呉、旅情編もしくは「兵戈無用」
昼席のあと夜座まで、4時間以上時間があるので、お参りくださった華光同人と駅前でお茶を飲み、その後、ひとりでブラブラと呉市を散策。
しばしば広島を訪れても、呉市は始めて。ここは、基地の町なんですね。
でも、単なるオブジェじゃない。れっきとして、海上自衛隊の施設で、4年前までは現役だった潜水艦で、今は入隊した隊員の教育施設としても利用しながら、同時に、「てつのクジラ館」として、自衛隊への理解を深めてもらう啓発運動の施設として役割を担っているとか。
そしてこちらは、戦艦大和を顕正する、「大和ミュージアム」。『男たちの大和』という映画の舞台になったことで、また脚光を浴びて、若い人たちも関心が深い。
当時の世界最大級の戦艦だった大和は、すでに巨艦製造競争が終焉していたころの、いわば時代の迷い子だった。
それが、片道分の燃料しか積まずに、意味のない水上特攻に赴き沈没した理由は何か。「海軍に船は何隻残されているのか」という天皇の質問を、軍令部が、「海軍は何をしているのか」という叱責されたと捉え、この世界最大の軍艦を無傷のまま敗戦しては、陛下に申し訳がたりないという考えからだったという。
天皇制の特質、その暴走のメカニズムは、指導者の強い指導力や、誘導や鼓舞での発動になるのではなく、その実質はあくまでも、周囲が、お上の威光を、忖度(そんたく)するところにある。つまり、いまの言葉でいう、過剰に上の空気を読み、推し量っていった結果といっていい。
そこには、「国や愛する人たちを守る」式の美辞麗句などはないのだと、森達也氏は指摘しいるが、これは、いまも同じではないか。ひとりひとりが、自分の頭で考え、冷静に判断するとことがない無責任体質は、いまも一向に変わっていない。
ところで、西教寺で、新デザインの「兵戈無用」(ひょうがむよう)バッチをいただいた。『大無料寿経』の五悪段の言葉で、兵戈とは、兵器のホコのことで、転じて戦争の意味がある。もちろん、戦争反対を訴え行動をすることは大切なのだが、ただ基地の町で、それをどう実現していくのかは、簡単なことではない。このあたりは、いろいろと考えることがある。
ちょうど、1週間前に見た、イスラエルの戦闘兵士が駐留の実体を語る『沈黙を破る』と、今日、京都みなみ会館で見た、非暴力を貫きながらも侵略の悲劇にさらされるチベットのダライ・ラマを題材にした『クンドゥン』という映画からも教えられたが、長くなるのでまたの機会で。
どうもゆったりした旅情編という話題ではなくなったなー。
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コメント
大和のお話や、森達也氏のコメント、ほんに身に沁みます。といって他人の批判(愚痴)ばかりは常のことなれど、この私自身にいたっては。
凡夫の自性に甘えっぱなしの情けない姿です。
南無阿弥陀仏。
投稿: 縄文ボーイ | 2009年6月13日 (土) 12:22
縄文ボーイさん、連続の登場ですね。
ブログ不具合の件、ご迷惑をおかけしました。
常連の方は、だいたいお気に入りに加えてもらってるのか、普通にコメントも入り、ぼくもまったく支障がなかったので、問い合わせがあるまで気づきませんでした。いろいろな要素が同時に重なった結果のようですが、すぐに解決してよかったです。
タンカは結構古くからありますよ。今も飾られていますが、7月の壮年の集いの時には、またみていただきます。チベットの方は、現地で3年ぐらいは修行されていたと聞いています。またチャンスがあれば、狙っておられますが、M先生との出会いがあって、今は、浄土真宗のご聴聞中です。
ご指摘のあたりは、ぼく自身も、かなり感じるところがあります。
投稿: かりもん | 2009年6月13日 (土) 23:49