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  用件で三条方面に出たついでに、CDショップに立ち寄る。最近観た『キャデラック・レコード』の音楽がよかったので、ブルース・ロック系のチェス・レコードのオリジナルのサントラや、映画ではビヨンセが感動的に熱演し、実は天童よしみに輪をかけて個性的なお姿のエタ・ジェイムズなど、これまでご縁うすいのあたりを手に入れたが、聴くのが楽しみ。

Img_7293  すぐ近くに三条寺町のギャリーでの書作の個展を見学させてもらった。自力整体で知り合った、同じ高校の先輩でもある。うーん、いいですね。書という表現も、ただの書体や素材だけでなく、墨、紙、額、そして展示方法などで、いろいろと変化し、面白さがあるものだなー。

 いつか、ぼくも、こんな表現手段をもちいることがあるだろうか。可能性を秘めつつも、まだその意味では、十分発揮していない分野だ。逆に言うと、そこに表現手段としての伸びしろがあるわけだから、これは楽しみでもある。人間は、可能性のある遺伝子を極々わずか数パーセントしか使い切られいまま、この世とお別れするらしいが、たとえ迷いの世とはいえ、いまいただいたもの、その可能性を出来る限り発揮させていきたいものですね。

 パンフレットと一緒に、作品の素材になっている句集も購入した。親しみのある書はともかく、短歌や詩という形の自己表現にあると、まったくもって疎い。でもそれは、まだまだ書き込む余白が多くあるという意味なのだから、そう考えるとけっこう楽しみになってくる。

 「隕石の 中に淡雪 眠りたる」

 「耳と耳 すり合わせて聞く 冬の雷」 

 「春雷に わたくし一人の 釈迦となる」 (『隕石抄』より)

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