« 明日の予定 | トップページ | 身で聴く~竹内敏晴氏の訃報~ »

ぼくがフォーカシングに出会った頃 (円座禅・序章)

   週末は、土江正司先生をお招きしての「円座禅(フォーカシング指向エンカウンター)」のWSがあった。

 始まる前から、かなり期待度が高かったが、実際、さまざまな意味で、大きな学びや気づき、出会いをさせてもらった濃厚な2日間となった。貴重な有り難い経験であったが、同時に濃密さに疲れもした。

 ところで、皆さん-カウンセリング経験や、華光の座談経験のある人に、エンカウンター(出会いグループ)を紹介することは、そう難しくないだろう。なんとなく想像できる。でも、フォーカシングといわれると、聞き慣れない方が大半だ。なんじゃい、その横文字は?ということになる。

 ぼくが、ジェンドリンのフォーカシング(焦点づけ)と初めて出会ったのは、大学院の修士課程を修了した直後のことで、もう20年以上前のことになる。同時に、大学のカウンセリング課程を修了し、そこで「ああ、そうか!」という、最初の僕的カウンセリング廻心体験があった時だ。それは、それまでピースひとつひとつをこなすのが一杯で、全体として何をしているのかがさっぱりわからずに取り組んでいたものが、ある経験をきっかけに、突然、バラバラだったジグソーパズルのピースが、バーッとつながり、どんどん視界が開けていくような体験だった。そこから、初めてカウンセリングが面白くなってきた矢先だった。

 そんな時に、真カ研でも、それまで馴染みのなかったジェンドリンの『体験過程と心理療法』の理論学習会(輪読)をするという呼びかけがあったのだ。かなり画期的なことで、呼びかけ人には、研究会の代表のS先生だけでなく、真宗学の大家のS教授、哲学科のK助教授(当時)の例の3人組が揃っておられた。ぼくも、一番に飛びついた。
 ところが、各自で手に入れて持参せよとのテキストが、絶版で入手できず、まだ大学にも入っていない上に、呼びかけ人までも消極的で、日程があわずに看板だけだったり、ぼくの参加意欲より数段意識の低い人もいた。そんなこんなで、会費を払って参加していたぼくは、最初の集いで、その会自体のいい加減な姿勢に強く噛みついた。

 まあ当たり前といえば当たり前なのだが、そのころまでの真カ研は、そんなルーズさがたぶんにあったのだが、このころを境に、かなり意識が変わってきたのだと思う。

 結局、テキストは、コピーをして会で揃えることになり、世話人も意欲的なY氏とH氏のみが残って継続することになった。その後、渡米するY氏が抜けて、最後までH氏だけが付き合ってくれた。4~5名程度だったと思うが、二人だけで勉強したこともあったが、1年継続した。初めて接する用語や哲学的な色彩もある書物で、当日のぼくにはかなり厄介な代物だったが、(最初の意地もあって)毎回、レジュメをきって望んだ。でも、そのおかげは大きい。専門以外で、あれだけ熱心に何かを読んだものは、後にも先にもない。一番、得をしたのは、ぼくである。付き合ってくれたH氏には感謝である。

 並行して、村山正治先生のWSに参加し、1年後には、増井武士先生を招いて真宗カウンセリング研究会の企画も担当しで体験的にも触れていった。真カ研でも、かなりフォーカシング熱が高まっていったが、最初は、まだステップが理路整然(マニァアルのようだ)しすぎて、頭での理解が先攻したり、なかなかフェルトセンスがつかめなかったり、シフトが実感できずに焦ったりと、みんなも「?」だったことも覚えている。

 その後、体験過程を中心課題にしながらも、フォーカシング技法自体には、真カ研では熱は冷めていくことになった。しかしながら、この時の経験は、ぼくの法座やカウンセリングでのかかわりを大きく代えていったといっていい。
 それはいまも、聴き方の方向性をますます強く示唆しているのだ。人の話のどこに、どう注目して聴いているのか。それを自分の体で受け止めた感じを、どう言葉にして、どう伝え直しているのかということである。

 振り返りついでに、20年前に研究会のWSを開いた時に、ぼくが書いた案内状に、当時のフォーカシングの意義を少し要約して説明しているので、(当時の)フォーカシングの位置づけを紹介しておこう。

「ジェンドリンさんの心理療法においての体験過程への注目が、ロジャーズさんのクライエント中心療法を理論的に発展させる原動力になり、さらに心理療法の技法(=体験過程を促すための技法、平たく言えば、自分自身の内面に触れていく技法とも言える)「フォーカシング」が生みだされたのです。現在、広範囲の分野(カウンセリングの面接場面・教育現場・医学的治療・エンカウンター・グループ等)で展開応用されつつあり、注目を集めています。そのあたりを、パンフレットから転用して簡単に説明しておきましょう。

『フォーカシングとは、ユージン・T・ジェンドリンが開発している心理的成長を援助する方法である。彼はシカゴ大学教授で、ロジャーズの高弟の一人。
 カウンセリングや心理療法において、多弁に問題を話しても一向に進歩しない人がある。その人達は問題を話すのだが、からだの中に起こっている感じ(フェルト・センス)を感じとりながら話すことのない人達であることが分かってきた。言わば他人事のようにただ問題を話すだけであったり、相手を非難、攻撃するだけである。その人達に、その人の中に起こっているからだの感じに焦点づけること(フォーカシング)を教えていくならば、カウンセリングは効果的に展開して行くだろう。 エンカウンター・グループにおていも、ただ話すのではなく、自分のからだの中に流れる暗々裡の感情を探りながら話してゆくと感情と言葉はぴったり一致し、深い、真実な関係が発展してゆくであろう。この方法は、生徒の学習、医学的治療、組織の発展その他広範囲な応用が期待される人間関係促進の基本的な鍵概念となりつつなる』

 とにかく説明よりも体験学習が一番だと思いますので、是非この貴重な機会に奮ってご参加下さい。」 

 なぜか、いまの集いに入る前に、すごく昔の思い出をダラダラ書き出している。どうやら、「ここから始めてよ」という、うちからの声によるものらしい。きっと、意味ある方向に辿りつくのであろうなー。

 さあ、肝心の円座禅については、これからぼちぼちと…。  

|

« 明日の予定 | トップページ | 身で聴く~竹内敏晴氏の訃報~ »

カウンセリング・DPA」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ぼくがフォーカシングに出会った頃 (円座禅・序章):

» 円座禅 -2 セッションについて [真宗 と カウンセリング ]
先日の円座談で感じたことです。 最初に概要と共に、ルールをお話くださいます。ルール1:円座談の場で語られたことは他の場で話さない。ルール2:どんな感じもみんなで尊重。正直でいられるために。 ここまでの守秘・尊重は他のワークなどでも大事にされています。そしてもうひとつ ルール3:非暴力 これも当然他のワークで大事にされています、というか、絶対的な条件です。しかし、この非暴力に関して、私は身体的暴力(これは絶対にだめですね)と、もうひとつは言葉の暴力ということで、「相手が困ること」という漠然な認... [続きを読む]

受信: 2009年9月15日 (火) 01:44

« 明日の予定 | トップページ | 身で聴く~竹内敏晴氏の訃報~ »