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如来に統一される

   2泊3日間の永代経法要終わりました。

 いや、こんなに大勢の皆さんが、よくお参りくださいましたね。ほんとうしみじみ思いますよ。

 だって日頃、仕事や家事に勤しんでおられる方にとっては、せっかくのGM。ゆっくりするチャンスだし、家族サービスもあるでしょう。それが、遠路はるばる飛行機や新幹線、乗用車を利用して、渋滞や人ゴミをかきわけてお参りされる。しかもこの3日間は、狭い華光会館で缶詰。ゆっくり休めるような環境でもない団体生活。
 それに、参詣するのも、手ブラとはいかない。交通費に、参加費に、懇志にと、お金もかかる。第一、独り身ならばいいけれど、大方は、家族の理解が必要でしょう。小さな子供さんなんかがいると、けっこうたいへんなんですよね、これが。どんな形であっても、送り出してもらうためには、家族(だいたい連れ合いに)上手を言ったり、ごまをすったり、時には誤魔化したりと、下げたくない頭を下げて、やっと3日間の座に座らせてもらえる。まあー、なんというか、物好きにもほどがあるんじゃないですかね。みんな参詣するの嫌でしょう。邪魔臭い。それなのに、それなのにですよ。いくら、如来様の大願業力があるとはいえ、れは、かなりの仏法バカじゃないですかね、お互い。なんかみなさんが愛おしくなってきます。この平成の世に、まだこれだけの仏法バカがおられるのですから。そして、そのバカ同士で、讃嘆談合するのが、いと楽しいというのでから、こりゃ、かなりの重症やね。もっとも、「信心絶対にほーしいぞ」という、力み反った強欲張りも多いでしょうか…。

 さてさて、今回は、7座で、7名の講師陣が、それぞれ1時間程度のご法話をいただきました。偶然、年齢分布もうまい具合に分かれている。20代、30代、40代、50代だけ2名で、60代、80代の先生方。70代の先生が欠席で、変わって若手先生が登壇された。
 この先生方の、ご法話が尊かった。別に打ち合わせなどしていないのに、前の先生のご法話を受けて、次ぎの方のご法話が展開していく。それでいて、それぞれの個性や人柄も発揮されていて、有り難かったです。

 座談会で、長年、別の会で熱心にご聴聞されていた方の感想。

 「どの先生のご法話も、異口同音、阿弥陀様のお心をお話くださるのが、とても驚きました」と。

 それを聞いて、ぼくの方がびっくり。

 だって、ご法話は、お聖教のご讃題を基にいただくけれど、それは阿弥陀様のお徳を讃嘆させていただく、仏徳讃嘆こそが肝心要のことなのだから、それ以外にどんなご法話を聞いてこれらたのかと尋ねてみたら、

 「以前の会では、親鸞聖人などのお聖教の文言が中心で、それを根拠として覚えていく、理解していくというような法話だった」

という説明。なるほど、それを聞いて覚えていく聞き方、ある種の教学勉強みたいな聴聞なのかーと想像させられました。

 そうか、それで言うのなら、華光の先生のご法話はどうなるのか。

 いや、先生だけでなく、同行も、そしてご法座も、如来様に統一されている座を、「華光」と名付けるんじゃーないかなと思えてきた。それゃ、有り難いはずだなー。

 そう、「如来に統一される」-『仏敵』にある伊藤康善先生の明言です。

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コメント

南無阿弥陀仏 永代経お世話になりました ありがとうございます 三座だけのご法話と分級座談本当に“無知”を“バカ”と知らされ、そのことを知る“おこころ”に触れ(如来さま)、嬉しくなってしまいます。南無阿弥陀仏 信前信後問わず求道(聞法)の大切さ、どんな姿になろうとも、このモノガラに執着しながらも、南無阿弥陀 南無阿弥陀ととなえさせていただくことのおこころの深さを味わいました。京都支部の皆様をはじめ、お世話いただいた皆様、分級でご一緒した皆様、道場でお念仏をともにした皆様そして阿弥陀仏の化身として、お念仏の雄叫びを聞かせていただいた先生方 本当にありがとうございました 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

投稿: 稜 | 2009年5月 6日 (水) 07:01

 稜さん、ありがとうございました。
 今回、良し、悪しを離れて、共に称名念仏をいただくご縁が、何度かありました。一人静かに喜ぶ仏法も格別ですが、こうして、多くの同人と共に、大きな声に出して念仏させていただくご縁は、また有り難いの一言でした。
 次回は、ゆっくりお話しましょう。

投稿: かりもん | 2009年5月 6日 (水) 21:31

本当にありがとうございました。
「仏法バカ」で本当によかったと思います。
損か得か?善か悪か?そんなものさししか持ち合わ
せていないこの私が仏さまを食べ続け、はむかい、
裏切り続けて生きて行くしかない私の人生をすべて
「お許し」だと言われたら、もう、もったいなすぎて、
本当に泣いて謝るしか、なんまんだぶつと答えるしか
ない私でした。
スイッチが入りっぱなしで、散々泣いて阿弥陀さまに
謝りました。阿弥陀さまに甘えに甘えさせてもらった
3日間でした。
どの先生方もすばらしいご法話でした。
バトンがどんどん手渡され、繋がっていった感じが
しました。ありがとうございました。

投稿: 蓮華 | 2009年5月 7日 (木) 08:33

 蓮華さん、どうもありがとう。
 スイッチ入ってましたね。

 仏法が不思議やなと思うことは、ご縁に遇うと、自分のほんとうに呆れるほどのアホさ加減が、どうもうれしくなってきたりするものですが、日常生活では、冗談やふざけた場面ならお笑いになりますが、真面目にやてっいることを他人から、「バカじゃないの」なんてバカにされたら、絶対に傷つく。それが家族なら、もうたいへん。激昂しますね。それが迷っている、うぬぼれている証拠でしょうね。
  なかなかね、愚者と落ちないで、賢善精進の相ばかりを演じてますわ。
 

投稿: かりもん | 2009年5月 7日 (木) 23:34

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