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映像詩『里山』

 9月終わりに、京都シネマで映像詩『里山』 を観た。

Satoyama_01  NHKのハイビジョン映像を劇場用に編集されたもの。映画をテレビで放映されるのは当たり前だが、その逆、つまりテレビ番組を映画として再編し上映されることは、まず少ない。その数少ない成功例がこの映画であろう。大画面で、じっくり上映されることに意味がある映像で、四季折々の豊かな自然と人々の営みが醸し出す、まさに映像詩の名にふさわしい一本だった。

 少し横道に逸れるが、まだ沖縄の西表島に、リゾートホテルなどがなかった一昔前のこと。ある民宿に宿泊していたら、NHK取材班が長期滞在して、西表島の自然を撮影していた。リゾート地に、ディレクター?はいろいろと仕事の段取り中で、少々不似合いな光景だった。自然相手の仕事は、長時間、腰を据えてじっくり取り組まねばならない。その意味では、昨今の短期的な成果や効率だけでは計算しつくせない相手だからこそ、その想定外の姿や出来事に感動し、心奪われるのだろう。それと同時に、単なる忍耐とか根気といった精神論の撮影だけでなく、日本の誇る数々のハイテク機材を屈指した映像からは、その技術の高さが裏付けされる点も、なかなか見事だ。

 さて、「里山」という言葉が一般化したのは、きまめて今日のことだという。しかし、言葉はなくても、一見自然そのままに見えて、動植物と人間の共存し、機能するための自然を、千年以上に渡って作為的に生み出したその作法が、親から子、孫へと受け継ぎ守られ、自然と人間の豊かな共生が生まれてきたのは、まさに日本人の生きた知恵なのである。

 開発ではなく、自然を護るために、定期的に雑木林を伐採し手を加えていく。樹齢1000年もの古木も容赦されない。しかし、生命力の発露は、そこに「ひこばえ」という新芽が芽生えさせ、新たな生命が誕生する姿に、感動さえするシーンだ。さらに伐採された木はうろをつくり、そこが森に暮らす小動物の住処となり、昆虫たちにも欠かせない基地となっていくるである。

 よく昔話では、おじいさんは山に芝刈りにでかけていた。それが、里山を護る知恵であった。しかし、今は、その伐採木を燃料にすることはなくなったが、その替わり、しいたけ栽培の原木とし質の高いキノコが生産されている。このひとつでも、生活の知恵であると共に、スーパーで安く売らる菌床しいたけではなく、その丁寧な作業に感銘するし、第一、おいしそうなのである。その意味では、過密状態の杉で、荒れ放題の日本の山々を再生する道筋としても、この映像は重要である。人々の暮らしと共生する雑木林を維持すること、棚田を守っていくこと、水を保全していくこと、そして共存する動植物を守っていくことは、人々の暮らしを豊かに守ってくれるのある。まさに、日本の豊かな国土を維持することと同じであり、それが数千年に渡り、特別視されることなく、繰り広げられてきた日本人の知恵なのであろう。同時に、自然への畏怖や、その自然に宿る先祖たちの霊(アニミズム的な素朴な信仰であるが、根深い)を敬いながら、人々の営みは続いてきたのだ。

 滋賀県高島市(たぶん、マキノ町あたりか)での日本の原風景。実は、ぼくが住んでいる京都から、JR湖西線で1時間以内に、こんな光景が拡がっている。ほんとはすごいことんなだなー。実際、子ども大会を開く今津町村落もこんな風景だ(ただしあのあたりは棚田ではない)。ぼくも、箱館山でのハイキングの下見の途中で、何度も目の前をサルが横切っていく姿に遭遇している。

 ただし、ここからは、今回のただただ美しい映像とは無関係の、現実的な疑問点に触れておこう。

 まさに自然と人間の調和、昆虫や水中動物、そして、サル、イノシシ、クマ、リス、ウサギ、キツネなどの動物たちとの共生のうるわしい姿だけがクローズアップされていた。しかし、現実はどうだろうか。この地域では、サルやイノシシなどの野生動物による、農作物の被害も深刻化しているのではないか。今津の畑で、「サルにはかなわん!」(別にこれを建てたからといって、サルが遠慮するわけではない。だって彼らは字が読めませんから)立て看板を見たことがある。年々、サル除けの冊が何重にも設けられ、厳重になっている。でも、「イノシシだったら、その下を掘って荒らしていく。もうろ収穫という前にやられるんです」と、現地の人が困っていた。隣接地域での開発が、生態系に影響しているということはないのだろうか。
 そして、もう一つ。映像でみる豊かさとは別の物差しの豊かさを求めて、若い人たちは都会へと流れて、1000年近く自然を畏怖し続けられてきた人々の営みにも、過疎の波が押し寄せてはいないのだろうか。

 ぼくの思い過ごしならばそれでもいいのだが、この映画や上映後のゲストのお話では、そんなことには微塵も触れられていない。もし日本の原風景といっていい豊かな自然との共生を護る意味でも、現状の問題点を映し出した作品も、ぜひ見てみたいものだ。

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