最初は、いつも強い意志なのに…
壮年の集いが終わりました。
いつものことながら、法座が終わり、いまはどっと疲れている。
特に、今回は、なかなか思うようにはかどらない「和讃」の校正作業に焦っていて、壮年の初日の午前中も、作業する計画でいた。外で仕事する予定でいたら、一本の電話。急な葬儀の依頼である。葬儀は、いつも急なのだが、実は、これまで檀家の依頼もなく、(実家の宗派が)禅宗の方からだったので、まったく想定外の依頼なのである。しかし、華光は、あくまで法座優先。それで、(華光会の収益事業の損得勘定も計って)、法座終了後日の「葬儀」は受けることにした。それなら、臨終勤行や通夜に関しては、他の先生に依頼することで、あちこちに手配をすることになった。いろいろと打ち合わせもあるので、和讃の作業どころではなくなった。もう始まる前から疲れてきた。
なんとか法座が始まる。大勢のお参りだ。全体に一杯に車座になったが、二重にならないと座れない。 たぶん、70名弱はおられた。
法座の内容に関しては、またおいおい触れていきたい。分級座談や懇親会のやりとりなどでも、味わわせてもらっうことも多かった。二人の先生からの法話も、懇ろに阿弥陀如来のお心をお取り次ぎしてくださった。一口にテーマをいうと、南無阿弥陀仏の姿をよくよく心を得るということにつきる。阿弥陀仏が、なぜ、南無阿弥陀仏という六字の御名に姿を代えてくださったのか、そのこころをほんとうに懇ろにお聞かせいただいた。
ところで、宿泊法座で疲れのは、もちろん、責任者として神経を使う点もある。(今回はなかったが)法話や分級座談も目配せがいる。でも、それだけではなく、原因は、法座自体より、その合間のところにもあるのだ。今回なら、準備段階で、いろいろと波瀾含みのこともあった。まあ、それはいいとして、始まったら始まったで、休憩や食事時にも、必ず会議や打ち合わせがあるので、これがけっこうハードだ。遠方の役員さんも多いので、宿泊法座の食事や休憩時間が会合になるのだ。今回なら、初日の夕方に役員・運営委員会、夜の法座が終わって、司会者・先生の反省会、そして、会計士の先生との今月会計報告があり、2日目の昼休みは、10月3日の東京公開法座と司会者研修会と会議、法座の間に4回に加えて、開始時と、終了後には、壮年の集いの打合せと反省会もあるので、これだけでもなかなか多忙なのだ。
まあ、それは仕方がない。でも原因はもうひとつある。
例外なく、懇親会の誘惑に負けてまうだ。特に、いまは、「和讃」の作業に悪戦苦闘で、予定より遅れているし、そこへ慣れない葬儀の依頼もあった。「絶対に12時30分の終了時には寝るぞ」と、連れ合いにも宣言して、強い意志を持って臨んだ。その意気込みや立派。ところかである。これも毎回のことながら、凡夫の酔った悲しさ…。勇猛果敢な思いは、あっというに打ち砕かれる。なんか、あの人に声かけたい、この人も気になる。初めての人とも一言くらいは…と、0時ごろからエンジンがかかってくる。別に酔っぱらわないが、やはり口も滑らかになる。それでも、12時30分には強制的に終了となる。ここが、ポイント! 当然、寝るつもりで、寝室に向かうので一階におりる。ここからがいけない。つい、ほんうとについ、フラフラと事務所を覗いてしまうのだ。なにかここから先は、ゴキブリがホイホイに引き寄せれるというのか、極重悪人が、知らぬ間に本願力にと引き寄せるというのか、覗いた時点でもうダメなのである。「なんや、この楽しげメンバーは…」と、いやちょっとご挨拶せんと失礼やなーと、ついつい入ってしまうのである。最初は、入り口に立っているのだが、しらぬまに座って、気がつくともう2時を回っている。今夜はすぱっとここでお開きになったけれど、あの確固たる意志はどこにいったのかのである。悲しいことに凡夫の意志なんて、少しの酒と、楽しい雰囲気で、コロコロと変わってしまうのだ。それが、素面なら、冴えていたら、スッキリしていたら、立派なものになれると思っているだが、うぬぼれもいいところである。いつも楽しく、迷いの苦しみに酔っているのである。まさしく、ちょっとしたご縁で、コロコロと変わるのはお粗末な限りだ。もしかすると、末とおらない虚仮不実のわが身を実感させられるために、飲んでいるかのようである。もっとも、別に翌日の法座に差し障ることもないし、もうすんだことを反省しても仕方ないので、「ああ、楽しかったなー」と、妙な罪悪感は持たないようになったのだが、結局、こんなことの繰り返しで、有意義な人生を無駄に終えていくのだろうから、悲劇というより、かなり喜劇でもある。
でも、ほんとうに、「ま酔い」は楽しいでのある。
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コメント
「壮年の集い」本当に楽しかったです。
ありがとうございました。
泣いたり笑ったり怒ったり・・・もうこっちは
本当にメチャクチャです。
だけど阿弥陀様のほうには決して揺るぐ事のない
確固たるものが出来上がっており、私ひとりに
常にどこどこまでも掛かり果てて下さっている
んだなぁ~と聞かせてもらいました。
「強い意志がどこへやら~」ホントですね。
ご一緒出来て楽しかったです。
地獄行きのわが身と聞きに行っても楽しい事に
終始する。本当にお粗末な私。
分級D班でご一緒下さったM先生、皆さま、
ありがとうございました。
投稿: 蓮華 | 2009年7月21日 (火) 00:15
蓮華さん、こちらこそです。
もしや、淀川コナンさんを圧倒したMさんて、蓮華さんじゃないかなー。
それにしても、ご法座って不思議ですよね。目には見えないけれど、ご法のエネルギーが満ち満ちているので、凡夫の身にも、満ち満ちてきますから、勿体ないですね。
投稿: かりもん | 2009年7月22日 (水) 00:23