『フツーの仕事がしたい』
以前、仏青の人に「○○の集まりはどうたった?」と尋ねたら、「ふつうによかったです」と返答されたことがある。「はぁ? どっちなの? 『よかった』のか、『ふつう』(平凡)だったのか」と、思わず聞き返してしまった。それがいまでは、「『フツーにおいしいよ』 これってホメことば?」という、NHKのアナウンサーの歌があったように、ずいぶん聞き慣れた言葉になって、なんか妙だなーと思いながらも、だいたいは肯定的な意味で使われるんだろうなーと理解している。
70分のドキュメンタリー『フツーの仕事がしたい』を見る。この映画の「フツー」ってどういうことなのだろうか。よく「フツー」が言いって言うけど、「フツー」でないのはどんなことなんかー、と言葉に疑問を感じながら、みなみ会館のレイトショーへ。なんでも、監督が京都出身で龍谷大学の卒業生。公式HPでは、みなみ会館のよく通っていたとある。劇場ですれ違っていたにちがいないと思うと、少し親しみも湧いて来る。
そして、一目見ただけで(何がフツーかはわからなくけも)「確かに『フツーの仕事がしたい』と叫びたくなるなー」というほど、過酷で、異常で、フツーではない主人公の仕事ぶりに、ビックリさせられた。なんとも壮絶なのだ!
主人公は、住友大阪セメント系列の輸送会社の、その下請でセメント輸送する36歳のトラック運転手だ。その少し前、別の下請業者の車が、法定積載量をオーバーして横転し、運転手は死亡、巻き添えでケガ人も出てしまった。事故の時、運転手は40度の熱がありながら、「有給休暇を取ったら解雇だ」と、会社に言われて働いていたという。人ごとのように思っていた主人公も、ある月の労働時間が、552時間34分あった。数字だけみてもよくわからない。1カ月(30日×24時間)のすべて時間は、720時間。そのうち、552時間も働き続けているというわけ。つまり、1日24時間のうち、18時間以上の労働時間になる。正確には、1日に仕事以外の時間は5.7時間しかないのだ。この6時間足らずの間に、食事をし、入浴や睡眠時間があるわけ。労働基準法で定められた1週間の労働時間は40時間。1ケ月だと180時間足らず。まあ、この厳しいご時世に、そんな優雅な仕事ぶりの人(最近の不況で、「残業するな」「休日出勤するな」となっているが)はいないとしても、この552時間はあまりにも常軌を逸している。当然、1カ月の間に帰宅できたのは1度だけ。しかもそれだけ働いても、月給は30万円ほどしかない。
なぜなのか。完全な歩合制。それも「経営が厳しい」という理由で、どんどんその比率は低くなり、完全に輸送量に比例する給料体制、償還制に一本化される。みんな一人一人が親方というわけだ。こうなれば、労働時間は関係ない。残業も、休日も関係なくなる。完全な成果だけが問われる。社会保険や雇用保険だってあやしい。会社ぐるみで過積載も当たり前だ。「なぜ、これまで声をださないのか」と、憤るように見ているが、これがこの業界の悪しき常識で、常態化している。つまり、みんな周りが似たりよったり環境で、これが業界の「フツー」だっというわけ。みんながそうなら、「厳しいご時世だから」とか、「自分ひとりが声をだしても」となってしまいかねない。この心理状態は、「なんか変だぞ」とおもいながらも、閉ざされた世界や業界ほど、よくある話だ。
現代の建築や土木にはセメントはなくてはならない。私達の生活を支える必需品だ。不況にもかかわらず、東京や都市部はあいかわらずの建築ラッシュ。しかも昼夜をとわず、稼働し続けいるから、ナマもののセメントの需要度はますばかり。しかし、経費はすこしでも削減したい。ならばどうなるのか。もともとは、大手の輸送会社なら年収600万~700万の仕事だったのが、どんどん川下の下請けにおりてくる間に、人件費が削られるのは「フツー」の話。弱い立場の人が、厳しい契約条件で働かざるおえない。
でも、この映画は単に社会的弱者の現状を告知し、社会の矛盾を啓発するためのものではない。ここから彼は立ち上がる。派遣やパートでも一人でも加入できる「ユニオン」という労働組合にはいって、奮闘する(周りが)物語だ。これが一筋縄ではいかない。会社側は、彼を労働組合から脱会させるために脅迫や暴力まで使って圧力をかける。一時は屈しかけた彼も、仲間の励ましで再度立ち上がる。すると、ヤクザ顔負けの荒くれ男たちが、母親の葬式にまで乱入してくる。対する組合側もかなりのプロ。負けちゃいません。ここから壮絶といっていいほどの戦いが始まるのだが、その途中で、彼は難病にかかり倒れてしまう。もう過労死寸前の状態だったのだ。
労働者たちはさらに抗議行動を起こす。川上へ、川上へともともとの発注もとの大手企業の前での座り込み。最初は、資本提携の関係はないとか、当社は、常に法令遵守(コンプライアンス)を求めているとの建前一点張りだったが、大手企業ほど、イメージ戦略に弱い。本社前での強硬な抗議、緊急上映会も始まり、とうとう劣悪な労働環境の改善を約束させられることになるのだ。
ラスト。「ユニオンがあってよかった。労働組合のおかげだ」と、主人公の親子ともども絶讃して終わる。だって、これは「ユニオン」という労働組合の依頼によって造られたもの。プロパガンダ映画か。いや、権力側ではないし、はっきり監督の立ち位置を明確にしているので、プロパガンダというより、内定取消しや派遣切りなど、ますます労働条件が悪化し、孤立化を深めるなかで、労働弱者も「声をだすだけでなく、力を合わせて立ち上がって行動しよう」という力の啓発映画といったほうがいいかもしれない。その壮絶さに肩入れし、同時に、一人ではなく力を合わせて立ち上がることの意義も分かった。その意味では、かなり面白かったけれど、あまりにも一方的な視点に違和感を感じなくもない映画ではあった。
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