人格変化?
真宗カウンセリング研究会の輪読会。学生や院生が増えて、フレッシュな顔ぶれとなった。
直接のテーマとは違ったのだか、文章にあった、「人格変化」という言葉をめぐり、ロジャーズのカウンセリングとの違和感を表明する参加者があった。 一般の宗教や政治がそうであるように、煽動されたり、治療されたり、洗脳されて、その人自身の個を失って、人が変わってしまうというイメージがあるのだという。
この場合、問題になるのは、「人格」という訳語の持っている曖昧さにに起因しているの確かだ。しかし、「人格」のもつ定義の相違の話しで終わらず、その背景には、それぞれのもつカウンセリング観が垣間見られたようで、興味深かった。
普通はpersonality(パーソナリティ)の訳語として、「人格」が用いられる。その場合、personalityという単語には価値的な意味が含まれていない。しかし、日本語の「人格」には、「人格者」という言葉があるように、価値まで含まれていることが多く、用語の定義を定めておかないと混乱を招くのだ。また、日本では、「性格」と「人格」とは、普通は使い分けられているが、英語ではpersonalityが両者を示すこともあって、この点でも曖昧な用語となっている。
先日も、「カウンセリングを日本語で訳すとどうなりますか」と、尋ねられた。ご承知のとおり、この言葉にもビッタリした訳語がない。美容や育毛だって、「まずカウンセリングからどうぞ」で、始まる時代だもの。一般的には、相談や助言することがその広義の意味になるのだが、実際は、「心理相談」という言葉のほうが、より対応しているように思われる。でも、その訳ですべてかいうと、必ずしもそうではない。このあたりは、まだ難しい問題があるので、そのまま「カウンセリング」と使われることが多いが、そのことで、さまざまな誤解が生じているのも事実だ。
同様に、このパーソナリティも、人格や性格と訳さずに、そのまま「パーソナリティ」と使われることも多くある。ロジャーズ全集では、「Personality changes」を、「パーソナリティの変化」と訳されている場合がほとんどだ。第13巻は、ずばり『パーソナリティの変化』。
外来の新しい概念を、これまでの既製の言葉の範囲で説明しようとするので、さまざまな問題や誤解が生じて来る。その点では、日本は、新しい外来語を、聞こえるままにカタカナ語で使用するという便利なものだ。でも、近頃は、専門語~経済でも、科学でも、コンピューターでも~、横文字ばかりが氾濫して、ほとんど意味がわからないことが多い。
これは、仏教の伝来からしてそうであった。インドからシルクロードを通って、中国へ。中国仏教は翻訳仏教だといってもいい。インドで生まれた仏教が、一度、中国で咀嚼されている。その点、日本では、常に中国の言葉-漢訳をそのまま読む(返り点や訓点をつけて)という、なんとも賢いというか、効率的で、ある種狡賢い戦法を編み出していた。言葉の翻訳をめぐる問題は、古くて新しいテーマなのだ。
もちろん、人格の変化-Personality changesをぬいて、ロジャーズのカウンセリングを語ることはできないのはいうまでもない。 ところで、人格変化-Personality changesとは、
「個人の人格構造が、表層・深層両水準において臨床家が合意する方向へと変化することであり、すなはち、統合が増大すると、内的葛藤が減少すること、充実した生に使えるエネルギーが増大することである」と、ロジャーズは語っている。「臨床家が合意する方向」というのが、またひっかかるかもしれないが、とにかく成長と同義で使われていると見ていい。
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