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宝物

 華光会館には、一般寺院のような歴史がない。

 しかも、無駄な余剰金などない所帯だがら、当然、寺宝などない。

 新興教団が大きくなると、信者の寄進(むしろ騙しとった?)された金で、絵画や美術品を買いあさるのが常であるが、華光会館を飾るものは、悟朗先生の書や水墨画、もしくは裕子の絵だ。これなち、華光誌の家内制手工業と同じく、お金をかけなくてすむ。

 でも、唯一のお宝もどきがこれである。

 もどきというところが悲しいが…。少しは由来がある。

Img_5794  「タンカ」(Thanka)とよぼれる、チベットで発達した独特の宗教画。チベット文化圏(チベットの他、中国のチベット系の自治区、ネパールやブータン、モンゴル、北インド方面)のもので、携帯用で、布に描かれ、いわば掛け軸のように表装されて飾られるらしい。一昨年の連合学会のときにも、大谷大学美術館でも、たくさん展示されていたが(→http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_974a.html)、以前、大学の専門家に見ていただいたが、観光客用の代物とは違って、少しは値打ちのあるものらしい(でも財産的価値はほとんどない)。

 じゃ、なぜそんなものが華光会館に? それなりに、おいわれがある。

 以前、華光同人に、自民党本部に出入りする業者の方がおられたのだが、その方がある議員から譲れ受けたもの。その議員も、ある国の大使(だったように思うが)からのブレゼントされたものだが、どうも裏に血の跡があるのだ。噂では、当初の所有者が旅先(携帯用なので)強盗に殺害されたおりのものだという、まことしやかな噂の尾ひれがついて、華光会館にやってきた。まあ、普通に考えても、日本人がもらったら、どうおまつりするのかもわらかず不安になり、手元に置いておくのが気味悪くなってきて、巡り巡って華光会館に寄進されてきたのである。

 久しぶりに道場に飾っていたら、数年間、チベットでマジ修行をていた仏青会員が見つて、「こんなところで、出会えるとは」と、感動されていた。

 中央の黄色い帽子姿が、ツォンカパ(1357-1419)という、ゲルク派(ダライ・ラマの率いるチベット仏教の最大宗派)の開祖にあたるそうだ。このツォンカパこそが、チベット仏教徒の理想なのである。ツォンカパの出現が、チベット仏教の大発展につながり、これが歴代ダライ・ラマの登場へつながるのだそうだ。そして、その勢力はチベットに留まらず、中国の満洲人やモンゴル人にも及ぶようになったの周知のとおり。

 先週、今週と、チベット仏教の高僧を主人公にした映画を続けて見たので、また触れてみたいなー。

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コメント

MLの方で話題になっておりますが、私も、ブログが見られない状態が暫く続いていました。今は見られるようです。私は色んな意味で「弱者」ですが、「ネット弱者」でもありますので関係スタッフの早速の御努力には感謝致します。有難うございます。

そんな有難い「タンカ」が会館にあるとは知りませんでした。私も機会がございましたら拝観したいです。

チベット仏教ゲルク派の御祖師ツォンカパ大師と言えば、ゲルク派の「資師相承」によれば、ナーガールジュナ(龍樹)菩薩、アリヤデーヴァ(聖提婆)菩薩、チャンドラキールティ(月称)菩薩、シャーンティーデーヴァ(寂天)菩薩等のインド仏教「プラーサンギカ派」(中観帰謬論証派)の法統を受継ぐ御方で(尤も、中観帰謬論証派、中観自立論証派の「名目」や「教判」そのものはチベット起源)、90年代の日本仏教界を席巻(?)した「批判仏教系」の先生方に多大な影響を与えた方ですね。

数年間も、チベットでマジ修行をされていた仏青会員がいるとは驚きです。お会いいたことあるかな?

投稿: 縄文ボーイ | 2009年6月13日 (土) 12:10

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