« シンポジウムと法要と… | トップページ | 750回大遠忌法要-法要編 »

750回大遠忌法要-シンポジウム編Ⅰ

 山崎町西光寺での親鸞聖人750回忌大遠忌法要。予想していた以上に盛大な規模で、お寺の前には出店もでて、境内には櫓が組まれて、ほんとうに地域のお祭りの装い。

 用心して早めに出発したのに、予想以上に高速が渋滞。もちろん、渋滞する区間は、大都市圏で割引の対象外。時間がかかった上に、料金は2,100円というのだが、ちょっと割に合わせない。まあ、それはともかく、打ち合わせに1時間も遅刻し、他の先生方を待たせしてしまって、ちょっとばつが悪かった。でも、皆さん、大人で、快くお向かえいただいた。

Img_7502  全体の統一テーマが「愚禿」、シンポジウムは「南無阿弥陀仏」。進行は、司会の亀井鑛先生におまかせし、それぞれが自分と、お念仏や浄土真宗との出会いを、具体的な体験や実例を中心に語り合う程度の簡単な打ち合わせをした。ここの住職の義円師とのご縁がある以外、全員が初対面だった。今回のシンポには、彼の思い入れが強烈で、お金(相当なもの)も、時間もたっぷりかけて計画し、やっと実現したようだ。だから、皆、なんらかの宗教的な体験なり、実践経験があり、外側の権威ではない人たちが集められていた。面白いことに、生まれながらの寺院僧侶や布教師はいない。唯一、ぼくが僧侶で、専門的に真宗学を勉強しているぐらいだが、もちろんそんな縁でここに座っているわけではない。有り難いことImg_7530_2に、先生方とは、2日間ご一緒だったので、かなりいろいなことを聴かせていただき、心理的 な距離はとても近づき、いろいろと学ばせてもらう機会になったとこを感謝したい。最後は、皆さんとハグをしてお別れした。

  コーラス隊がはいった盛大で厳粛な音楽法要のあと、約2時間30分ほどのシンポの開始。まずは、それぞれのいまの思いを語り合い、そのあと、南無阿弥陀仏に出会いについて語った。

  ソナム師は、インド生まれで、チベット僧の父からチベット仏教を学び、何年も瞑想行をおこなってきたチベット仏教の高僧だった。それが、ブッダガヤでの向坊師と出会いが、浄土真宗との決定的な出会いとなったそうだ。ご承知のとおり、向坊師は、交通事故で首Img_7520から下が麻痺し、不自由となって車イスに乗っていられた。不自由な姿に、平癒的なお願いにこられたと思っていたら、「わたしはうれしい、悦びで一杯。そのことをお釈迦様にお礼に来たのだ」と言われて、驚いたそうである。しかも、彼が喜んでいた信心の世界も、また驚愕だったという。厳しい修行をしても消えない煩悩に苦しんでおられたソナム師にとって、その煩悩がお目当てという浄土真宗との出会いは衝撃的だった。しかも、それは南無阿弥陀仏のおいわれを懇ろに聞くことにつきる。そこに無量のパワーがある、その悦びに出会ったものは、その悦びを広く伝えていきたいと、とてもエネルギッシュなお話だ。2月にせっかくカトマンズにいきながら、チャンスがなかった、カトマンズ本願寺の所長として、ネパールで浄土真宗のみのりを布教されている。

  北九州で「夜の子ども相談室」代表、カウンセラーの外松太恵子先生は、(正統な)浄土真宗や子育てや青少年育成の野では売れっ子のおひとりで、皆さんもよくご存じのお方。文章でしか存じあげなかったが、お会いしてみてオープンなお人柄や即意味妙なお話ぶりが素敵だった。その場、その場で、常にありのままの自分でおられる感じがするし、子どもたちの面接にしても、外見や目の前の問題行動ではなく、目には見えない子どもたちの可能性に寄り添ったカウンセリングの様子を、感動的な具体例で伝えてくださった。ぼくにも隣接する関心事なので、控室でも長時間お話を聴かせていただいて、いろいろな温かい事例、ご家庭の様子、失敗談など、いろいろと聴かせていただいた。生まれながらの、浄土真宗との自然な出会いについて語ってくださった。

 もうひとりは、地元の女性で、以前もこのご法座でお会いしてことがある藤本千穂美師。なにごとにも、率直に語られて、足しげく聴聞し、またお聖教も学んでおられた。子どもの時から、かなりコアをキリスト教を守護する家庭で育ち、罪を重ねて「地獄に落ちねばならない」というたいへん辛い宗教心理だったのが、南無阿弥陀仏への回心体験を経て、ほんとうに楽で、安心して悦びの生活を送っている浄土真宗に出会ったその悦びを、自分のところで語ってくださった。ただ、ぼくとしても、彼女にもう一歩出てお伝えしたいところがあったが、今回は、人のことはほっておいて大人しくしていた。 

Img_7482  ぼくは、もちろん、後生の一大事と、廃立の2本での直球勝負だ。ぼく自身が、南無阿弥陀仏に出会た一連の体験をごく普通のこととしてお話した。その出会いは、助かる(往生極楽)自分ではなく、落ちていく(地獄一定)のところでしかなかったこと。「落ちる」のが怖くて求めていたのに、結局、「落ちていく」ことで満たされたこと。それは、お念仏に出会ったいまもまた、自分を詰めて問うのなら、その姿は何も変わっていないこと。しかし、南無阿弥陀仏(本願)に対する疑い(計らいの方がピッタリくるか)は、不思議にもすっかり晴れ、後生がハッキリしたという点に絞ってお話した(だって、落ちていく私のところに阿弥陀様はおられのだものね)。結局、他人のどんなにいい有り難い話も、たとえ楽に生きていけても、自ら、自分の後生を問わなければ、単なる生き方の延長、生活上の真宗でしかない。しかし、現状は、この2点に焦点を当てて聴聞できるお寺はまず稀有だというのが、悲しい現実である。当然、その手の僧侶や同行も育っていないのだがら、まずそこから始めるしかない。現状を歎いてる暇はない。

 結局、いろいろな方のお話を聞いていると、ぼく自身が出会った浄土真宗が、どこにあるのかの位置づけがハッキリわかってくる。共通の土壌もあばれ、またそれぞれの違いもハッキリしてきて、ぼくには面白かった。翌日の法要の結衆として参加させてもらったこととあわせて、また詳しく書きたい。

 個人的には、もっとパネラー同士でのかかわりや、フロアーとのやりとりがあったほうがよかったと思った。でもぼく自身も司会者に遠慮があったし、DVDの撮影などで制約もあったようだ。ただ、もう少し自由度があり、外れた質問があった方が、それぞれの個性がもっと立ち上がって、面白かったのではないか。それでも、無味乾燥な教義や言葉のやりとりではなく、それぞれが自分の体験や、実践例や具体例が豊富で、なかなか味わい深いシンポジウムなったようだ。余談ながら、外松先生が、「前の方に、とても反応がよい女性の聴衆がおられましたね。泣いたり、笑っImg_7497 たり、大声で反応したり」と仰った。「ああ、それうちにお勤めのT山さんという方です」と。まあ、どこにいっても、彼女の反応は評判いいんでしょうね。確かに、話し手としては、無反応がいちばん話づらい。

 初日は、このあと、盛大な餅まき(10メートル上から、固いもちがバラバラと落ちて来る。ボーとしていたらケガをする)、ホテルでのレセプションがあって、いろいろな方のお話が聞けてよかった。
 そうそう、「ブログ見せてもらってます」という方もおられた。S君、ありがとう。そしてお疲れさまでした。お返しに、餅をゲットされたお姿を、ビミョウに入れておきます。(続く)

|

« シンポジウムと法要と… | トップページ | 750回大遠忌法要-法要編 »

法座と聞法」カテゴリの記事

コメント

遅いコメント恐れ入ります。
向坊師と言えば、字は違いますが私とは同名です。しかしながら、物柄というか根性は私と全く大違いの方ですね。まさに還相の菩薩様のようなお方でした。阿弥陀様から御六字の大宝海をいただきながら、悦びを感謝させていただくどころか、仏様に駄々をこねまくり、足るを知らず、常に不平不満で仏法をお聞かせ頂きながら、それを更に罪造りの道具としてしまうどうしようもないつまらない私に対する向坊師の弾かの御言葉とそんな仏を仏とも思わない私こそお目当てという向坊師の言葉を借りた阿弥陀様の私に付ききって下さる御心を御味わいさせていただきました。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。

その向坊師の御縁で、浄土真宗に導かれたソナム師も尊い御方ですね。チベット仏教の浄土教は、基本的にツォンカパ大師の『最高の国土の開門』(北京版『西蔵大蔵経』第153巻にあるそうです)等の教えに基づき、『無量寿経』の三輩往生の御文を根拠として、往生浄土の因行として①「観想」②「修諸善根」③「発菩提心」④「発願回向」を実践されるそうです。阿弥陀様の御化身とされる歴代パンチェン・ラマも、このツォンカパ大師の御化導を基本に御指導なさっているということです(梶濱亮俊先生の『チベットの浄土思想の研究』(永田文昌堂)等を参考にさせていただきました)。
チベットには『観無量寿経』が伝わっていませんし、『阿弥陀経』も、西蔵訳は玄奘さんの『称賛浄土仏摂受経』よりも更に逐語訳だということですから、日本に伝わっている浄土教とはかなりニュアンスが違うようですね。ソナム師も教学的にはかなり抵抗感を持たれたかもしれません。大谷大学で長らく教鞭をとられているツルティム・ケサン先生も、日本の浄土教で一番チベット仏教に近いのは源信和尚の教学だと言われています。しかし、『無量寿経』を中心とされるところなどは、案外、親鸞聖人の教義に親近感を持たれるのではないでしょうか。
ソナム師のことで、亀井鑛先生も『信の群像』で御紹介なさっておられました韓国の釈暁鸞先生のことを想わせていただきました。戦時下(戦前?)の日本に弾圧を受けながら、獄中で、流罪に遭われた法然上人、親鸞聖人、日蓮聖人の三師に強く魅かれ、日本仏教、とりわけ浄土真宗を深く学ばれ、高田派で得度なさった後、母国で、六祖慧能禅師の法統を受け普照国師知訥禅師が開かれた「大韓仏教曹渓宗」の中で、親鸞聖人の真宗を教えられていたとのこと。確か息子師が後継されていると聞いています。暁鸞の法名は、新羅の華厳宗の大居士元暁大師(還俗なさって結婚された)と、親鸞聖人から一字づつ採られたもの。元暁大師は、日本の明恵上人が大変崇敬なさっていた方で(中国の華厳三祖、賢首大師も大変影響を受けられた)、
御著書と伝わる『遊心安楽道』(但し、日本にしか無くて、仮託書説があります)に説かれた「光明真言・土沙加持」は、源信和尚、明恵上人、叡尊菩薩等により今日まで伝えられています。
元暁大師も『無量寿経宗要』を残されるなど、韓国浄土教も『無量寿経』中心であり、親鸞聖人も『顕浄土真実教行証文類』に、憬興大師の『無量寿経連義述文賛』を13度も引用なさるなど強い影響を受けられたと言われます。こういうところにも仏様の御因縁を感じます。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
色んなことを想わせていただいて話がまとまりませんが、「華光大会」には御参りさせていただきたいと思います。また御世話を御掛け致しますが宜しく御願申し上げます。 南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。

投稿: 縄文ボーイ | 2009年11月 3日 (火) 15:39

縄文ボーイさん、コメント、お久しぶりです。当方、いろいろあって更新が滞っていました。
いろいろご指摘がありすぎて、どこにどう反応していいかわからないけれど、まず「弘道」と読みが同じなんですよねというベタなとこから。

さて、ソナム師などからも、いろいろと刺激を受けました。同時に、華光でお聞かせに預かっている、ぼくが出会った浄土真宗のおみのりが、いかに純化されたものかがよくわかりました。ただ、純粋性を維持することは、ますます尖閣化していくと、わかるものしか近づけなくなる。真実はここだけだという、ある種、原理的な姿勢に陥りやすい。かといって、あまりに大衆に迎合すると、なにが伝えたいかが不明瞭になっていく。その意味では、純粋性を保ちつつ、大衆性をもって広めるにはどうするのかという問題があると思いますした。
 違いばかりを強調せずとも、同調できるもの、その方向でつながっていけるところとは連帯してたり、もっと開いていっていいなと感じたり、いろいろと新しい方向が、ボンヤリと見えてきた気がします。

投稿: かりもん | 2009年11月 5日 (木) 23:41

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 750回大遠忌法要-シンポジウム編Ⅰ:

« シンポジウムと法要と… | トップページ | 750回大遠忌法要-法要編 »