750回大遠忌法要-法要編
翌日は、750回大遠忌の法要。朝から、慣れない七条の装束を付ける。もちろん、しっかり手伝ってもらいました。
で、午前中は、いきなりマイクロバスに分乗して、門信徒で宅でのお稚児の定儀宿法座なるものに出勤。これから何があるんですか? よくわからないまま、法要のあと、七条のままて、短めのご法話を担当する。法中も、若い 親御さんも、稚児の子どもさんもいるなかで、「手」というテーマ。まず、じっーと手を見てもらう。なんでもする手ですよね、これは。人も殴る、ものも盗む、ご飯 も食べれば、へんなことも、あんなこともしている。そして、この口も、悪口も言えば、グチもこばす、お上手も、おべっかもなんでもある。そこに、広島法座で体験した、包丁をもって人殺しにいく代わりにご法座にお参りされ、包丁握るわかりに、その手に念珠をかけ、相手を罵倒するその口で、「南無阿弥陀仏」を称えられた例話をもとに、さるべき業縁もよおさばいかなる振る舞いもするこの手(身)で、またこの口(口)が、合うはずのない手が合わさって合掌し、称えるはずのない口から「南無阿弥陀仏々」を称える不思議がおこる。しかもその私の心(意)、その中では、常に殺人も、盗みも、強姦も、親や先生殺しも、なんでもありにもかかわらず、その心をお目当てに、飛びこんきてくださった南無阿弥陀仏が、その泥沼に清浄真実のはすちを咲かしてくださる。その姿に動かされて、南無阿弥陀仏がとび出してくださるというようなことを話した。
短い昼食のあとで、また七条を付けて、午後からが本番の稚児法要。とても盛大で、七条の礼装の僧侶だけで40名。そこに会行事や奏楽員を入れると総勢で50名の規模。しかも、御連枝寺院の中でも、ご門主まで輩出している大阪の御坊からご連枝を招き、住職が「親鸞様のご子孫なんだから、威張っといてや」というお方の側に、ぼくみたいなややこしいものを配置するのだから、これはかなり妙な感じ。当然、生まれ初めての内陣出勤。正直、差定(さじょう)の専門用語に、「わかりません!」というものもあったが、いちいち質問して足手まといになってはいけないので、とにかくお隣さんの真似をし、前の方の真似して、どうにか、出勤も、お練りや行道も、少々テンポ遅れたり、ときにフラフラ転びそうになったり、そして、お邪魔にならないよう
にと省エネモードで勤行に参加し、それでいてお練りでは、こっそりデジカメを撮るわで、まあ楽しんできました。一応、どうにか足手まといになるようなボロもださずに、「かりもんさんの七条姿も見慣れてきましたわ」と、笑われながら、なんとか終了。まあ、かなり真剣なコスプレというところですかね。長時間に渡って、きっちりこなす僧侶の世界もなかなかたいへんです。それに、伝統の様式美や声明のすばらしこさに少し触れさせてもらって、このことも含めてちょっこと味わうこともありありでした。
あと、普通のお寺なら、着替えてご満座になり、法話聞かずに三々五々帰っていかれるが、ここでは、法中全員で聴聞し(法中席が前に設けてある)、それが済むまでは帰さないという徹底ぶり。これは当たり前のことで、ご聴聞を大切にされる、このお寺のいちばんすばらいしところ。そのサナム師のご法話と、最後を締めくくる義円師のすばらしいごあいさつで、公式行事は終了。
あとは、お楽しみの超豪華なビンゴゲーム。なんと住職と共に行くちょっとビミョウな沖縄八重山旅行5日間が、4名にあたり、他にもギターにサンシンに、カーナビやホームベーカリーなど、どれだけ金持ちなんーというものが続いた。でも、これはまだ序の口。いちばん特選賞は、いの一番にビンゴした人に、すばらしい商品が用意されていた。「来月の報恩講法座(3日間)の悟朗先生のご法話を、ポールポジション(最前列の特等席)で聞ける権利」という(バツゲームかー)ものだった。しかもその幸運が、ある時のぼくのご法話を聞いて、ご聴聞の姿勢が変わったというシンポの進行役の方に適中。何度も、「ぜひ華光にもお参りします」といっておられた方だったので、これは御仏のお計らい以外なんとも考えられんなー。
そして、終了後の打ち上げでも、鄭光均(ジョン・カンギュン)さんのオカリナ演奏を間近で聴かせてもらい、盛り沢山の2日間の締めとなった。
でも、いろいろなことを味わったあとは、寂しい気持ちになるんだなー。ひとりになっていろいろと味わいたい自分がいますね。どうも、ぼくの根は常に孤独なんだー、これが…。
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