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華光誌終わった!(実感とただ聞くと)

 華光誌が完成して、夕方、印刷所に渡った。

 2年前までの孤独な深夜の作業と違って、事務所2人の強力な助っ人かあるので、大いにはかどる。記事や編集がぼくで、製作がムラ君、そして校正がTさんというふうに、役割分担も、ハッキリしてきた。カットと表紙デザインが、ゆうこの担当。それでも、最後はバタバタして、2~3日は深夜までの作業になったが、ひとりですべてを抱え込まなくていいので、精神的に楽だ。どうにか予定どおりに渡せた。

 あとは、折り込み用の、「聞法旅行」(北陸法座)と「仏の子供大会」の案内状、それに『念仏の雄叫び』の広告の3点の作業が残っているが、とりあえず、本体が終わったので、一仕事終わった感があって、ホッと一息だ。

 進捗具合のところでも触れたが、今号は、インド仏跡の特集号となっている。見開きで、写真も掲載した。「カラーになりませんか」と、Tさんがいったが、残念ながら、そんな予算はない。カラーにすれば2倍近くの費用がかかるのだ。皆さんの感動や興奮の様子の記事を編集したり、写真を選びをしていると、新ためて仏跡巡拜の思い出が蘇って来る。いろいろと旅行にでかけるが、インド仏跡だけは特別な感慨があるのか、その後の余韻がいつまでも続く。

 ところで、インド感想集の中でも、他人の感激や法悦が気になる方の記事がある。ちょうど、「真宗法座の集い」の感想集で、求道中の方が、「実感」と、「そのまま聞く」といことで、興味深い告白をされている。詳しくは、お手許に届くのをお楽しみしてほしいのだが、それを読んで、いかに求める側と勧める側とのすれ違いがあるのかが、よくわかる。その分析は、なかなか面白く、一部は、まったくそのとおりだと思うのだが、根本の一点がかけていて、終始、自分に手の届く、感情や思考のところだけの「世間」のレベルの話に終わっている。そこをどれだけ真摯に追い掛けたとしても、絶対に、仏法は聞けないのだ。結局、有り難いものや、実感のある体験を確かに、そう感じられたら、聞法が進んでように「錯覚」していく。自力で求めているかぎりは、いや、それが自力の聴聞ということになるので、ことごとくそんな自分で築いた法悦は否定されていく。もっとも、近頃は、そこで「あの人に理解してもらえない」と歎いたり、傷ついたという人が増えてきて、お勧めが難しくなっているのも事実なのだが…。ともかく、仏法は、その世間を超えた「出世間」の世界、如来様のお心に貫かれるという話である。それは、貫かれたら、「実感があるのか、ないのか」という話ではない。迷いの自分を手がかりに計っても、けっしてわかるはずのない世界を聞くのである。

 だから、自分の善し・悪しを追い掛けないで、如来様が何と仰っているのかを問題にしなさいというお勧めになる。
 そうすると、だいたい「如来様の声など聞こえない」と仰る。
 そうではない。それを善き人の言葉として、ご意見としてお聞かせに預かっていくのである。そこからしか始まらないのだが、どうも「そんな簡単なことではない」との計らいで、そのご意見を聞かないで、相変わらず、自分の実感や感情と悪戦苦闘しているのである。

 「血は血で洗え」ず、「自力は自力で破れない」のだ。

 その上で、合わせて、ぼくの誌上法話の「全徳施名のこころ」も読んでもらうビッタシかもしれない。いま、まさに、わたしのこの耳にも、南無阿弥陀仏の響きが届いているのだから…。

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コメント

「華光誌」って「ほとけのこども」ですね。
先生やムラくん、事務のTさん、ゆうこさん、
テープおこししてくれる方、原稿を投稿される方
色んな人のお陰様で出来ている。そして、それが
私に届けられる。もったいない事ですね。
そんな皆さんのご苦労にもなかなか気付きません。

インド感想集、楽しみにしています

投稿: 蓮華 | 2009年6月18日 (木) 22:36

 ほんとうそうですよね。
 テープ起しは、東海支部のkさんに、長年、お世話になってきています。
 お楽しみに!

投稿: かりもん | 2009年6月19日 (金) 00:24

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