発行をめざさないと年明けでは難しくなる。

 華光大会や新年号の華光誌と重複してくる。出張法座の予定を考えると、日程がタイトで正直、気が重くなってきた。しばらくは一息つけると思ったのになー。まあ、どこかでやらねばならないことなのだがら、きっりとした目標や〆切があるほうが頑張れるのは確かだ。いろいろな関心事の時間もキープしつつ、集中して作業をすすめたらいいのだけどね。焦らないで、集中できるかが、ポイントかもね。

 夜は、伝道研究会だったが、長くなりそうなので、次ぎに改めて…。

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念仏は凡夫から凡夫でないと伝わらない

 土曜・日曜日は、兵庫県豊岡市日高町の日高支部での支部法座。

Img_7700_2  年2回。11月の中旬と、4月初頭なので、だいたいまだ寒い日が多く、日本海側ということもあって、時雨れることが多い。それが今年は珍しく、快晴。しかも、動くと汗ばむほどの快適な気候だった。紅葉にはまだ少し早い。 

 いまは豊岡市になっているが、もともとは豊岡のご縁が古くて豊岡支部があり、隣接する兵庫県日高町は、JRの駅名をとって、江原支部と称していた。共に、華光有数の強信な同行を輩出した地が、創刊号からの唯一の同人がひとり存命されるだけになった豊岡支部は、かなり早くから高齢化や逝去が相次いで、支部活動は消滅した。そんな支部・地域は他にもあって、和歌山、冬野(和歌山市郊外)、堺、大和(支部ではなかったが)などは、古い創刊時や創建時に活躍された同行の地だったが、いまはご縁が尽きている。

 ご法とは、ひとりひとりが目覚めである。だから、そのめざめた方が、往生の素懐を遂げられたら、その仏法は滅んでいくといていい。あくまで、組織ではなく、個のめざめこそが、大切なのである。その意味では、やはり寂しいのだが、たまたまその地域で後継者が育っていなくても、遠く離れた地で、そのめざめた方の信火が飛び火して燃え盛っていくことがあるから、仏法はある種、厳しくも、ある種、面白いのものである。

 その意味で、この地の古参の同人たちは尊い。その強信ぶりもさることながら、長らく借地だった華光会館の境内地の購入や、華光会館再建の時には、事業の促進役になって尽力をくださった皆様方なのである。いまの華光会館にお参りの方には、たとえ直接のご縁がなくても、大恩がある先輩方であり、そんな方の仏法弘まれの執念が、連続無窮の絶えないお働きとなって結実し、いまの私のところにも、この尊い、まことのお念仏の教えが届いて来ているのである。

 毎回触れることだが、年々、激しく高齢化が進み、亡くなる方、お参りにこれなくなった方の方が多くなってきた。お参りの人数は半数、いや1/3程度まで減ったかもしれない。いろいろなことがあったが、ここの皆さん方にぼくはお育てをいただき、今日のぼくがあるのだ。父が30歳の時からのご縁だからもう55年近くになる。ぼくは初めて布教(子ども会だった)にお邪魔してからでも、30年は経っている。

 月忌参りがたいへんな時もあった。なかなか新しい人や若い人が増えず、いつも同じ愚痴話や言い争いになってしまうこともあって、このままでいいのかと考えた時期もあった。でも、ある時から、たとえ、新しい方がこなくても、「もうお招きできません」と言われる日がくるまでは、しっかりとお付き合いし、その現実の姿を見届けさせてもらおうと思った時があった。当然、皆さん、老苦、病苦、死苦のオンパレードなのて、皆さんがお参りにこれないのなら、こちから向かっていけばいい。さいわい、小さな地域にすんでおられるので、ほとんどが歩いてお参りにいける。しかも心待ちに待ってくださっている。

 今回は、これまで華光の運営委員長として活躍されていた方のお宅を訪問した。もう満身創痍というのはこの方のことである。足も手も不自由になれら、目も不自由なられておられる。痛みもあって辛いことだろうが、それでも、頭はあいかわらずシャープさで、いろいろと深いお話を聞かせてくださった。移動もたいへんだというので、襖を開けたまま、隣の仏間でお勤めをしたら、背後から号泣と大声のお念仏が聞こえてきた。御文章は、仏壇を離れて目の前で拝読した。

 「あれもダメになり、これもダメになり、たよりになると思っていたものが、なにひとつ頼りにならなくなってく。でもダメになればなるほど、逆にますます光り輝いていく、このお念仏さまによくぞ遇わせてもらいました。ほんとうにこれだけです」と、また泣きお念仏される。まさに、凡夫の無常の身を抱え、その病苦、老苦の現実を通しての身業説法をいただいたようであった。

 支部法座も有り難いし、子ども会も尊いのだが、法座をお世話してくださる姿や、一緒に食事をしたり、勤行をしたり、なんとなく近況や雑談が法義話になったりするような、いわば法座と法座の間の触れ合いに、一層の尊さを感じるようになったのである。いわば、文章なら、その文字のある行、行よりも、その間の行間の部分に深い味わいを感じるのである。

 今回のお宿にしても、決まっていたお宅の方が緊急手術とって、急な変更になった。月忌参りに入った先でも、お約束の時間なのに誰もおられない。お隣の方にお尋ねしたら、数日前に転んで肋骨を骨折して入院されているのだという。それでも、お二人とも、ご法礼はちゃっと言付けてくださっている。

 しかもお宿がダメなら困るだろうと、急遽、もう自分の体さえももままならないのに、わざわざヘルバーさんをたのんで掃除し、お宿をしてくださった。ぼくだけでなく、京都と福井から若い人がお参りされているのも、喜んで歓迎してくださった。それでいて、「何もできしませんようになりました。でも、支部長さんが忙しい中でも、ほんとうによくやってくれて、迷惑ばかりかけてます」と言われる。

 その老婆ふたりと手料理の鍋をつついた。ひとりの方など完全に耳が聞こえなくなっておられる。でも、さいわい、口はまだ達者なので、あれこれとお味わいを聞かせてくださるのであるが、最後は、何も残らない人生、すべてがダメになっていく現実の中でも、仏様に出会った喜びと、その真実に導いてくださった先生に出会った悦びを、涙ながらに語ってくださる。そして、「いまは楽しいだけです」と、不自由な体で喜んでおられる。この方の生き方は、ほんとうに恩徳讃のとおりである。

 それに、ほんの少しずつではあるが、次ぎの世代の方にも、その法水が、一滴、一滴と垂れ始めている。月忌に参ると、30、40代の息子さんやお嫁さんも、一緒に勤行してくださるようになった。ここまででも、かなり年数がかかっている。それが、今回は、初めて大人の法座にもフルで参加してくださり、懇親会でも楽しく話させてもらった方があった。もちろん、同世代の支部長さんの働きが大だし、巡回テープの作業のご縁もなど、いろいろとご因縁が整ったおかげだ。もろちん、この先、彼が自分の問題として聞法されるかどうかはわからない。でも、まずここからだ。ほんとうに畳の目を一つ、一つを進むかのような歩みであっても、誰もがその一つ一つを懇切丁寧にお育てをいただいきて。人に勧められ、導かれ、褒められ、おだてられ、ときに厳しく叱れしながら、歩ませてもらってきたのてある。それが、いまでは偉そうな口が利けるようになったぼくのほんとうの姿である。

 私が仏法を悦びるようになったのは、おかげでないものは何一つないのだ。

 もちろん、その背後には、如来様の大きな大きな願いがかかっているのである。

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ちょっと中休み

  輪読法座あと、11月に入ってグーンと気温が下がってきた。

 広島法座が終わってから、祝日を利用して白浜へ恒例の家族旅行にでかけた。もともと出張法座月間が終わり、華光大会のまでの間を利用して計画を立てていたが、(夏に入る予定の)和讃の作業が、かなりずれこんで入ってきた。「高僧和讃」の校正が渡るまでは、作業を第一に専念をするために、なるべくネットは封印している。宿泊も続いたこともあって、ブログの更新も数日滞った。広島でのこと、家族旅行のこと、この間のこともまた触れる機会があればと願っているが、いまはボチボチですね。

 さて、週末は、日高支部法座へ。子どもの報恩講もあります。今回は、子ども会に助っ人参上!ここは月忌(訪問)法座に、大人の法座、そして子ども会と内容は盛り沢山。ただ、寒くなると夜のお参りが少なくなるが、その分、内容を充実させたいね。さいわい、元気な人が加わってくれるので、刺激になればいい。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/11/hidaka2009-11.htm

 華光会館では、京都支部学習会。Manu.さんを講師に、カウンセリング研修を中心にした継続した集いがある。

http://homepage1.nifty.com/MANU/others/kyoto2009-10.pdf

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白浜への旅

Img_7562 年に一度の家族旅行。父が80歳を迎えたのを機に、家族全員6名で、近郊での1泊旅行に出かけることにした。夏は、子供たちとだけ4名。秋は、6名である。

 いつか一周するんじゃないかというほど、夜型Img_7578の父の生活時間から、午前中の出発は難しくいので、だいたいが京都から車で2時間以内の近郊の静かな温泉に出かけることにしている。それが今年は、少し足を伸ばして白浜温泉の旅となった。高速がかなりつながっているので、3時間ほどで行けるようになったからだ。

 ぼくは、40年以上ぶりの白浜である。いまの下の子供の年齢だ。もちろん、父も母も若くて、いまのぼくよりも少し若いくらいだ。なんかそう考Img_7589えると、感慨深い。和歌山が母の実家なので、夏休みの帰省の後で、ここまで足を伸ばしたのだが、かなり遠方だった記憶がある。1泊は、キャンプもしたから、当時としてはかなりモダンだった。

 千畳敷きや三段峡を見学。もう覚えいなImg_7604いなー。なかなか絶景で、面白かったが、かなり強風で、寒かった。

 宿は、このすぐ近く。ここは、国内有数の温泉地だが、そのなかでも、比較的な静かな宿を決めた。宿の敷地に、いくつもの外湯があって、温泉巡りすることができる、温泉パークになっているImg_7634。ちょうど、部屋から、海に沈み夕日が見えた。

 南国の地で、昼間はいい陽気。桜が咲く、蝶々も飛んでいた。まるで初春のようだ。

 しかし、朝晩はかなり冷えて、天然温泉Img_7625の温度が、かなり低くて、露天ではからだか冷えそうだ。だいたい、温泉や銭湯は、温めが好きなぼくたちには熱すぎのだが、ここは家族全員が、かなり冷たいと感じた。ちょっとこんなことは珍しい。もしかすると、次々と入っていくためなのだろうが、広い敷地を歩くうちに、からだが冷えていく。さすがに、白浜だけにお湯はよかったImg_7627_2ので、その点だけ、残念。

 

 翌日は、子供たちのリクエストで、アドベンチャー・ワールドへ。毎年大人向けの場所が多くて、昨年ならImg_7629、姫路城と、書写山と、ちょっと子供から注文もあったので、たまにはいい。大人にとっても、水族館やサワァリーパークは、童心に帰って楽しいものだ。動物とも触れ合いがあって、けっこう楽しかった。父も、長い距離が歩けた。昨Img_7661年は、坂道や山道で、かなりたいへんだったが、今年は、ゆっくりのペースならば、広い敷地を歩くことができた。平坦ならば、案外問題ないようだ。園内をカメが歩いていたり、イルカショーや、サファリパークで子供たちは大喜び。Img_7648

 ちょっと足を伸ばして、家族で一緒というのも、いいものだ。

Img_7666

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