お釈迦様のご生涯
講習会が終わった。
悟朗先生が、2月に右手小指を亀裂骨折し、軽症でも文字が書きづらいので、講習会は危ぶまれていた。講話はともかく、テキスト(たとえ下書きにしても)の作成が不自由だったからだ。おかげて思ったよりも早く回復し、先週から包帯も取れたので、予定通りおこなうことになったが、苦手の午前は、ぼくが担当することに決めていて、「釈尊の一生」と仏跡との関連についと1時間ほど話して、残りでスランドをみてもらうことにしていた。
もっと簡単に話すつもりだったが、子供さんもいたので、「子供の聖典」読んでもらい、ご生涯に添いながら、仏教の基本や釈尊の行実の意義のようなもにも触れて聞いてもらった。
農耕祭、四門出遊という人生の苦 悩(カピラヴァストウー)から、
すべてを「捨」て「出」家された意味(求道=苦行林、前正覚山)。
2人の師匠の仙人の境地を「出」て、快楽主義や苦行主義を「捨」て(ネーランジャー河)中道を歩み、菩提樹の下で瞑想にはいられ、八軍の煩悩を「破」り、悟りを開 かれた(成道・ブッダガヤ)、そのこころ。
さらには、静かなブッタから、動態としての仏が説法(慈悲)として動かれた初転法輪(伝道・サルナート)によって、仏・法・僧(伽)の三宝がそろった意義と、
そして45年のご生涯をかけて、中インド一帯に、その法りが大きく展開する(王舎城=竹林精舎、 霊鷲山や、舎衛城=祇園精舎)のである。その間、ビンビラーラ王やスダッタ長者のような庇護者にもあり、六師外道やダンバダッタのような敵対者もあり、舎利弗や目蓮尊者のような仏弟子から、スジャーターやチャンダ、スバッタ(最後のお弟子)、アングリマーラのような無数の人達との仏縁を通じて、仏法が広まっていくありさまと、
最後に、サーラの林で涅槃(クシナガラ)に入らたお心に、荼毘に付されて八分骨されることで、展開していく仏法のこころのようなものを外観した。
お誕生にしても、ご出家にしても、中道精神にしても、もちろん、成道に、伝道宣言に、さらには、霊鷲山や祇園精舎のお説法、そして、お涅槃にひとつをとっても、何一つが欠けても私のところには、仏法は届いて来なかったのである。
ところで、私達は釈尊のように、家も捨てらず、煩悩も破れず、この身がある限り悟りを得て成仏することできない。そんな煩悩具足の凡夫も、捨てさられるものがあり、破っていただくものがあり、 この身このままで、転じて成っていく世界があるのだ。
さて、何を捨て、何を破っていただきましたか。そして、どう成らせていただきましたか。
実は、この他力回向の体験的な心相こそが、今回の講習会のテーマであった、二種深信だといっていいわけですね。この点は、また別の機会に… 。
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