チャペルでの挙式
長いお付き合いの中で、気が置けない仲間だ。顔みるなり、「また会ったなー」と、お互い笑った。確かにー。熊本、京都、広島、そして福岡と、4週続けて顔を合わせている。
生まれて初めて、キリスト教式の挙式に出る。
これまでの結婚式は仏式ばかり。もちろん、神前式をあげ た方の披露宴から出席したことはあるのだが、挙式はない。かなり世間とは逆だろう。
もちろん、法衣、念珠で、ホテルのチャペルにはいった。今回は、新婦側の主賓でお招きいただいているからだ。
また若い、日本人の神父さん。長髪で、なかなか男前。自然な笑顔でフランク、しかも堂々と、わかり易く説明をされた。やんわりと禁止事項(携帯や私語、そしてすべての撮影)も話される。皆さんが、新郎新婦と心をあわせて、厳粛なムードを作っていくのである。ホテルの中とはいえ、神聖な場所だ。ぼくとしとは滅多にないことで残念だっだのだが、撮影禁止をうまく言われたところは、なかなかきっちりされていた。
一言でいうとすごく慣れておられる。たぶん、ルーチンの繰り返しなんだろといったら身も蓋もないが、聖書の言葉も、吉野弘の「祝婚歌」を引かれた短い説教(ぼくは真宗の方の説教でも、この詩を聞いたことがある)も、言葉ではなく黙祷を進められたりするのもわかり易くて、かなり好感をもった。その態度がさわやかだ。
勉強になった。ぼくも、見習って長髪にしよう!(いまさら無理か)。
となりで、S子が大声で「賛美歌」を歌っている。知ってるのかと思ったら、まったくムードであわせているだけで、コーラス隊と合わずに、はずれまくっている。その隣が法衣姿のぼくだ。まったく、変な組み合わせ。そのS子も、さすがに「アーメン」とは言わなかった。
ぼくの式でのあいさつは、羽栗先生の、ぼくたちを生を、ご恩のあとを振り返ることなく、だだ前を向いて走る列車にたとえた話。前ばかり見て進んでい るが、でも、その行き先はしらない。いま、まったく違う路線を入っていた二人の線路が交差したわけだが、結局、「死ぬ」ことに向かって、いまがよければよいと生きていても空しい。その行き先を定めさてもらわ
ないなとー、といった内容かなー。
留め袖姿の新婦の母親のジャズピアノの生演奏 での新郎新婦の入場。最後の新婦のあいさつも感動的。いろいろな経験を経て 聞かせてもらう、親のご恩徳。
今夜は京都で途中下車の身。
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