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『子供の情景』(原題~ブッダは恥辱のために崩壊した~)

 先日、京都シネマで、20歳のイラン女性監督の、アフガニスタンを舞台にした『子供の情景』を見た。不急不要での人込みを避けるように報道されているからか、人出は少なく、5~6名だった。

Kodomojokei_01  冒頭、ブッタの描かれた曼陀羅が映し出されて、「あれ」と思ったら、次ぎの瞬間、タリバンによるバーミヤンの大仏破壊の映像が挿入される。大爆発の大音響と共に崩れる仏像の映像を目の当たりにすると、「形あるものはすべて滅びるのだ」というのが、ブッタの教えだが、やはり胸が痛くなる。この崩れた洞窟が舞台になったり、崩れた仏像の残骸(石)で子供たちが、生贄を石打ちの刑をする、なんとも物騒なごっこ遊びに使われるのだ。

 予想外の始まりの種明かしはあとにして、ストーリー紹介。

 舞台は、アフガニスタンのバーミヤン。洞窟の家に住んでいる6歳の少女。この子が、素朴で、可愛いすぎるぞ。母親に赤ん坊の世話をたのまれるが、かなり危なかしい。ちょうど、うちの下の子が赤ちゃんの面倒をまかせるようなもの。それだけでもちょっとドキドキもの。赤ん坊をあやしながらも、隣に住む男の子が、教科書で読み書きの勉強をしているのが気になって仕方がない。教科書に出て来る小咄に興味津々。実は、この小咄こそ、大国の都合で蹂躙されて、翻弄され続けるこの国を表す寓話で、映画のキーワードになっている。
 ともかく、彼女も学校に行きたい。しかし、それにも、ノートが必需品だと言われた。そうなると、彼女は猪突猛進だ。赤ん坊は置き去り(最後までこの点に触れられないのはご愛嬌か)にしてノートを求める。バザールで、ニワトリの卵(4個)を売りに出かけるのだ。

 幼い少女が、素手で卵を売りにいくという危なかしい状況も、また今日の世界の危機的な情勢の比喩をしているのだろうが、このあたりはまだ微笑ましい少女の冒険劇のような色彩で、このハラハラ感がいい。第一、彼女が、かわいさや弱さを売り物にするのではなく、自分の意志を貫き通す、しっかりもののキャラとして描かれているのが好感がもてた。この国で、生き残っていくことは子供にとってもたんへんなのである。

 紆余曲折、やっとノートを手に入れ、男の子に連れられて学校にいくのだが、ここから少しずつ、戦争の傷跡があらわになってくる。

 せっかく学校に連れていってもらうも、男女は別々。連れ出してくれた男の子が頼りなく当てにならない。結局、一人で女子学校をめざすことになる。

 ところが、他の男子たちののいじめにあい、真っ白なノートが踏みつけれてしまう。戦争ごっこ、英雄タリバンごっこに巻き込まれて、とうとう監禁され、石打ちの処刑ごっこに巻き込まれていくのだ。ごっこ遊びとはいえ、タリバンのイスラム原理主義下の子供たちのそれは、辛辣で、残酷なのだ。ガムの包み紙に写真の絵があるだけで偶像崇拝、女の子が口紅でもしようものなら淫乱で堕落といった具合に、集団で威圧し、暴力で制裁しようとする。大人の真似をしているのだ。

 戦争の恐ろしさは、なにも戦闘場面にだけあるのではない。

 子供たちの遊ぶ道が、白い石で区切られている。それを出そうになると、ガキ大将が「気をつけろ」と指示している。外は雷があって危険なのだ。
 子供の遊びと、実際の戦闘の境目が、限りなくあいまいなのだ。こうして、処刑ごっこを無邪気にしている子供たちが、未熟なまま兵士と駆り出され、人々を殺傷していくのであろう。そう思うと本当に悲しい。

 それにしても、男の子や大人のたよりなさに比べて、幼い彼女のたくましさはどうだろうか。タリバンによって女性は抑圧されているのだが、卵が割れても、ノートを踏まれても、男の子に囲まれても、涙を見せない。そして、「戦争ごっこはイヤ」と叫び、踏みにじられたノートを拾い上げ、自力で学校をめざすのだ。

 映画の原題は、『子供の情景』とにほど遠い、「Buddha Collapsed out of Shame」とあった。和訳すると、「ブッダは恥辱のために崩壊した」となる。なんのことか、わからない。たぶん、日本では、『子供の情景』の類のタイトルにして、かわいい子を前面にださないと、興行的には成功しないのはわかる。解説を読む。これは監督の父で、イランの巨匠監督、モフセン・マフマルバフの著書からの引用だそうだ。世界はアフガニスタンの石仏がタリバンに破壊されたことには怒りの声を上げたが、同じ国で同じ時期に、戦争や干ばつにより大勢の人たちが死に瀕していることには、まったく無関心だった。ブッダは、罪なき人々の上に起こった残酷な出来事や暴力を見て、自らの道徳的感化の無力さを恥じ、自ら崩れ落ちたのだというのある。

 完成度という意味では、素人目から見ても少々冗漫な語り口で、もう少し刈り込んだほうがいいと思う場面も多かったが、この映画のタイトルに使うだけでも、20歳とはいえただ者じゃない。 ラスト、またしても悪童どもにかこまれる。隣の男の子が叫び、「死んだふりをするんだ」「死んだら許してもらえる」という言葉ともにバッタリと倒れる彼女。そして、再び大音響と共にブッダが崩壊する映像が流れるのだ。

 いま、ぼくたちは目先の欲得に振り回されて、背けてはならない現実も知らず、目を逸らし続けているのではないか。あまりにも無知だ。ブッタが崩壊する映像が、深く胸に刺さた。

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コメント

 私は何も知りませんでした。
 毎日自分のことばかりで知ろうともしませんでした。

 バクタイに会いに岩波ホールへ行こうと思います。

投稿: Anne | 2009年5月27日 (水) 19:16

Anneさん、こんばんは。
 そうですね。もし機会があるようなら、ぜひ観ることをお勧めします。アフガニスタンの人たちが、どんな生活をしているのかを知るだけでも教えられますよ。
 いま、公式ブログの予告編をチェックしてみたけれど、かなりこれでもストーリーが伝わってきます。
 主演のバクタイちゃん、かわいいかったです。わが子とほぼ同じ歳だと思うと、胸が痛くなりますか…。

投稿: かりもん | 2009年5月27日 (水) 22:50

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