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2009年8月の28件の記事

『土徳』~焼跡地に生かされて~

   京都みなみ会館で監督の舞台があった、 『土徳』~焼跡地に生かされて~の紹介。

Img_7023  これは商業主義の映画館ではかかならい代物だ。かりもんプログファンの方には、ぜひ見てもらいたいのだが、もっとも機会があればの話…。まさか、みなみ会館のスクリーンから、お念仏や、正信偈や白骨のご文章、三奉請が流れてこようとは考えたことがなかったもの。

 実は、この監督の作品は、ちょうど1年前に見ている。『藝州かやぶき紀行』という作品。マニアックだったが、真宗の篤信地域である広島の宗教(真宗)社会史的な側面も窺えてなかなか面白かったと、このブログでも触れている(詳しくは参照)http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_b4da.html

 その『藝州かやぶき紀行』よりも先に作られたのが、本作『土徳』である。チラシを見て、あれ、と驚いた。監督はぼくと同世代(同学年)、しかも広島にある寺町の真宗寺院の子弟で、龍谷大学仏教学科の出身だという。彼の生まれ育った真宗の土壌は、安芸門徒で、その中でも、伝統と格式ある大寺院が軒を並べる寺町の一角だ。その地に根付いたToku 地域史であり、家族史であり、真宗寺院の生態を伝える貴重な記録でもある。しかも、その寺町は広島市の中心街。まともに原爆に見舞われ、壊滅的な被害を受けて,いる。だから、戦前からの家族や地域、寺の歩みを辿っていくなら、戦争や原爆は避けては通れない。前日に見た、『妻の貌』』は、広島で被爆した連れ合い(妻)の60数年の歩みを記録した膨大な、プライベートな素人作だった。(詳しくは以下参照ね)http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-2213.html

『土徳』もまた、極私的な家族史で、プライベート性は高いのだが、真宗寺院の近代の地域史や社会史な一面があり、また原爆に遭遇したり、家族を失った市井の人々の等身大の貴重な記録を伝える、映像作家の作品としての見応えがあった。(ボスターはアメリカ軍が撮影した原爆投下前の広島の航空写真)

  特に、彼の父が、たまたま原爆投下の時、龍谷大学の学生で、京都で下宿し(当時の大学や下宿先の証言も追っている)中で一命を取り留めるが、断片的な情報の中で、家族の安否を心配したり、その後、やっと広島入りしてみると、両親、兄弟のほとんどが死亡、町も寺も壊滅状態の中で苦悩する若き時代の日記が、再現されるくだりは感銘を受けた。また、被災した祖父を始めてするひとりひとりの姿も尊かったし、戦前の寺院制度や寺町の様子を丹念に追い掛けていくのも貴重だ。

   個人的には、映画には龍大の北畠教授が出演し、舞台あいさつでは、信楽先生の名前は出て来て驚いた。もしかすると、監督とはどこかで接点があるかもしれない。終了後、ロビーで言葉を交わしたが、同級生ではなかった。

 よくお念仏の土徳の地についてに触れているが、土徳とは、広辞苑にも出ていない言葉だ。どこか地域にどっしりと根を降ろした土着性の肯定的な響きがある。いい言葉だと思う。「徳」というところに、おかげの精神を感じる。

   しかし、その反面もあるのではないか。土着には、習俗という俗の一面もあるからだ。本来、親鸞聖人の革新性は、旧来の日本の土着性やその信仰からの峻別があった。だから、旧態然として既製仏教や権力から弾圧を受けたのである。だか、その後、真宗が発展するプロセスでは、習合思想のように、ある種の土着的信仰を取り入れ、大衆化してきた歴史だといってもいい。

 その最たるものが、本願寺という形態である。「阿弥陀仏一仏以外は礼拝対象ではない」はずの真宗において、阿弥陀仏をおまつりする「阿弥陀堂」よりも、聖人をまつる「御影堂」の方が、大きいのはなぜか。それは、本願寺誕生の経過から当然である。しかも、その留守職は、親鸞の直系という血脈が加わり、それが、封建的な門主制と、葬儀や法事中心の檀家制に守られていく。「加茂川の魚に与えよ」との遺言は、墓や亡骸にこだわらず、また正法を護るために長男をも義絶し、骨や血を捨てて、いま、ここに苦悩する人々への救いを問題にされた聖人のおこころはいずこにだ。

 結局、信仰の形骸化の中で、地と、血と、骨が残ったといってもいい。

  だから、得体のしれない感情で、真宗内のヒエラルヒーの頂点にたつ、聖人の直系である門主や本山は、崇拝の対象であり、崇高な雲の上の存在(たぶん、日本人としての天皇制にも通じる)なのである。当然、そのミニ版が、手次ぎの寺院や住職・寺族に対する念であろう。

 その意識は、熱心な門徒や住職や寺族ほど根強い。ある種の特権意識だ。だから、婚姻は寺院の子弟同士であり、次男以下は、寺院の養子に入るべきだと、住職も檀家も考えている。その他、非親鸞的な因習も多いのだ。

  もちろん、この私が弥陀の本願に出会えたのは、善知識として七高僧や親鸞聖人のご出世がなければありえなかったこと。また、寺院の果した役割も大きい。その意味では、祖師や本山を敬い、崇拝するのは当然だし、葬式にしても、血脈相続にしても、その意義や意味を、全面的に否定するつもりはない。

 しかし、第一義には、ひとりひとりの「個」としての私の上に、生きた信仰が確立されるという点にある。地縁や血縁も超えた、ただ念仏でつながる御同朋・御同行。それは、私の胸に、弥陀の本願がいま、届いているという事実こそが、最重要なのである。形式や伝統ではなく、ほんとうに「法」が生きているのかどうか。残念ながら、その問いかけまでは、この映画に期待できない。土徳といっても、所詮、縁他力の喜びに過ぎないのだ。

  いまは日本的な負の一面を指摘したが、もちろん、一朝一夕でない伝統に根付く尊さも滲み出ていることは、いうまでもない。

 監督に、「檀家をもたず、法事や葬式で生計を立てるのではなく、伝道・布教を中心に活動しています」と、ぼくのことを説明すると、「他に仕事をされているのですか」「いいえ」。「では、役僧されているのですか」、これも「いいえ」である。真宗寺院という伝統社会から飛び出した人といっても、その枠外にある華光会の仕組みは、そう簡単に理解できるものではないことがよくわかった。

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輪読法座が終わって…

 日曜日は、輪読法座。

 法座が終わったあとで、一階で作業中の、仏青大会の案内状の確認して、選挙へ。

 うーん、自民党に入れたくないけれど、民主党も(事前予想の)大勝するほどの魅力を感じられず、むしろ、郵政の時といい、今回といい、マスコミにも煽られ、一斉に右に習えになる体質が怖い感じがするし、泡沫の政党は宗教色一色だし…。「絶対幸福党」なら、洒落で入れてもいいけれどなどと、バカなことを考えながら、たまたまこの選挙区はもうひとつだけ選択肢がある。どうせ、反映されることはないだろうが…。もう一票の比例は、もっと迷う。初めて「白票」で出そうかとも考えたけれど、こちらは、少数意見が少しでも反映されるように、九条改憲派が2/3以上を占める事態を憂いて、護憲の勢力になる思われるところに一票。
 あと、いつも迷わないのが、最高裁判所裁判官の国民審査。暇人と思われるが、配布される選挙管理委員会の「公報」をしっかり目を通す。経歴や関与した主な判例、心構えなどがでる中で、たまに座右の銘や趣味を書いている人もあって、そんな時は少し面白い。ここはずっと毎回、同じスタンスで望んでいる。
 別に支持政党はないが、一応、権力に対しては警戒しようという姿勢の投票行動が多いかなー。虚弱体質気味の反骨ということで…。

 その足で、以前からの約束がのびのびになって、進路のお祝い(?)をかねて、某同人と飲むために、駅前の大型ブックセンターで待ち合わせ。投票が早くすんで、20分ほど時間があったので、新書などを購入して待つ。
 岩波文庫から出た『高僧伝(1)』の現代語訳。
 立場は違うけれど、河合隼雄著『カウンセリングの実際』。
 『がんばれ仏教』で評価されていた神宮寺の『寺よ、変われ』と、
 福岡伸一著の『世界は分けてもわからない』。
 そして、野中広務と辛淑珠の対談で『差別と日本人』の5冊を買ったが、手元にも、4~5冊、ハードカバーが積まれているので、しばらくは楽しみが続く。

 あとは、二人で、「ああじゃ、こうじゃ」と、楽しく酒を飲む。「先生は、華光をどうして行きたいですか」なんて聞かれたりもしていたなー。まあ、酔っぱらっていたが…。いろいろあったけれど、真宗は、他の人の信心がどうこうではなくて、やっぱり自分の信心がどうかという話という感じになった気がするけどね。人のことは、「ほっときなはれ」(by伊藤康善先生)である。

 帰宅したら、選挙の開票速報中。もう大勢は決まっていたが、こんな時は、テレビのはしごで遅くなりがち。宗教団体の組織票に守られた与党政党の幹部が、「信心が足りなくて」次々落選したのが、正直、なんとなく気分いいのは何でだろうねー。まだまだぼくも心が狭いー。でもなんかね…。ダラダラ視聴が続くので、適当にテレビを止めた。でも、今度は、買った本をバラバラ読みだした。酔った頭には、『差別と日本人』が、すこぶる面白くて、結局、最後まで読んでしまって、すっかり遅くなった。選挙の流れにも絡んでいるし…。

 おかげで、今日一日寝不足気味ダナー。

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満中陰法要

   朝から、東大阪の布施へ、四十九日(満中陰)法要に出かけた。

 喪主の方の要望で、単なる法要ではなく、ミニ法座形式となった。法要に30分ほど、あと2時間ほどは、法話や座談に当てることにした。

 お勤めは、礼拝聖典を配り、『阿弥陀経』をあげる。98歳で亡くなった故人の家の宗派は、禅宗。すでに、家の主はなく、娘さんが引き取って喪主。その家は、真言宗。そして、ぼくは浄土真宗。華光同人である喪主以外は、みな、浄土真宗のご縁がない方ばかり。始めに、念仏や聖典の扱い方、お勤めについて説明して、一緒に声を出してもらうようにお願いした。そして、違いではなく、仏教としての共通点を少し話して、勤行はスタート。最初は、聞こえないほどの小声だが、だんだんと大きな声となってくるから、不思議ものだ。

 そして、「お説教」。お経は、教であり、鏡であり、自分を教えてくださる鏡。故人の供養だけでなく、生きている人が聞く教えであり、それをかみ砕いて教えてくださるのがお説教だということを枕に、その鏡に写された「自分を知る」テーマで、40分程度。初めての勤行の感想を聞いてみたら、「聖典の文字が小さくて読むのに必至だった」とのこと。ああ、たしかに、この礼拝聖典は字が小さい。慣れない人にはたいへんなのだと、ちょっと反省。

 残った時間で、ミニ座談。法話の感想も少し聞いたが、主には、故人についての思い出や感想、亡くなった時の気持ちなどを、参詣者、全員に一言ずつ話してもらった。実は、最近、ある若手先生から、この形式を教えてもらったが、通夜、初七日、四十九日、一周忌…と、その度ごとにそれをやられるというのだ。そうすると、人それぞれでさまざまな感想が生まれ、また時が立つと変化もしていくそうである。これはいい。よいと思ったら即実行である。それに、一方的な法話よりも、相互交流を促すは得意である。普段は、法事の機会はないが、さっそくチャンスが巡ってきた。

 亡くなった故人は、98歳。しかも、集まったのは、亡くなった長男方の兄弟が中心で、その意味では、やや縁は薄い方が中心だが、親族同士の縁は深く、良好なようだ。そこは、(義理とはいえ)故人を知るひと達である。共通している思い出や見方がある一方で、最後まで介護し看取った娘さんと、そのお子さんでも、かなり思いは違ったりする。ある人の言葉に、「え、そうですか」とびっくりすることもあったり、涙ながらの言葉に一同が胸を撃たれた場面があったりで、とても温かい時間となった。

 まったく故人を知らないのだが、それを聞くだけで、その人となりがいろいろとわかってきた。そのあと、生前のお仕事を聞き、たいへん納得。なーるほどである。その方の生きざま、周りへ与えた影響が、ほんの短時間でも窺えるのである。しかも、なぜ、娘さんと、親戚の方とでは思いが違うのかなどが味わえて、とても貴重な時間となった。最後に少しだけまとめの話をして終わったが、たいへんいい経験となった。

 最後に、喪主さんから、御供養に添えて、ぼくの法話が出ている華光誌(一年分をあらかじめ用意)と、東京公開法座のチラシや華光のパンフレットに、喪主の体験記の記事のコピーも加え、皆さんにご法座もお勧めくださった。

 わけのわからない読経と、単なる飲み食いだけの法事にならないで、皆さんも満足されたようだ。法事でも、いろいろと参詣者に参加してもらえ、しかもご縁をつなぐことできるわけですね。

 ぼく自身にとっても、これはいい勉強になりました。

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画家ゆうこ

  今日は、画家ゆうこの紹介。

 京藝大時代は、陶芸を専攻し、結婚後もしばらくは、某高校で、陶芸を含む工芸科の担当だったのだが、いまは、もっばら水彩タッチの絵を描いている。

Img_7170 依頼をうけてお店に飾るもので、彼女にしては、かなり大きな作品だ。

 今日は、寝室が臨時の仕事場替わり。小さな作品の時は、台所の隅でも描いているが、時には、立ったままでも、ちょこちょこ描いている。

 「弘法筆を選ばず」にならうなら、「ゆうこ場所を選ばず」だなー。

 少々(?)散らかった部屋でも、なんのその。集中力はすごい。

Img_71722

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これからが正念場

 8月も残り数日となった。小・中学時代は、いまごろから、夏休みの宿題に焦りだすころだ。

 でも、学校事情は一変しいる。同じ京都市立の小学校でも、開始日は、個々の学校で異なるのである。娘の学校の場合は、8月25日からスタートした。8月に1週間の授業があるのだ。しかも、2学期制なので、初日から始業式などなく、いきなり6時間授業で、給食もある。クラブ活動の日だったので、帰宅は5時30分ぐらいだった。助走がなく、いきなりエンジン全開を強いられる感じだ。体力もなく、疲れ易いので、さっそく3日間でダウン。今日は姉妹共に休んで、母子で自然の中でリフレッシュしてきたようだ。明日は行ってね。

 さて、今は、8月の仕事の片づけと、9月、10月の行事の準備で忙しい。
 今日も、子供大会の決算と、9月の聞法旅行の参加者への集合等の連絡状を作成し、発送した。9月は行事だけでなく、華光誌や和讃の校正が控えている。しかも、決算期だ。これはそうとう覚悟せねばならない。雑用や事務は、いまのうちに片づけとおかないとたいへんなことになりそうだ。

 今週末は、土曜日には、東大阪での満中陰法要がある。法座は、高山と華光会館で。

1)高山支部法座:8月29日(土)~30日(日)

 移転なった東家での初の支部法座である。

 84歳の増井悟朗先生、暑い8月の間も、東奔西走の布教の日々だった。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/08/takayama2009-8.htm

2)華光誌輪読法座:30日(日)昼1時30分~5時

  華光会館は、華光誌の輪読法座である。法座の性格中、華光誌友や同人が対象であるが、広くどなたでもご参加ください。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/08/rindoku2009-8.htm

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◆さて、9月以降も、1週目(9月5日~6日)は、広島~九州支部合同法座で、父と二人で福岡に遠征する。昔は、大阪と日高支部といったように合同支部法座もたまにはあったが、たぶん何十年ぶりかの復活である。二人で地方に出るのも、最近は珍しい。九州の方は、この機会にぜひ参加いただきいー。ふたつの支部の交流も楽しみだ。
http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/09/kyusyu.hirosima2009-9.htm

◆2週目(9月12日~13日)は、華光会の行事ではないが、真宗カウンセリング研究会主催で、『こころの天気を聞いてごらん』の土江先生を招待して、「円座禅」(フォーカシング指向のエンカンターグループ)ワークショップを計画した。ひとりで世話役を引き受けたので、こちらも準備や連絡の作業がある。
http://dbpca.web.fc2.com/details/20090912.htm

◆そして、3週目(9月19日~21日)、2泊3日の北陸交流法座の聞法旅行へと続く。旅行といっても、3日間の法座と同じ。ただ会場が外なので、仕事が楽な面と、事前準備でたいへんな部分との両面がある。

 当初は、定員の半数程度で開催も危ぶまれたが、世話人や事務方が多大な努力に、法座の度に勧誘の結果、昨日、とうとう宿泊定員に達した! 宿泊は無理だが、さらに上積みになるという盛況具合である。少し遅くなったが、参加者には、交通機関などの案内を送信したので、参考の上、どうぞ元気にお出でください、である。

 ぼくは、この先も、奈良の寺院布教、10月も、東京公演会、仏青大会、泉佐野の寺院布教と、シンポジウムを含む寺院布教と続き、12月の最終週まで、週末毎の法座や布教が続く。こんな不況のご時世に、続けて布教に出せてもらえるのは、ほんとうに有り難いことです。

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華光会HPはリューアル進行中

   皆さんには、なにかと不便をおかけしているが、華光会HPがリューニアル(進行中)である。アクセスするたびに、コロコロと様子が変わるので、利用の皆さんにはたんへんわかりづらいのだが、少しでもよいものと担当のムラ君は頑張っているので、いましばらくご勘弁ください。

 今回のものは、かなり進化してきたなー。

 いよいよ、無料メルマガも始まることになる。登録が必要だが、法座などの情報がすぐに入手できるようになる。入会の特典もあるので、お楽しみに。

  http://homepage3.nifty.com/keko-kai/

 

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恒例行事

  今年もやってきました!!

  わが家の恒例行事、小バエの発生である。

   毎年、お盆前後に、台所に発生する彼らは、毎年この時期に現れては、連れ合いに、「そろそろ食べ残しを整理せよ」と、忠告する有り難い使者である。

   ゴキブリよりも、小バエがきらいな彼女は、「火の粉を払ってもだめ。火の元を消さないと」を合言葉に、納戸や冷蔵庫の整理を始める。すると、奥から食べ残しだったり、何年も前のそうめんだったりが出てきて、発生源が特定され、冷蔵庫も少しきれいになるのだ。

 案の定、今年も、「見つたわ。これで、数日したら減るよ」とのことだった。

 ところが、今年は、数日しても減らない。それどころか、ドンドン数が増えて来る感じがする。おかしい。もしかすると、火の元ではなかったか。さらに、懸命の捜索の結果、おもわぬことろで発見された。資源ゴミの分別が始まってプラステックやビニールに食べ滓がついていたのを洗わず、そのまま捨てていたのが、原因だったようだ。ゴミ袋有料化で、勿体ないので(資源ゴミは)満杯にして捨てている。それが、底にたまっていたのだ。生ゴミはともかく、まさか資源ゴミとはなー。

  しかしである。それでもまだ減らない。うーん、今年の自力の執心はあまりにも強い。

  そしてとうとうみつけたのは、ミリンが少し残ったまま、蓋もせずおき放しになっていたビンだった。

   やれやれであるが、結局、放置期間が長くて、いつものようなハエじゃない。 たまらず、翌日には、ネットで効果があるという、「激トリ」という小バエ専用取りを設置することにした。用事で外にでてきたぼくが購入して、「ジャ、ジャーン」と自慢げにみせたら、なんと、午前中に、すでに彼女も購入済みだった。わが夫婦は、息がImg_7148 びったりあっているのか、不協和音なのかが微妙だ。

   「まだ設置して1時間だけれども、ビックリするよ」との言葉。言葉どおり、ほんとうにビックリした。集まってくるわ、くるわである。20~30匹なんなものじゃないぞ。結局、事務所も含めて3ケ所に設置したが、2日ほどで三桁は確実にとれていている。(さすがにその写真はアップしなかった)

 気持ち悪いのだが、どこかで集まってくるのが見たいという、そんな複雑な心境になる。体感的に見た目には、5~6匹程度だったのに、結局、何匹おったんやと思うと、ゾーッとした。結局、元も絶っているので、ここ数日で、完全に姿を消した。

 ちなみにぼくは、小バエよりも、ゴキブリが大の苦手。でも、連夜、遭遇し、仕留めたり、逃したりを繰り返している。

 今夜は、初めて夫婦でゴキブリを1匹叩き殺した。ぼくが追い詰めて、出てきたところを彼女が雑誌を丸めて、見事に仕留めた。絶えて久しくなかった息の合った夫婦の共同作業だったが、こんな協調なんかは、ぜんぜんうれしくないはずなのに、彼女が仕留めたとき、「ヤッター!」との気持ちがおこる。

 まったく無慈悲そのもの。
 コバエに対する態度といい、まったく悲しい。殺生をして、喜ぶ。これが、地獄行きの業といわずになんとをやである。

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東京法座(2)~司会者研修会編

 10名ほどの人数を絞った司会者研修会。これがなかなか面白い経験になった。

 依頼を受けてから、「その日からでも、司会をやっていく覚悟のある方を対象に」と返事したら、ずいぶん、依頼者側との思惑とは違っていたらしく、「次ぎの次ぎぐらいに司会をやってもらえる方の育成、法座(座談)を未信の方にも違って角度で知ってもらう機会」程度の位置づけだったようだ。

 それを聞きながら、「次ぎの次ぎ」という意識では、いつまでも「次ぎの次ぎ」のままで、本番はやってこない。それは、弥陀の本願を聞くという聴聞だって同じことで、「いまはまだまだ適っていないが、これから聞いて、いつかはそうなる」というのでは、他所事にご本願を遠くに眺めているだけであって、絶対に、ここの私のところには届いてはこないのである。その意味では、いま、ここの自分の問題になってからが、ほんとうの聞法が始まるのだ。

 それは、司会者だって同じことだ。いくらミニ・カンで訓練していても、それが身内だけの緊迫感のない練習ばかりを繰り返するなら、ほんとうの力にはなってこない。畳の水練も時には大事で、水に入るためのほんの少しは恐怖を取り除くためには、役立つかもしれないが、しかしほんとうに水に入らない限りは、決して泳げる日はやってこないのである。

 その意味では、ひとりひとりが実力をつけるには、たゆまぬ訓練も必要だが、あくまで実践での経験がものをいうし、そしてそのときの姿勢、態度、それには意識こそが一番である。

 もちろん、なんでもかんでも、誰でも彼でも、実践すればいいというのでもない。あくまでも、自分自身の信心の沙汰がいちばんだ。だから、まだ「わが身の往生が不定」と思う方は、決定の身になることが先決。自身がフラフラしていて、人の世話もないのである。自信こそが、教人信の力となる同時に、教人信への働きこそが、自信へ還元されてくるのでもある。

 と同時に、司会者としてのマニァル化されたものはなにもない。

 ならば、そのような学習の方法をとるしかないのである。

 そう、「いま、ここで」の自分で取り組んでいただく、体験的な学習法である。

 だから、ぼくもなにも準備をしていかなかったし、一方的に講義をするのでも、なにかプログラムされたものを体験学習をするのでもなかった。出発間際に思い出して、伊藤康善先生が華光会館創建を決議した華光大会でご法話された「伝道精神に燃えよ」という、短い法話をコピーしていったが、別に司会者とは直接関係はない。これを使うかどうかも、やってみないとわからない。

 まず、車座になり、皆さんから今回の参加動機や疑問点を出してもらい、その中からポイントになるテーマを探し出して、それを素材に、10名でブレーン・ストーミングの雰囲気で進行していこうという、青写真はあった。その意味では、何が出て来るかはわからないが、何が出てもやっていけるというだけの経験は積んでいるつもりだ。と同時に、ここに覚悟のある、意欲的な人を求めた理由がある。みんなが、消極的で、ぼくに「おまかせ」で黙ったいるだけなら、この研修は成立しないからだ。さいわい、参加者が、法座や座談会の経験をついてきた人たちで、しかも司会役を引き受けたこともあるので、具体的な問題点が次々と出されていた。その点では、この場に対する安心感がぼくにあった。この時点で、どう転ぼうとも、この研修会は意義のあるものとなっていくのである。

 みんなが自分で考え、それを声に出し、みんなの意見を聞き、また考える。そして、ぼくが提供できる経験があれば、それを出して分かち合う。その中で、次ぎの課題や疑問が自ずから生まれて来るから、それをまた同じようなプロセスで、考え、分かち合っていった。結局、4つのほどのテーマが階層的にでてきて、それを自由に出し合い、分かち合うでけで、一方的な、立派な講義を聞くよりも、数段、実りある経験となったはずだ。

 司会者といっても、特にテクニックやノウハウ、技術ではなく、ありのままに、一参加者として座り、さらにいうならば、弥陀の本願に照らされた共に凡夫の身として、法座に参加し、身を委ねていくならば、自ずから、司会役が成すような法座を促進し、人の発言を大切にし、交通整理をしたり、黙っている方に声をかけていくという役割は成り立っていくのである。だから、意識して司会者としてせねばならない大事な仕事は、ただひとつだけ。「タイムキーパーとして、始まりと終わりを宣言して、責任もって仕切ることです」と言ったら、皆さん、目からうろこ状態になられた。

 そう、司会者としての意識的な役割は、まずそれだけなのである。

 あとは、覚悟と、態度(姿勢)が整えば、自ずから生まれて来る態度である。ところが、自信がないと、うまくやろうと、下手にテクニックやノウハウで計らうから、逆に思い通りにならないで、ますます不自由で、しんどくなっていくのである。

 その意味では、覚悟を決めて、経験を積んでいくしない。できれば、経験したことを自分決めで評価してしまわないで、経験者から高評してもらうと、さらに力になっていく。

 参加者の皆さんからの反応も上々。一方的な講義ではなく、ちょうどジグソウパズルをみんなで組み立てていくような経験を通して、何かが、ひとりひとりの胸ち灯ったはずである。

 それは、司会者といわれようが、講師といわれようが、そんな役割にはかかわらず、真宗法座では何を聴くのか、いちばん大切なことはなにかが、改めて明確になってくる経験だったといっていい。

 面白かったが、次ぎに同じことをやっても、同じ経験や思いにはならないだろう。その一期一会がまたいい。

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東京法座(1)~うすい女もあつかった?~

 2月以来の東京法座。

 しかも3日間の日程は、久しぶりである。以前は、10月は東京支部大会として、2泊3日の日程だったが、参加者の負担もあったので、1泊2日に縮小して、かなりたっている。

 その間、ずいぶん、顔ぶれも変わった。このところは、ネット経由での新顔の参加も多い。30、40代の壮年世代の男性も多くなった。

 でも、今回は、ちょっと意外なほど、そんな雰囲気が一服。もちろん、初日は飛び込みでの初参加も数名いたが、いつもに比べると案外、参加者は少な目だった。

 その分、古くからの東京同人も目立った。高齢になられたり、病気などの体調不調もあったり、いろいろあって少し足が遠のいておられた方もあったが、そんな方が顔を出してくださることが、有り難い。みな、ぼくが初めて東京にお邪魔したころからの同人だから、30年以上のお付き合いになる。さすがに、3日間あると、最後の、反省会と称する懇親会の参加者は、7名だけになった。宿泊の懇親会もすくかったが、そのほとんどが、昔の顔ぶれである。濃い濃い人間関係なので、昔は、すったもんだもあった顔ぶれだが、いまでは、それもほほえましく、懐かしい思い出で、楽しく飲ませてもらった。

 ところで、今回は3日間になったのは、法座を促進していこうという有志を主体にした、「司会者研修会」の企画の依頼だった。ただし、平日ということもあって、夜からの開催にしてもらった。

 でも、参加者は意欲的。夕方からはミニ・カン学習会を開いて自主的に予習をされて望まれた。それなら、開始前に夕食でもご一緒にしましょうということになって、駅前のバール風のイタリアンのお店に連れていってもらった。注文の仕方がわからず、みな右往左往。せっかくほぐれた気持ちもまたまた固くなったようたが、料理は本格的で美味で、満足。結局、開始が1時間ほど遅れてしまった。

Img_7160  さて、ぼくの前には、料理と美女。料理は、カルボナーラだけれども、ベーコンも、クリームも使わないホンモノという触れ込み。エー、意外な事実。でも、これが美味。

 美女の方は、残念ながらお顔はカ ット。

 でも、わかるよなー。Img_7161

 ヒントは、あつい女じゃない、クール・ビューティーのあの人。別名、うすい女。別に、幸がうすいわけでも、信心が薄いわけでもなかろうが…、まあ、たしかに薄いかも……。

 ただし、今回の研修会は、なかなか熱くて、本番の法座でも、積極的に司会役に名乗りを上げて、しかも前向きに促進役をしてくれて、あつかったー。

 司会者研修会の模様は、またボチボチと…。

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洗濯王子

  2月のインド旅行。講習会で注文いただいた、インド写真の仕事がをやっと終えた。仕事がいろいろあって、のびのびにしていた作業を、東京法座の前に、注文をチェックし、プリントアウトし、個別にも種わけした。その人が写っている写真だけをプリントするのなら楽だが、ひろく注文を受け付けたので、風景やヒマラヤの写真など、人によっては、100枚、150枚と注文された方が複数あって、えいやーと、都合2日、作業に集中した。なかには、旅行してない人からの、注文も混じっていた。また、不思議な注文をされる方も多くて、それぞれに特色がある。なにも自分が写っていても、それがほしいというわけではなさそうだ。やはり、女性は写りが大切かなもなー。それなりに、ありのままに写っているのになーと。それに加えて、ぼくだって、改めて、他人の写真を見直して、「これもいいな。これも上手いな」と、別口で注文するありさまで、焼増しだけで、1000枚近い枚数になった。

 6ケ月も前のことだけれでも、撮影した1200枚近くある写真を、丁寧に見直して、「いい旅行だったなー」としみじみと感じた。その上、その写真を、東京にもっていたものだから、参加者と再度、旅行談義に花が咲いた。インドの旅行って、いつまでも話題はつきないなー。

 その中で、同室の男性の存在が、いろいろな意味でたいへんカツ楽しかった。

 添乗員もびっくりの太い太い洗濯ロープを2本も持参して、移動、移動の旅行の中で、せっせせっせとお洗濯。それは、インドに入っていない、初日のバンコクから始まったのだけれども、夜10時すぎに部屋に入って、翌日は5時起床して、次ぎの仏跡に移動という強行スケジュールの中では、洗濯物はなかなか乾かず、キャリー、キャリーで、生乾きの洗濯物が連日、部屋を彩るありさまになった。

 結局、彼に「洗濯王子」という名誉ある称号を与えたのだった。

 もっとも、彼は、この旅行中に、「山羊男」という別の尊称も生まれるわけだが、これはこれでなかなか奥が深い…。

 まあ、そんなことを、酒席でワイワイ話題にしながら、東京から帰宅。そして、パソコンを開いてびっくり。

 以下のように、最新ココログニュースの記事が配信されていたからだ。

 「洗濯王子」が人気上昇中!

 知らなかったな…。

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萩原流石さんとの対談話

  「ちゃんとして会社みたいですが、国際グラフという写真雑誌から、増井先生と俳優の萩原流行さんとの対談依頼がありますが、どうしましょうか」。

 事務所では対応ができず、電話が回ってきた。

 「国際グラフ?」聞いたことがないなー。「なぜ、萩原流行?」と思いながら、電話に出る。

 「あの毎日グラフとかですね、よく病院の待合室やロビーなどに置かれている写真グラフをご覧になられたことあるでしょう」。(たしかに、昔はよく、病院などで、毎日や朝日グラフを見たこともあるが、国際グラフは知らないなー)

 何かとても結構な話のようだが、なぜ、うちを選ばれたのだろうか。

 その趣旨をお尋ねしたら、華光会HPやユーチューブを見たという。HPを見たというより、いま見ながら話ているのだろう。「ごせいの一大事の問題を…」(それもいうのなら、後生=「ごしょう」なんですか)と心の中でつっこみながらも、一応、話を聞いていた。でも、ぜんぜん、華光会なのかという理由が見えてこない。それどころか、ますますへんな感じがする。

 まず、それは電話のBGMである。選挙事務所や電話勧誘のような、周りから独特の騒がしさが漏れて来るのである。つまり、周りでも手当たり次第に電話をかけているという感じがするのだ。

 そして、もうひとつは、その口調。「お願い」や依頼というより、強い説得モードの話し方にある。こちらが、なんとなく疑問点を質問するとは、次々と言葉が出て来るのだが、肝心の、「なぜ、華光会を選んだのか」という理由がまったく不明なのだ。むしろ、話せば話すほど、「私も仏教大学の出身でして、浄土真宗に関心がありまして…、萩原さんにとっても、いい出会いになる可能性もありまして…」と、一般論的な説明になってくる。

 そのうちに肝心の話がでてきた。

 「エー、雑誌のスペースは、1頁の1/4で、記者とカメラマン、萩原さんの3名でお邪魔します。京都の取材日は、20日なんですが、ご都合いかがでしょうか。それと、取材協力金としまして、8万円ほどがかかりまして、対談の後で、撮影などをしていただきます。」

 ああ、なんだ。要は、広告記事をということか。

 HPを見れば、だいたい自信をもって何かをやっている感じはあるだろう。そんな、個人事務所や個性的な社長などを狙って、「有名人と対談し、CM効果を高めませんか」ということになるのでろう。

 それなら、最初からそう言えよ、である。

 当初は、保留にして検討していいかなという気持ちもあったが、途切れない話を聞くうちに、「断ろう」という気持ちに傾いた。冗舌な話を遮って、「すみませんが、お話を窺っていますと、当会の方針と一致しません。結構なお申し出ですが、この度はお断りいたします。」と、ハッキリと断った。もしかすると真っ当な会社かもわからないので、念のために丁寧に対応はした。すると、「ああ、そうですか。わかりました」と、とても、あっさりと電話を切られた。あれ、なんだ、このあっさりした切り方は…。別に華光会じゃなくてもいいわけだ。きっと、勧誘のノルマでもあるんじゃなかいと、ますますあやしい気分になる。

 まあ、態のいいセールスなので、断ってよかったと思ったが、正直、心のすみに、「8万円程度で、有名人が取材にくるなんて、安い宣伝効果になるかもしれんなー」という、揺れる気持ちもほんの少しはあった。たぶん、ここが先方の狙いなんだろう。

 それで、電話を切ったあとで、念のために、グーグルで「国際グラフ」を検索した。

 ああ、出るわ、出るわである。やっぱりか…。なんとなくあった妙な感じは当たっていた。別に悪徳ではないが、取材を装った広告商法だ。実際に有名人が来て対談や撮影はあるのだが、「1/4頁のスーペスでは、社長の思いは伝わりませんから、もう少し広げられてはどうでしょうか。宣伝効果があがりますよ」と、1/4頁、1/2頁、1頁と、見開きと、どんとん金額がアップしてくる仕組みになっているようだ。

 最初から、「広告宣伝記事のお誘いですか…」ということでもなく、細かな料金の説明もない点が、あやしいわけね。

 経験者のネット情報によると、宣伝効果は抜群!なようで、一度、掲載されただけで、類似の高価広告記事の申込みが殺到するのだそうだ。ヤレヤレ…。

 もっとも、それを承知した上で、タレントや俳優の2ショットで、会社や事務所を紹介することが宣伝になると思う方とは利害が一致して、それなりに有り難い話だろうなー。

 それにしても、萩原流石って、なんか微妙な線の俳優さんを使ってくるよなー。個性派で、「うつ」の出版で話題になり、いかにもという感じでしょう。
 それに、8万円というのも、なんとも、手頃なお値段を付いてくるー。最初から、何十万円だったら断られてしまうもの…。 

 「嘘の三八」とはよく言ったもんだ。

 おかげて、ブログネタぐらいにはなりました。

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琵琶湖

 先日の日曜日、久しぶりに子供連れて、琵琶湖の近江舞子に泳ぎに行った。

 お盆の最終日。車の混雑を避けて、湖西線での移動。

Img_7072  このところ海ばかりで、琵琶湖では泳いでいない。でも、もし琵琶湖で泳ぐとしても、足を延ばして、湖北のマキノのサニービーチに行く。それというのも、ぼくが子供のころは、京都人の水泳場の定番といえば、琵琶湖の近江舞子だったからだ。いまのように交通が整備されていない時には、近くで便利だったのだろう。でも、ぼくは小学生の時以来行っていない。それは、混雑している、水もきたないんじゃなかいというイメージが先攻して、ずっと避けてきたからだ。といって、マキノまで車で行くと、帰りは渋滞に巻き込まれてけっこう疲れる。それで、最初ちょっと渋ったが、快速なら、京Img_7092 都から29分と近いので、電車で行くことに決まった。荷物を軽くして、遅めの列車に乗る。車内は若者で混んでいたが、まあしばらく辛抱したら、駅からは3分ほどで浜につく。空いている北の浜にした。

 えー、こんなさびれていたっけというほど、設備がない。1軒だけ民宿のガレージを使った、とてもしけたお店があるだけで、公共のシャワーも、脱衣も、トイレもなにもない。水泳客も、テントももたずに、シートだけの軽装で来ている人が多い。逆にいうと、交通費以外に、お金を使わなくてもいいわけだ。中の浜には駐車場もあって、そのあたりには、設備もあるそうだが、かなり離れている。全長4㎞も浜が続くのだから、ちょっと無理。簡易テントをセットして、またまた手作り弁当を食べた。今日は、手作りハンバーグ。ナナがタマネギを切ったそうだ。

Img_7078  浜の端だったので、白砂の浜から、ちょっと小石になっている。でも、そのほうが砂にまとわりつかれずにいい。お盆最後の日曜日なのに、案外空いていた。そして、水は、おもわぬほどきれいで、魚もたくさん泳いでいる。けっこう大きい(20㎝くらい)ものも、まとまって泳いでいる。子供でも、それがよく見えるので、びっくりしていた。普通の網ですくって捕まえている人もいるほどだ。

 以前、仏の子供大会で、琵琶湖で泳ぐといったら、東京からの参加者が、不思議な感じがするといっていた。静かな海のように小さな波もあるのに、まったく真水なので、ベタベタせずにさっぱりしている。しかも、生活用水、飲み水として、京都、大阪などでは、多大な恩恵を受けている。ちなみに、琵琶湖って、滋賀県内からはほとんどが流れ込む川ばかりで、大小何百もあるのに、出口になる川は1本しかないと、聞いたことがある。それが瀬田川で、琵琶湖疎水を経て、京都の生活用水になっている。

 当然、流れこむ川が汚染されると、琵琶湖もきたなくなる。そのImg_7081_3 ために、滋賀県では、いろいろと川を護るたその規制や、生活上で努力がなされている。そのおかげで、下流域では、生活用水に困ることはないのである。ところが、(たぶん、京都や大阪からの)水泳客は、自分たちが楽しむだけで、平気で、浜にタバコの吸殻や空き缶などなどのゴミを捨てて帰っていく。そして、「京都の水道水は不味いな」と、文句ばかり言っているのであるから、ほんとうにおかげを知らないというのは、こんなことだろうなと少し思わされた。当たり前のことって、ほんいうはなにもないのにね。

(ちなみに、3枚の湖(うみ)の写真とも、ちーいさく、少し泳げるようになった子供が写ってるよ。)

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アツイ日に、アツイ女戻る!

 10日間のお盆休みを終えて、事務所に、アツイ女性が戻ってきた。あつい!って、情熱的で、盛んなことを現すことが多い、いいことばじゃないか。彼女にぴったりだ。

「仏法にいぞ。

伝道にく燃えているぞ。

信心に(淳心)いぞ。

しかもからだは、いつもいぞ。

それは××がいからだ!」

 さすがに、最後は伏せ字で。これ以上は、勇気ないものなー。
 お盆中も、寺院布教やお盆参りが続いたけれど、事務仕事は小休止だったけれど、昨日くらいから、普通モードに戻ってきて、いろいろある。

Img_7143  でも、子供たちは、まだ夏休みの真っ最中だ。時間を持て余し、退屈で仕方がない。連日、家に遊びにくる。小学校4年生だが、いまの子供たちは、まだ男の子と女の子が一緒に遊ぶのも平気なようだ。それにしても、お盆を過ぎてから、やっと暑い日が戻ってきた。海バン姿で現れて、「風呂もまでいれてもらって、ありがとうございました」と、礼を言って帰っていた。やんちゃな男の子、いろいろと面白い。今日も、庭でプール遊びだ。
 もっとも、ナナは連日保育園。保育園のお盆休みは、なんと、15日(土)1日だけで、頑張ってくれている。なんて親思いの園なんだろうなー。

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「聞法旅行」、皆さん申し込んで!

  第36回「聞法旅行」が福井市で、「~越後・北陸同人との交流法座~」と題して、開催されます。

  〆切が迫っているのに、まだ定員の半数に満たず、宿泊者はさらに少ないので、この時期にこの人数ならと、少々開催が危ぶまれています。

   ひとりでも多く参加いただきたいので、重ねて参加の呼びかけです。

 京都から特急で約80分ほどで、福井市に到着。京阪神からは近いです。しかも高速道路の利用なら、1000円の日。小高い山に位置する静かなお宿が会場です。ひとりでも多く、参加していただきやすいように、宿泊費用も安くて、快適な宿を探しています。例年の聞法旅行というと、移動もある旅行なので、逆に敬遠されがちだで、参加者が多くないけれど、今回は、以前、高山で行なったような3日間しっかり聞法に励んでいただく、完全に法座版。3日間、華光会館以外の会場で、じっくり聞かせていただくいい機会。あんまり外に出歩けませんのですね、いいですよ。それに、1日だけや、1泊だけといった部分参加も可能なので、もっともっと人が集まってもらいたいです。
いま、福井、富山、石川の北陸勢に、新潟を加えた同人方は燃えておられる。鉄は熱い内に打て!で、この機会にしっかりご法の交流もさせてもらいたいです。

 さいわい、講師陣も予定どおり4名が参加し、法話もしっかり4席あります。あとは、じっくり分級座談。いわば、華光大会です。ただ、休憩時には、温泉でのんびりしたりと、2日目夕食は、宴会があったりするのが、聞法旅行の名残。法座は厳しく、余興は楽しくで、ほんとうにいい雰囲気ですよ。あと、最終日午後からは、永平寺へ拝観予定があります。こちらはオプションなので、自由参加です。どうぞ、遠近各地からの皆さんの参加をお待ちしております。

  ◆参加要項

日 時 平成21年9月19日(土)14時(13時30分受付・現地集合)
                       ~21日(祝)17時頃、福井駅解散

会  場 かんぽの宿「福井」

講  師 松岡宗淳・増井悟朗 増井 信の各師

宿食費  25,500円(2泊6食・宴会費込)
 (ただし、1泊だけや、通いなのどの部分参加も可能。その際の費用は会館まで)

研修費 *同人会員=7,000円 /  *非同人 =9,000円
   (いずれも3日間通し。1日のみ、2日間の部分参加は、割引有)

◇〆  切  8月20日(木)(但し、宿泊定員は50名を先着順で〆切)

なお、詳細は、華光誌同封の案内状をご覧いただくか、華光会館(075-691-5241番)までお問い合わせください。

  最後にもう一押し。まったく関心のなかった方、始めから論外だと思っている方、もしくは、迷っておられる方も、もう一度、再考の上、どうぞ、思い切ってご参加下さい。待っています。

  週末の東京、東海法座では、せいぜいCMします。

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手作り醸造所の地ビール

Img_7127  博多の同人から、福岡市にある手作り醸造所のビールをいただいた。地元で飲食業をされているので、おいしいもの、おいしいお酒を、よくご存じなのだ。

 いわゆる、地ビールだが、なかなかコクがあるのに、飲み易くて、うまい。夏は、やっぱりビールがうまいなー。

 「『ブルーマスター』という社名の銘柄と、有機コーヒー豆を使用した、コーヒーポーターという黒ビールで、ほのかに苦みもあるが、これも美味だった。御馳走さまです。

 夏場は、けっこうインやビール、時に、珍しい焼酎や泡盛などもいただく機会が多い。まあ、それほどの呑兵衛じゃないけれど、アルコールが好きなのを、みなさんよくご存じと見えて、これは大いにうれしい。ほんと、結構なことです。ところが、父は、主に日本酒が好きなのも、みなさん、よく心得ておられる。しかも、冷やで飲むような「大吟醸」云々よりも、昔ながらの癇ができる日本酒が、昔から好きなのだ。30代ぐらいまでは、ぼくもそうだったが、いまは、焼酎の後味の方が、ずっと好きだ。
 親子でも、酒の趣味は違っている。

 夕食の途中で、五山の送り火が始まる。

 会館の屋上からは、最初は、4つ見えていたが、いまは隣にビルがたって、いままで一番よく見えた船形が見えなくなった。いまは、左大文字と、かすかに鳥居形だけが見える。しばらく、地元のテレビの中継の方が、はっきりくっきり見えた。

Img_7129  ムラ君が、華光会HPの「今日の華光会館」にアップしていた。よりよいHPを目指して、彼はほんとうに張り切っている。

 彼の写真の方がよくわかるが、ぼくのもかすかに映っている。

 如意ヶ岳の大文字ではなく、いわゆる左大文字だ。

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盆参りと盆踊りと…

 今日は朝から夕方まで、最後のお盆参り。といっても4軒+会館でのお参りだけ。それでも、京都を南や北へと、広範囲に拡がっているので、移動時間が多くて1日仕事になった。

 まずは、宇治の平等院に向かう。そこから、1㎞強入ったところ。都心は、車が空いていたが、高速出入り口は避けて通った。観光地や墓所や霊園はそれなりに渋滞している。
 1年に1度だけお会いする方ばかり。完成直後の華光会館のご近所に住んでおられた方で、なかなか聞法までは至らないが、歓迎してくださって、短いご法話も聞いてくださる。最後は、家族総出で、車まで見送ってくださった。

 そこから、日野の方に回る。途中、三室戸寺の近所や、黄檗山万福寺を通った。初めて通る道だったが、宇治の観光名所ばかりだ。向かう先は、日野の法界寺や誕生院の近くのお家だ。ここでは、「お盆のいわれ」の質問がでた。なんでも、アフリカから来た留学生に尋ねられたそうだが、「古くからの習慣」程度にしかわからないという。世間の皆さんもだいたいそうだろうなー。詳しく説明すると、びっくりされていた。この話は、けっして初めてじゃないだけれど…。

 お昼を済ませて、今度は、京都市北部の岩倉へと向かう。宇治からは30㎞は離れていて、1時間はかかる。それでも、車中から、京都の名所旧跡や風光明媚なところが訪ねられので、かなり新鮮。市内を抜けて、明日、送り火の「妙法」の「妙」の真横の道を宝が池から国際会議場を通り、さらに北へ。引っ越されたばかりで、目の前にきて迷った。細い道で離合が難しく困って、モタモタ。さいわい、家内から携帯を借りていたので、助かった。一度、家が見えていたのに、その先が行き止まりだったので、地図を見損なって、早く右折して、迷ったようだ。結局、80分もかかった。
 若夫婦。ぼくの真横で、ぼくより大きな声で読経される。調子が外れたり、間違ったりされるがお構いなしだ。ご法話も熱心に聞いてくださって、感想も出る。いつも、ここは、もう一歩と願っているところだが、この一歩だが、万里の道のようでもある。でも、若いのに、とても丁寧にお祀りされるので、お参りも張りがある。

Img_7027_2  帰路は、白川通りを通って、スペインのバル風カフェ「Gades」を覗いたら、マスターが退屈そうにしていたので、法衣姿のままひと休み。おいしいジンジャエールを飲みながら、昨晩見てきた映画のことなどを話した。

 一端、家に戻って、今度は自転車で出勤。曇って暑さはましだが、小雨になっている。今年の夏は、ずっとこの調子だ。ここは初めて、ご主人や娘さんに出会った。聖典も配ったが、まだ聞いておられるだけ。『子供の聖典』を開いて、平易な表現でご法話した。聞くふり?はしてImg_7028 くださったが、特に感想や質問もなく、反応は?だ。会館に戻ると、会館の盆法要の最中。子供大会にも参加した双子の兄弟もお参りされていた。

 着替えて、自転車で東寺である「盆踊り大会」へ。子供たちが楽しみにしている。初めて行くんかもしれんなー。でも、盆踊りではなく、夜店がお目当てだ。小さな規模で出ているが、下の子は、目をキラキラと輝かせて、「あれImg_7031 も」「これも」とねだる。200~300円のものばかりだが、1,300円もするおもちゃを欲しがった。周りはけっこうもっていて、暗がりにキラキラしてきれいなのだ。予定外の高額商品。紆余曲折の押し問答があって、「これか最後」という念を入れた条件提示をして、とうとう購入。でも、そこからが、まだまだ我が儘が続いてしまって、最後はとうとう叱られ、大泣きして終Img_7041了。あんな楽しい思い出が、度を過ぎてはしゃぎすぎで、一転、悲しい、 辛い思い出になる。まさに子供の典型だったなー。

Img_7045  ←このお店が、元凶。下のチョウチョウの音と、無粋なディスコサウンドがなる一品。

 1日、疲れました。

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『妻の貌(かお)』

 『妻の貌』を観る。

 「日本映画史に特筆されるべき傑作」とまで、絶讃する評論家もあった。たしかにこの蓄積、執念はすごい。でも、映画としては、ぼくには、正直、どう評価していいか「わからんのんよ」である。映画というより、記録映像としてのすごさに心動かされた。世界にも例を見ないような、被爆者とその家族の“歴史”を記録した貴重なドキュメンタリーではある。

Tuma  プロではなく、アマチャア(プロ級だ)が、およそ半世紀にも及ぶ、家族の日常が記録されている。劇場映画としては、ハッキリ言って作りが粗くて、映し出される内容も、一点を除いて平凡な家族の風景を撮られた記録なので、下手をすると、知らない家族の、とてもうまいホームビデオを見せられ続ける覚悟が必要なところもある。ナレーションも、撮影者である夫が担当。彼は、広島八幡の造り酒屋の川本酒造の社長で、息子も近くの場所で川本歯科の開業している。自宅も立派で、裕福なのがよくわかる。

 見覚えのある風景だと思ったら、JRの五日市駅がでてきた。そこから山手に車を走らせた佐伯区八幡が舞台なので、法座会場(薬師ケ丘)とは隣町といっていい。これだけでも、かなり親しみが湧く。

 広島は、妻の故郷なので、ぼくにも縁の深い地。実は、義母もこの映画の主人公とは、同じ立場の人だが、おかげさまで元気に暮らしている。

 一点を除いてと記したのは、被写体の妻は、ヒロシマの「被爆者」である点だ。原爆症で苦しむ妻。別に外見にはなんの外傷もない。しかし、甲状腺ガンが静かに進行していたのだ。突然の虚脱感や倦怠感に襲われ続ける60年間。常に、後遺症に苦しめ続けられている。

 同時に、ある種、普通の家族の、文字通り成長の記録でもある。子供が誕生に結婚し、孫が誕生し、そして成人していく…。他人様とはいえ、なにか感慨深い。また、病気を抱えた妻が、100歳になろうかという姑を、細々しく自宅介護している。老々介護ならぬ、病老介護だ。多くの家族に温かく見守られる老婆の姿か心撃つ。そして葬儀を迎え、法事の準備がある。夫(男の立場からの)無神経な質問に、姑でありながら介護することで、感謝され、頼られ続けたことが彼女の生き甲斐であったことが窺えるシーンもいい。

 そして、誕生祝いがあり、正月があり、お盆があり、入学祝いがあり、ありとあらゆる日常があり、当時に、平凡な幸せ背後には、常に原爆の影が忍び寄っているといっていい。

 彼女が、アイロンをかけながら、原爆詩「慟哭」の朗読と重なるシーンは、ちょっとジーンとなった。
 

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2009年夏の「戦争と平和を見つめる」映画たち

   例年、 8月6日のヒロシマ、9日のナガサキ、そして15日の終戦の日と続く、このお盆の時期に前後して、京都シネマやみなみ会館は、戦争の愚行と、平和を祈念する映画が特集される。

 今年の場合は、京都みなみ会館で、

  ヒロシマで被爆した妻の50年に渡る日常生活を極私的に綴った『妻の貌』

 感想はこちら→http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-2213.html

  今日、明日の2日間の限定で上映される、 『土徳』~焼跡地に生かされて~は、龍大出身で、広島の真宗寺院の子弟が、古い因習にこだわる父が病に臥したことからカメラを回し始めるうちに明らかになる、家族5人を失った父の原爆体験と、京都の青春時代を追い、個・家族・町の関係を問うた作品が上映される。

 感想はこちら→http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-240a.html

  さらに、1931年の満州事変以後、政府の手で、内蒙古には多数の日本人が移民させられる。そして敗戦後。大混乱の中で多数の尊い命が失われ、また帰国出来ずに、かの地で亡くなっていく者もあった。なぜこのような悲劇が起こったのか。満蒙開拓団の実態を、現地への証言取材を基に、満州出身の羽田監督が綴る渾身の記録だという、『嗚呼 満蒙開拓団』

   そして、『花と兵隊』の舞台、ビルマ。この太平洋戦争の激戦地では、多数の日本兵が命を失ったが、同時に、敗戦を迎えたのに関わらず、祖国に帰らなかった日本兵もいる。彼らの新たな証言を記録した衝撃作などが続いていく。

  京都シネマでも、アンコールで、『ひめゆり』→http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_9552_1.htmlや、

「子どもたちを戦争に行かせるな!」と、「憲法9条改憲阻止」の一念のために集った、全学連・全共闘・学生運動のかつての闘士たちの記録『We 命つきるまで』

   米軍に所属する20歳前後の兵士たち。軍隊を選ばざるをえなかった、アメリカの途方もない格差社会から生まれた“貧困徴兵制”の実態に迫る『アメリカばんざい』などがある。

 さて、まずは、今日観た『妻の貌』に触れようと書きかけたが、ちょっと疲れて力尽き。続きは明日?に書けるか。

 

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世話人会

 久しぶりに、日差しが照りつける暑い一日。

 恒例の「真宗カウンセリング研究会」の世話人会だ。1年1度、自由な世話人の話し合いの場だ。なぜか、半数が僧侶なのに、こんなお盆の多忙な時に行なっている。

 今年は会報の発送作業が中心。9月の「心の天気」のWSのチラシの作業があったので、ぼくは少々慌ただしかったが、どうにか間に合って同封できた。

 夕方には、烏丸高辻のマノア・マノというお店に移っての慰労会だ。いつもボランティアで、事務や世話人を引き受けてもらっている人たちだ。体調不良でM代表が欠席になったのは残念だったが、6名のために貸し切りにしてもらったので、遠慮もいらない。京都の町家の蔵を改造した素敵な場所で、料理もおいしい。お酒を飲みながら、ワイワイやった。

 カウンセリングや真宗の話題だけではなく、格差社会や、社会や政治状況を嘆き、選挙に、陪審員制度、脳死問題、さらに甲子園から直行してきた平安高の先生もいたので、甲子園の話題もでた。僧侶、カウンセラー、教師などの教育関係者、社会福祉士など、それぞれバックボーンが異なる人たちだが、それでいてかなりの共有の認識がある。世間の流れからみると、かなりヘンコな人達の集まりだ。ただ、体制に流されることなく、しっかりと自分の立ち位置を見失っていないと自称はしているのので、どこか安心して話せる。あまり真宗のところをやかましく強調しすぎないのだが、それでも、ロジャーズの人間観を少し踏み込んで、「共に凡夫のみ」という真宗独自の人間観にも支えられている部分が、そImg_7020_2 れぞれにある。それは、単なる宿業観の厳しさだけてなく、如来の大悲観に支えられているので、その如来の慈悲こそが、温かさの根源にもなっているのだろうと考えている。

 さてさて、料理も工夫されたあたかなものだったし、みんなけっこう飲んだ。ただ酒だと、余計に強いのかもしれない。満腹になったが、最後にはみんなで甘味を食べた。これがまた別バラで、おいしくて満足だ。

 明朝には、少しお盆参りである。

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『セントアンナの奇跡』

 アリメカのオバマ大統領夫妻の初デートは、スパイク・リー監督の出世作、『ドゥ・ザ・ライト・シング』だということを、どこかで目にしたことがある。さまざまな角度からアメリカの黒人問題を撮り続け、その真の解放を主張してきたリーは、オバマの熱烈な支持者なのだがら、もしそれがほんとうなら、この話は確かによく出来ている。

 出来た話のついでに、ぼくも、妻と初めて観た映画は、スパイク・リーだった。黒人解放指導者の伝記、『マルコムX』だった。ただし、その時は、二人きりではなったので、正確には初デートではない。なぜなら、もうひとり一緒に付き添いというより、お目付役がいた。それが誰あろう、T山嬢だ。いまから考えると、この3人の組み合わせは、かなり面白い。これを書いていて、急に昔のことを思い出した。

Stanna_01 さて、その社会派スパイク・リー監督の 『セントアンナの奇跡』は、非常によくできた一本で、165分をまったくあきなかった。ぼくの中では、「今年の10本入り」する作品だ。一見すると、節目節目で、「そんなバカな」とか、「ちょっと都合よくない?」と思う点が出てくる。しかし、そこがこの映画の味噌なのである。カトリックでいうところの、まさに「奇跡」なのである。その不可解さが理解できると、この映画は、かなり楽しめる(楽しむというより、目を背ける辛いシーンがも多いが)。

 それにしても、複雑に絡み合う事象を、さまざまな伏線を張りめぐらせて、最後には、しっかりと結びつけて、感動のエンディンクへとつなげる手腕は、たいしたものだ。ぼくも、久しぶりに、ラストで大粒の涙が流れ出した。下手をしたら、ベタで、安っぽいエンディングになりかねないところを、それまでの提示が見事だったので、完全にやられた。

 白いたくさんの小さなクロス(十字架)が赤に移り変わる、タイトルバックもおしゃれだ。しかし、映画が始まったら、決して、これは単なるお洒落だけではない。クロスには、残酷な、重いテーマが隠されていたことがわかる。

 事の発端は、なんとも不可解な殺人事件で始まる。1983年ニューヨーク。定年間近の老郵便局員が、古いドイツ製の拳銃でひとりの客を射殺した。まったく殺人の動機が見当たらない。真面目に働き、戦争で名誉ある勲章を授与され、まったく身辺にもおかしなことが一つもない初老の男が、なぜ、不可解な狂気に走ったのか。
 さらに、もう一つの謎が…。彼の部屋から、イタリアの国宝級の彫像の頭部が発見されたのだった。

 ミステリアスな展開を解くキーは、この彫像にある。

 舞台は、80年代のニューヨークから、1944年の第二次対戦中のイタリアへと移る。

 中心は、4人の連合軍兵士だ。通称バッファローソルジャーと呼ばれる彼らは、黒人のみで編成された攻撃部隊の一員。激しくナチスと抗戦している。攻撃の途中、黒人であるがゆえに、本隊からはぐれ、トスカーナの田舎村に迷い込む。そして、そこで、ひとりの、いわくありげな白人の子供を命懸けで救出することになる。

 ところで、今でこそ米軍の兵士といえば、黒人というイメージがあるが、実は黒人が前線で戦うようになったのは、第二次対戦以降のことだそうだ。なぜなら、当日、アメリカの市民としてまったく認知されていかなったのである。そのため、実験的に、黒人部隊が組織され、前線で闘うことになった。しかし、白人将校たちは、彼らを露骨に差別し、また信用もせず、作戦にも不協和音がうれまている。時には、敵国ナチス・ドイツ兵捕虜よりも、待遇が悪かったという逸話まで残っている。
 正規の国民と見なされず、厳しい人種差別に虐げられる彼らにとって、命懸けの参戦は、さまざまな複雑な感情を生み出す。命がけで祖国を守り、黒人の地位を向上させよと意気込むものもあれば、不当な扱いに「所詮、白人同士の戦い」と、しらけているものもいる。しかも、仲間から信頼されずに、孤立し、彼らが迷い込んだ、敵地のイタリアでは、本国のような黒人差別はまったくない。むしろ、ナチスに敵対する村人たちは、彼らを受け入れ、その自由な雰囲気の中で、(敵兵に囲まれている危機的な状況でありながら)本国ではけっして味わえない解放感に浸っていくのだ。

 ところが、この映画の見どころは、最初、アメリカの白人対黒人という対立をメーンに置くとみせながら、実は善悪や敵味方といった二項対立の単純な対決軸ではなく、もっと深く、複雑な人間性の襞をたくみに描いている点にある。そして、人間の善悪など簡単に消し飛んでしまうほどの戦争という狂気そのものの残虐を、いやというほど映像化しながらも、同時に、その狂気の前ではあまりに無力で見えなかった人間性の微かな希望の光が、最後に、煌々と感動的に映し出されていくところにある。

 だから、4名の黒人が、さまざまな思いや態度でこの戦争を戦い一色でないように、正義であるはずのアメリカ軍にも、無能な将校や偏狭な差別主義者がいれば、凶悪なナチスのなかにも、命をがけでヒューマニズムを貫く兵士や、殺し合いを嫌悪する将校もいる。同盟国であるはずの、ドイツ兵とイタリア国民の間も複雑に対立し、そのドイツに対抗するのパルチザン(イタリア市民の抵抗軍)にも、正義もあれば、ユダのごとき裏切りものもいる。そして、その裏切りが、複雑に絡み合って、悲劇の殺戮(実話)を招いていくのだ。

 今から、65年前の今日。つまり、1944年8月12日に、ナチスが罪もない無抵抗なトスカーナ地方の村人を、教会の前で、大量殺戮した“セントアンナの大虐殺”がそれだ。 

 さらに、その裏切り行為と、何故か生き残ってしまった者の持つ深い罪悪感が、お守り代わりの女神の彫像と、ひとつのクロスに導かれて、時を超え、所を超えて、再び結びつき、そして深い許しの世界へといざなわれていくのである。

 冒頭の殺人事件の背景は、事象的にも、心理的にも、あまりに意味深だったのである。

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愛情たっぷり、自然弁当

 家族旅行で、9歳になった長女が、「お弁当を作ってもいいか」と、提案してきた。

 どうせ、初日の昼は、高速のSAなんかですませる予定だったから、大歓迎。

 実は、最近、夕食もひとりで作ってくれることもあったので、その実力のほどはある程度は、わかっているのだが…。

 前日から張り切って、メニューを自分で考え、ひとりでスーパーへ買い物。材料だけでなく、かわいいバランや楊枝などの小物類も揃えて、準備万端。

 当日は、なんと5時30分に起床して、母親の助けを借りずに、ひとりで料理したようだ。

 ぼくが起きてきた時にはすでに完成していたが、昼食時に明けてみるまでのお楽しみということで、見せてもらえなかった。

 ジャジャーン、どんなものができているのか、楽しみにしてました。

 で、開ける前に、お弁当の題名(テーマ)を尋ねた。
 「愛情タップリ、自然弁当」がテーマらしい。すぐに、「ああ、あんまり自然食じゃないないなー」と訂正したが、いえいえ、もう愛情タップリはほんとうのことだなー。

Img_6782  子供のことなので、弁当を詰めて入れるという発想がないので、ちょっと揺れ片寄っているけど、たいしたもののだと大感心。 メニューは、ウサギ型のウィンナー、ハムとキュウリ、スパゲティーに、フライド・ポテト。それに、一口サイズのおむすび。ウィンナーをウサギ型に切っているのは、母親も知らなかった。彼女がImg_6787 料理本で勉強したもので、ナナが喜ぶだろうという工夫だ。どれにも、見た目を考えて工夫している。デザートも、自分で考えて、目にいいブルーベリー。それを、サクランボのようにしている。

 お味の方も、なかなかよく出来てきて、おいしかった!

Img_6795  しかも、毎月1日は、ナナの保育園はお弁当の日なので、「そのお弁当も、私が作ってあげるわ」ということになった。おお、姉妹愛に、親はちょっとウルウル。なんと、母親孝行なんでしょうかね。この調子なら、もう1~2年もしたら、彼女がいつも夕食を作ってくれるようになるんじゃないかなー。

 夫婦ともどもに大感激で、親馬鹿指数もうなぎのぼりだ! 

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お盆のミニ家庭法座

 もうお盆休みにはいったのに、今日も朝から雨だ。この時期に台風の影響とは、今年は太平洋高気圧がかなり弱いのだろう。

 雨のなか近所のお盆参りが3軒。

 そのうち一軒が、同人の家庭。故人のきょうだい方にもぜひご縁にあってほしいと、ミニ家庭法座を計画された。例年、法事並みに丁寧な法要をされて、親戚も集まってこられるので、短めでも法話をし、少しは感想なども聞いてきたが、「けっこうなご法話でした」で終わって、もう一歩が進まない。

 もともとは、ご主人が亡くなった時に、文化教室の関係で、小学校から日曜学校や子供大会に参加していた息子さんの影響で、わざわざお寺を移ってまで、華光会館とご縁を結んでくださった。実は、亡くなる前に、息子さんの様子を見て、ご主人が、「華光にお参りしたい。連れていってほしい」と、奥様に頼まれたそうだ。しかし、その時は、よく華光のことも理解できず、実現しなかったことを、残念がっておられた。うまくいくと、たとえ1~2回程度でも、ご縁を合えたかもしれないのだ。
 お葬式を引き受けるについては、「ぜひ奥様も聞法してください」お願いしたが、それまで、まったくご聴聞されたことがなく、普通のお寺程度だと思っておられた。それが、聞薫習(もんくんじゅう)で、今では、ご聴聞の要を喜ばれるようにまでになられたのだ。

 そうなると、ご主人が果たせなかった願いを、きょうだい方に伝えたい。そして、もう一歩出てご聴聞してもらいたいと、親戚だけでなく、華光の同人のお友達も2名誘って、ミニ法座を提案してくださった。現実は、そう簡単にはいかないだろう。しかし、このお気持ちだけでも、とても有り難いことなので、喜んで引き受けることにした。

 勤行のあと、40分ほど子供向けのようなテーマで(表現は大人向けに)法話した。そのあと、座談会風に進んだ。華光同人が、真宗に出会ったご縁を話されたり、ぼくもなるべく平易なことばで、元気な生きているうちに、阿弥陀様に出会う、ほんとうの心の親に出会って、後生の行き先をハッキリさせてもらうことの大切さを、子供の聖典の「三角の図」などを使ってお話したりもした。

 熱心に聞いてくださったし、喜んでくださってはいるのはわかる。一般の、法事や葬式中心のご法話ではないことも、理解してくださっているようだ。しかしである。自分の問題となると、ぜんぜんピンと来ておられないことは、そのあとの話し合いでもわかった。高齢の方もおられて、いままでの真宗とのご縁が、そうそうには変わりそうにもない。しかし、これもまたご縁だ。当家の奥様のように、いつ縁が催してくるかわからないのだから、たとえいまは、種まきであっても、しっかり育ってもらうしかない。

 その意味では、単なる法事ではなく、こういう機会を提案してくださった彼女のこころは、いつかきっと伝わるような気がする。そしてそのこころを通じて、私の南無阿弥陀仏さまと必ず出会ってほしいと願うのである。

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夏休み

   仏の子供大会と、お盆参りの間を利用して、恒例の家族旅行。2泊3日で、海水浴に出かけた。

Img_6997  日程もまったく同じなら、行き先や宿も、3年間まったく同じ。京都府内の丹後半島、夕日ガ浦温泉へ。この3年、沖縄への旅行はちょっと無理になっている。京都府内といっても、大阪、兵庫を通り、また京都府の天の橋立(行きは雨でダメだったが、帰路は、途中の山道の合間から、天の橋立が見えた)経由して、200㎞ぐらいはあって3時間強はかかる。高速道路を使用するのは、ちょうど今日から、お盆用の(地方圏なら、乗り放題)1,000円になるからだ。といっても、京都は地方圏ではないので、割引率は低い。それでも、通常なら4,500円だが、かなり安くなると期待していた。ところがだ。それほど安くなってない。どうやら、休日でないので京都縦貫道はこの日は対象外だったのか? 合計で2,700円ぐらいの料金だったので、ちょっとがっくり。

Img_6849_2   しかも、途中から雨が降り出して、大雨注意報が発令されるほどの土砂降り。予定していた伊根の舟家はあきらめて、早めに宿へ。泳ぎもできず、名物の夕日もImg_6895 見れずに残念。でも、宿の温泉や子ども向けの施設で子供たちは楽しんでいた。

  どうにか、翌金曜日は曇り~小雨といった天気。泳ぐことが出来そうだったので、鳴き砂で有名な琴引浜から、聖徳太子の御生母ゆかりの間人(たいざ)の海水浴場に向かった。少しシュノーケリングをしたかったが、波もあったし、 水が冷たい。ちょっと年寄りの冷や水状態。子供たちと不思議な岩場を散策。Img_6893 波で浸食された光景がユニーク。礒溜まりも、カニなどがたくさんいて子供は喜んでいた。どんよりした天気で、日焼けは助かったが、ちImg_6922_2 ょっと残念。結局、夕日も、雲に阻まれたが、山の雲がちょっと幻想的でもあった。

  でも、今日はやっと天気がよくなった。午前中だけだったが、遠浅で、砂の目の細かい浜詰海岸で泳いできた。お盆休みの開始となって、人出は多かった。

 毎年、子供との旅でその成長に目を見張るければ、今年は、特にビックリすることがしった。でも、これはまたの機会で。いや、頑張ったので驚いた。姉妹仲良く遊ぶ姿が微笑ましい。

 

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『チョコラ!』

 京都みなみ会館で、『チョコラ!』を観る。先日、ここでも紹介した、『バオバブの記憶』http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-7180.html同様、日本人監督による、アフリカを舞台にした、子供たちが主役のドキュメンタリーだ。

 またまた知らない世界だ。しかし、これもまた現実の世界そのものである。

Topimage  アフリカ東部に位置するケニア共和国。首都ナイロビから内陸にはいった人口10万余の地方都市が、主な舞台だ。ここで、工場からでる鉄くずやプラスチックを拾い集めて、生活の糧を得ている路上生活の子どもたち(ストリートチルドレン)が主人だ。その仕事から、現地のスワヒリ語で「拾う」を意味する「チョコラ」と蔑称されているらしい。

 驚いたことに、彼らの多くが両親に死別した孤児ばかりではないことだ。大方がスラム街に住むシングルマザーの子だっり、両親のもとを家出しているものもいる。親たちに共通していることは、貧困に喘ぎ、教育の機会もなく、そして驚くほどの子沢山ということだ。ひとり、ふたりが家出しようが、かまっていることは出来ないといった風情だ。彼らは、正しい避妊の知識もないのかもしれない。HIVの問題も深刻だ。感染した若いシングルマザーが登場する。子供もまだ小さい。もしも彼女に何かあったら、子供たちはストリートチルドレンとして、自活し生きのびるしかない。

 劣悪な生活環境の中で、子供たちは寄り添いながら、たくましく生きている。ゴミを集めたり、物乞いをしながら、助け合って生きているのだ。小さい子が、タバコを吸い、シンナーや麻薬を常習している。周りには、さまざまな暴力や危険が待っている。アフリカとはいえ、標高が1500Mもあるので、路上での寝泊まりはかなり寒そうだ。ビニール袋を焼きながら暖をとっている。警察も、彼らの味方ではない。犯罪の温床として、子供でも、容赦なく威圧的に取り締まられ、監獄で暴力的に取り調べられている。

 この街に、日本のNGOが、孤児や子供たちを支援し、学校教育のチャンスを援助したりしている。この悲惨な状況下でも、代表の日本人女性の落ち着いた、自然な雰囲気が、とても尊かった。彼らの多くは、一端は、学校に入りながら、長続きせずに、路上生活に戻っているのだが、根気より両親や学校を説得して、なんとか教育の機会と奮闘されている。長年、有料だった小学校が、最近、やっと無償になったが、まだまだ日常の生活の糧を稼ぐことが、優先されるであろう。それほど、みな貧しいのだ。

 こう書くと、なんとも悲惨な場面が続くよううに思われるが、まったく不思議なことに、意外にも、映画からは、そんな悲壮感や絶望感といったメッセージよりも、もっと豊かなものが感じられてくる。

 むしろ、子供たちのいまを生きているたくましさが、グッーと伝わってくるのだ。そして、とてつもない笑顔! まさに、ビッグスマイルなんだなー。ほんとうに、美しく、かわいい。物質的に最高に贅沢に恵まれた日本の子供たちが、なんとも憂鬱そうで、暗い顔とは対照的だといっていい。

 HIVの母親が、小さな子供たちと一つの灯火を囲み、慎ましく食卓を囲み、そして一つの毛布にくるまれて寝るシーンなど、ほんとうに楽しそうで、温かな幸せが伝わって来る。

 しかし、それは明日がないかもしれない、あまりには脆い幸せではある。

 他にも、ラストの方での子供たちの路上の晩餐のシーンもよかったけど、一方で、退屈でウトウト寝てしまうようなシーンもあった、そんな感じの映画でした。

 おまけ:いい写真がたくさん掲載されていたので、パンフレット(600円)も購入しようとしたら、「同題の岩波のブックレット(700円)のセットもありますが、どちらにしますか? セットなら、1,000円で、300円もお得ですよ」と勧められた。ムムム、300円も得か。それに、岩波のブックレットは悪くないしなー。きっとこれが、100円~200円の割引なら迷わずパンフレットだけにしただろうが、この300円の線がぼくにはツボ。迷って、おもわずセットを購入してしまった。これはよしとしても、ちょっと内容かぶってるのだけど……。

 やれやれ、相変わらずの貧乏性である。

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梅雨明け

 仏の子供大会が終わって、やっと梅雨が明けた。

 梅雨明けが特定できなっかった冷夏の93年以降だそうだが、その年の子供大会のこともよく覚えいてる。毎日、雨で困ったし、海に泳ぎに行ったものの、寒くて子供たちから「帰ろう」といってきたのだから、あんなことは後にも先にもない。

 今年も、梅雨明けした大会の最終日を除いて、3日とも、一時強い雨が降ったが、さいわい、野外行事に影響しなかった。それでいて、猛暑ということもなかったので、病人やケガ人もなくよかった。

Img_6780  自力整体を終えて、東本願寺のところ通ったら、夏の入道雲がモクモクと興ってきそうだった。今日は暑かった。すっかり夏になった。

 明日は、『三帖和讃』の浄土和讃の校正を渡す予定だ。7月一杯の予定だったが、子供大会もあったので、大会が終わってからにしてもらった。一応はできているが、もう少しだけ補足して付け足すところが必要だ。まだもう少し作業して、明日には渡す予定だ。すると、次ぎの『高僧和讃』がやってくる。このペースでは、11月の大会はギリギリという感じかなー。

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仏の子供大会終了!

  今年の「仏の子供大会」も、4日間を無事に終了しました。

 お世話の先生方、スタッフの皆さん、お疲れさま!

 大きな病人やけが人もでず、無事に終えたことは、主催者としてはなにより。

 そして子供会基金などの喜捨と、飲み物、ジュース、果物、ビールなどなど、さまざまな形でご支援くださった同人の皆さんも、ありがとうございました。おかげで、今年も収穫があった大会でした。

 華光会館が会場だったので、「初日」、「2日目」…と、報告することができた。若手の先生方が、リーダーとして指揮をとってくれるまでに成長してくれているので、ちょっとまかせてみる部分もありました。実は、2日目終了後、プールで冷えた(年寄りの冷や水?)のか、いつも食べない冷たいものお腹を驚いたのか、またはクーラーで冷えたのか、とにかくからだが冷えて、頭が痛く、激しく嘔吐。すでに行事は終了していたけれど、夜の反省会では、明日の打ち合わせもある。でも、S子先生に相談すると、「まかせておいてください」との力強いお言葉があって、早寝すること。完全に低体温で、暑いはずなのに、寒けがして、厚着して就寝。おかげで朝には復活していて、最後まで行事をこなすことができて一安心。いや、みんな頼もしくなってきました。

 それにしても、行事、行事の連続で、子供たちも遊ぶ暇ないけれども、先生方にとっても、なかなかたいへん。泳いだり、山道をを歩いたり、歌ったり、踊ったり、劇をしたりのレクレーションに加えて、法話や分級の司会、全体の司会に、事務や雑務もあるので、かなりハード。それに、日常でもこんなに笑うことがないというぐら腹を抱えて大笑いもすれば、また、グッと有り難く泣いて念仏することもある。体力も、気持ちもハードなスケジュールだけれども、とにかく充実した4日間を過ごしました。それでも、全体の掌握をするぼくとしては、華光会館だとそれがかなり楽です。

 だから、いろいろな方面からの網の目のように十重二十重につながった、とても温かな力添え、ご縁によって、この大会が続いてきました。伝統の重みです。マンネリ化する部分もあるけれど、毎回、毎回の蓄積されていくものを感じします。仏法のことだけでなく、人間的成長の場なんですね。

 そして、そこには「仏法広まれ」「いま、ここで、このお念仏を聞いてほしい」の熱い、篤い願いがその根底にあります。だから、どの先生の法話も尊かったし、悟朗先生の全体座談のお話も大人のご法話そのもの。きっと言葉の意味は難しく、通じないかもしれないけれど、その願いやお心は、必ず子供の毛穴を通して伝っていくでしょう。2代目どころか、3代目、時には4代目の時代になっています。

 今年は、班長が全員中一で、しかも初班長。副班長も、また初めての副班長。それに、必ずしも、リーダーシップを発揮できるとは限らず、またうまくコミニケーションがとれない子もいる中で、なんとか4日間を無事に活動し、班として形になってくることに、人間の可能性というか、成長力を感じさせられます。また来年、成長した姿がみせてくれることがあれば、楽しみです。そして、ご法の上でも、まだまだこれから。いまの先生方の子供のころよりは、かなり幼稚な感じがして、焦点が定まってないのは残念ですが、こちらも今後のお育てに期待したいです。

 それにしても、4日間も過ごすと、ちょっとした家族気分になります。そして、僕自身だって、閉じた寂しい心が温められて、オープンに、そして温かく、やさしくなっていくのが、よ~くわかりますね。

Img_6759_2   華光会館の掃除や片づけが終わってから、先生、スタッフ全員参加して、マチャプチャレで、慰労会を持つこともできました。ほぼ全員が揃うのは初めてかも。こんなことができるのも、華光会館であったれはこそだなー。こころのこもった野菜中心のメニューに、みんな満足でした。お店をぐるりとかざるゆうこの絵。これは、例の三角の図によくて似てます。

 それにしてもです。

 皆さん、ほんとにありがとうございました。

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仏の子供大会~3日目~速報

 今日は、朝から雨。それはかなり強く降っている。

 昼から「追跡ハイキング」と、夜は、キャンプファイヤー。キャンプファイヤーは、華光会館の場合は、室内ファイヤーなので問題ないとして、目玉の追ハイが中心になるとなると、ちょっと寂しい。

 でも、これも日頃のぼくの精進がいいからだろう(間違いない)。昨日同様、午前中で雨は止んで、絶好の追ハイ日和。今年は、車の送迎係なので、残念ながら、実際には歩けなかったが、伏見稲荷神社の稲荷山を裏からはいるハイキングコースと、参道コース。ちょっとハードな登りが続くか、ひとりを除いて全員、無事に帰って来た。昨年同様、わが子は、15分でリタイヤー。出発地点まで送って、帰宅したと思ったら、すぐに迎えの電話。まあ、昨年より少しは成長。だって、最初に参加しただけでも、少しは進んだ。

 戻ってすぐに、夜のキャンプファイヤーの準備。ここが、毎年ハード。時間がない。準備もたいへん。班ごとに、出し物(スタンツ)を考える。小道具なども工夫した寸劇である。大人先生や、付き添いのおばあちゃんたとも、4班としてスタンツは参加。いつも、ここが一番盛り上がる。ぼくは、その年の体力次第。昨夜、体調を崩して、今年は頭からパス。

Img_6552  4班の出し物は、「二河白道」だ。ストーリー自体は、まったくまっとうなのに、ここの個性がでて、けっこう面白かった。火の河役、水の河役もあり、もちろん、釈迦、弥陀二尊もあるが、やっぱりこんな時は、群賊悪獣がユニークでいい味でていた。皆さんで、ニッコリ記念撮影。大人の学芸会Img_6559。「ブログに載せていい?」と尋ねたら、「エー」とまた大笑い。速報で、紹介します。

 終わったら、悟朗先生も飛び入りで、ひとり「間違い探し」ゲームもあって、みんなびっくり。

 あと各班のスタンツもそれぞれ工夫されていて、頑張ってました。「どうなることか」と、先生方も頭を抱えていた班も、どうにか無事にやりとげて、みんな一安心。キャンプファイヤーのゲームも、定番ながら、みんな大声で楽しみました。

 もちろん、法話も、分級もしっかりありましたよ。特に、S子先生の法話は、リハーサルの時から有り難かったので、また紹介したいですね。

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仏の子供大会~2日目

   子供大会2日目。

   今日のメーン行事は、昼からの「水泳」。午前中は、雷雨で、土砂降り。これは、水泳は無理かなーともおもいながらも、外のスライダーでは遊べないけれど、室内は温水プールにもあり、しかも小やみにもなったので出発。会場に到着したら、その時だけ雨。逆に、雨で、ほとんどお客さんがいない。しかも晴れ間もでてきた。最初は、外のプールは雷注意報が発令中なので閉鎖中とのこと。一番に入場したら、ちょうど解除もされて、まるまるフルで楽しむことができました。少し寒かったけど、帰路まで雨も降らずに、子供たちもハッスルしてました。

  そして、夜は、「スライドと全体座談」。

 午前中は、法話と、学年別の分級(ぶんきゅう)座談会。4日間通して、「こころの勉強」は、一番、頭の活性している午前中にあてられています。

 今朝の法話は、S先生。先生方の中では、彼が一番のベテラン。小学校2年生から参加して、いまの先生方にとっては、頼れる兄貴分的存在です。

 彼は、いつも法話を一工夫しくれますが、今年は、映画(DVD)を上映をまじえた法話。それは、ここでもしばし取り上げている、「いのちの食べ方」です。映画の感想は、http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_d7c9.htmlですが、この中でも、「ブタ、ニワトリ、サケ、そして牛」の屠畜の場面だけを見ました。そこだけをクローズアップしてみると、映画館で見たときよりも、さらに迫ってくるものがある。冒頭のブタから、ただ泣き声と、大きな機械音だけが聞こえる異常な雰囲気の中で作業。お腹をナイフで裂かれると、モウモウと内蔵が出てきて、あとは、淡々とパーツごとに流れ作業で切られていきます。ノッキッグされて気絶した牛が逆さ刷りに吊るされて、そして(まだ心臓が動いてるまま)放血されると、大量の血だけでなく、口からは大量の胃液も放出と、そんな場面がリアルに出てきます。でも、これが、「いのち」あるものを殺し食べている事実なんですね。ただ、もし、これがテレビなでど放映されたら、きっとクレームが殺到する。「子供が怖がる」とか、「肉を食べたがらなくなる」とかね。でも、それは逆じゃないか。しっかり、事実を観ないと、ほんとうはなにも始まらない。これは、別にグロテスクなものを喜ぶ悪趣味じゃない。ただ、ほんとうのことを知らないと、ますます、生も死も、殺生することも、きれいごとにして遠くに追いやって、都合よく美化していく社会は、恐ろしいということです。

 そして、夜は、スライド。前半は、DVDで「仏さまのプレゼント」の鑑賞。3、4名以外は、初めて観る子が多くて、ちょっと同人へのCM不足しているかな。子供たちには難しい表現もありましたが、しっかり内容をリピートすると十分、理解されるようです。なぜ、自力難行の聖道門と、他力易行の浄土門があり、「南無阿弥陀仏」のたった六字ひとでつ、仏になる道があるのか。これは、汲めばなかなか深い話で、そのたった六字のおいわれを聞く、その六字の姿になられたおこころを聞くには、次ぎの私のほんとうの姿、地獄のスライドが意味をもってきます。

 地獄のスライドは、超年季の入った代物。いまのビデオは面白くないですから、勢い、こればかり使用。今年は、等活地獄。地獄の中でも、一番軽い、殺生をした報いの罪です。でも、これがびっくり。まったく朝見た、「いのちの食べ方」の」屠畜場面の、裏返しではないですか! 馬面や牛頭をした獄卒に、まったく私がしている罪の報いを受けていく。これは、脅しでも、おとぎ話ではない、私の現実の姿の投影されていると、改めて思わされました。このスライドの冒頭は、

「火の車、 造る大工はなけれども、
  己が造りて、 己が乗りゆく」

Img_6362 で始まるけれど、まさしくそうなんです。どこかに、誰かが造った地獄があって、落ちていくんじゃない。私自身が造っている。閻魔さんが裁くんじゃない。私自身のありのまま、そう、いまの私自身の姿そのもの。それが恐ろしいですよ。地獄行きに恐怖を感じたら、信心獲得できるといったような、間違った考え(これを邪見というのでしょう)の方もあるけれど、決してそうじゃないですね。

 今年は、特にDVDの関係で、考えさせImg_6337 られました。

 仏の子供大会の間は、掛け軸は、『往生要集』です。

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