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七夕音楽祭~ご近所歴史探訪編(1)~

Img_6181   今日は、毎年恒例の東寺保育園の七夕音楽祭。とうとう、下の子も年長となりました。

 でも、例年と違うところがある。

 それは、校舎の立て替えで仮住まい中。講堂が狭くて、二部制の演奏会となった。二部は、10時30分スタートで、年少、年中、年長と進むから、まあ、11時ごろでもいいかなーと思ったけれど、念のため、10時35分ごろに到着。ところが、もう歌声がしている。どうも、早く進行しているようだ。ほどなく、わが子たちの登場。講堂が一杯で、中に入れず、ドアの外から見学。でも、実は、一昨日、所用で、早いお迎えに行ったときに、ちょうどリハーサルの最中で、早めに見学してしまった。おかげで、立ち位置が分かっていたので、ビデオはバッチリ。練習が厳しい分、なかなか統率がとれている。コースラは、アッという間に終わり、後は少しお楽しみ会があって、結局、40分ほどで早めにお開きになった。それにしても、この時期の成長はすごいなー。わが子ながら感心させられる。

 ところで、ここは、東寺から西へ、羅城門と西寺跡のちょうど中間にある、西山(せいざん)派のお寺の敷地にある。すぐ近くを、東海道新幹線が走っているが、周りはお寺やお墓がやたら多い。以前、保育園をされていたので、狭いながらも、設備は、一応揃っている。

 ちょっと早く終わったので、あまり知られていないご近所の歴史探訪。

Img_6185  世界遺産として登録されている東寺、特に「五重の塔」を知らない日本人は少ないだろう。しかし、創建当時、その対の官寺として栄えていた「西寺」(さいじ)なるものがあったことを知っている人は、案外、少ないのではないか。ましてや、その跡をわざわざ訪れる観光客は、まずは稀だ。

 もちろん、西寺は現存しない。西寺跡Img_6184として児童公園になっていて、小高い丘に、西寺をしのぶかのように、2本の大木と碑文が立っているだけだ。やはり、東寺同様に、壮麗さを誇って大寺も、徐々に勢力が衰え、天福元年(1233年)には五重の塔を焼失。その後、再建されることなく歴史の舞台から姿を消していったという。周りには、大きな礎石も点在している。その周りで、子供たちが虫取りをしながら遊んでいた。

Img_5636   この西寺跡から、九条通りを、自転車で2分も行くと、有名な 「羅城門」跡がある。平安京の九条大路跡、都の南の端に位置している。早くに荒廃し、その後、鬼が棲むついき、鬼退治の逸話は有名だ。そして、芥川龍之介の小説「羅生門」、さらに黒沢明の同名映画もあって、世界的にその名は知られている。しかし、西寺同様、ここも見逃されるようにひっそりとしている。ほんとうに小さな公園に、申し訳程度の碑文と、解説版が残っているのみだ。実は、この碑文も、1895年-平安遷都1100年を記念して立てられたもので、歴史は浅い。しかも、歴史的には「羅城門」を「らじょうもん」と読んでいるが、城を「じょう」と読むのは、わりと最近のことで、本来は、「せい」と読み、このあたりの地名も、来生(らいせい)といっていたのが、転じたものだというのだ。いずれにしても、かって、この地に朱雀大路の南端に壮大な門があったとは、ちょっと想像しがたい。

Img_6191_2  この羅城門跡の入り口、九条通に面したところに、矢取地蔵という祠がある。
 1100年前の天長元年に、空海(弘法大師Img_6192 )が、神泉苑(二条城のあたり)で雨乞いの祈祷を行い、見事、3日3晩、雨が降ったそうだ。だが、そのときがライバルだった守敏(しゅびん)僧都に妬まれ、矢を射られたというのだ。しかし、その身代わりに矢を受けたのが、このお地蔵さま。何でも背中に傷があり、これがそのときの矢傷だという。いまや、ほんとうに粗末な小さな祠なのだが、やたら由緒はありがたそうだ。

 ちなみに、その守敏に、与えられたのが西寺。空海は、もちろん東寺だったのだから、これはかなり出来すぎの話。とにかく、二人の法力(神通力)合戦は、いまでも、格好のスピリチュアル系のネタになっている。

Img_6193  そして、この羅城門から東へ、やはり2分足らずで、東寺がある。国宝の「五重の塔」は、高さ約55メートル。もちろん、現存する木造の五重の塔としては国内最大だ。

 それにしても、現代でも東寺だけでも立派なのだが、ここに羅城門を挟んで、西寺にも五重の塔を含む大伽藍があったのだから、実に、壮観な風景が広がっていたのだろう。

 いまなお、この角の交差点は、名神高速道路のICを経由して国道1号線が京都市内へと続く、京の入り口に位置している。もっとも、昔は鳥羽街道からの入洛だったのだろうが、この道を通って、数々の歴史は作られてきたのである。

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