京都みなみ会館で、『アライブ』~生還者~を観た。
この事故の奇異さは、子供だったぼくも、シッキングで、センセンショナルな話題として、心に残っている。この究極のサバイバルは、たぶんにスキャンダルの部分のみが誇張されていたのだと思う。
1972年10月の南米ウルグアイの航空機(正確には軍用機仕様)が、アンデス山脈で墜落した。山岳地での墜落に、生存者の確率は低かった。しかし、実際は、機体はバラバラになりながらも、大雪のために爆発や炎上を免れて、胴体がソリのようになって、雪上に投げだされていたのだ。その時点で、客乗員、45名の内、32名もの生存者がいた。彼らは、良家の子弟が通うウルグアイの大学ラクビーチームのメンバーと、その家族や友人たちだ。さいわい、無傷のものも多い。上空を航空機が通る。みな、すぐに援助は届くと確信していた。しかし、いつまで待っても援助はこない。そのうち、重症が次々と死んでいくという絶望の状況が襲いだす。援助も手当てもできぬまま、肉親が自分の手を中でこと切れていくのだ。それは、人の死ではない。食料もなく、一面ただただ広がる雪原と険しい山だけの、現実が広がる。彼ら以外に、生きものの気配すら皆無の厳冬の世界。それは、まさしく明日の自分自身の姿にほかならない。
そして、10日後、絶望的なニュースが彼らに届く。唯一の情報源だったラジオが、捜索打ち切りの情報を流したのである。
彼らはさいわい若かった。しかも、ラクビー選手としての体力もある。脚力ある数名が、救助を求めて出発した。しかし、たった一昼夜の野宿ですら、九死に一生を得るのごとくのありさまで、失敗に終わる。何一つの装備もなく、6m~10mの大雪の中、5000M級のアンデス山脈を、地図もコンパスもなく、そしてまったくあてもないままに、救助を求めることは、無謀以外の何者でもない。しかし、その無謀な行為以外に、彼らが助かる術はないのてある。(南半球の気候なので)春の訪れまでは、あと2ケ月は待たねばならない。
さらに彼らに不運が襲う。17日目の夜、突然、雪崩がおきたのである。一瞬にして、機体ごと雪に飲み込まれて、リーダー役を含め8名が犠牲になる。
墜落事故や雪崩で、多くの仲間が亡くなる。しかし、その死に規則性はない。まさに、アットランダムに襲って来るかのように見える。真横で、たったいま談笑していた友人が、そして後ろの座席で安からに寝ていた妹が、次ぎの瞬間には、もうこの世の人ではなくなっているのである。それは、人知で、生存者と、死亡者を峻別した基準を見つけ出すことはできないことを、彼らはまず痛感させられたのたのである。
そして、その後も、寒さや食料不足で、体力を失い、亡くなるものが現れる。唯一の希望はあてのない援助の遠征隊を送り出すことだけだ。しかし、何度か命懸けの遠征が繰り返されては、ベース(機体胴体)にもどる失敗が続くのだが…。
しかし、遭難から70日後、まさに奇跡がおこる。10日間ものあいだ、山岳での厳しい野宿をしながら、ただひたすら歩きつづけて、5000M級のアンデスの山々を何度も超えて、とうとう援助を求めることに成功したのである。
遭難から72日間、16名(事故直後の生存者の半数)の男たちが、驚異的な生き残りを果たしたのである。
まさに、現代の奇跡に、マスコミも、社会も色めきだつ。救助を求めて、フラフラになっている生還した男たちを待っていたのは、容赦ないカメラの砲列である。すぐに、興味本位のインタピューが始まった。「食料も皆無の状態で、72日間も、どうやって生き残れたのですか?」と…。
奇跡的な生還のシーンは感動的だ。実際に、映像に残る、72日目に、援助のヘリコプターが到着した瞬間の、遭難者たちの喜びの表現をみているだけでも、涙が出るほど感動する。
しかし、この事件を有名にしたのは、実は別にある。
~カニバリズム~
そう、草木1本生えない極寒の環境で、食料の絶えた彼らは、死んでいた彼らは仲間たちの肉を食べ、骨を砕いて生き残ったのである。
映画は、生存者の30年後の証言と、その証言をもとにした再現ドラマに、実際のニュース映像で構成されている。特に、この人肉食までのプロセスが興味深い。(映画を見なくても、上記にリンクした公式HPの生存者の証言者を読めば、その一端がわかる)。食料も尽きていく、援助のあてもない絶望的状況で、誰もの頭の中によぎっていた考えを、初めて口に出し、提案する。それが、頭の中の考えから、実際に行動となるまでのプロセス。そのそれぞれに葛藤や苦悩があり、いつしか神の恩寵(キリストの聖餐)として正当化されていく過程-それが、宗教的に昇華されたかどうかは分からないが-が、なんとも興味深いのだ。
それにしても、人肉をガラスの破片で捌き、筋肉を取り、その断片を初めて口に入れ(当然、火もなければ、香辛料もない。生で食べる)たり、カルシウム不足で、その骨を砕き、磨り潰して飲み込み話を、淡々と、冷静に話す姿に、ある種の感銘を受ける。そんな彼らの最大の楽しみは、食後の「歯磨き粉のデザート」(そのものをなめる)。これが、美味で、かつ貴重のものなので、数ミリずつ分かち合い、時には争いにもなったそうである。
実際、ヌクヌクとした食料の溢れたこの環境の中で、彼らを裁き、非難することはたやすいが、まったく無意味なことである。
しかしながら、現実は、現代の人類にとって、最大のタブーを犯した彼らは、マスコミや社会の偏見と奇異な目に晒され続けることになるのである。
神-人-動物を厳しく峻別するキリスト教の文化圏に比べると、仏教・儒教文化圏のアジアでは、多少の罪悪感が異なる気がする。たとえば、『水滸伝』などには、人肉饅頭や、切り刻まれて人を食そうとするシーンが、当たり前のように何度も登場する。子供心に奇異さを覚えながらも、ぼくの最大の愛読書だった。最近、篤く読んだ北方版『水滸伝』には、人肉饅頭屋は登場せず、このおどろおどろしさが半減しているのだが…。おっと、そちらに流れるとまたまた語りだすので、本論にもどるが、現代においては、洋の東西を問わず、人類最大のタブーであるには間違いない。
もともと仏教においては、単に、人肉食だけでなく、生きとし生きる一切の有情を殺生したり、食することを禁じている。しかも、
「山鳥の ほろほろと鳴く 声聞けば 父かとぞ思ふ 母かとぞ思う」(行基菩薩)
そう、いま、食卓に並ぶその魚は、まぎれなくも、「世々生々(せせしょうじょう)の父母兄弟なり」なのである。しかしながら、悲しいことに、迷いの目には食べ物にしか映らず、今日も「うまい、まずい」と平気で、過去世の父や母を共食いしているのである。私の行いは、自分の心の善悪の理性で納まるほどきれいごとではすまない。まさに、「さるべき業縁の催さば、いかなるふるまいもすべき」、この恐ろしい身で、父を食らい、母を食らい、仏を食らって生きているのである。
いま、話題になっている脳死の臓器移植の問題点にもどこか通じる話題だが、どんどん横道に逸れてきたので、今夜はこのあたりで。
とにかく、いろいろと考えさせられる映画だったというとこで…。