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柳原銀行記念資料館

 4月1日、「ハンセン病問題基本法」が施行された。

Img_5506_2  基本法施行を受けて「ハンセン病問題の現在(いま)~隔離から解放へ~」と、啓発的な企画展が開かれていた。京都市やNPO法人が主催だが、真宗大谷派が後援している。初めて『柳原銀行記念資料館』を覗いてきた。

 展示の前に、会場の紹介。京都駅とImg_5526京阪七条駅に共に近い交通至便の地でありながら、京都観光のガイドブックにも、この文化財に登録されている建物の経緯や資料館にはあまり触れら れていない。たぶん、京都人にしても知らない人が大半だろう。なぜなら、このあたりが、封建時代からつづく被差別部落だからだ。資料館のHPから一部を転用して紹介すると、

 崇仁(すうじん)地区は、京都市では最大、全国でも最大規模の同和地区(被差別部落)です。
JR京都駅の東側に隣接し、京阪七条駅からも至近距離に位置しており、地区内を河原町通りと塩小路通りが東西南北に走っており、交通の便利が大変良い地域です。
 地区内の中心部には高瀬川が流れ、東側には鴨川が流れており、落ち着いた雰囲気を出しているが、地区内をJR東海道線、奈良線、新幹線が横断しているため、駅周辺の町らしい騒々しさもあわせ持っています。

 崇仁地区の歴史(明治以前のところだけ)

16世紀前半(室町時代)六条河原が処刑場となり、河原者が刑務を行っていた。その数、数百~千人。
16世紀後半(桃山時代)六条郷、六条河原から移転。六条郷の成立時期は不明。
1591年(桃山時代)豊臣秀吉、御土居の築造開始。
1663年(江戸時代)六条郷、松原稲荷町から六条河原役田地へ移転。六条村の成立。

1700年(元禄13)銭座村で寛永通宝の鋳造開始。
1713年(正徳3)六条村へ柳原庄の土地を渡す。皮張場含めて3000坪。「水車裏」に非人が移転。

Img_5525  この地に、柳原町(現崇仁地区)の町長だった明石民蔵ら地元有志によって、明治32年(1899年)に同和地区内に認可、設立された唯一の銀行が創建された。
 ところで、江戸時代までには、彼らが、斃牛馬の処理と獣皮の加工、また革製品の製造販売などの皮革関係の仕事、刑吏や捕吏などの下級警察官的仕事、各種芸能ものの支配などの職業を家業として独占していた。
 それで、このあたりにも、皮革関係を生業とする店が多いが、差別のために資金が得られず、貧困に苦しむ地元産業の振興や教育のImg_5519向上に多大な貢献をしたのである。1階には、皮革仕事に関する当時の道具などが展示されていた。その後、金融恐慌の影響を受け昭和2年に閉店。建物は、商店や借家として、塩小路と河原町の交差点に(たしか、茶色のかなり古ぼけた建物だった記憶があるが)、平成6年まで使用されていたのだそうだ。それが、少しだけ場所を移動して、文化財として保存されているのだ。

 柳が風にそよぎ、窓からの枝垂れ桜がきれいだった。(写真では光りで飛んだー)

 なぜ、この地で展示が開かれているのか。障がい者や、ハンセン病(癩病者として)者も、地元を追われ、集団で隔離され、同様に被差別身分としの扱いを受けてきたからである。 

 ところで、「広義の非人とは、犬神人(いぬじにん)・墓守・河原者・放免(ほうめん)・乞胸(ごうむね)・猿飼等々の総称である」と、『ウィキペディア(Wikipedia)』の非人の項目にあるが、この犬神人と親鸞聖人との関係に触れている展示もあった。

Img_5510_2

 『親鸞聖人伝絵』のうち、「洛陽遷化」(下段の方)で、聖人のご遺骸を延仁寺で荼毘している情景が描かれなかに、犬神人(赤↓印)も登場している。解説では、葬儀の仕事としてではなく、聖人との関係があった説が紹介されていた。犬神人は、「いぬじにん」と読み、牛頭天王を祭る京都の「感神院祇園社」、平安期のむかしから「観慶寺(祇園寺)」と呼ばれた天台宗の末寺で、現在は「八坂神社」(祇園さん)に属し、葬儀や死体に関わっていたというのである。ただし、聖人や真宗(本願寺)との関係は、いまだに推測の域を出ないものである。

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コメント

とても気になります。訪れたいと思いました。

投稿: さち | 2009年4月 4日 (土) 21:53

 残念ながら、ハンセン病の企画展は、今日までだったと思います。今後も別の企画展などはあると思いますが…。このあたりは、いまだに皮製品の店や、在日関係の店が多い地域です。
 被差別部落やハンセン病などの差別問題にしても、また天皇制の問題にしても、どことなく語りづらいくて、自分たちで勝手にタブー視して避けてしまってますからね。月並みですが、よく理解したり、知ることからしか始まらないのですが…。

投稿: かりもん | 2009年4月 4日 (土) 22:27

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