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2009年7月の28件の記事

仏の子供大会始まる!

 さあ、いよいよ、仏の子供大会始まりした。

 先生方は、4度の打ち合わせ会や準備会からすでに始まってます。昨日も、フル参加の先生全員が集まって、朝10時30分から夜10時まで、そうじ、設営、もろもろの準備に、打ち合わせと、もう子供大会モードです。朝も、早くから集まった、最終打ち合わせ。

Img_6363  人数は少なくても、やらねばならないことが一杯。

 今年は、一段と、若手の先生におまかせの部分が増えてきました。若干、まだ心配な面もあるけれど、それもおまかせです。華光感会館が会場で、楽な面(移動仏壇を始め、荷物準備不要、要領や遠慮がない、しっかり聞法ができるなど、ぼくには楽な点も多い)と、たいへんな面(食事や掃除の世話、野外活動の配車なども必要)の両面もあるけれど、8年ごとに華光会館で開催。来年は、別会場になります。

 全員、無事に集合し、初日が終わろうとしています。いま、皆は入浴時間で、銭湯へ。ちょっとその間に報告です。これも、華光会館が会場なので、できることですね。

 子供たちは、かわいい。男子は、元気がある子も多いし、ゲームも楽しかったなー。

 いつも思うことですが、ここは子供、先生役の若手も、そして僕自身の成長の場なんです。班員の子は班員なりに、中学生の班長は、班長として、そして高校生のお手伝い、大学生の先生役、そして社会人として、本部先生役になり、さらには、総括の立場の先生となり、それぞれの役割、役割で、しんどかったり、泣いたりしながらも、人間的に成長していったり、または仏法の上でも、しっかりと4日間、ご法とぶつかっていったりして、皆育ててもらってきています。冒頭、29歳の先生が、「今年で、20回目の参加です」といっていたので、ちょっとびっくり。ぼく自身は、小学校1年生だから、ちょうど40回連続の参加ということになるのかと、ちょっと感慨深げ。

 初めて、本部の仕事に、法話に、ゲームの責任者にフル活躍の先生が、夜には、早くも「しんどい」とダウン気味。いやはや、お疲れさまでした。頑張ったね。そうして、頑張らせてもらえる場があることが、尊いです。

 ここにも、連続無窮の生きたお働きが、バンバン感じられます。

 「反省会の準備ができました」の声がかかったので、今夜はここまで。

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『精神』

   京都シネマで『精神』を観る。

   これはよかった。ここでも触れた監督の観察映画第一弾『選挙』(読み返してみて→http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_debf.html)が、面白かったのもあるが、職業柄、この映画は、すごく楽しみにしていたが、期待どおりの出来で、満足。もちろん、つらい感じをいだく人や、あまりに何も感じられいないといった反響もあるだうろうが、それはそれでいい。残念ながら、マイナー映画なので、なかなか観る機会がないだろうが、ぜひ、皆さんにもお勧めしたい。

Seishin_01   古い民家を利用した畳敷きの部屋。庭には、大きな木が庭にあり、診察室は別棟にあるようだ。患者が自由に寝転がったり、ひたすらタバコすったり、お互いに談話しているが、アットホームな自由な雰囲気が漂う。何の説明もないので、最初、ここが精神科病院の待合室とは思えなかった。

 精神疾患で苦しむ人々が集う小さな診療所「こらーる岡山」が、物語の舞台だ。病院だけでなく、彼らが、地域社会で暮らせるように支援にも力を入れ、牛乳配達の作業所や食事サービスの作業所も併設している。働いて賃金を得て自立の場を提供しているようだ。他にも、臨時的なショートステイ施設も併設している。

 病院の山本医師と、スタッフやボランティア、そして患者たちを中心に、精神科医療、もしくは患者を取り巻く現状の深刻で超ヘビーな話題を、正面から(けっして深刻にならず)淡々とした映像で描いている。今回も「観察映画」とあるように、ナレーションも、説明テロップも、BGMをいっさい使われない。その意味では、無意味なタレントの泡沫な言葉を、テロップで強調するようなテレビ番組とは大違いだし、お説教めいたメッセージもないので、テーマを押しつけが鼻につく公共放送の特集番組とも違う。確かに、解説やテロップがないことは、ある種、不親切ではある。しかし、その分、その受け取りや感じ方を聴衆に委ねるここができる。この手の映画でしか成立しない自由な空間表現の世界なのであろう。しかも、まったく飽きること最後まで見たのは、圧倒的な存在感もった面々が、なんと素顔で登場するからだ。

 冒頭から、昨日、オーバードーズ(薬物の過剰摂取)をしてまった女性が、山本医者の診断(面談)を受けている。いまの状態がかなり悪いことは、一目瞭然だ。ヘビーな話が続くのだが、それを淡々と受け止めていく医師の態度は、一見、普通のようでみえながら、なかなかの年季と重みを感じさせる。彼女の手首には、無数のリストカットのあとが…。薬の副作用か、不自然に肥えて(むくんで)いる。そのころ、個性的な待合室には、やはり個性的な患者が待機している。

 その態度や言動、そして存在感に、なぜか、ぼくはうれしくなってきた。愉快とか、楽しいという意味でないが、この映画が、医者、患者、そしてスタッフとのしっかりした関係性の中で撮られたことが窺えるからだ。それは、彼、彼女らの「素」の表情が伝わって来ることに、驚いたからである。そう、すべてモザイクや音声処理がなされない、素顔のままなのだ。そこで語れることは、自殺未遂に、わが子へ虐待(死)、離婚に、売春、頭の中のもう一つの自分に攻撃され、インベーダーに支配されるなどなどの深い心の闇が、かなりセンセンショナルに続く。しかし、そんな重い話を、ごく普通のことのように、ありのままに写し出されていることが、すごいと感心したのだ。(同時に、正直にいうと、スクリーン上であるので、ぼくの現実の目の前には、厄介で煩わしい彼らは現れない安心感があったのも事実だけれども…)。
 もしもである。一般のテレビ番組のように、患者の顔にモザイク処理がなされ、音声が代えられていたとしたら、たとえ同じ話を聞いても、間違いなく別の感覚が芽生えるだろう。たぶん、不特定者の、ヘビーな話題に、ある種の不快感が起こったかもしれないし、もしかるすと、なんと哀れな人かという同情心や奇異な目で観るだけだで終わったかもしれない。個人情報やプライバシー保護と称して、このような話題の時は、必ず自主的な規制がかけられるのだか、でも、よく考えると、顔を隠すことは、個人保護といいながら、どこかで、健常者(自分の含めて普通の人)と、精神疾患者を分類し、自分とは違う世界の、触れてはならないタブーとして取り扱っていくことにはならないか。もうその時点で、美名のもとで、表立ててはいけない特別な問題をもった人として、固定観念で差別を助長することにも繋がっていきかねないのだ。

 もうそれだけでこの映画は立派だと思った。当然、そのことでリスクも背負うだろうし、きっともっともっもと面白い映像もあっただろう。しかし、ゲリラ的な手法でもなく、時間をかけて、信頼関係を築き、カメラの前で、しっかりそのことを意識させながも、防衛的にならずに自然に振る舞い、時に和やかに、時にかなり雄弁に、もしくは何も語らず(これもすごいことだ)にいる人達の存在が、すごいのだ。

 このようにいろいなこを感じさせれらたのだが、もう少しだけ感じた触れてみよう。

 まず、躁鬱病や統統合失調症といった重度のものから、神経症といわれたり、適応障がいや摂食障がいなど、あらゆる現代人の誰もが、いつ罹患してもおかしない、心の病に苦しむ人たちを見ていると、健常者である(と思っている自分)と、精神障がいに疾患する人との、ハッキリした境界がどこにあるのかと問われたら、実は、まったくそんなものはないことが、よくわかるのである。といって、なにもないわけではない。明らかに深い心の闇に苛まれ、苦しみ、そして、社会生活や人間関係に適用することが難しく、社会的弱者として、見えないカーテンの向こう側においられている事実はあって、常に、「正常」と「異常」は、分断されているのである。

 そしてもうひとつ。この施設の気持ちのよさも伝わってきた。先生の態度そのものが、患者さんひとりひとりだけでなく、この施設全体を覆っているからだろう。そこに、誰もが安心して振る舞える、安らぎの環境が整っているといっていい。決して、押しつけも、批判も、アドバイスもない。患者にそって思うままを伝え、助言を求めてくる患者さんには、「で、あなたはどうしたいの?」と、尋ねるその姿が印象的だった。

 さらに、小泉改革の美名のもとで、「障害者自立支援法」への不安や不満が出て来る。この施設の職員も、行政や保健制度が、援助を縮小する方向に動いている社会状況と、常に対決せねばならない過酷な姿が描かれている。まさに、自己責任と、いかに効率よく、いかに生産性があるかという成果が求められる社会では、まったく自分と関係のない、しかも社会に役立たない弱者への、経済面でも、制度面でも、税金での援助を削るという方向で、悪化の一途をたどっている。自分たちが選んだ姿とはいえ、胸が痛くなる。結局、良心的な医者やスタッフの献身的な姿勢で、なんとか支えられているのだ。

 しかし、本来は社会制度で、しっかりと援助されなばならないことが、ボランティア精神で保たれていることに疑問も感じなくはない。一般でも、しばしば勘違いされるが、-医療や福祉、時には教育や宗教においてもそうだか-いわゆる聖職者や援助的職業は、霞を食っていることが尊いのであって、(プロの仕事に見合う)正当な利益を受けないことが潔く、立派だという風潮が色濃く残っていることだ。確かに、心情的にはわかるのだが、それでは、ほんとうの意味での豊かな社会とは言い難い気がする。ブロはブロに見合った評価がなされるべきなのだ。医療や福祉の制度のあり方も含めて、ほんとうの意味での援助的とは何か、そして豊かさとは何かを、抜本的に考え直す必要があるのだろう。

 とにかく、いろいなことを考えさせられる映画だった。

 そしてラスト。

 ネタバレになるので語らないが、最後のエンドロールまでじっくり見てほしい。ぼくも、「エッー、どういうこと?」と一瞬思い、すぐに「あ、そうなのか」と、少しショックを受けることが待っていた。

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『ヴィニシウス~愛とボサノヴァの日々』+『ディス・イズ・ボサノヴァ』

 外の雨を眺めながら、「妙に蒸し暑いですね。なんか香港の夏みたいだわ」と、カフェのママがつぶやいた。「香港みたい」のフレーズをもう一度口ずさんだ。でも、ぼくは、夏の香港は知らない。トランジットで立ち寄った時は、冬だった。だから、「ああ、そうなんですか」と、曖昧な返事。香港を知らなくても、この不快感は共感できる。もう8月だというのに、いまだに雨が続いている。まだ降ってしまえば涼しくなるのだが、降り出すまでの飽和したジメジメ感はなんともいえない。同じ梅雨の湿っぽさでも6月頃はまだ涼しい日もある。でも、この蒸し暑さが加わった不快感はなんともたまらない。せいぜい、ここは南国のリゾート地だと錯覚したいのだが、周りには無粋なコンクリートの塊しかない。

Vinicius_01  うーん、こんな季節は、やっぱりボサノヴァで気分転換だなと思っていたら、ちょうどいい映画があった。『ヴィシニウス』~愛とボサノヴァの日~を、楽しみに出かけた。

  コパカバーナが見事な夕焼けに染まっている。ああ、きれいだなー。おお、かっこいいなー。うーん、素敵やなーと、冒頭に感じたままの、そんな音楽映画だ。

 シートに身を委ね、始まる瞬間のワクワク感が、いつも好きだ。ましてや、導入部分が素敵だったり、美しかったらなおさら。さらに、音もいいとうれしくなる。だれもかれも、ギターの名手が登場するぞ。この臨場感は、ちょっと自宅のテレビ画面では味わえない。

Bossa  1950年代後半、アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルトらとともに、ボサノヴァ-"新しい傾向"という音楽スタイルを生み出した立役者の一人が、ヴィシニウス・ヂ・モライスだ。2年前の夏に上映された、『ディス・イズ・ボサノヴァ』という音楽映画では、彼らをボサノヴァ黎明期の三大巨人として取り上げられていた。この『ディス・イズ・ボサノヴァ』は、いまや巨匠で、その名もずばり、『ボサノヴァ』というアルバム(ぼくの持っている同タイトルのCDは、1stと、2ndアルバムが、1枚に納まったお得用だ)でデビューした、ボッサの生き字引みたいなカリロス・リラとホベルト・メネスカルを共同プロデューサーを迎え、ボサノヴァの前史や誕生秘話などに加えて、さまざまなアーティストが登場する、いわばボサノヴァの歴史を紐解く音楽ドキャメンタリーだった。

 本作では、そのヴィシニウス・ヂ・モライスを、フォーカスしたものだ。音楽好きじゃなかったら、そんな名前聞いたことないでしょう。でも、ジョビンが作曲し、モライスが作詞した「イパネマの娘」は、「ジョアン・ジルベルトとスタン・ゲッツ」の共演作品などによって、世界でもっもとよく知られているヒット曲のひとつになている。まあ、いまでも、夏になると、多くの人がこの曲を耳にしているよ。作詩だけでなく、オスカーに輝いた『黒いオルフェ』の原作や、フランス映画「男と女」のオリジナル曲の提供するなど、まさに多彩な分野で活躍している。後には、トッキーニョ (Toquinho)やバーデン・パウエル(Baden Powell)などのミュージシャンたちとの共作で、ボサノヴァに留まらず、それ以前のジョビン作品から進化し、サンバやアフロ・サンバといった土着的な感覚に重きを置いた、個性的な音楽を送り出している。また、自ら歌手として舞台に立てば、独特の味わい深い歌声が世界中で人気を博すことになる。いまは、彼の歌手としての作品は、それほど多くは出てないいが、たとえば、ギタリストとしても有名なバーデン・パウエルとの共演作『アフロ・サンバ』は、なかなかの名作だ。いまも聞きながらこの記事を書いているが、歴史的評価も高い。

 ところで、彼の才能は音楽の分野だけには停まらない。彼の経歴も、華やかなものだ。
 まずは出発は、ブラジルの高名な詩人として、数十ケ国で翻訳されるほどの名声をもっていた。だから、彼が俗な音楽に傾斜することは、大衆迎合だと批判されたほどだ。
 しかも、実力ある外交官として、ブラジルの国連大使まで勤めているのだから、これもかなりのキャリアだ。 ただし、後にブラジルの軍事クーダテーでの独裁政権が誕生してからは、彼の左翼的で思想や、自由奔放な言動・行動が嫌われて排斥されている。逆に、世界的な音楽家としての活躍の場が多くなったのではないか。

 また、私生活でも、まったく一筋縄ではいかない人だ。なんと結婚を、9度!も繰り返すほどの「恋多き男」だ。これが、サブタイトルにもなっているが、「愛の日々」であろう。常に、情熱的で、真剣に愛し合い、そして正直に、そして自由に生きたのだ。60歳を過ぎてからでも、なんと5度も結婚や離婚を繰り返し、時に18歳の娘を誘惑し(こりゃ犯罪に近いぞー)、また生涯で、5人の子供も設けているのである。さらに、女性と音楽の他に、彼の愛したものが、酒、特にウィスキーだ。まさに、音楽と女と酒との日々。それでいて、金に無頓着-といようりかなりの経済音痴で、さまざまな奇行も語られていた。

 そんな多種多彩な彼を表現するのに、映画は大きく4つのパートで構成されて、それらが交差しながら、この巨人の姿を浮き彫りにしていく。
  ひとつは、男女二人の俳優による、舞台上で、芝居のように彼の詩を朗読するパート。もうひとつは、現代の若手や中堅ミュージシャンによる、彼の作品のライブ風景。これは短めながらよかった。そして、彼も含めて、伝説の巨人たちの貴重なライブやインタビューを治めた、アーカイブ的な映像。そして、一番のメーンは、彼をよく知る、友人、家族~元妻や子供たち、そして現代も生きている伝説的ミュージシャンへのインタビュー部分だ。この顔ぶれがすごい。シコ・ベアルキジルベルト・ジル、そしていまや非英語圏の音楽シーンに最大の影響力があると言われるカエターノ・ヴェローゾ、さらに、彼との密接な共演や共作をして、大御所たち、トッキュョに、エドゥ・ロボに、そしてカリロス・リラなどなどが、時にユーモアをまじえ、時にギターを奏でて、楽しそうに彼を語る。彼らの楽しそうで、幸せうな姿こそ、彼の本質なのかもしれないなー。こうして、最高にcool で、最高にhotな音楽が生まれてきたのであろう。

 最後のオチが最高だ。多くの女性と関係をもってきた彼ならではのウィットに富んだ一言だ。どんな男性ももっているコンプレックスなんだーな。もう少し大きくか。

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『バオバブの記憶』

 いよいよ仏の子供大会が近づいてきた。今日も準備会。和讃の編集作業など、今月きりの仕事もいろいろある。かなり忙しのだが、こんな時こそ、時間をうまく使って映画観賞だ。今週は、モーニングに、レイト(夜)にと、ドキュメンタリー映画を4本観る予定。簡単でもいいので、4本とも紹介してみたい。

Baobabukioku_01  まずは、1本目は京都シネマで見た『バオバブの記憶』。日本人監督の日本映画である。西アフリカのセネガルのある平凡な村が舞台だ。こんな映画みると、西アジアや東欧のことも知らないなが、アフリカのことは、ますますほとんど知らないなー、と実感。セネガルと聞いて、何を思い出せますか? 首都はダカール。あ、これなら聞いたことがある。パリ~ダカールラリーの終着点。つまりはサラハ砂漠の西端ということか。隣国のマリから独立した共和国だが、フランスの支配を受けてきた。フランス語圏ということで、パリ・ダカのゴールも納得。ところで、フランス映画を見ていると、しばしばアルジェリア戦争のことが、現代のフランスのトラウマ的な事件として、大きな影を落としているのがよくわかる。そのもの自体を扱った映画だけてなく、その端々に独立戦争の傷跡が出て来ることが多くて、近代のフランス映画の背景としては、重要ポイントのひとつ。そうそう、サッカー好きの人なら、まだ記憶にあるだろう、例のジダン選手の頭突き事件にも、この関係の影が覆っているのである。イギリスとフランスは、縦断政策と横断政策(ああ、懐かしい!)で、アフリカの覇権を争っていた両国だったが、結局、1960年代になって、次々と植民地が独立していく中で、最後までフランスが執着したのが、アルジェリアである。これには、理由があるのでが、この手の映画(『いのちの戦場』~アルジェリア1959~)も最近、見たので、機会があればまた触れることになるだろう。 

 この映画の話題からは、完全に横道にそれた。

 これは、バオバブという大樹と、その樹を中心にした、昔ながらの素朴な村人の生活を、淡々と描いたドキュメンタリーだ。品のいいNHK教育TVの紀行番組みたいで、退屈といえばかなり退屈な内容。よく寝むれたといえば、よく寝たて、リフレッシュできたぞー。
 何も大事件は起こらない。セネガルの田舎の村に住む、一般的的な家庭の12歳の少年を主人公に、バオバブという大木に見守られた伝統的な日常生活を、淡々と描かれているだけだからだ。珍しい生活といえば、日本人には、知らないことばかりである。たとえば、彼は、何十人もの大家族の一員だが、父には二人の妻と、そのそれぞれの子供たちと同居しているのだ。おお、いまだに一夫多妻制か。妻が二人いるなんて、なんかうらやましいぞー。でもなー。ぼくなど、ひとりの妻でも手を焼いているのに、これが二重になると考えると、なんか不吉で、おそろしいぞー。ああ、これもかなり余談か。

 少年は、貴重な男働き手として、毎日、農作業や牛追いを手伝いをしながら、コーラン学校という近所の学校に通っている。しかし、同じ兄弟でも、女の子たちは、公立のフランス語学校で勉強しているのだ。彼も、ほんとうはそのフランス語学校に行きたいのだが、その気持ちを、なかなか父親に伝えられずに悶々と暮らしいるのだ。

 そして彼らの暮らしの背景には、いつもどっしりと存在しているのがバオバブの樹なのだ。さまざまな形で、彼らの生活の糧になるだけでなく、信仰の対象として、また病気になると、この樹を拠り所とした祈祷師が頼りになるお国柄である。村人の誰もが、この樹に精霊が宿っていると信じているのだ。セネガルは、イスラム教の国であるが、同時に、このような民間宗教・アニミズムも色濃く残しているようだ。確かに、樹齢1000年ともいわれる、そんな霊的なオーラのある大木である。ちょっと、昔に、日本でもあちちこら(いまもあるが)御神木のようでもあり、同時に、もっともっと生活に密着しているのである。

 ところが、そんなセネガルの都市部では、急速な近代化が進でいる。そして、霊木であるバオバブの大木が平気で切り倒され、開発の波が押し寄せているのだ。

「バオバブおじさん。

 100年前、ぼくたちはどんな暮らしをしていたの?

 500年前、ぼくたちはどんな暮らしをしていたの?

 1000年前、ぼくたちはどんな暮らしをしていたの?」

 いつから、人間だけが、地球上のいのちの時間を超えて生きるようになったのか?

 温かな平和な映像に載せて、そんなメッセージが送られてくる映画たった。

 セネガルやバオバオの樹に関しては、リンク先の映画公式サイトで…。これだけでも、相変わらず、知らないことばかりですね。

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原稿書き~全徳施名のこころ

  ある寺院のイベントにお招きいただいたが、ついでに原稿も書けとの依頼があった。テーマが「南無阿弥陀仏」ということだったので、ちょうど華光誌に掲載した「全徳施名のこころ」をごく短くすることにした。もともと、この法話は、一眼レフカメラの購入の顛末の損得の話と、日曜学校で聞いた、ある坊守さんの「徳まんじゅう」とが、うまく合体したものだ。字数の制限が1600字だったので、華光誌をかなり省略した。〆切に間に合ったので、一部は華光誌と重複するが、ここにも掲載しよう。

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 ある坊守(ぼうもり)さんが、饅頭を分けたら大小が出来た。すると「トクある方を取るのは誰?」と言われた。どっちが得か? 大きいほうでしょう。わが家でも、見た目の大・小で、姉妹ゲンカ。大人には他愛ない話だが、これが遺産相続だったらどうなるか。兄が家と土地、弟は現金だが、その差が激しいとなると、絶対に揉める。お互いの伴侶も加わり、仲の良かった兄弟が争い、裁判沙汰にもなる。国と国でもそうだ。日本名の竹島はどの国に所属しているのか。日本の全体の領土から見たら、ちっぽけな面積だが、絶対に譲れない。何故か? みんな損は嫌だ。損するのは馬鹿者。得して幸せになりたい。だから、1円でも損すると、怒り狂い、傷つけ合って、「勝った、負けた」を繰り返している。智恵をつけて偉そうなことを言って飾っても、私の腹底は、子供の時の饅頭争いと同じで、何も変わってはいない。
 新年の年賀状も、ますますの「ご多幸」を祈る内容ばかりだ。結局、自分が得して、幸せになることが善なのだ。そして家族が健康で、平和で過ごしたい。その願いだけで生きている。つまりは「鬼は外、福は内」だ。鬼や不幸は外、福は内。嫌なものを自分から遠ざけ、幸せを招きたいという「攘災招福」(じょうさいしょうふく)の現世利益信仰が、花盛りだ。

 しかし、その得や楽を求めている私そのものが「間違っているぞ」と、身を捨てて言ってくださる方がおられる。私は、大きい得を取るのに必至だが、坊守さんの「トク」は、損得の得でなく、「徳」ということだ。それは小さい方に付いている。今は、損得の得だけ。少しでも効率よく、楽して得するのが幸せと、みんなが信じきって邁進している。しかし勝った、得した陰には、必ず損をして、泣いてる人がいる。馬鹿者と嫌われている人がいる。だから「喜んで損を取るものに、大きな徳があるよ」とおっしゃった。

 これが、私達の損得の物差しの世界とは、次元が全く違う仏様のお法りの心だ。常に損や嫌われる側を喜んで引き受けて、私に呼びかけて下さる大きなお徳を持った御方がおられる。ところが、私達は、それを馬鹿者、愚か者、負け組と言って遠ざけている。でも、その心で立派なご信心だけは都合よく頂きたいの欲は一杯ある。そんな愚かな私に向かい、なんと自分のご苦労されたお徳を全部封じ込めて回向して下さっているのだ。菩薩は百千万劫の間、馬鹿にされて罵られても、一度たりとも瞋恚の心を起こされず、またどれだけ褒め、賞讃されても、自惚れることもなかった。そして、一心にその真実心、清浄心で自らの行を励み続けて下さったのだ。どれだけ批判され、馬鹿にされ、無視されても、ひたすら自分の命を投げ出し、てのおを余すところもなく、全部まるまる南無阿弥陀仏という六字の御の封じ込め、私にそうといわれるのが、全徳施名のお心だ。すべて如来の大悲心から起こっている。
 世間の損得なら計算外の大損だ。しかも、施そうと願われている私は、そのお心を疑い、罵り、悪態ばかりついている。でも、この浅ましく、自分の欲得で、楽して得したいだけの私めがけて、「どうか、その苦しみの世界を離れ、我と同じ仏になっておくれ」という願いに貫かれたお方が、南無阿弥陀仏という聞き易く、称え易く、保ち易い名となって、自からがこの愚かな私ひとりのために、命を捨てて、わが腹底に飛び込んできて下さっている。これが私に届てくる南無阿弥陀仏の壮大なお心なのだ。

 せっかく人間に生まれさせてもらったのに、後生の一大事も問わず、ただ損得の幸せだけを追い求めて命終わっていては、あまりにも勿体ない。今こそ「南無阿弥陀仏」の叫びを聞こう。「南無阿弥陀仏」の命懸けの響きを聞くのだ。そして、その響きが耳に聞こえるなら、聞こえるまま「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と口に称えさせてもらおう。まさに念仏循環だ。全ての徳を余すところなく封じ込め、私一人に施された、名と体が一つになった南無阿弥陀仏を聞かずに、他に何を聞くというのだろうか。

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8月2日(日)に再放送

 今朝、華光同人の丸山顕子さんが、NHK第2ラジオの「宗教の時間」でお話されました。うっかり聞き逃された方、ご存じなかった方もご安心ください。来週、8月2日に再放送があるので、お知らせしておきます。

題: 「心は変わることができる~仏さまに出会って」

再放送:NHKラジオ第2放送

日時:8月2日(日)午後6時30分~午後7時

聞き手は、金光寿朗氏。

 金光さんは、西光先生や増井先生、そして長谷川晴保氏の、NHK教育テレビの「こころの時代」やラジオの宗教の時間に際して、何度もお世話くださり、聞き手になってくださっている方です。華光会館へも、収録にお出でになっています。今回も、不自由な体を押して、丸山さんの住居にまで、機材を運び収録されたそうです。

 http://www.nhk.or.jp/kokoro/future/index.html

 ところで、丸山さんは、生まれて初めて故郷を離れるのに際して、まずは、華光会館に住み込みで家事のお手伝いをされながら、いわば自立の訓練をされていました。そのころは、まだまだ精神的に不安定な時代でしたが、華光の先生方や同行、真宗カウンセリングのメンバーに物心両面からの援助もあり、会館を離れて、働きながら一人暮らしを始められましたが、その後の活躍の様子は、皆さんご承知のとおりです。

 また有縁の皆様にお知らせください。

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大雨の日の輪読法座

   午前中、葬儀や会議でキャンセルしていた自力整体に行く。雲行き妖しいかったが、自転車で出発。すぐに雨になる。帰路は強く降っている。夏休みに入ったのに、まだ梅雨明け宣言もなく、グズグズした天気が続いている。晴れが一転雨になったりもする。スッキリしないのは、まるで、○○さんのご信心みたい。(○○内には、各自、あなたがふさわしいと思う人の名前をお入れください。もちろん自分の名前も可)。雨具をもっていたが、風もあってかなり濡れた。それでも、寒い時に比べると、雨にうたれても不快感は低い。

 朝、父とTさんが、九州(福岡)家庭法座に出かけたが、「先生、長靴と、レインコートで来てください」と、昨夜電話があった。ちょっと大げさじゃないのかなーと思っていたら、福岡や北九州で記録的なゲリラ豪雨。会場の都心部でも、車が水没したり、商店街をボートで行き交っているニュース映像を見た。それでは、長靴の以前に、新幹線が停まってしまわないかを心配したが、今日はどうやら無事に到着したらしい。むしろ、明日の天気が気がかり。九州はまた大雨の予報。しばらくは、こんな天気が続くようで、久しぶりに天候不順の仏の子供大会となりそうだ。だいたい、この頃は夕立はあっても、晴天が多くて、猛暑対策が中心だ。でも、10年に一度ぐらいでこんな年もある。どうやら今年は雨対策も必要かもしれない。

 すぐ着替えて、華光誌輪読法座。10名と、少なめだった。でも、久し振りの方、輪読初参加者もあって、かなり突っ込んだ発言をされて、よかった。かりもんブログの話題がでる。アナログ派もおられるけれど、中にはコピーしてもらい読んでられる方もある。ブログ愛読者が多くてては、ヘタなことは書けないーという気分になった。

 「助けたい」の巻頭言を読む。

 一般の寺院での(本気の)布教について。冒頭を読むとに、半ばあきらめぎみで、難しいのが現状だということがわかる。しかし、この例であるようにご法を喜ぶ人も出て来る。だから、小さな判断で、ご縁のある、なしと決めつけないで、「あなたのことを助けたい、と願ってくださっているお方いる」ことを伝えることはできる。だから、自分とご縁のある人に、ひとりでもとご法をお伝えしていきたいものだとの決意で結ばれている。

 こうしてお伝えしようという先生も尊いが、それに答えて喜ぶ門徒さんが出ることも尊い。まさに稀有なことだ。ただし、今回の輪読の場などでは、この例の方よりも、もう一歩踏み込んだご法の受け取りが話し合われた。結局、この話には、助かるところや有り難いところは出て来るが、「では、あなたの後生は?」というところが、省略されている。確かに、阿弥陀様の「南無のおこころ」は尊いのだが、ではその南無されている「私」はどんなものかをお聞かせに預からないといけない。つまり「仏願の生起」のところである。

 もちろん、手が離れなくなったという現象が、不思議なのではない。真摯に聴聞していると、しばし超常的な現象も起こって来る。たとえば、今日の輪読の参加者にも、「南無阿弥陀仏」のお名号の、「南無」が突然、浮かび上がり、私に合掌し、頭を下げている映像が、リアルに見えてきたという方があった。そんな有り難いことは、ぼくにはサラサラなかったが、その方も、そこは握らなかった。でも、念仏が吹き出したり、手が離れなくなったり、神々しい阿弥陀さまが見えたり、(なかには地獄の業火目の前に見えたりもするが)、とかくいろいろとあるようだ。でも、有り難いものも、不思議と感じる現象も、決して、信心そのものではない。ところが、自力の厄介なところは、なにか欲しい欲しいと求めていると、そんなものをすぐに握って、「獲信」の証拠にしてしまうのである。ここが恐ろしい。

 実は、すぐに仕上がり、取り込み、良しとしたい私を引き破り、裸にしてくださるのが、善知識のほんとうの仕事なのである。ところが、悪知識に遭うと、すぐに印可(先生のよしという許可)を出して、獲信者を量産してしまう。我が弟子が欲しいからである。同行の方でも、証拠を出してくれる同行や知識のほうが楽だから、知らぬ間に共依存関係になってしまっている。

 結局、阿弥陀様のお働きは、隅に追いやられていくのである。その尊いお働きが、どんな奴にかかっているか。その「どんな奴」かを、私の上で徹底的にお聞かせに預かるしかないのである。

 「聖教のこころ」-五逆・謗法の私の為も読む。合わせて、信巻に引用された阿闍世王の廻心について、現代語訳で解説した。いつものことだか、いつ読んでも有り難い。結局、ここでしょう。単なる悪人のお救いではない。親鸞様は、阿闍世王の姿をまったく自分のこととして聞いておられる。私こそが、五逆・謗法で唯除されていると聞かせていただく。つまりは絶対に救われない身と聞かせていただかない限り、そのものをお目当てにされたご本願に出会うことはないのである。

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仏の子供大会モードへ

 和讃の作業ばかりしていたら、一気に、仏の子供大会モードへ突入。

Img_6303  今日は、法座案内と東京公開講演会のチラシの発送にも学生さんを助っ人を頼んでいたが、それとは別に、仏の子供大会の作業も行なう。追跡ハイキング下見もいってもらった。一応の追ハイコースがあるので、打ち合わせ後、スタート地点まで誘導。東福寺と泉涌寺に挟まれて母校の裏手から、稲荷山を一周するコースだ。写真では明るいけどれ、実際は、昼なお鬱蒼としてこの神社あたImg_6304 りからスタートするのか…。それにしても、表の大社と違って、このあたりはなんともオドロオドロしいぞー。キツネの霊験もあらたかか? まあ、後のコースは当日歩いてみてのお楽しみということで…。

 役割分担表を作ったり、打ち合わせしたりと子供大会作業に集中。華光の行事の中でも、準備などが一番たいへんだ。日数も3泊4日もあるし、水泳やハイキングなどの野外活動もある、第一、子供が対象なので、細々とした入念な打ち合わせや計画が必要。安全性のところは、行き当たりばったりでは困る。

 今年は、参加者が少ない。電話勧誘して、なんとか最低限の18名は確保できそうだ。でも、高校生以上の方が多いか? それなら、今年は、華光仏の大人大会!?   学校の行事やクラブ行事と重なったり(実はわが子も、学校の夏祭りと重なって、あまり勧誘できず)で、「今年は残念ながら…」という方が多かった。中には、「子供大会? いつあるんですか? ああ、家族旅行に行ってます」と、なんと無関心の方もおられて、ガッカリ。愚痴らせてくれー! ぼくは片腕になって活躍してほしいと念願しているのだけど、ここ3~4年は法座もご無沙汰だ。さすがに、この返事は、と寂しかったぞー。でも、まあ、これはこれでお終い。来年以降に期待しよう。それとは逆に、「今年は、無理です」と言われていた方から、「やっぱり行かせます!」という勇ましい返事。「やったね」と、うれしくなる。まあ、このあたりも悲喜こもごもの模様で…。
 時間をかけて準備し、お世話するのですから、一人でも多くの人に参加してもらいたいものです。

Img_6317  夜はマチャブチャレで、慰労予て会食して解散。お疲れさまでした。

 のろのろ青虫が、手水の淵を歩いておりました。 

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『築城せよ!』

 2作目の『サンシャイン・クリーニング』狙いで、あまり期待してなかった(近々までパスに入っていた)『築城せよ!』だったが、現在に蘇った武将の指揮のもとで、なんと段ボールで立派な城を造ってしまうという、奇抜で、ユニークな展開が、なんとも面白かった。

Tikujo_01  愛知県郊外のとある過疎の町。町長の場当たり政策で、高速道路を通したものの逆にスールされるだけで、かっての旧宿場町はますます錆びるばかり。昔ながら民芸品以外、これといった産業もない。それではと、城跡に戦国時代の城を再建しにようという大学教授や棟梁たちの町民グループと、その跡地に工場誘致を企む野心家の町長一派が対立していた。現地説明会のその日、ひょんな成り行きで、遺跡から400年前の戦国武将の霊が蘇った。そして、落ちこぼれの公務員(片岡愛之助)に乗り移ってしまうのだ。役場では、まったくうだつのあがらない彼が、築城途上で無念の死をとげた武将となって、「築城せよ!」と住民に命じるのだった。

 その後は、脇を固める芸他者の面々のコミカルなすったもんだがあるものの、この城主、なかなか立派なのだ。築城に固守するあまり、一族郎党まで巻き込んだ非業の死を遂げた経験を糧に、現代人にも適応(?)し、なんと、その材料に、段ボール!を選ぶ。これゃー、まさにホームレス大名じゃないですか。実は、彼はホームレスのアドバイスで、上辺(外見)ではなく、その中味が大切なんだとの言葉で、ほんとうに大切なものに気づき、成長していくのだった。ほほほー、ゼネコン中心にした旧来の箱モノ行政への皮肉やね。

 家臣の武将の霊にとりつかれた棟梁に変わって、大学で建築を学ぶその一人娘(海老瀬はな)を棟梁に、住民たちの前代未聞の築城計画が開始した。そこに、築城を妨害しよとうする町長の企みと対立しながら、果たして天守閣に鯱は掲げられるのか。 

 それにしても、段ボールで築城される城は、なんとも見事で、興味津々。

 しかし、この映画では、ここがうまく描かれないのが残念だ。実際の製作にも、いろいろと苦労があっただろう。その現実を踏まえたプロセスを、もっと丁寧に描いていたならば、数段面白いものになっのではないか。築城までの無駄話が多くて、そこからがあまりにトントンと進みすぎて、段ボール集め以外になんの苦労もなく、あっというまに一致団結し、完成するあたりは、なんともリアリティに欠ける。

 しかも、大学生(ある大学の記念事業で製作されている)のエキストラが多数参加するからではないが、命懸けの築城というより、ほとんど文化祭の巨大モュニメント作成のノリである。ぼく個人の思い出だが、高校のある年の文化祭でペガサスの像を、最後は深夜までかかって作成。ついに完成した時の、一体感や達成感を思い出したが、映像のノリもその程度の安っぼさを感じてしまったのが、なんとも残念。それというのも、作成のプロセスの具体例が飛んでいるからだ。

 もうひとつの映画の魅力は、城主役の異色の歌舞伎俳優、片岡愛之助の堂々たる古風な風格だろう。これがなんともいいのだ。堂々と「築城せよ!」と命じられると、みんな「ハハー」とひれ伏すだけの風格がある。また、初めて見たが、ヒロインの海老瀬はなもナチュラルな女子大学生を演じていて、悪くなかった。

 堂々たる戦国武将の口を通し、現在の行政や政治が抱えている、場当たり的政策の安っぽさや、過疎の実態である住民の孤立化などの問題に対して、忘れ去っられたすばらしさがあるのだよとの異色の提示がなされている。ちなみに、石垣を発砲スチロールで作られた25Mのお城に使われた段ボール、その数なんと1万2000個! といわれても、まったくピンときませんが…。

 愛知県と、豊田市その周辺の市町村が、全面協力しておりますが、その意味では、段ボール城映画で、町おこしは成功だったんじゃないかなー。 

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皆既日食と、仏の子供大会〆切

  皆既日食。残念ながら、全国的に好天のところは少なく、京都も雲り空。雲の切れ目から部分日食が見えた時もあったようで、学校で見てきた長女は、ちょっと興奮気味。ぼくは、専らテレビライブを見た。映像でも、不思議な感慨があった。最初、インドのバナラシ(ベナレス)からの映像だったけれど、アナウンサーも、「インドのバナラスというところでも見えている模様です」程度のコメント。そうなのか。今回の皆既日食は、陸地ではインドから始まってるんだと、妙に感心。それがネパールやバングラディシュ、そして中国などを経て、日本へ。(シルクロードではないが)、まるで仏教東漸みたいだー。それにしても、あのインド最大のガンジス河の聖地で皆既日食なんて、一層、神秘的だったでしょうね。

 さて、今日は、一日、事務作業。残念ながら、あまり和讃は進まず、事務方も連れ合いも休みで、専ら電話や来客の応答が中心となった。行事が終わったあとは、よく電話がかかる。さらに、仏の子供大会の〆切日だったので、そのことでも数件あった。口頭での予約もまだあるが、実際の申込みは、子供はたった10名しかない。このままなら、開催も危ぶまれるほどだ。15名以下なら班活動もできないし、最低でも、18名は欲しいのだ。ぼくも含めて、いまの先生方は、みなこの大会で育ち、仏青や支部を引っ張るまでに成長してくれている人ばかり。その意味では、この集いの意味は大きいのだ。お世話するぼくの方も、頑張らないと…。

 もし検討中の方があるのなら、ぜひぜひ、お申し込みください。今週一杯は、まだ準備で待てるので、早急に連絡をくださったり、至急、送金くださると有り難いです。以下のHPはあまり詳しくないですが…。別ですが、PDFで案内状も見られます。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/07/kodomo2009.htm

 ☆案内ついでに、今週の法座を軽く紹介。

1)7月25日(土)昼2時・夜7時~26日(日)朝9時

 九州支部家庭法座(山崎家) 

 増井悟朗先生のご法話と座談会

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/07/kyusyu2009-7.htm

2)7月25日(土)昼1時30分~5時

 華光誌輪読法座(華光会館)

 68-3号の輪読。巻頭言と聖経のこころをから入ります。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/07/rindoku2009-7.htm

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葬儀

  ブログを初めて3年が経ったが、初めて葬儀の記事である。

 導師をするのは、6年ぶりになる。

Img_6294  初めて夏の七条を着ることになった。へえ、会館にも、夏の七条があったんだ。すっかり忘れていた。昨夜は、少しリハーサルで着てみたが、それなりに覚えていて、ひと安心。 

 華光会は、生きた人を相手にした集いである。だから、檀家制度でなく、同人の皆さんも、それぞれがお寺をもっておれる。家の宗派は、浄土真宗でも、西ばあれば、東もある、興正派の方もおられる。浄土宗の方もあれば、禅宗や真言宗の方だってある。それどころか、現役の他宗のお坊さんまでもが、後生の一大事の解決する場として聴聞されている。その方のお一人が、いま、この社会で、真剣に生死の一大事に取り組み、体験的に聴聞しているところは、ここしかないのではないかとまでおっしゃっていた。

 ところが、そこに矛盾が生じる。当然、それぞれが、家の手次ぎのお寺さんがあるわけで、そこに葬儀の依頼をされる。ところが、華光でお育てをうけた皆さんにすれば、ただ勤行だけで終わったり、妙なご法話にガッカリされた方も多いようだ。もちろん、しっかりしたお寺さんもあるのだが、中には、年忌法要の時に、(関東地方で、バブルのころだが)お布施の金額を強要された方があった。そのあまりの法外(ぼくもびっくりした!)な値段に、憤られたのである。しかも、そんな方ほど、ロクに法話もされない。そんなお寺に、大金を払うのなら、なんとか華光の先生にお願いして、ご法話もいただけば家族にもご縁にあってもらえるし、加えてそれが華光会館に役立つのなら、一石二鳥ではないかとういのである。

 確かに、それはけっこうなことだ。でも、そうは都合よくはいかない。ここは、生きている人のたましいの葬式をするところなのだから、もし死者の葬式が多忙になって、本業が疎かになったら、収益性はあがるかもしれないが、普通の葬式仏教になり下がって、華光の存在意義はなくなる。だから、貧しくても、「武士は食わねど高楊枝」で、筋をとおさねばならない。決して、葬儀や法事が主流のお寺になってはいけないのだ。

 とはいっても、まったく葬儀や法事が無意味だとは思っていない。現実に、そのことをきっかけに聞法され、いまや同人になってくださっている方もおられし、家族の方へのご縁にも確実になっている。華光ならではの、ほんとうの意味でのみのりのある葬儀をする自信もあるのだ。そこで、ぼくなりに基準を設けて対応している。1)手次ぎのお寺がなく、2)家族の方も聞法されるご縁となり、3)行事と重ならず、4)そのことを十分に了解いただけた場合のみ、ご依頼を引き受けているのだ。だから、しばし、3)の条件のために法座優先で、「たいへん申し訳ないです」と、お断りをするケースが多々あるのだ。

 今回は、お通夜が法座に重なったのが、葬儀は都合がついたので、お引き受けすることにした。いろいろとご事情があって、禅宗の戒名(法名ではない)の方であったので、初めて禅宗の戒名を位牌に書いた。東大阪の斎場まで、大雨で速度制限もあって、80分ほどかかった。あまり大阪でお勤めしたことはないが、少し京都とは事情が違う点もある。それに、ここの火葬場の事情も違って、骨揚げまでに3時間もかかるのだ。12時の葬儀で、還骨勤行と初七日のご法話が終わったら、夕方の6時を回っていた。それからお斎があるので、昨晩から続くご遺族の方は、かなり心労のご様子で、申し訳ないぐらいだった。それでも、一緒に勤行し、お念仏し、ご法話も最後まで聞いてくださった。どんな時でも、聖典を持参して、一緒にお勤めしてもらう。故人といちばん親しいのは、ぼくではなく、ご遺族なのだから、専門家にまかせにしないで、共に心あわせてお勤めしてくださいとお願いする。坊さんとしては、ひとりであげたほうが早すくすむのだが、それでは意味はない。そして、合掌の意義を少し話して、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と称えてくださいというのだが、一番、これが抵抗ある。お勤めはまだ小さいな声でも出るようになるし、手も合わせて頭も下げられるが、「南無阿弥陀仏」の称名念仏は、なかなか声にはならないのだ。ただ、形だけなら、称名念仏とはいえない。これが一番大切なので、恥ずかしがらないでと、重ねて説明したら、一番、最後だけは、お念仏の声が聞こえて来るようになった。

 そこで思った。そのおいわれを求めようとしたり、そこを知る身になり、喜ぶ身になるなんてことは、稀中の稀。それには、どれほどの気の遠くなるようなお手間やご苦労があってのことなんでしょう。それがわが身の上に実現するなんて、なんと不思議なことなんでしょう。なんでも、当たり前にして、粗末にしているけれど、それでは、あんまり勿体ないよね。

 正直、最初は(法座の翌日で)気乗りしはなかったが、ご縁をいただくと、皆さんも喜んでくださるし、ぼくも有り難かくて、よかったなとは思わせてもらせてもえらる。おかげさまで華光も潤って、一息つける。ありがとうごさいました。でも、さすがに朝からだと疲れますわー。道も知らない場所だし、やはり法要に不慣れなので、それなりに気を使う。同じ疲れでも、日頃の法座の方が、ずっと性に合ってるよなー。

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最初は、いつも強い意志なのに…

  壮年の集いが終わりました。

  いつものことながら、法座が終わり、いまはどっと疲れている。

  特に、今回は、なかなか思うようにはかどらない「和讃」の校正作業に焦っていて、壮年の初日の午前中も、作業する計画でいた。外で仕事する予定でいたら、一本の電話。急な葬儀の依頼である。葬儀は、いつも急なのだが、実は、これまで檀家の依頼もなく、(実家の宗派が)禅宗の方からだったので、まったく想定外の依頼なのである。しかし、華光は、あくまで法座優先。それで、(華光会の収益事業の損得勘定も計って)、法座終了後日の「葬儀」は受けることにした。それなら、臨終勤行や通夜に関しては、他の先生に依頼することで、あちこちに手配をすることになった。いろいろと打ち合わせもあるので、和讃の作業どころではなくなった。もう始まる前から疲れてきた。

  なんとか法座が始まる。大勢のお参りだ。全体に一杯に車座になったが、二重にならないと座れない。 たぶん、70名弱はおられた。

Img_6290   法座の内容に関しては、またおいおい触れていきたい。分級座談や懇親会のやりとりなどでも、味わわせてもらっうことも多かった。二人の先生からの法話も、懇ろに阿弥陀如来のお心をお取り次ぎしてくださった。一口にテーマをいうと、南無阿弥陀仏の姿をよくよく心を得るということにつきる。阿弥陀仏が、なぜ、南無阿弥陀仏という六字の御名に姿を代えてくださったのか、そのこころをほんとうに懇ろにお聞かせいただいた。

   ところで、宿泊法座で疲れのは、もちろん、責任者として神経を使う点もある。(今回はなかったが)法話や分級座談も目配せがいる。でも、それだけではなく、原因は、法座自体より、その合間のところにもあるのだ。今回なら、準備段階で、いろいろと波瀾含みのこともあった。まあ、それはいいとして、始まったら始まったで、休憩や食事時にも、必ず会議や打ち合わせがあるので、これがけっこうハードだ。遠方の役員さんも多いので、宿泊法座の食事や休憩時間が会合になるのだ。今回なら、初日の夕方に役員・運営委員会、夜の法座が終わって、司会者・先生の反省会、そして、会計士の先生との今月会計報告があり、2日目の昼休みは、10月3日の東京公開法座と司会者研修会と会議、法座の間に4回に加えて、開始時と、終了後には、壮年の集いの打合せと反省会もあるので、これだけでもなかなか多忙なのだ。

  まあ、それは仕方がない。でも原因はもうひとつある。

  例外なく、懇親会の誘惑に負けてまうだ。特に、いまは、「和讃」の作業に悪戦苦闘で、予定より遅れているし、そこへ慣れない葬儀の依頼もあった。「絶対に12時30分の終了時には寝るぞ」と、連れ合いにも宣言して、強い意志を持って臨んだ。その意気込みや立派。ところかである。これも毎回のことながら、凡夫の酔った悲しさ…。勇猛果敢な思いは、あっというに打ち砕かれる。なんか、あの人に声かけたい、この人も気になる。初めての人とも一言くらいは…と、0時ごろからエンジンがかかってくる。別に酔っぱらわないが、やはり口も滑らかになる。それでも、12時30分には強制的に終了となる。ここが、ポイント!   当然、寝るつもりで、寝室に向かうので一階におりる。ここからがいけない。つい、ほんうとについ、フラフラと事務所を覗いてしまうのだ。なにかここから先は、ゴキブリがホイホイに引き寄せれるというのか、極重悪人が、知らぬ間に本願力にと引き寄せるというのか、覗いた時点でもうダメなのである。「なんや、この楽しげメンバーは…」と、いやちょっとご挨拶せんと失礼やなーと、ついつい入ってしまうのである。最初は、入り口に立っているのだが、しらぬまに座って、気がつくともう2時を回っている。今夜はすぱっとここでお開きになったけれど、あの確固たる意志はどこにいったのかのである。悲しいことに凡夫の意志なんて、少しの酒と、楽しい雰囲気で、コロコロと変わってしまうのだ。それが、素面なら、冴えていたら、スッキリしていたら、立派なものになれると思っているだが、うぬぼれもいいところである。いつも楽しく、迷いの苦しみに酔っているのである。まさしく、ちょっとしたご縁で、コロコロと変わるのはお粗末な限りだ。もしかすると、末とおらない虚仮不実のわが身を実感させられるために、飲んでいるかのようである。もっとも、別に翌日の法座に差し障ることもないし、もうすんだことを反省しても仕方ないので、「ああ、楽しかったなー」と、妙な罪悪感は持たないようになったのだが、結局、こんなことの繰り返しで、有意義な人生を無駄に終えていくのだろうから、悲劇というより、かなり喜劇でもある。

 でも、ほんとうに、「ま酔い」は楽しいでのある。

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なんとなく証空上人

Img_5990  連れ合いが、修士論文にかかっている。いままで見慣れない本が、本棚に並んでいる。テーマは、三願転入について、西山派の祖、証空上人と、親鸞聖人の往生観を比較である。それで、仏教大学にまで聴講に出かけ、西山(せいざん)短期大学副学長の中西博士に師事して、指導を受けている。最近、先生は、博士論文をまとめて、『証空浄土教の研究』という集大成的な著作を法蔵館から出されている。http://www.hozokan.co.jp/cgi-bin/hzblog/sfs6_diary.cgi?action=article&year=2009&month=04&day=02&mynum=492

 それが、例によって、彼女のオープンな性格が幸いして、今日の西山短大での授業で、『仏さまのプレゼント』のDVDを流して、紹介してくださったのである。彼女も、その授業に出かけたが、また、そのご縁で、西山派大阪別院から、DVD注文が5枚もあった。ありがとうございます。お客さんになってもらったからではないが、浄土真宗内で、証空上人が受けている一方的な扱いについて言及したいと思った。

  証空上人。

 浄土真宗ではある一部の人たちの間だけで有名な(?)、「小坂の善恵房」である。まあ、身も蓋もない話だが、今日、学術的に『口伝抄』にあるような、法然門下における「体失・不体失往生」論争を、歴史的な事実としては疑問視する声がある。『口伝鈔』自体が、真宗史学界で歴史的な事実として採り上げられてはないのだ。これは、学術的な探求が、歴史の座標軸を逆流しないからである。

   もしこれが事実なら、直接、親鸞聖人が言及されたり、浄土宗側や法然上人のものにも顕されなくてはならない記述であるのに、だだ、親鸞聖人から聞いたという如信上人から、また聞きをしたという形で、法然上人の言葉がイキイキは描かれているのにすぎないのである。 いまでいう、孫引きや伝聞という程度なので、二次的、もしくは三次的な資料の扱いになるのである。

  しかも、その背景には、親鸞聖人の偉大さ、業績を強調することで、(法然)…親鸞-如信-覚如という三代伝持の血脈を前面に、親鸞聖人を「本願寺の聖人」として神格化し、その直系、正統な後継者だという立場を最大限利用して、当時隆盛であった仏光寺などの他の門流に対抗するためであったことは、明白である。そして、もうひとつは、法然門下の諸宗を批判して、親鸞聖人の一流が、ただしく法然上人の正意を伝統していることを宣布する意義があったのだ。だから、面授口伝が前面にだされるが、直接、如信上人からの口伝は、19条と20条のみだとも言われている。残念ながら、覚如さんは、親鸞様には直接、お会いできるわけではないので、関東におられた如信さんが登場するわけだ。

  ところが、覚如上人には、その批判している西山義を取り込みにも熱心であった。重松明久著の『覚如』によると、一念業成、称名(念仏)報恩の強調、そして、親鸞聖人にはない、「機法一体」の教義、さらに、これも、直接的に言及されていない、「宿善」の強調などのオリジナルの部分は、かなり西山義からの影響や導入と思われるものがある。(もちろん、その萌芽は、親鸞聖人の上にも一部はある)。当然、これまで強調されてこなかった「宿善」は、本願寺留守職継承という跡目相続の反目もあって、唯善との間で宿善論争がおこっている。過去の宿善あつい者は、今生に善知識の教えに随順し、信心がおこり、往生が決定するというのてある。結局、覚如上人が勝利し、その後、その多くが蓮如上人へと継承され、たとえば、五重の義などが説かれるようになる。ただし、蓮如上人は、「宿善めでたしとはわろし。御一流には、宿善有り難しと申すがよく候由、仰せられ候」と、宿善の他力的理解も強調されているのである。

  結局、西山義を利用しながら、差別化のために一方で異端として排斥する、どこにでもある常套手段なのである。

 まあ、いまやごく通説なんですが、やはりここまで書いては不味いなー。
 平生業成とか、廃立為先などを強調し、いまや数少ない覚祖派を自認しているのに、その上人を貶めるような文章になってしまったか。まあ、これは、あくまで歴史的な背景や事実として聞いておいてくださいなと。覚如上人にしても、また新たに取り上げようとする動きもあるでしょうし…。ぼくとしては、『口伝抄』も、覚如上人からみられた親鸞様の姿としていただております。

  それに、もうひとついいたかったことは、証空上人のものや西山義を直接勉強しないで、一方的に、口伝抄だけの記述で、諸行往生と決めつけるのは危険だということかな。その意味では、ぼくもこのことに触れる資格はない。このテーマについては、連れ合いの方が、先輩である。写真とは別に、西山で仕入れてきて、わが家にも一気に証空上人の全集などが増えた。

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日・祝は「壮年の集い」

  19日(日)・20日(祝)と、まもなく、「壮年の集い」がやってくる。

  子供会や仏青ではなく、壮年が対象。

  でも、なかなかこの「壮年」の定義が難しいのだ。

  いや、年齢でハッキリうたっているわけだが、これがチョー微妙なのだ。

  実年齢て分けるなんて、厄介な問題でしょう。この会が発足した初期のころ、案内状を送るのにかなり気をつかった。当初は、上限が60歳までだったので、この前後の、特に女性の方には、切実な問題なのである。すべての方の年齢まて把握しているわけではない。まだ40代や50代前半の方なら、まあわかる。でもね、59歳の方と、61歳の方って、見た目でのハッキリした線ありますか。「還暦すぎました」という札をぶら下げてもらわないかぎりわからないですよ。それに個人差もあるから、この個人差がかなり厄介。といって、その年代の女性に、「何歳ですか」と聞くのも、これまた失礼な話。まあ、いくら個人差があるいっても、新聞のオリコミチラシのように、「実は!わたしこれで65歳なんです!!」なっていう美肌効果をうたっている、「これ、合成ちゃうーん」と、修正を疑うような写真だってあるものね。まあ、普通は微妙ですよ。だから、ある支部内で、57歳の方に案内が届かないで、59歳の方に案内が届いたことがあって、「Bさんに届いたのに、わたしに壮年の案内がきませんが」なんて、嫌味なお叱りをうけたことがある。笑っておられたが、いま考えると腹の中は複雑だったでしょうね。ご本人同士は年齢分かってますらかね、Bより年寄りに見えるのかって!  「いやお若くて、まだ仏青かと思いましたよ」、なんて白々しいウソは、さすがにつけない。妄語やおべっかは、地獄行きの業ですから…。困ったね。

  逆に、チラシを直接手渡してお誘いしたら、「私、もう62歳なので、参加できません」と、寂しそうにいわれると、これまたつらいものがあった。

  一般的な壮年の定義を調べると、「成人としてもっとも体力、気力が充実しているとされる年齢で、伝統的に青年期を終えた、25歳から44歳までを指す」としている。でも、いまの感覚では、25歳はまだ青年期なので、青年期を30代前半までとった場合、35歳から49歳ころまでを「壮年」とするのだそうだ。
  ちなみに、厚労省の白書などの定義では、「幼年期0~4歳、少年期5~14歳、青年期15~24歳、壮年期25~44歳、中年期45~64歳、高年期65歳~」という区分されている。もっもと、高年期=高齢者で、いまやそこにご丁寧に「後期」まで加わっているけどね。

  ということは、華光の集いは、35歳~65歳が対象なので、正確には、「華光壮年・中年の集い」ということになる。おお、ぼくも、もう壮年期ではなく、中年期の仲間入れか。まあ、完全に中年なんですが、やはり現実を突きつけられると、なんか悲しいなー。

 ちなみに華光会の区分では、

「仏の子供大会」= 小学校3年生~中学3年生

「華光仏教青年会」=高校生以上(15歳)~40歳まで

「壮年の集い」=発足当時は、30歳~60歳から、いまは、35歳~65歳くらい。

 そうこの「くらい」が曲者で、毎年、かなりの拡大解釈がおこなわれて、最大20歳もサバを読んだ参加者もいたのであった。

  もともと、昔の青年組が子育てで離れ、久しぶりに参加してみて、同世代の働き盛りの世代が少なくてビックリされたのと、まもなく仏青卒業組を迎えて準備をしておこうという方々の思惑が一致して発足。最初は、今日の半分ぐらいの参加だった。でも、いまやこの世代の、しかも男性が、華光の主流ですよね。

  でも、「その上の私達はどうすれどいいの」と、その上の世代の方がすねられちゃった。年寄りはどこで聞けばいいのかって。「いえいえ、 心配ご無用。『唯除』されているのですよ。ほんとのお目当てということですよ」、なんてなだめたこともありましたね。

   まあ、いまや、「壮年の集い」の準備会合や第0回目の集いの経緯を知っている人も少数派ですが、微妙な年齢がからむだけに、いまでに罪作りの集いではありますが…。

  それならと、こんな提案したことも…。「壮年」がダメなら、「華光悪人の集い」としたらどうかなーとね。資格は、極重悪人でも、やや悪人でもかまいませんが、悪人限定。でも、みんな、自分を善人や賢者とうぬぼれているので、参加者が集まらないでしょうか。

  http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/07/sounen2009-7.htm

  宿泊・食事は、締め切っているが、まだ参加のみなら、可能なので、迷ってられるかたは、早急にお電話ください。分級座談会(4グループで、固定し、あらかじめ分る)がある。グループ分けをしたいので、なるべく早めに連絡を。

  ご参加の皆さん、楽しみにお待ちしています。

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丸まる3年

 昨日でブログ開始から丸3年が経過して、4年目に入った。

 これはこれで、ちょびり感慨深いものがある

 最初は1年を目標に始めた。次は10万アクセス。そして、ここまでやったら、3年は続けようと思っていたので、一応の目的達成したのかなと。当然、3年間分あるので、記事も1000件は超えている。 

 京都にいるときは、ほぼ毎日の更新している。われながらよく続いてるなーと感心だ。きっちりした性格が、ここにも現れてる。でも、これが継続している強みでもあり、また弱みでもあるわけ。なかなか適当に要領よく書けない。この性格は、いまやかなり中和されたとはいえ、どこかで強迫観念的な完璧主義傾向も残っている。それで、逆説的な話だけれども、法座でも、すべて感想は書けないわけだし、映画なら、5~6本に1本のペース、本は、30冊に1冊も書いていない。音楽に至っては、もっと触れてないだろう。それのどこが完璧主義なの?  実は、触れなかったことでも、かなり書きかけで途中で止めているものが、残っているのだ。ここが適当にできない所以なわけで、中途半端な 感想はエントリーできないでいる。よく考えると、ある種の自己撞着なんだよね。
 
映画や読書、講演や会合と、Outputよりも、Inputされる刺激のほうが、断然多いのだけれど、なかなか要領(つまりは自分の思い通り)にはいかないのだけれど、一方で、どこかで大目にみながらやってきたので、こうして続いているのかなーと。

 このあたりは、いまだに試行錯誤中。ここがもっとスッーとはじけると、また楽で、ライト感のある違った展開もあったんだろうけどなー。

  まあ、こんな感じの奴ですが、これからもおつきあいよろしくお願いします。

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私にも聞こえる!

Img_6287  梅雨明けはまだだが、今日の京都もずいぶん暑かった。

 雨の日以外は、京都市内は自転車で出かけている。午前中、自力整体の教室をすませて、二条の映画館まで。アスファルトの路面は一層暑い。ただ、冬よりはいい。あまり時間がないので、コンビニでおにぎりを買って、公園でお昼。こんな人工的な藤棚でも、緑があるとかなり涼しい。風が吹くと、気分もかわる。まさにお蔭の語源である。

 真夏日の強い日差しのなか、汗をかきながら自転車で帰宅したら、短いFAXが届いていた。

「先生

 詩上法話『全徳施名の心』、

  今、読ませていただています。

 阿弥陀様の声、呼び声が、

 私にも、聞こえます。

 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」

 名無しで、差出人の標示もない。誰からかな?と思ったが、いま、まさに称えておられるお念仏の声が聞こえてくる。

よくみると送り主がわかっきた。日高支部の方だ。「誌上法話」のことを、必ず「詩上法話」と、書いてこられる方があるからだ。

 耳を閉ざし、口も閉ざし、そして心まで閉ざしている私目がけて、
 毛穴からでも飛び込んでくださる南無阿弥陀仏さま。

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『半身反義』と祇園祭の鉾

 京都シネマへ。ここ3、4年、週末2日間は法座。翌月曜日をOffにして、映画を2本(時に3本)観る生活を送っている。火曜日か木曜日にも、もう1本観ることも多い。

 今日は、日本映画を2本見た。『半身反義』『ディア・ドクター』。たぶん、皆さんに関心があるのは、『ディア・ドクター』の方だろうから、これは別記事にするとして、まずは脳梗塞で倒れた映像作家、山岸達児の半生をインタビューと、フィクション的なドラマ風で追い掛ける『半身反義』

Hanshinhangi_01  彼は、高度成長の日本の象徴であった、『東京オリンピック』(市川崑総監督)や『日本万国博』などの公式記録映画の主力監督(いわばヘッドコーチ格やね)参加し、同時に、最先端で、新たな映画や映像の可能性を探る実験的な試みを発表し、また後輩の育成に尽力した人物だ。最愛の妻に先立たれて、自身も脳梗塞で倒れ、意識は回復したものの半身不随となり、身寄りのいない彼は、いまは特養ホームで生活している。前半は普通のドキュメンタリーだったが、後半は、彼の心象、半生を顕すような、日本の高度成長と、彼の半生をイメージした再現ドラマの展開になっている。うーん、ある種、半分半分の半身がこの作品がウリなんでしょうが、正直、ぼくにはこのドラマ部分が稚拙な感じがしたり、作者の自己満足的な匂いがして、あまり乗れなかった。それは、映画の意図が理解できなかったということになるのかもしれないけど、感性が合わなかったので仕方がない。やはImg_6259_2 り、華やかな前半生よりも、孤独で、半身付随で、思いのままにならず、ただ死に向かう老病の現実にこそ、真の人間性があらわれて来るので面白いと思った。
 高度情報化社会での映像の果した役割と歴史、そしてその可能性は、イメージのもつ無限の豊かさと共に、権力者には、強力な支配の武器になる恐ろしさは感じたけどね。

Img_6258  ところで、映画館は四条烏丸にある、COCON烏丸。この時期、ビルの周りは祇園祭の鉾に囲まれている。7月1日から1ケ月続く祇園祭だが、メーンの山鉾巡行に向けて、鉾や山が組み立てられていた。2年前にも、同じころにブログっているが、今日は、岩田山のそれに出会った。やっぱり、祇園囃子が聞こえ、雅びな雰囲気いいよね。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_9f36.html

  手近な長刀鉾(上写真)、函谷鉾、月鉾(右写真)、鶏鉾と、船鉾(左写真)などを少し見て回って、例によって、マノImg_6271_2 アマノによって、少しだけ映画のことを話しながら、お茶を飲Img_6274_2 んだ。

 梅雨明け前なのに、暑い一日だったなー。

 Img_6279_2

 岩田山は、保育園児の曳き初めだったようだ。

 

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おみくじ

 高山の翌朝は、日曜礼拝。華光会館も、京都支部法座と行事がつづく。

 いつも昼の開催だが日程が取れずに、午前中だけになった。午後からの仏青の準備があり、一部の仏参のみに参加。
 無理なお願いをする現世利益の神仏信仰ではなく、阿弥陀様の願いを聞く、真宗の正しいみのりについてのご法話だった。わざわざ、おみくじまで引いきて、いかに欲望を肥大させる現世利益信仰が無意味かを具体的に示してもらった。

 ただ、出来れば、「因果の道理」という点にも触れて、そちらかちも現世利益の神仏信仰の無意味さを教えてほしかった。真実信心云々をいう前に、間違った迷信や邪信、欲望を肥大する現世利益の信仰の誤りを、まずは、浄土真宗の宗風や知識だけでもいいので、知ってもらいたい。真宗は阿弥陀様一仏。神様信仰などの二心はない。おみくじや御札、占い呪いとも、明確な一線がある。そのところは、ハッキリ伝えたほうがいい。もしも感情云々を問題にするのなら、おみくじを引いて「凶」が出たら、誰だって心のどこかに気持ちは悪いものだ。厄年だって、なんとなく気になる。そんな程度の人でも、みんながお参りするから右にならえとなる。初詣もしかりである。なんとなく訳のわからない気持ち悪さが、原動力なっている。そして、ほとんどが訳がわからないままにお参りしているのならば、そんなことはまったく意味がないことを、子供の時から正しく聞いてほしいのだ。仏教からみれば、神様だって迷っていく存在なのである。そして、いまは廃れている正しい三世因果の鉄則に立ち返って、自因自果の厳然たる世界を聞かせてもらう。そのためには、不要なものは不要、南無阿弥陀仏ただひとつとい点を、ハッキリお伝えしていきたい。

 午後は、仏の子供大会の法話検討会を兼ねた、仏青例会。残念ながら、参加者はすくなった。ふたりの先生がご法話された。ところが、その合間に、熊本の古参同人の訃報と、お預かりしていた保育園児の帰路での緊急事故(これは動搖した)という、ふたつのゴタゴタが入ってきて、かなり中座することになってしまった。しかも、不思議なことに、法話は、亡くなった同人の話題がメーンとなる話だった。まったくの偶然だが、その内容も尊く、真実信心のありようの醍醐味を語ってくださったように思えたので、項を改めて話題にしたい。

 その仏青の終了後も、夕食を挟み子供大会の打ち合わせ会と続いたので、いろいろな意味ですごく疲れた1日だった。

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夏の高山支部法座

 珍しく平日法座。日程の都合で、日曜日の都合がつかなかったのだ。

 観光シーズンもはずれた、平日の昼下がり。しかも、ひかり号。新幹線も当然、空いているだろうと、自由席にした。

 ところが、コンコースについて! 修学旅行の団体客とかち合った。中学生が多いようだが、あまり公共マナーがよいとはいえない。というより、日本人は、大人でも大集団になればなるほど、かなり強引に振る舞うようになる。まさに多数者に属することこそが力なのである。人の隙間を縫ってホームへ。で、ここでさらに! ここも制服の列がつづく。下りは人影がないのに、東京方面のホームはごった返している。そう、例のブタインフルの余波である。とてもナンセンスな修学旅行中止のあとで、1ケ月遅れで、観光シーズン前に、修学旅行生が京都にもどってきたようだ。自由席のあたりも学生がベタッと座っている。一瞬、これはと思ったが、こんな大人数が一般車両に乗れるはずがない。閑散帯にあわせて、次々と修学旅行専用の臨時列車が入って来るのだ。人込みのせいで、ちょうどホームに入ってきたのぞみ号を逃した。まあ、次ぎのひかり号でよかったのだが、今度はどこまでが並んでいる人なのか区別がつかず、座れるかどうか心配になってきた。でも、乗車した人は少なく、車内も予想どおりのすき具合。Img_6230

 名古屋駅でひだ号へ。自由席で並んでいると、今回の参加者に声をかけられた。車両は離れているらしい。

 例年、冬の飛騨路しか知らないので、この季節のImg_6235 車窓はまた新鮮。水かさも多いが、いまはどんより曇っている。かなり以前購入したままだった、『さよなら、サイレント・ネイピー』を興味深く読み進む内に、高山へついた。

Img_6246   いつものようにF家でお世話になる。高山駅から、車で15分弱という感じだが、途中、晴れていれば、乗鞍や御岳がきれいに見える。いつも冬なので、雪の光景が多いので、田んぼが青々しているが珍しかった。法座の前にF家と、そのまわりのご紹Img_6239 介。国道に面して、対岸を高山本線が走っているが、一歩道をはいると、山や農地が拡がる。目の前の飛騨川(このあたりは、益田川?それとも宮川?)は、数年前の台風で氾濫し、大きな被害をもたらしたので、護岸工事が進み、少々風情はなくなったが、川面の風が心地よくし、朝晩はかなり涼しかった。この川が合流し、富山湾へ流れ込むと、神通川になる。

Img_6245 法話は予定どおりの内容で、3座。「仏に成る」という統一したテーマでのご法話になった。宿泊参詣は2名だけだったが、平日にもかかわらず初日は30名、2日目も、22、3名のお参りがあった。これまでご縁のなかった方が、3、4人とお参りがあったが、その中には、特に、前任先生である早川先生のご縁にした女性が、なんと50年ぶり!に、お参りされたという。そして、「50年ぶりに、ほんとうのご法話を聞かせていただい」と感激されて、無理だったはずの2日目も顔を出された。

 平日なのでお参り出来たという方もあったが、全般には高齢者も多かった。その中でも、熱心な新顔のお参りがあるのも、故人となられた善知識のたゆまぬご教化のおかげというしかない。すぐに目先の繁盛だけで一喜一憂してしまうが、こうして、一度、心に染みついた教えは、50年の時をへても、ご縁によってまた芽を出していくのである。それもまた、過去世で多くの善知識や如来に出会い、尊いご法縁を結んでもらってきたのおかげなのである。それが宿縁となり、いまの法縁へとつながっているのである。ほんとうに、いま一座のご法縁は、けっして当たり前ではなく、稀で、尊いものなのであるが、しかしながら、この有限の目先の知恵しかない、この泥凡夫の私にはそれがわからない。だから、如来さまの尊い命が捨てあることも知らず、自分の都合で文句を言い、駄々をこねていくのである。

 でも、どれだけ、愚痴ろれようが、ひねくれようが、居眠りをしようが、悪態をつき計らおうが、阿弥陀様は、この私がここまで来たことを、諸手を挙げて褒め讃え、喜んでくださっているのである。勿体ない。

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宿善の機は捨てもの

 法座のあとの懇親会で、求道中の方が、「『宿善を捨てる』ということはどういう意味ですか?」と、質問された。

 先輩同人にそう言われたというのだが、「宿善は積むもの」だと思っていたので、さっぱり意味が理解できないという。それで、質問に即答する前に、いまのご心境を尋ねてみたいと思って、

 「阿弥陀様を疑っていると思いますか」と、尋ねた。

 「いいえ。もちろん、私は信じています」とのお答え。

 もしその程度のご聴聞なら、この問いかけを理解するのは、難しかっただろう。

 真宗の信疑廃立の疑いは、世間的な「信じている」「信じない」という相対的な信ではない。他力回向の信は、私が確かだと絶対に信じる信でも、「ほんとうな ? 」と疑問いだくことを疑いというのでもない。「私が信じる」ことを根拠している限りは、無根の信とは言い難いのだ。「南無阿弥陀仏」まことに出会って、迷いのたましいの葬式がすまないことには、どんなに強く信じている訴えても、疑い=自力のはからいで、弥陀の本願をはからっていることになるのだ。 

 とはいっても、この方は、まだそこまで一足飛びにいきそうにはない。それで、理解を得るために三つの心(黒い心、白い心、暗い心)を説明して、『念仏の雄叫び』の暗い心のところを読んだ。

暗い心というのは、このもらいものの「白い心」を、自分の側で製造しようとする、大それた心です。暗いというの、後生に向かって暗いという。この暗い心は、真剣に求道聞法しないと気付かない。また問題にもなってこない。自性の黒い心にきづかされてくると、因果応報のどうりで、今まで問題にしなかった地獄、後生が問題になっくてる。また遠くに眺めていた無常も、身近に感じられるから、「後生は?」となると、不安な心もでてくる。それで、なんとかしようと、お救いに手をです。しかし、安心ができない。だから、なお計らいをつのらせる。それでこれを「後生難儀の機」とも 、「本願疑情の機」ともいう。つまり疑いの心です。それゆえ、「捨てもの」といわれるます。

  反面、これを「宿善の機」ともいうのです。疑い、計らい、自力の心ともいうのは、捨てものなのに、なぜ宿善の機というのか。はじめに、真剣に聞法求道せぬと、気付かないと申したように、この暗い心が、心配になり問題になるまでには、随分とお育てのお手間がかかっている。私の性得(しょうとく)の黒い心というやつは、お救いなんて問題にする心でない。「仏法を聞こう、後生が大事、信心や念仏じゃ、これでいいのか、どう聞けばよいのか」などと、殊勝にしんぱいする心など、ツユ持ち合わせてはない。それが苦になる心が出て来るから、宿善の機というのです。
「どうぞ、聞いておくれ、どうぞ、どうぞ」の仏願が、無漸無愧の悪魂ににじみ出、浮かび出てくださった心です。とても、私の甲斐性で知られたのものではないのです。それだのに、そこを思い違いをして、お育てのご恩を横取りにして、なんとか晴らそうにかかる。それで、また「捨てもの」ともいわれる」

  そして、そのあと、黒い心、白い心の二面に働きかける暗い心の働き、仏敵の心について詳細にお示しされるので、よく熟読ください、とお話したら、

   「いろいろと捨てるものがあるんですね」との感想。

  いや、捨てるものはひとつしかない。自力の心というのも、宿善の機というのも、疑いというのもは、そして暗い心というのも、ひとつである。でも、そのたったひとつのしぶといしぶとい仏敵のために、「私は信じています」の心で、南無阿弥陀仏を疑い続け、迷いに迷ってきたのである。

  これは、『念仏の雄叫び』の「宿善を捨てる(P159)」の項目にもあるのだが、この心こそ、私の聞法、求道の原動力のようなものだから、それを捨てることはま,ことに惜しい。だって、念仏や聴聞を捨てたら、地獄に落ちねばならないのだものなー しがみついていたい。でも、自分の都合や手柄はよく見えるけれども、そのおおもとの阿弥陀様の願いは、まったく無視して、いつも自分の都合で考えることができないのである。

  実はその心こそが、わが心をあてにしている自力心なのだ。

「自力のこころをすつというは、ようよう、さまざまの、大小聖人、善悪凡夫の、
 みずからがみをよしとおもうこころをすて、
 みをたのまず、
 あしきこころをかえりみず、
ひとすじに、具縛の凡愚、屠沽の下類、無碍光仏の不可思議の本願、広大智慧の名号を信楽すれば、煩悩を具足しながら、無上大涅槃にいたるなり」。

と、親鸞さまも仰るが、どこまでも、自分の「よかった、悪かった」に固執し、そのこころで弥陀の本願を聞いているのである。
 「有り難いお念仏が溢れて」よかった。 
 「阿弥陀様のご苦労が身にして」よかった。
 「またっくシラケた心しかないから」ダメだった。
 「熱心なお勧めなのに念仏がでないかったから」悪かった…と、
結局、阿弥陀様の尊いお心に触れても、なお自分の「よかった、悪かった」とやっているだけだ。実は、有り難くなろうが、しらけようが、「私」が判断しているすべてが、まったく役に立たない自力の心だとお聞かせに預かっていくしかないのだ。しかし、立派な、ハッキリした信心をいたがねばと、阿弥陀様のご苦労を足蹴に頑張っている。その頑張っていることこそが、地獄行きの自己の値打ちを忘れた邪見驕慢の姿にほかならないのである。

「邪見驕慢の悪衆生

  信楽を受持すること甚だもって難し」。

 私の力では自力は捨てることはでいない。血は血で洗えないのである。つまりは、絶対に私は聞き開けることはないのである。

 ならば、「どう捨てるのですか?」と、質問する暇があるのなら、小さな喜びや信心にしがみつかずに、真っ逆様に落ちていくのだ。

 それが、宿善を捨てることじゃないのかなー。  

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今週は盛り沢山

 今週から、和讃の校正に入った。とりあえず、浄土和讃のみである。

 講義のためのプリントなので、かなり省略されていたり、荒い表現も多い。本来は、その大部分が口頭で補われていたわけてある。といって、気になる箇所をすべて補足していると、ますます大部になってしまうので不可能。とりあえず、階層化と、格段の様式を統一していく作業で、不足分を補っていく程度に留めたい。やっと手をつけだしたところなのだが、なんとかなりそうな気はしている。追加は最小限と思っていても、せっかくなので手を入れたくなってくるなー。

 さて、今週末は、大きな宿泊行事はないが、その分、小さな行事が目白押しで、大忙しである。特に、華光会館では、京都支部、日曜礼拝、仏青法話会と続くので、若い人のお参りが増えるようだ。

1)高山支部法座:10日(金)夜7時~11日(土)朝9時~、昼1時~の3座

 内容:高山支部法座は、年に4度で、いつもは3月と12月の寒い時期にお世話になっている。今年は、初の試みで7月に法座を加えてもらうことになった。ただ、日曜日の都合が付かず、平日の夜にかかっている。遠方からのお参りは少ないようだが、その分、高山支部の方にじっくりかかわれるのは、いいんじゃないかなー。法話のテーマは、「仏のなる木」、「凡夫が仏になる」の2座に、68-3号(最新号をご持参ください)の『全徳施名の心』の輪読を予定している。「仏」ということで、統一したテーマになった。ちょうど、仏の子供大会のテーマも『仏さま』で、偶然の一致。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/07/takayama2009-7.htm

2)京都支部法座:11日(土)昼1時30分~5時

 会場:華光会館(3階研修場)

 内容:先生をお招きせずに、お同行さんの講話と座談で進行。 前年に引き続き、『聞くということ』がテーマ。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/07/kyoto2009-7.htm

3)日曜礼拝:12日(日)朝10時~12時

 会場:華光会館(2階道場)

 内容:土曜日の京都支部と連続で、日曜日は日曜礼拝。今月は、子供大会の関係で、日曜日の予定が付かず、午前中のみ。開始時間にご注意!

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/07/nitirai2009-7.htm

4)仏教青年会:12日(日)昼1時30分~4時30分

 会場:華光会館(3階研修場)

 内容:子供大会前の恒例の、若手先生による法話会。子供用と思って侮るなかれ。毎年、聞かせていただきます。今年のテーマは『仏さま』
 終了後、子供大会のお世話役先生で、打ち合わせ会も行なう。よく考えると、金曜日・土曜日に加えて、日曜日も朝、昼、そして夜までと、大忙しの日程になってしまった。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/07/bussei2009-7.htm

5)大阪支部法座:12日(日)昼1時30分~4時30分

 会場:生駒市:セイセイビル(近鉄生駒駅前5分)

 内容:日曜日はもう一つ、大阪でご法座。と言っても、会場は奈良県生駒市。増井悟朗先生がご講師。奮ってお参り下さい。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/07/osaka2009-7.htm

 あと、法座案内には出ていないが、

6)東海支部座談会が、12日(日)昼1時~5時、碧南市のお寺で開催。詳しくは、東海支部か、華光会館にお問い合わせの上、お参り下さい。

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『幼獣マメシバ』+『ユアン少年と小さな英雄』~最近みた子犬たち

 映画館で予告をみていたら、「ハチ~」と、駅から出てきたリチャード・ギアが言っていた。忠犬ハチ公のハリウッド・リメイク版だ。『ギルバート・グレイプ』、『サイダーハウス・ルール』、そして『ショコラ』と、ラッセ・ハルストレム監督は好きなのだが…。これは、ちょっとご勘弁いただきたいという雰囲気。

 でも、何も忠犬ハチ公は、日本だけの話しでないことを、昨日知った。
 洋の東西をとわず、忠犬はいるんだなー。

405pxgreyfriarsbobbyedin_2   みなみ会館の会員招待で『ユアン少年と小さな英雄』を見た。 

 1858年、エディンバラのスコットランド。ジョン・グレイ巡査が、教会墓地に葬られた。彼の飼っていた忠犬は、死去するまでのなんと14年もの間、亡くなった主人を側を離れず、その墓地を守り続けたというのだ。そんなボビーの姿を一目見ようと各地からたくさんの人が集まり、今日でも墓地には花が手向けられ、また渋谷駅の忠犬ハチ公像のように、スカイテリアのボビー像が立って、観光名所のひとつになっているそうだ。(ネットで見つけた銅像の写真を転載したけれど、ちょっと怖い感じだー。映画の犬はかわいかったです)。

Yua4  映画は、19世紀のスコットランドを舞台に、その忠犬(テリア犬ボビー)の実話をもとに、当時の下層階級に劣悪な社会状況をまじえながら、小犬を通した、ひとりの少年の成長を見守る心温まる物語に仕上がっていた。

 地元の警察官ジョン・グレイが飼っているテリア犬、ボビーは、逃走した牛に立ち向かったり、強盗犯との格闘したりと、愛くるしい小さな体ににあわず、勇敢な名犬だ。この犬に愛着を感じたのが、近所に住むユアン少年。母子家庭で育つ彼は、シャイな男の子。貧しくて、学校にはいけず、小さくして過酷な工場勤務を始めるであろう少年に、グレイは書物を与え字を教えた。唯一の友がボビーだ。

 ところが、飼い主は若くして病で帰らぬ人となる。ユワンはボビーを引き取ることを託されていたが、ボビーは、エディンバラの教会墓地に眠る主人のそばで暮らすことを望んでいた。だか、教会墓地には、犬を持ち込むことは、法律で禁止されていた。さらに、貧しいユワンの上に、過酷な試練が次々と遅いかかるのだった。おお、このあたりはスコットランド版「男おしん」物語。かわいそすぎるぞ。

 彼らは、豊かな資本家が、貧しい労働者を搾取し、さらに下層のひと達は、十分な社会資本の恩恵も、教育の機会も得られず、劣悪な環境の中で生きるしかなかったのだ。そんな資本家や権力者に対して、正義感に燃える神父がひとり立ち上がった。彼は、教会墓地の管理人でもある。彼の説教の合言葉は、なんと「Change」(変革だ!)(=ちなみに、オバマさんより、2005年のこの映画の方がずっと前)。そして、ホビー目当てに訪れる、多くのひとたちに、旧市街の現状を謳えるのだった。当然、守旧派にとって邪魔者のボビーは、あらゆる手を使って排除されようとし、とうとう法律を立てに飼い主不在の野良犬として、処刑されることになるのだった…。

  だが、ユエンの機転と勇気によって、思いも寄らぬ強力な助っ人があらわれるのだった。

  まあ、こんな感じかなー。要は、「小動物に、子供。過酷な試練と、成長…」、ありふれた人気の出る要素は一応揃えておりますが、それなりに良質でした。

Mame   ついでもう1本小犬つながりで、テレビ版もあり、ヒットしている『幼獣マメシバ』。これもみなみ会館で見た。

 生まれ育った小さな町から一歩も外に出られず、両親の実家で暮らしている、35歳のオタク、ニート男。ところが、人生なんて半径3キロ以内で事足りると信じ、自分の部屋で、パソコンと、うまい棒に囲まれて生きていることこそが、彼の安心、安全のリアリティーのある世界なのだ。ところが、彼の父親が突然の死亡。しかも、それを機会に、母親までが失踪してしまう。まるで、幼い日の隠れん坊で、鬼に見つけてもらうのを待っているかのように、彼女も居場所のヒントになるハガキがせっせと送ってくる。そして、もうひとつ彼のもとに届けられたとんでせないもの。それが、かわいいマメシバ(豆柴犬)だった。このマメシバに導かれ、親切な友人に出会い、母を訪ねて三千里(?)の人生初の珍道中が始まっていくわけ。

 ちょっとご都合主義でもあり、またはステレオタイプで閉じこもり男を描いているようでもあるけれど、かわいいワンちゃんと、彼の存在が、面白いと思えば、これは十分楽しめるでしょうね。ある種、鋭い観察力と、屁理屈の能力は人一倍で、存在そのものがユニーク。でも、あまりにも繊細、あまりにも微妙な人の空気まで読めてしまうんですね。こんなに感じすぎたら、確かに人づきあいはしんどいだろうなー。

Img_6177 もし、大のワンちゃん好き以外の方は、テレ ビ上映された時に、お暇ならご覧ください。わざわざ映画館に行ったり、DVDまで借りなくてもいいかなーと。テレビの題材としては、面白くて、良質と感じたけれど…。あと、大の中年ニート好きの方は、ぜひ映画館で。

   おまけ。この子は、先日撮影させてもらったM家の愛犬「願」ちゃん。でも、願ちゃんに「ブログに素顔を載せてもいい?」と、了解を取り忘れたので、後ろ姿のみでゴメンなさい。

 
 

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ディープな世界へようこそ

 親子3名で、伏見にある堀田医院へ。もともと、七を出産したあゆみ助産院の紹介で教えていただいた。

 長らくご無沙汰だったが、何年ぶりかに、七を連れて出かけた。このところ、足の後ろや腕ののアトピーがひどくて、寝る前や寝起きにひどく掻いているのだ。そのついでに、ぼくも、長年治らない首の後ろの湿疹をみてもらうことにした。

 でも、この先生、そんじょそこらの内科医じゃないことは分かっていた。それは以前からだったが、それがさらに進化しつづけている感じで、異様な迫力がある。

 現代医学の難病やガンの治療のために、わざわざこの小さな医院を訪ねる方も多いそうだ。でも、もし知らない人が行くと、さまざま妖しげなグッズや、飾ってある曼陀羅などに、ある種のいかがわしさを感じるかもしれない。もともとは、京都府大の大学病院で免疫学の先生だったようだが、西洋医学だけでの限界に触れて、東洋医学を始めとして、さまざな取り組みを始めれたようだ。たとえば、この先生の「ガン」への取り組みは、以下のHPで読むことができる。http://www.gan-jiten.com/store/06/post_13.html

 今日も、オーリングもあれば、ダ゙ウジング(かな? ぼくは門外漢なので間違っているかれしれないけど、水晶のようなストーンを振り子にしながら、いろいろと言葉に出して、波動を調べてられる)もある。連れ合いがはまっているホメオパシーとか、コウケントーなんかもOKなので、カーボン番号まで、「3001、3001、4008、4008…」なんかいいながら、振り子の乱れで、「5000番と3002番ですね」と言われた。最近は、パワーストーンというのか、宝石光線療法なるもにも力をいれておられる様子だ。

 ぼくの症状の原因を、食べ物や、洗剤、せっけん、シャンプーなどいろいろと調べられたが、やっぱり、食べ物だそうだ。特に、マーガリンなどの植物性の油は、先進国では禁止されているところもあるのでNG、あとは甘いものや乳製品、加工されたハムやウィンナー、油であげたものも合わないようだ。漢方薬の飲み薬と塗り薬がでて、あとは、オーガニックの亜麻仁油を勧められたので、購入した。

 圧倒されるほど、妖しい魅力満載。いわゆる、補完代替医療と呼ばれる分野なのでしょうが、西洋医で、ここまで真剣に治めておられる方は、まだまた少ないようです。あんまり、そんなことをも知らずに来ましたが…。世間には、それもご近所に、まだまだディープな濃い濃い世界が拡がっているんですね。

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広島家庭法座(1)

   夜9時前に、京都駅に着き、コンコースに出て、エッと驚いたことがある。

 「なんて蒸し暑いのだろう」。

 もう夜なのに、ムシムシしている。我が家に帰ってきても同じだ。1階の生活空間では、普段、クーラーなど使わない。それだけに、余計、京都独特のムシムシ、ベタベタした暑さが実感させられる。

 7月の第一日曜日は、高宮町のY家での広島家庭法座だ。

 いつもの広島法座よりも、ちょうど2時間早く家を出て、10Img_6211時30分に広島駅に集合。ジャンボータクシーや自家用車に分乗して、安芸高田市高宮町 のY家へ向かう。
 広島市街地を都市高速で結ばれた丘陵地を切り開いた広大なニュータウンが広がっている。まだ造成途中、高層マンションも見える。そこから中国縦貫道にはいると、周りは緑の一色の山の中を70分ほど走って到着した。周りは田んぼだけの米どころなのだが、山あり、川ありの自然豊かな場所だ。

Img_6207 毎年、7月第1週目に行なうことで、すっかり恒例になっている。もう5年目だ。遠方なのに、30名以上のお参りがあった。
 (例年、玄関から撮っているが、ことしは裏手からの撮影)

 暑い時期なのに、明け放たれた縁側から、川面から流れる風がとてもさわやかで気持ちがいい。クーラーがなくても、暑くない。さわやかなのだ。京都駅に降り立って実感したが、体感的に緑の少ない京都の街中より、5度以上は涼しいだろう。緑が多くて、かえるが鳴き、トンボやツバメも飛び交っている。開け放しにしていても、都会のように蚊に苦しめられることもない。

Img_6195  はちすは、少し咲きだしたところだ。あまりうまくとれなかった。一昨年は、見事に咲いていた。Y家の様子もわかるので、参考までに。→http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_4606.html

 おいしい昼食をいただいて、法座まで少し時間、Img_6196_2 ご近所探訪。まわりは田んぼなのだが、建物といえば、Y家の他は、裏向いが旧町役場、真横が市立のホールと図書館しかない。大きなハコモノに囲まれているので、ますます広々とした感じがする。

Img_6214_2   お!これはストーンヘンジか。謎のストーンのオブジェを、裏手で発見! なんだろう?

 さて、本題だ。ご法話は、「凡夫が仏に成る」。

 仏教は、転迷開悟の教え、つまり仏に成ることを目指している。その文脈でいうと、凡夫が仏に成るのが、浄土真宗ということになる。しかし、これがなかなか難しい。「仏」も「成仏」も誤解され、誤魔化され、いちばんの要が、曖昧に聞かれているのである。

 法話は、そのところに焦点(要)を当ててお話したが、その後の座談会(ご示談)も、焦点がキッチリあたって、個人的にはいいご法縁だった。如何せん、朝からの移動もあって、いまはどっと疲れた。今夜はこのぐらいで終わる。
 なんか夢の中にいるような長い1日でした。

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七夕音楽祭~ご近所歴史探訪編(1)~

Img_6181   今日は、毎年恒例の東寺保育園の七夕音楽祭。とうとう、下の子も年長となりました。

 でも、例年と違うところがある。

 それは、校舎の立て替えで仮住まい中。講堂が狭くて、二部制の演奏会となった。二部は、10時30分スタートで、年少、年中、年長と進むから、まあ、11時ごろでもいいかなーと思ったけれど、念のため、10時35分ごろに到着。ところが、もう歌声がしている。どうも、早く進行しているようだ。ほどなく、わが子たちの登場。講堂が一杯で、中に入れず、ドアの外から見学。でも、実は、一昨日、所用で、早いお迎えに行ったときに、ちょうどリハーサルの最中で、早めに見学してしまった。おかげで、立ち位置が分かっていたので、ビデオはバッチリ。練習が厳しい分、なかなか統率がとれている。コースラは、アッという間に終わり、後は少しお楽しみ会があって、結局、40分ほどで早めにお開きになった。それにしても、この時期の成長はすごいなー。わが子ながら感心させられる。

 ところで、ここは、東寺から西へ、羅城門と西寺跡のちょうど中間にある、西山(せいざん)派のお寺の敷地にある。すぐ近くを、東海道新幹線が走っているが、周りはお寺やお墓がやたら多い。以前、保育園をされていたので、狭いながらも、設備は、一応揃っている。

 ちょっと早く終わったので、あまり知られていないご近所の歴史探訪。

Img_6185  世界遺産として登録されている東寺、特に「五重の塔」を知らない日本人は少ないだろう。しかし、創建当時、その対の官寺として栄えていた「西寺」(さいじ)なるものがあったことを知っている人は、案外、少ないのではないか。ましてや、その跡をわざわざ訪れる観光客は、まずは稀だ。

 もちろん、西寺は現存しない。西寺跡Img_6184として児童公園になっていて、小高い丘に、西寺をしのぶかのように、2本の大木と碑文が立っているだけだ。やはり、東寺同様に、壮麗さを誇って大寺も、徐々に勢力が衰え、天福元年(1233年)には五重の塔を焼失。その後、再建されることなく歴史の舞台から姿を消していったという。周りには、大きな礎石も点在している。その周りで、子供たちが虫取りをしながら遊んでいた。

Img_5636   この西寺跡から、九条通りを、自転車で2分も行くと、有名な 「羅城門」跡がある。平安京の九条大路跡、都の南の端に位置している。早くに荒廃し、その後、鬼が棲むついき、鬼退治の逸話は有名だ。そして、芥川龍之介の小説「羅生門」、さらに黒沢明の同名映画もあって、世界的にその名は知られている。しかし、西寺同様、ここも見逃されるようにひっそりとしている。ほんとうに小さな公園に、申し訳程度の碑文と、解説版が残っているのみだ。実は、この碑文も、1895年-平安遷都1100年を記念して立てられたもので、歴史は浅い。しかも、歴史的には「羅城門」を「らじょうもん」と読んでいるが、城を「じょう」と読むのは、わりと最近のことで、本来は、「せい」と読み、このあたりの地名も、来生(らいせい)といっていたのが、転じたものだというのだ。いずれにしても、かって、この地に朱雀大路の南端に壮大な門があったとは、ちょっと想像しがたい。

Img_6191_2  この羅城門跡の入り口、九条通に面したところに、矢取地蔵という祠がある。
 1100年前の天長元年に、空海(弘法大師Img_6192 )が、神泉苑(二条城のあたり)で雨乞いの祈祷を行い、見事、3日3晩、雨が降ったそうだ。だが、そのときがライバルだった守敏(しゅびん)僧都に妬まれ、矢を射られたというのだ。しかし、その身代わりに矢を受けたのが、このお地蔵さま。何でも背中に傷があり、これがそのときの矢傷だという。いまや、ほんとうに粗末な小さな祠なのだが、やたら由緒はありがたそうだ。

 ちなみに、その守敏に、与えられたのが西寺。空海は、もちろん東寺だったのだから、これはかなり出来すぎの話。とにかく、二人の法力(神通力)合戦は、いまでも、格好のスピリチュアル系のネタになっている。

Img_6193  そして、この羅城門から東へ、やはり2分足らずで、東寺がある。国宝の「五重の塔」は、高さ約55メートル。もちろん、現存する木造の五重の塔としては国内最大だ。

 それにしても、現代でも東寺だけでも立派なのだが、ここに羅城門を挟んで、西寺にも五重の塔を含む大伽藍があったのだから、実に、壮観な風景が広がっていたのだろう。

 いまなお、この角の交差点は、名神高速道路のICを経由して国道1号線が京都市内へと続く、京の入り口に位置している。もっとも、昔は鳥羽街道からの入洛だったのだろうが、この道を通って、数々の歴史は作られてきたのである。

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『アライブ』~生還者~

  京都みなみ会館で、『アライブ』~生還者~を観た。

Ala  この事故の奇異さは、子供だったぼくも、シッキングで、センセンショナルな話題として、心に残っている。この究極のサバイバルは、たぶんにスキャンダルの部分のみが誇張されていたのだと思う。

 1972年10月の南米ウルグアイの航空機(正確には軍用機仕様)が、アンデス山脈で墜落した。山岳地での墜落に、生存者の確率は低かった。しかし、実際は、機体はバラバラになりながらも、大雪のために爆発や炎上を免れて、胴体がソリのようになって、雪上に投げだされていたのだ。その時点で、客乗員、45名の内、32名もの生存者がいた。彼らは、良家の子弟が通うウルグアイの大学ラクビーチームのメンバーと、その家族や友人たちだ。さいわい、無傷のものも多い。上空を航空機が通る。みな、すぐに援助は届くと確信していた。しかし、いつまで待っても援助はこない。そのうち、重症が次々と死んでいくという絶望の状況が襲いだす。援助も手当てもできぬまま、肉親が自分の手を中でこと切れていくのだ。それは、人の死ではない。食料もなく、一面ただただ広がる雪原と険しい山だけの、現実が広がる。彼ら以外に、生きものの気配すら皆無の厳冬の世界。それは、まさしく明日の自分自身の姿にほかならない。

 そして、10日後、絶望的なニュースが彼らに届く。唯一の情報源だったラジオが、捜索打ち切りの情報を流したのである。

 彼らはさいわい若かった。しかも、ラクビー選手としての体力もある。脚力ある数名が、救助を求めて出発した。しかし、たった一昼夜の野宿ですら、九死に一生を得るのごとくのありさまで、失敗に終わる。何一つの装備もなく、6m~10mの大雪の中、5000M級のアンデス山脈を、地図もコンパスもなく、そしてまったくあてもないままに、救助を求めることは、無謀以外の何者でもない。しかし、その無謀な行為以外に、彼らが助かる術はないのてある。(南半球の気候なので)春の訪れまでは、あと2ケ月は待たねばならない。

 さらに彼らに不運が襲う。17日目の夜、突然、雪崩がおきたのである。一瞬にして、機体ごと雪に飲み込まれて、リーダー役を含め8名が犠牲になる。

 墜落事故や雪崩で、多くの仲間が亡くなる。しかし、その死に規則性はない。まさに、アットランダムに襲って来るかのように見える。真横で、たったいま談笑していた友人が、そして後ろの座席で安からに寝ていた妹が、次ぎの瞬間には、もうこの世の人ではなくなっているのである。それは、人知で、生存者と、死亡者を峻別した基準を見つけ出すことはできないことを、彼らはまず痛感させられたのたのである。

 そして、その後も、寒さや食料不足で、体力を失い、亡くなるものが現れる。唯一の希望はあてのない援助の遠征隊を送り出すことだけだ。しかし、何度か命懸けの遠征が繰り返されては、ベース(機体胴体)にもどる失敗が続くのだが…。

 しかし、遭難から70日後、まさに奇跡がおこる。10日間ものあいだ、山岳での厳しい野宿をしながら、ただひたすら歩きつづけて、5000M級のアンデスの山々を何度も超えて、とうとう援助を求めることに成功したのである。

 遭難から72日間、16名(事故直後の生存者の半数)の男たちが、驚異的な生き残りを果たしたのである。

 まさに、現代の奇跡に、マスコミも、社会も色めきだつ。救助を求めて、フラフラになっている生還した男たちを待っていたのは、容赦ないカメラの砲列である。すぐに、興味本位のインタピューが始まった。「食料も皆無の状態で、72日間も、どうやって生き残れたのですか?」と…。

 奇跡的な生還のシーンは感動的だ。実際に、映像に残る、72日目に、援助のヘリコプターが到着した瞬間の、遭難者たちの喜びの表現をみているだけでも、涙が出るほど感動する。

 しかし、この事件を有名にしたのは、実は別にある。

 ~カニバリズム~

 そう、草木1本生えない極寒の環境で、食料の絶えた彼らは、死んでいた彼らは仲間たちの肉を食べ、骨を砕いて生き残ったのである。

 映画は、生存者の30年後の証言と、その証言をもとにした再現ドラマに、実際のニュース映像で構成されている。特に、この人肉食までのプロセスが興味深い。(映画を見なくても、上記にリンクした公式HPの生存者の証言者を読めば、その一端がわかる)。食料も尽きていく、援助のあてもない絶望的状況で、誰もの頭の中によぎっていた考えを、初めて口に出し、提案する。それが、頭の中の考えから、実際に行動となるまでのプロセス。そのそれぞれに葛藤や苦悩があり、いつしか神の恩寵(キリストの聖餐)として正当化されていく過程-それが、宗教的に昇華されたかどうかは分からないが-が、なんとも興味深いのだ。

 それにしても、人肉をガラスの破片で捌き、筋肉を取り、その断片を初めて口に入れ(当然、火もなければ、香辛料もない。生で食べる)たり、カルシウム不足で、その骨を砕き、磨り潰して飲み込み話を、淡々と、冷静に話す姿に、ある種の感銘を受ける。そんな彼らの最大の楽しみは、食後の「歯磨き粉のデザート」(そのものをなめる)。これが、美味で、かつ貴重のものなので、数ミリずつ分かち合い、時には争いにもなったそうである。

 実際、ヌクヌクとした食料の溢れたこの環境の中で、彼らを裁き、非難することはたやすいが、まったく無意味なことである。
 しかしながら、現実は、現代の人類にとって、最大のタブーを犯した彼らは、マスコミや社会の偏見と奇異な目に晒され続けることになるのである。

 神-人-動物を厳しく峻別するキリスト教の文化圏に比べると、仏教・儒教文化圏のアジアでは、多少の罪悪感が異なる気がする。たとえば、『水滸伝』などには、人肉饅頭や、切り刻まれて人を食そうとするシーンが、当たり前のように何度も登場する。子供心に奇異さを覚えながらも、ぼくの最大の愛読書だった。最近、篤く読んだ北方版『水滸伝』には、人肉饅頭屋は登場せず、このおどろおどろしさが半減しているのだが…。おっと、そちらに流れるとまたまた語りだすので、本論にもどるが、現代においては、洋の東西を問わず、人類最大のタブーであるには間違いない。

 もともと仏教においては、単に、人肉食だけでなく、生きとし生きる一切の有情を殺生したり、食することを禁じている。しかも、

 「山鳥の ほろほろと鳴く 声聞けば 父かとぞ思ふ 母かとぞ思う」(行基菩薩)

 そう、いま、食卓に並ぶその魚は、まぎれなくも、「世々生々(せせしょうじょう)の父母兄弟なり」なのである。しかしながら、悲しいことに、迷いの目には食べ物にしか映らず、今日も「うまい、まずい」と平気で、過去世の父や母を共食いしているのである。私の行いは、自分の心の善悪の理性で納まるほどきれいごとではすまない。まさに、「さるべき業縁の催さば、いかなるふるまいもすべき」、この恐ろしい身で、父を食らい、母を食らい、仏を食らって生きているのである。

 いま、話題になっている脳死の臓器移植の問題点にもどこか通じる話題だが、どんどん横道に逸れてきたので、今夜はこのあたりで。

 とにかく、いろいろと考えさせられる映画だったというとこで…。

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華光誌発送と、週末法座の案内

 華光誌68巻2号の発送作業。

 いつも3名の京都同人か、仏青の方にお願いして、6名で作業する。ただ、今日は、いつものメンバーと顔ぶりが違っていた。久しぶりの方、初めての方、中には、数十年ぶりの華光誌のお手伝いかもしれない方もおられた。6名いると、4時間足らずで作業は終わる。お疲れさまでした。

  休憩にお茶を飲む。水無月が出た。別にここに書いたからではないが、助っ人の方のお手製だった。おいしかった。2日遅れだけどね…。

 なお、華光誌には、

1)今年も華光会館である、7月31日~8月3日の『仏の子供大会』の案内状

2)9月19日、20日、21日の福井での『聞法旅行』(北陸同人との交流法座)の案内状

さらに、3)『念仏の雄叫び』の広告と10月3日の東京講演会の小さな案内の3枚が、同封されているので、お確かめの上で、せいぜいご参加ください。

  週末までにはお手元に届くでしょうから、お楽しに!!

  ついでに、今週末の予定はシンプル。日曜日に、華光会館と広島支部の法座。

聖典講座華光会館):7月5日(日)昼1時30分~5時↓

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/07/seiten2009-7.htm

広島支部法座(安芸高田市):7月5日(日)昼1時~5時↓

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/07/hirosima2009-7.htm

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浮浪者

 「お父さん、すぐ来て! 早く、早く」

と、連れ合いの緊迫した声が聞こえる。

 「どうしたの?」と、すぐに部屋から出たら、彼女が、あわてて応接間のドアを施錠している。そして、怖そうな声で、

 「変な人が玄関に入ってるわ。何かくれといっている」

 やれやれ、またか。その時間、たまたま事務所は誰も不在だった。こんな時は、男がでないといけない。

 玄関には、老いた浮浪者が立っていた。上は、ランニングシャツ一枚。

 顔を観るなり、「先生、熊本が出てきました。お金がなくて困ってます。食べてないです。何か恵んでください。お願いします!」と、「先生! 先生、お願いします」と、拝みながら、哀れな目でみている。

 普段、京都駅を根城にしている人たちが、内外国の要人や貴人が駅を利用する前に、一斉に取り締まりが行なわれる時などに、このあたりにまで浮浪者が流れて来ることがあるのだ。特に、ここはお寺なので、「雑用でもなんでもするので、お金がほしい」とか、「何か食べ物を恵んでください」とか、時には、「東北の○○に帰る金がないので、必ず返すので(返ってくることはない)少し用立ててほしい」とか、さまざまな形があるが、とにかく金の無心にくるのだ。ひどいものになると、予め電話で「相談したいことがあります」と予約をいれて、金を借りにきたこともあった(この人は、拘置所をでたばかりの暴力団を名乗って、最後は脅してきた)。それ以上に、二人組の芝居のはいったものもあった。

 どう対応するかは、その都度である。追い返すこともあるし、食べ物を恵むこともある。何がしかのお金をボケットマネーから渡したこともある。ぼくが子供のころには、台所にあげて食事を食べさせたこともあった。

 でも、基本は、静かにお帰りいただく。でも、今回は、たまたま食パンがあったのでそれを渡したら、「エー、あのお金は」と言った。もうこの時点で、ダメ。どうせ、呑み代か、パチンコなどに消えるのは分かりきっている。きつく叱って、追い返した。この人、たぶん、二度目なんじゃないかなー。

 それにいまは、インドで、哀れな物乞いにひつこくつきまとわれた。いっそうの哀れみを請うために、子供の時に親に指などを切っている者も多い。ほんもの(?)というか、プロというのか、そこまで徹底した人をたくさんみてきたので、やっぱり、これもただ哀れみだけではなく、何かこちらが出したくなるだけのサムシング・エルス(Something Else)がほしいものだと思った。その意味では、今日の人は、いま一つ勉強不足か。

   いずれによせ、強く追い返しても、また何がしかのお金を与えても、勝手に入ってこられた薄気味わるいのと、そして、いつまでも後味が悪さが伴うわのは、事実だなー。

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