なんとなく証空上人
連れ合いが、修士論文にかかっている。いままで見慣れない本が、本棚に並んでいる。テーマは、三願転入について、西山派の祖、証空上人と、親鸞聖人の往生観を比較である。それで、仏教大学にまで聴講に出かけ、西山(せいざん)短期大学副学長の中西博士に師事して、指導を受けている。最近、先生は、博士論文をまとめて、『証空浄土教の研究』という集大成的な著作を法蔵館から出されている。http://www.hozokan.co.jp/cgi-bin/hzblog/sfs6_diary.cgi?action=article&year=2009&month=04&day=02&mynum=492
それが、例によって、彼女のオープンな性格が幸いして、今日の西山短大での授業で、『仏さまのプレゼント』のDVDを流して、紹介してくださったのである。彼女も、その授業に出かけたが、また、そのご縁で、西山派大阪別院から、DVD注文が5枚もあった。ありがとうございます。お客さんになってもらったからではないが、浄土真宗内で、証空上人が受けている一方的な扱いについて言及したいと思った。
証空上人。
浄土真宗ではある一部の人たちの間だけで有名な(?)、「小坂の善恵房」である。まあ、身も蓋もない話だが、今日、学術的に『口伝抄』にあるような、法然門下における「体失・不体失往生」論争を、歴史的な事実としては疑問視する声がある。『口伝鈔』自体が、真宗史学界で歴史的な事実として採り上げられてはないのだ。これは、学術的な探求が、歴史の座標軸を逆流しないからである。
もしこれが事実なら、直接、親鸞聖人が言及されたり、浄土宗側や法然上人のものにも顕されなくてはならない記述であるのに、だだ、親鸞聖人から聞いたという如信上人から、また聞きをしたという形で、法然上人の言葉がイキイキは描かれているのにすぎないのである。 いまでいう、孫引きや伝聞という程度なので、二次的、もしくは三次的な資料の扱いになるのである。
しかも、その背景には、親鸞聖人の偉大さ、業績を強調することで、(法然)…親鸞-如信-覚如という三代伝持の血脈を前面に、親鸞聖人を「本願寺の聖人」として神格化し、その直系、正統な後継者だという立場を最大限利用して、当時隆盛であった仏光寺などの他の門流に対抗するためであったことは、明白である。そして、もうひとつは、法然門下の諸宗を批判して、親鸞聖人の一流が、ただしく法然上人の正意を伝統していることを宣布する意義があったのだ。だから、面授口伝が前面にだされるが、直接、如信上人からの口伝は、19条と20条のみだとも言われている。残念ながら、覚如さんは、親鸞様には直接、お会いできるわけではないので、関東におられた如信さんが登場するわけだ。
ところが、覚如上人には、その批判している西山義を取り込みにも熱心であった。重松明久著の『覚如』によると、一念業成、称名(念仏)報恩の強調、そして、親鸞聖人にはない、「機法一体」の教義、さらに、これも、直接的に言及されていない、「宿善」の強調などのオリジナルの部分は、かなり西山義からの影響や導入と思われるものがある。(もちろん、その萌芽は、親鸞聖人の上にも一部はある)。当然、これまで強調されてこなかった「宿善」は、本願寺留守職継承という跡目相続の反目もあって、唯善との間で宿善論争がおこっている。過去の宿善あつい者は、今生に善知識の教えに随順し、信心がおこり、往生が決定するというのてある。結局、覚如上人が勝利し、その後、その多くが蓮如上人へと継承され、たとえば、五重の義などが説かれるようになる。ただし、蓮如上人は、「宿善めでたしとはわろし。御一流には、宿善有り難しと申すがよく候由、仰せられ候」と、宿善の他力的理解も強調されているのである。
結局、西山義を利用しながら、差別化のために一方で異端として排斥する、どこにでもある常套手段なのである。
まあ、いまやごく通説なんですが、やはりここまで書いては不味いなー。
平生業成とか、廃立為先などを強調し、いまや数少ない覚祖派を自認しているのに、その上人を貶めるような文章になってしまったか。まあ、これは、あくまで歴史的な背景や事実として聞いておいてくださいなと。覚如上人にしても、また新たに取り上げようとする動きもあるでしょうし…。ぼくとしては、『口伝抄』も、覚如上人からみられた親鸞様の姿としていただております。
それに、もうひとついいたかったことは、証空上人のものや西山義を直接勉強しないで、一方的に、口伝抄だけの記述で、諸行往生と決めつけるのは危険だということかな。その意味では、ぼくもこのことに触れる資格はない。このテーマについては、連れ合いの方が、先輩である。写真とは別に、西山で仕入れてきて、わが家にも一気に証空上人の全集などが増えた。
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コメント
生きて身を
はちすの上にやどさずば
念仏まうす甲斐やなからん
証空上人についてはこの歌しか知りませんが、ほんまその通り。頭を垂れるしかありません。
なんまんだぶつ
「壮年の集い」お疲れ様でした。ありがとうございました。
投稿: はらほろひれはれ | 2009年7月21日 (火) 23:22
はらほろひれはれさん、ようこそお参りくださいました。同人3名での珍道中だったようですが、帰路は無事だったのでしょうか。
壮年の集いは、全体会の奥様の言葉は、かなりインパクトあって、わが家での流行語になっています。
証空さんの和語の言葉は、いろいろと尊いと連れ合いも言っていました。ぼくも少し勉強したいです。
投稿: かりもん | 2009年7月22日 (水) 00:28
>証空上人のものや西山義を直接勉強しないで、一方的に、口伝抄だけの記述で、諸行往生と決めつけるのは危険だということかな。
これは、全く同感です。そして、私も語る資格はありません。証空上人や、西山義について私ももっと勉強させていただきたいと思います。そして、中西先生の
『証空浄土教の研究』もできるだけ早く拝読したいと思います(溜まっている本が沢山あるので何時になるやら)。
以前、此処で「如来蔵思想」や。『大乗起信論』についての御著書の感想を書かせていただいたのですが、最近、現在のものテーマでは斯界の第一人者と目される高崎直道先生の『高崎直道著作集第八巻 大乗起信論 楞伽経』(春秋社)を拝読させていただいて基本から学ぶ必要を痛感いたしました。以前書いたことが大変恥ずかしいです。
高崎先生の御著書は大変わかりやすく、仏教を勉強したいと思われる皆様に御勧めです。
投稿: 縄文ボーイ | 2009年7月25日 (土) 12:15
追伸
西山上人についても勉強させていただきたいですが、個人的には最近、鎮西義の方の浄土宗三祖の良忠上人にも興味をもっています。道元禅師に学ばれた後、浄土宗に転宗され、弁長上人に師事なさった方です。
日蓮聖人とは、鎌倉で対立関係にあったとされます(その記述について単称浄土宗関係の文献と、単称日蓮宗他日蓮系宗派の文献では、かなり食い違いがありますが)。
投稿: 縄文ボーイ | 2009年7月25日 (土) 12:36