第7回真宗法座の集い
早いもので、第7回の真宗法座の集いである。年に2度(京都と広島)した時があるが、それでも、第1回からもう6年経過している。
昨年の記録を確認してみたら、ちょうど4月にふたつの記事を書いていた。(下記)
「真宗法座」の感想と、雑記である。いま読んでも、自分で、ちょっとジーンとくる部分もある。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_2a78.html
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_65da.html
ただし、一回一回流れは違う。昨年、ぼくがここで、問題視していた点は、集いの枠組みの問題なので、そこは今年はキッチリと対応することにした。
かなりフリーハンドの部分をもった法座なので、メンバーの出かたによって、かなり内容が左右される。その点、今年は半数が初参加の方。しかも、そのほとんどが1年以内の新人である。ご法の上でも、求めている方が大半だ。それだけに、もっと場を動かせていく参加者、もしくは世話人クラスの人が、もう1、2人入っていると、また違った雰囲気になっていただろが、しょせん、そんなことは「たらねば」のたわごとだ。
参加者は、申込み順で、定員は20名(厳守)。1ケ月前には定員に達して、キャンセル待ちになった。そこに講師、世話人が4名加わる。合計24名ではワングルーブにするには多すぎる。それに、全体でひとりひとりとじっくり関わるにも、1泊2日はあまりにも短い。一方的に講演を聞くのなら、充分な時間でも、ひとりひとりの気持ちを確認したり、自分を表明しあい、時に調整を繰り返していくには、それ相当の時間が必要なのた。たとえば、流れにまかせて自由なグループ分けをするだけでも、1日を費やしても足りないだろう。それに、皆さんが聞法というところに焦点が定まっている以上は、そちらの時間を優先させたいというのが、今回のぼくの思いであった。極端な話、予めグループ分けをしていてもいいぐらいに思っていたが、まあそこまではせずに、グループ分けの時間を決めることで、対応することにした。
その点では、少し急ぎ過ぎていたかもしれないが、結果として、それぞれの思いが反映されながら、3グループに分かれて、それぞれ特色のある法座グループになっていったようだ。グループ分けの過程で、課題が浮き彫りになってきた方もあるし、まだよくわからないままの方もあった。また、非常に自由な雰囲気を味わって深く感銘された方もあるし、未消化のまま帰宅された方もある。それぞれのグループのなかで、各人が感じることはさまざまなのである。
たとえば、2日間、8名だけで、ずっと増井悟朗先生と過ごしてのご法縁をいただけるグループもあって、これなどかなり贅沢な話ではある。
グループ分けのプロセスでひとつ面白かったのは、「誰々先生のところ」という分けかたではなく、それぞれが課題やテーマを出し合って、そこで関心ある人たちが引っつきあって、最後にそれぞれの世話人が入っていたところだ。もう少し各グループの思いを、アピールしてもらっていたら、さらに面白いグループ分けになっていたかもしれないなー。なんなりと興味深いことはころがっているなー。
内容にふれるわけにはいかないか、ぼくは、真宗カウンセリング風(もしくは的)のグループを受け持つことにした。この「風」というのは、マインドという意味もあろう。ただし、昨年の記事にあるが、ぼくのなかでは、真宗カウンセリングであろうが、華光の法座であろうが、ぼくの態度のところではなにも変わらないと思っている。自分を出したくなったら、遠慮なくドンドン発言していくし、お聞かせに預かる時はお聞かせに預かる。どうしようと悩む時は遠慮なく悩むし、沈黙する時は沈黙する。どんな自分も(しょせん、いい格好しかしないが)、それが安心してだせる、まかせられる、許される場が、この集いなのだと思った。
いつもの法座のような雰囲気もあり、ちょっと自由にものがいいづらい威圧的な雰囲気を経ながらも、最終的には何名の方が、かなり深いところ自分に触れる自由な旅をされた気がする。その場をほんの少しでも助演できたのではないかと思うが、ぼく自身としては、もう少しみんなで、そのディープな雰囲気を味わい、共に分かちあえる時間があったら、もっともっと深まっていったのになーという反省はある。つまり、解答や正解(だいたい知識)、解決法をすぐに示すだけでなはく、ともにその感じや雰囲気を静かに共有し合い、味わうことで、次のプロセスが生まれて来るまで、待たせてもらう。それを安心して出し合える場を提供したいといのうが、この集いの趣旨のひとつなのである。
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コメント
「真宗法座の集い」ありがとうございました。
終了後の掃除で道場の畳を拭いただけで腕が筋肉痛
になってます
先生の去年の記事、私も開いて読み返させてもらい
ました。先生のすごい自信を感じます。
本当に一座として同じものはありませんね。
でも「みんな(仲間)」を通して聞かせてもらうって
ところはいつも同じ。今回も良い「お座」でした。
今週末(日曜日)は「東海支部法座」です。
とうぞよろしくお願いします。
投稿: 蓮華 | 2009年4月14日 (火) 21:32
こちらこそ、ありがとう。
えっと、蓮華さんの影響を受けて、ぼくも、そんなエントリーをしてみる予定です。
投稿: かりもん | 2009年4月15日 (水) 00:38