仏の子供大会~2日目
子供大会2日目。
今日のメーン行事は、昼からの「水泳」。午前中は、雷雨で、土砂降り。これは、水泳は無理かなーともおもいながらも、外のスライダーでは遊べないけれど、室内は温水プールにもあり、しかも小やみにもなったので出発。会場に到着したら、その時だけ雨。逆に、雨で、ほとんどお客さんがいない。しかも晴れ間もでてきた。最初は、外のプールは雷注意報が発令中なので閉鎖中とのこと。一番に入場したら、ちょうど解除もされて、まるまるフルで楽しむことができました。少し寒かったけど、帰路まで雨も降らずに、子供たちもハッスルしてました。
そして、夜は、「スライドと全体座談」。
午前中は、法話と、学年別の分級(ぶんきゅう)座談会。4日間通して、「こころの勉強」は、一番、頭の活性している午前中にあてられています。
今朝の法話は、S先生。先生方の中では、彼が一番のベテラン。小学校2年生から参加して、いまの先生方にとっては、頼れる兄貴分的存在です。
彼は、いつも法話を一工夫しくれますが、今年は、映画(DVD)を上映をまじえた法話。それは、ここでもしばし取り上げている、「いのちの食べ方」です。映画の感想は、http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_d7c9.htmlですが、この中でも、「ブタ、ニワトリ、サケ、そして牛」の屠畜の場面だけを見ました。そこだけをクローズアップしてみると、映画館で見たときよりも、さらに迫ってくるものがある。冒頭のブタから、ただ泣き声と、大きな機械音だけが聞こえる異常な雰囲気の中で作業。お腹をナイフで裂かれると、モウモウと内蔵が出てきて、あとは、淡々とパーツごとに流れ作業で切られていきます。ノッキッグされて気絶した牛が逆さ刷りに吊るされて、そして(まだ心臓が動いてるまま)放血されると、大量の血だけでなく、口からは大量の胃液も放出と、そんな場面がリアルに出てきます。でも、これが、「いのち」あるものを殺し食べている事実なんですね。ただ、もし、これがテレビなでど放映されたら、きっとクレームが殺到する。「子供が怖がる」とか、「肉を食べたがらなくなる」とかね。でも、それは逆じゃないか。しっかり、事実を観ないと、ほんとうはなにも始まらない。これは、別にグロテスクなものを喜ぶ悪趣味じゃない。ただ、ほんとうのことを知らないと、ますます、生も死も、殺生することも、きれいごとにして遠くに追いやって、都合よく美化していく社会は、恐ろしいということです。
そして、夜は、スライド。前半は、DVDで「仏さまのプレゼント」の鑑賞。3、4名以外は、初めて観る子が多くて、ちょっと同人へのCM不足しているかな。子供たちには難しい表現もありましたが、しっかり内容をリピートすると十分、理解されるようです。なぜ、自力難行の聖道門と、他力易行の浄土門があり、「南無阿弥陀仏」のたった六字ひとでつ、仏になる道があるのか。これは、汲めばなかなか深い話で、そのたった六字のおいわれを聞く、その六字の姿になられたおこころを聞くには、次ぎの私のほんとうの姿、地獄のスライドが意味をもってきます。
地獄のスライドは、超年季の入った代物。いまのビデオは面白くないですから、勢い、こればかり使用。今年は、等活地獄。地獄の中でも、一番軽い、殺生をした報いの罪です。でも、これがびっくり。まったく朝見た、「いのちの食べ方」の」屠畜場面の、裏返しではないですか! 馬面や牛頭をした獄卒に、まったく私がしている罪の報いを受けていく。これは、脅しでも、おとぎ話ではない、私の現実の姿の投影されていると、改めて思わされました。このスライドの冒頭は、
「火の車、 造る大工はなけれども、
己が造りて、 己が乗りゆく」
で始まるけれど、まさしくそうなんです。どこかに、誰かが造った地獄があって、落ちていくんじゃない。私自身が造っている。閻魔さんが裁くんじゃない。私自身のありのまま、そう、いまの私自身の姿そのもの。それが恐ろしいですよ。地獄行きに恐怖を感じたら、信心獲得できるといったような、間違った考え(これを邪見というのでしょう)の方もあるけれど、決してそうじゃないですね。
仏の子供大会の間は、掛け軸は、『往生要集』です。
| 固定リンク
「法座と聞法」カテゴリの記事
- 法林寺・別修永代経法要(2012.05.22)
- 華光日曜礼拝の「花祭り」(2012.05.20)
- 広島支部花祭り(2012.05.18)
- 永代経は九州支部がお当番(2012.05.10)
- 修了式~月愛三昧~(2012.04.29)



コメント