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『セントアンナの奇跡』

 アリメカのオバマ大統領夫妻の初デートは、スパイク・リー監督の出世作、『ドゥ・ザ・ライト・シング』だということを、どこかで目にしたことがある。さまざまな角度からアメリカの黒人問題を撮り続け、その真の解放を主張してきたリーは、オバマの熱烈な支持者なのだがら、もしそれがほんとうなら、この話は確かによく出来ている。

 出来た話のついでに、ぼくも、妻と初めて観た映画は、スパイク・リーだった。黒人解放指導者の伝記、『マルコムX』だった。ただし、その時は、二人きりではなったので、正確には初デートではない。なぜなら、もうひとり一緒に付き添いというより、お目付役がいた。それが誰あろう、T山嬢だ。いまから考えると、この3人の組み合わせは、かなり面白い。これを書いていて、急に昔のことを思い出した。

Stanna_01 さて、その社会派スパイク・リー監督の 『セントアンナの奇跡』は、非常によくできた一本で、165分をまったくあきなかった。ぼくの中では、「今年の10本入り」する作品だ。一見すると、節目節目で、「そんなバカな」とか、「ちょっと都合よくない?」と思う点が出てくる。しかし、そこがこの映画の味噌なのである。カトリックでいうところの、まさに「奇跡」なのである。その不可解さが理解できると、この映画は、かなり楽しめる(楽しむというより、目を背ける辛いシーンがも多いが)。

 それにしても、複雑に絡み合う事象を、さまざまな伏線を張りめぐらせて、最後には、しっかりと結びつけて、感動のエンディンクへとつなげる手腕は、たいしたものだ。ぼくも、久しぶりに、ラストで大粒の涙が流れ出した。下手をしたら、ベタで、安っぽいエンディングになりかねないところを、それまでの提示が見事だったので、完全にやられた。

 白いたくさんの小さなクロス(十字架)が赤に移り変わる、タイトルバックもおしゃれだ。しかし、映画が始まったら、決して、これは単なるお洒落だけではない。クロスには、残酷な、重いテーマが隠されていたことがわかる。

 事の発端は、なんとも不可解な殺人事件で始まる。1983年ニューヨーク。定年間近の老郵便局員が、古いドイツ製の拳銃でひとりの客を射殺した。まったく殺人の動機が見当たらない。真面目に働き、戦争で名誉ある勲章を授与され、まったく身辺にもおかしなことが一つもない初老の男が、なぜ、不可解な狂気に走ったのか。
 さらに、もう一つの謎が…。彼の部屋から、イタリアの国宝級の彫像の頭部が発見されたのだった。

 ミステリアスな展開を解くキーは、この彫像にある。

 舞台は、80年代のニューヨークから、1944年の第二次対戦中のイタリアへと移る。

 中心は、4人の連合軍兵士だ。通称バッファローソルジャーと呼ばれる彼らは、黒人のみで編成された攻撃部隊の一員。激しくナチスと抗戦している。攻撃の途中、黒人であるがゆえに、本隊からはぐれ、トスカーナの田舎村に迷い込む。そして、そこで、ひとりの、いわくありげな白人の子供を命懸けで救出することになる。

 ところで、今でこそ米軍の兵士といえば、黒人というイメージがあるが、実は黒人が前線で戦うようになったのは、第二次対戦以降のことだそうだ。なぜなら、当日、アメリカの市民としてまったく認知されていかなったのである。そのため、実験的に、黒人部隊が組織され、前線で闘うことになった。しかし、白人将校たちは、彼らを露骨に差別し、また信用もせず、作戦にも不協和音がうれまている。時には、敵国ナチス・ドイツ兵捕虜よりも、待遇が悪かったという逸話まで残っている。
 正規の国民と見なされず、厳しい人種差別に虐げられる彼らにとって、命懸けの参戦は、さまざまな複雑な感情を生み出す。命がけで祖国を守り、黒人の地位を向上させよと意気込むものもあれば、不当な扱いに「所詮、白人同士の戦い」と、しらけているものもいる。しかも、仲間から信頼されずに、孤立し、彼らが迷い込んだ、敵地のイタリアでは、本国のような黒人差別はまったくない。むしろ、ナチスに敵対する村人たちは、彼らを受け入れ、その自由な雰囲気の中で、(敵兵に囲まれている危機的な状況でありながら)本国ではけっして味わえない解放感に浸っていくのだ。

 ところが、この映画の見どころは、最初、アメリカの白人対黒人という対立をメーンに置くとみせながら、実は善悪や敵味方といった二項対立の単純な対決軸ではなく、もっと深く、複雑な人間性の襞をたくみに描いている点にある。そして、人間の善悪など簡単に消し飛んでしまうほどの戦争という狂気そのものの残虐を、いやというほど映像化しながらも、同時に、その狂気の前ではあまりに無力で見えなかった人間性の微かな希望の光が、最後に、煌々と感動的に映し出されていくところにある。

 だから、4名の黒人が、さまざまな思いや態度でこの戦争を戦い一色でないように、正義であるはずのアメリカ軍にも、無能な将校や偏狭な差別主義者がいれば、凶悪なナチスのなかにも、命をがけでヒューマニズムを貫く兵士や、殺し合いを嫌悪する将校もいる。同盟国であるはずの、ドイツ兵とイタリア国民の間も複雑に対立し、そのドイツに対抗するのパルチザン(イタリア市民の抵抗軍)にも、正義もあれば、ユダのごとき裏切りものもいる。そして、その裏切りが、複雑に絡み合って、悲劇の殺戮(実話)を招いていくのだ。

 今から、65年前の今日。つまり、1944年8月12日に、ナチスが罪もない無抵抗なトスカーナ地方の村人を、教会の前で、大量殺戮した“セントアンナの大虐殺”がそれだ。 

 さらに、その裏切り行為と、何故か生き残ってしまった者の持つ深い罪悪感が、お守り代わりの女神の彫像と、ひとつのクロスに導かれて、時を超え、所を超えて、再び結びつき、そして深い許しの世界へといざなわれていくのである。

 冒頭の殺人事件の背景は、事象的にも、心理的にも、あまりに意味深だったのである。

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