ピアノのおさらい会
輪読法座終わって、間をあけずに、華光文化教室のピアノのおさらい会があった。
発表会は、年に一度、合同でホールであるのだが、3月の学期最後に、おさらい会として、保護者の前で日頃の成果を披露してくれる。今回は、輪読法座の参加者も、顔をだしてくれた。
長女が、昨年の6月ごろからピアノを習い始めた。まだまだ1年にも満たないが、短い「こぎつね」を弾いてくれた。彼女にとっては簡単なものだが、大勢の他人の前で弾くのは始めてだったが、うまくできたようだ。短期間で、ずいぶんうまくなったものだ。そして、少ない人数だが、こうして順番に弾いていくと、上達ぶりがよくわかる。最後の子などは、もう立派なピアノ曲になっていた。
最後には先生も一曲弾いてくださる。今年は、ショパンのワルツで、OP69-2だった(たぶん)が、きれいな楽曲で、目の前での生演奏に感銘を受けた。
締めくくり、先生から生徒へ一言もあった。
別に特別の才能はなくても、少々遅いスタートでもいいのだそうだが、毎日30分、練習し続けるならば、誰でも上達するとのことだった。最初は、みんな喜んで練習をする。でも、だんだん難しくなって、嫌になってくる。ても、そこが上達のポイントで、そこでもただひたすら、繰り返し練習するだけだという。逆にいうと、その根気とか、モチベーションの維持ということが、ある種の才能なのだろうと思って聞いていた。そして、学年が上がるに連れて、忙しくなってくる。でも振り返ると、その時、その時は「忙しい、忙しい」と思っていても、実はかなり時間があるものだ。低学年から高学年になったら忙しくなったように思い、中学へ、高校へ、大学へと、それぞれたいへんになったように思ってきた。でも社会人になると、学生時代の忙しさは遊びのようなものだったと思えるほど多忙になる。でも、それで留まらず、さらに家庭をもち、子育てや介護が加わるのだから、常に「忙しい」「たいへん」は留まることをしらないのだ。でも、常に、その限られた範囲の中で、どれだけうまく時間を利用できるかどうか。受験などのときにこそ、ピアノを継続することができれば、実は勉強もうまくいくとの話だった。要は、両立する能力こそが、才能だというのであろう。子供向けの教訓だったが、いまのぼくにもピッタリの気がした。
というのも、法座が続いたり、華光誌があったりするが、おかげさまで、以前のような「忙しい」を感じることは少なくなった。さすがに、〆切間際とか、大会の前などはそうでもないが、普段はこころに余裕がある。ただし、これは、なにもぼく自身の成長ではなく、事務を助けてくださる人達が増えたおかげなのだ。当然、仕事の質も変わってきて、打合わせや訪問などで、外部の人と会うことが多くなってきている。第一、家庭での役割も変わってきているが、以前より、自分の時間を大切にできるようになったのが、いちばん有り難いところだ。惜しむらくは、もう少しお聖教に親しむなどの専門(真宗方面ですね)の勉強をしたほうがいいとは思うが、これはこのところズッーと触れている課題だなー。
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