まずは興福寺へ
お目当ては鑑真和上である。
だいたい、京博にしても、奈良博にしても、仏教関係の特別展は、混み合っている。土・日曜日は当然のことたが、平日も団体客が多い。鑑賞するより人込みで疲れてしまうのだ。でも幸い、金曜日だけは、通常の17時の開館が2時間延期されて19時まである。ここが狙い目だ。付近のお寺は、大方17時までに拝観が終わる。団体客も16時までには引き上げていくのだ。
奈良に16時すぎに到着。近鉄1本で
行けて、急行でも45分だ。
まずは、駅前の行基菩薩像を拝む。ここが、奈良イチの待合わせ場所。なんとも不思議なモニメントだ。
平日なのに予想以上に観光客が多い。修学旅行か遠足か、学生ばかりだ。でも、みな駅やバスに向かっている。ひとり、人込みと反対に歩く。5時まで、少し時間があるので、興福寺を拝観することにした。何年ぶりかと調べたら、もう10年前になる。興福寺会館でに開かれた「仏教・心理療法」のシンポジウムに参加して以来だ。
興福寺は、南都六宗のひとつ法相宗の大本山で、唯識を根本教学に、倶舎も收める宗派だ。
興福寺貫長の多川俊映師の『唯識十章』は、難解とされる唯識を、一般の人にもわかり易く解いた良書だ。この人の発言や言葉は、常に光っている感じがする。何かはっきりと見えているものがあるのだろう。でも、上には上があって、その本の編集者だった、岡野守也著の『わかる唯識』には、史上最もわかりやすい唯識=仏教の心理学入門とオビがついている。唯識に関心ある一般の人はこのあたりから初めて、太田久紀著『仏教の深層心理』に入ると分かりやすい。これはいまはオンデマンドで入手できるが、少々割高だ。いずれも入門書以前のものだが、別に専門に研究しないのならまずは充分だ。関心があたら、専門書に進んでいけばいい。ところで、この多川=岡野のラインがあって、「仏教と心理学・心理療法」の集まりが、興福寺会館を会場になったようだ。いまこの集いは、創立されたばかりの『日本仏教心理学会』へと発展している。かなり横道に逸れた。
その多川師のお勧め拝観コースということで、興福寺を回ってみた。
「手をうてば、鯉は餌ときき、鳥は逃げ、女中は茶と聞く 猿沢池」
単純な手をたたくという動作から生まれる音なのに、それを受け取る個体的な条件の違いにって、意味が随分異なるわけで、私達の認識も、実は外界のありのままの丸写しではなく、その心のありように即して、外界が認められるのだという、唯識の考え方を表した歌だ。
確かに、このあたりは旅館や茶店も多い。池には、鯉も、鳥も、そして亀もいた。
このあと、五十二段(仏への階位ですね)の階段を上り、三重の塔、北円堂(ここの無着、世親(天親)菩薩にもお会いしたい)などを通って、東金堂を拝観。拝観者が誰もなく、薬師三尊に、文殊、維摩、そして四天王や十二神将像をゆっくりと拝ませてもらった。ただし、国宝館は、今日はパス。阿修羅像なとの八部衆や十大弟子は、ただいま東京へ出張布教(興行?)中なのである。
と、まあ呑気に興福寺を楽しんでいたが、世が世ならこうもいかない。興福寺といえば、元久二(1205)年に、貞慶が草案した『興福寺奏状』を思い出す。彼は、明恵上人と並んで、旧仏教側からの専修念仏の批判の急先鋒に立っていたのだ。
「興福寺奏状」では、法然上人の念仏の教えには九つの失があることを述べて、朝廷に仏敵として処断するように求めたのだ。
第一に、新宗を立つる失、
第二に、新像を図する失、
第三に、釈尊を軽んずる失、
第四に、万善を妨ぐる失、
第五に、霊神に背く失、
第六に、浄土に暗き失、
第七に、念仏を誤る失、
第八に、釈衆を損ずる失、
第九に、国土を乱る失の、九つである。
これが、承元(1207年)の法難となり、念仏停止(ちょうじ)、法然、親鸞聖人の流罪へと繋がるのである。ご本典の後序に「興福寺の学徒」、歎異抄の流罪記録では、「興福寺の僧侶、敵奏の上…」と出て来るあれだ。
横道にばかり逸れて、肝心の鑑真和上のところにまで辿り付かなかった。(つづく)
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コメント
永代経さまでは大変御世話になりました。
興福寺とか唯識の解説有難いです。
丁度、長年の課題となっておりました谷貞志先生の『刹那滅の研究』(春秋社)の拝読再挑戦(前回は挫折)しております最中ですので何か機縁を感じました。同じ谷先生の『無常の研究』(春秋社)は読み易いくて有難いのですが。谷先生や立川武蔵先生の下で学ばれたことがある先生と少し御縁もあります。
谷先生の御著書があまりに(私にとって)ハイブラウ過ぎて、時々、他の諸先生方の御著書を参考にさせていただいているのですが、特によく拝読させていただいているのが、『人物 中国の仏教 玄奘』(桑山正進、袴谷憲昭先生共著、大蔵出版)所収の袴谷先生の『佛教史の中の玄奘』です。その中で第二章、210頁以下の無著菩薩の『摂大乗論』の解説の中で、217頁以下、彼の論の第3章の主題である「聞薫習」の解説があり、読ませていただくのは何度目かですが、改めて有り難く拝読しました。『摂大乗論』を改めて拝読(国訳ですが)させて頂きたいと思いました。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。
その後、トイレ休憩中、トイレ横の本棚から、何気に中沢新一先生の『蜜の流れる博士』(せりか書房)を手に取り、拝読していました。この書も何度目かですが、いつもは、冒頭にある南方熊楠先生関連の章が琴線に触れていたのですが、今日は、『円錐曲線と修道院ーパスカル』の章に引き込まれました。特に149~150頁のキリストの「復活の秘蹟」に触れられた御文は有難かった。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
袴谷先生と中沢先生は、云わば「敵宗」なのに(笑)。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
袴谷先生の御文のうちで、私が今まで特に感銘を受けました望月海淑先生編『法華経と大乗経典の研究』(山喜房佛書林)所収の論文「『法華経』の対極にあるもの」を思わず又、拝読させていただきました。有難かった。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
先の谷先生の『無常の哲学』をよく引用されている高尾利数先生の『ブッダとは誰か』(柏書房)、『イエスとは誰か』も又、拝読させていただいています。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
全て、「私一人の為の」阿弥陀様の御働き、御心を書かれて、教えて下さいました。有難う、阿弥陀様、有難う、南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
最後に、くだらない疑問で恐縮ですが、サンスクリットや言語学に詳しい方がいたら御聞きしたいのですが、無著(アサンガ)菩薩の「著する」の意のサンガと、例えば、『順正理論』の衆賢(サンガバトラ)菩薩の「集まる」の意のサンガではスペルは違うみたいですが、日本語のカタカナ表記にした時、同じ表記になるほど発音は似ているとすれば、元は同じ言葉だったか、関連する言葉であった可能性はあるのでしょうか?
投稿: 縄文ボーイ | 2009年5月16日 (土) 16:00
すいません、悪い癖でよく確認せずに送信していましました。
谷先生の御著書は『無常の哲学』(春秋社)です。
あと、高尾先生の『イエスとは誰か』はNHKブックスです。
投稿: 縄文ボーイ | 2009年5月16日 (土) 16:13
追伸
玄奘三蔵と、ダルマキールティ(法称)菩薩、チャンドラキールティ(月称)菩薩という仏教史上でも超傑僧が、同時代、同世代に生まれられ、同じインドの地で活躍されたという事実にも御因縁を思います。
7世紀という時代は、『大日経』『金剛頂経』という中期インド密教の2大経典(真言宗の「両部大経」、天台宗の「真言三部経」のうちの二部)が成立した時代でもあり、ある意味、インドと中国に於ける仏教の全盛期だったと思います。
グプタ朝期から、インド仏教は衰亡期に入ったという意見も多いですが、見直される必要があると思います。最近、グプタ朝期の仏教についての新たな研究書も出ているようですので、拝読して勉強したいと思います。
7世紀の中国仏教は、言うまでもなく善導大師様の時代ですね。他にも、南山律宗の道宣律師や、禅宗の六祖慧能禅師、賢首大師等、華厳宗の二祖、三祖も出られていて、まさに中国仏教が花開いた時代ですね。
海東の地にも、新羅の元暁大師(や義湘大師が出られています。
時代は下りますが、法然上人と、『興福寺奏状』を起草された解脱上人貞慶や、栄西禅師も同時代人。親鸞聖人と明恵上人は、同世代です。
解脱上人の法孫(御弟子の実子!!)で真言律宗の祖師、興正菩薩叡尊律師の再興された西大寺は、いつも会館に御参りさせて頂く際の、西大寺行き各駅停車の近鉄電車で御馴染み(私は、西大寺そのものには御参りしたことはありませんが)。興正菩薩の高弟、忍性菩薩は、鎌倉に赴かれ、浄土宗(鎮西流)三祖の良忠上人等とともに、日蓮聖人と対立。
こうして見てくると歴史の中に、色んな御因縁が詰まって下さっているのがわかります。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
投稿: 縄文ボーイ | 2009年5月16日 (土) 22:57
縄文ボーイさん、ようこそ。
やはり、やはり、この手の話題にはすぐに食いつきてますね。
ぼくが紹介したのは、ほんとうに初歩の一般向きです。本格派の縄文ボーイさんには、まったくお話しになりませんわー。
ぼくも、解脱上人や明恵上人は、ほんとうの意味での高僧で、立派なお方だったと思います。でも、悲しきかな、時機相応ではなかった。彼らへの批判に答えるのが、「教行信証」の執筆の原動力だったのでしょう。その意味で、解脱上人などの著作から、逆反射させることで、聖人の意図が明確になるという研究もあるほどですからね。
真宗興隆の観点からみれば、結果的に流罪やご本典が顕れた意義は、計りなく深いわけです。
投稿: かりもん | 2009年5月17日 (日) 01:09