広島支部法座
二日続けて、本格的な雨
でも、西に新幹線が向かううちに、小降りになり、曇りになり、岡山を過ぎたあたりから青空が広がってきた。帰路は、京都も晴れだろう。
例によって、広島駅直前の広島新球場を撮影。新幹線側がスコアボード側になるようだ。内外野の天然芝がみえている。4月10日こけら落としなので、次回(3月末日)には、完成しているだろうか。
久しぶりにM家での家庭法座。アメリカで羽栗行道先生、伊藤康善先生のご縁を受けた方からのご縁で、かなり古くからの華光同人のお宅だ。いまや、お子さんだけでなく、お孫さん、曾孫さんへ、その縁者の隅々にまで生きた仏法が染みわたっているのだ。末世、無仏の世にあっては、まさに尊いご一家である。
今日は見慣れぬ若い男性が、皆さんと離れてポッンと座っておられた。どこかであった方だなーと会釈をしても、まだ思い出せなかった。自己紹介で、「先日の仏青研修会に参加したMです。」、あー、なるほど、広島の安芸高田市のお寺のご子息! 1日だけとはいえ、ぼくのグループだったのに、あの時は、初めての方が6名、しかも龍大学生さんが中心だったので、すぐに思い出せなかった。失礼しました。
今日、広島に帰省されたのに合わせて、ネットで調べて、不便な中をわざわざ参加してくださったのだ。まったくお誘いしていないのに、これはかなりうれしかったなー。 しかも、最後に「頭を垂れて」というところで、これからの聞法の姿勢について発言してくださった。
若い僧侶の方が、自分の問題、後生の解決に 焦点を当ててご聴聞くださるようになるとしたら、もう望外の喜びである。真宗繁盛の礎である。
明日は、ある本派の組(そ)への連研のまとめの布教にでる。帰宅したら、担当者から、詳細と写真が送られていた。
「聞法のつどい」と題されている。それにしも、すごい垂れ幕。「真宗の要は、お聴聞」ですか。話したいことはたくさんあるが、焦点を絞ろう。さあ、準備にとりかかろう。
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コメント
ありがとうございました。
誌上法話を書かれた先生とともに、輪読法座をしていただけるということで、とてもわくわくしていました。
それが、法ではなく、枝葉に流れていったり、聞法の焦点が
ずれていく私を知らされていくと、わくわくどころではなくなっていきました。
「そう言うてる自分は、何なんや」ということに、ガツーン!
「愚者にかえって、頭を垂れて、お聖教のお心を聞かせていただく。」
そこに、帰らせていただくことを、
私の居場所を用意してくださっているのだと、喜んでいます。
投稿: Tねこ | 2009年3月15日 (日) 14:16
Tねこさん、お世話になりました。
そうでね、聞き間違うからそこを教えていただくわけですね。指摘し、直してくださる先生やお同行に囲まれていることが、ほんとうは幸せなんですよね。でも、それがわからないのが、迷いの姿ですが…。
2日前にエントリーした「頭を垂れて」も、合わせてお味わいください。
投稿: かりもん | 2009年3月15日 (日) 22:31