熊本・蓮光寺へ(旅行編)
呉での布教を午前中で終えて、大急ぎで熊本へ。このままでは2時開始には間に合わない。もちろん、飛行機の利用も考えたが、広島→熊本という路線はない。
仕方がないので、呉線で広島駅まで戻り、博多まで新幹線に乗って、リレーつばめに乗り換えた。荷物入れなどが飛行機仕様になっていた。乗り心地も悪くない。日
頃は博多までなので、この先を列車で行くのは初めてだ。
そういえば、熊本に入るのだって、小学生の時の家族旅行以来だから、えーっと38年も前になる。あの時は、フェリーに乗って、父の運転での九州観光をして、阿蘇などに寄った。その壮大さに感激したこを覚えている。それで、思い出したが、アメリカ布教から帰ってきた父は、当時としてはかなりモダン仕様だった。すぐに、台所の畳とちゃぶ台はなくなり、食器が下に収納できるしゃれたテーブルになり、洋食が頻繁に食卓を飾るようになった。確かに、その数年後には、日本全体がそういう方向に向かっていくことになったが、一歩進んでいた。一流のホテルに宿泊させるのだと、羽田空港に迎えにいった時にはニューオオタニに止まったことも、うっすら覚えている。6歳のときだ。その夏には、テントを持参して、白浜へカーキャンプにでかけたりもした。また、ファミリーで長期旅行(1週間~10日間)もしたことがある。今なら珍しくないことばかりだが、40年以上前のこと。いま思うと、当時の庶民レベルとしてかなり進んでいたようだが、ほとんどが着物で働き、いまでもイスでも正座する、わりと古いタイプの母は戸惑わなかったのだろうか。
そんな個人的な想いに浸っているうちに、熊本駅に着いた。1時間20分ほど。わりと近い。そこから、豊肥線に乗り換えて、2駅目。5分で、いよいよ南熊本駅に到着した。
S子&K子ちゃんの故郷。遠路遥々、ここまで来ただけで、なんか感慨深い。
駅構内には、キヨスクの売店ではなく、無人の野菜販売 店。ふたりの故郷にふさわしいと感じていると、その横を、背中がザックリと露出した、目にもまぶしいパープルのボディコンに、足元はゴールドのハイヒールの若い女性が、さっそうと歩いていた(しまった! 撮影できなかった)。い、い、いつの時代やねん。常々、あのS子ちゃんから、その露出度の高いファッションセンスについて拝聴してきたが、その噂が真実であったことが検証できた。もうこの駅前だけでも来た甲斐があったというものだ。
小学生のころから、一年一度の仏の子供大会を、一番の楽しみにしていたS子&K子ちゃんだが、二人は自分のお小遣いやお年玉をためて、参加費を自前で参加していたのだ。後にも先にも、そんな子供は他にはいない。二人もさることながら、「自分の聴聞だから」と言いきった、父親もたいそう立派ではないか。長年、華光会館に下宿されていたのも、だてではないのだなー。
ご住職のご法話が始まったところだ。どうやら熊本城の観光組が遅れて、全体も遅れてスタートしたようだ。(つづく)
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