東京雑感
東京法座の帰路の車中。反省会と称して、有志10名ほどで呑んだ後で、上機嫌でキーボートをたたいている。インドのスライドが思った以上に好評だったし、巡拜された参加者が饒舌にその熱い思いを語り、現地にたって心境が動いた人もあって、企画や準備はたいへんだったが、その労が報われる思いがした。
今回は、2月から3月にまたがる法座。随分、新しいご縁が増えたとつくづく感じた。今回の参加者の半数は、この1年以内、というより10月以内のご縁の方が大半だ。でも、どこかで古くからの知り合いだった気もするし、短期間に信頼関係を築けている人もいる。そう、誰だって最初の出会いは、初対面なのだ。中には、まだ2~3度のご縁でも、毎日、このブログをチェックして身近に感じてくれている人もいる。そういえば、アクセスのランキングで神奈川県はいつも上位だが、東京支部といいながら、神奈川の人が一番多い。
人が新しくなっても、有り難いことにそんな人たちの人となりや、肉声もしっかり届いていきている。特に東京法座では、初参加者と席を同じくして呑む機会も多い。ネットでくる人の中には、直接的なコミニケーションが苦手な人もいるが、苦手だという人でも、本音では暖かなコミニケーションを望んでいる孤立した人も多い。身近な人とのコミニケーションすらもままならない、厳しい現実があるのだ。今回の法座も、部分だけだが急な新顔のお参りが数名あった。不参加だったが、問い合わせも、随分、多かったようだ。いずれもインターネットをご縁にした人たちで、中には数年前のNHKのこころの時代を見て心に留めていてくれた人もいた。みな30代、40代の人たちだ。伝統、新興のさまざまな宗教遍歴をしている若者もいた。
伝統的な真宗寺院の法座は、60代、70歳代以上の高齢者が中心で、「若い人に仏法を聞いてもらえない」とあきらめている雰囲気がある。中には、若い人を集めるために、ジャズコンサートや人集めイベントを企画している寺もあるが、そこでご縁ができた若者が、法座にも積極的にお参りするようになったいう話は聞かない。当たり前なのだ。人は集まるご縁も大切だが、本質的な解決にはほど遠いのである。ある先生がおっしゃっていたが、もうすでに魚が枯渇した釣り場で、相変わらず昔ながらの釣り糸を垂れて「釣れなくなった」と歎いているが、実はその川下では、癒しやスピリチャルといって精神的な世界を求めて、苦悩する若者がひしめきあっている。では、その人たちが、伝統的な既成の教えに魅力を感じていないのかというと、そうではない。皆、なにかを求めているのである。漠然とは、釈尊や親鸞聖人の教えにも魅力を感じてもいる。しかし、親鸞聖人の魅力=既成教団(お寺)に魅力を感じるのかというと、それはまったく別だ。なんのことはない。形式や建物ではなく、伝え手(僧侶)の信仰や喜びを、シビアな目で見ているのである。面白みや魅力を感じないところには、若者は集わない。お金も使うわけがない。浄土真宗が、現代人の一般に分かりやすく、「感謝の日々」や「生きる喜び」程度を訴えて迎合し続けていく限り、お寺の法座には閑古鳥が鳴き続けるだろう。それなら別に浄土真宗でなくてもいいし、心理的なアプローチやスピリチュアルな教えのほうが、もっと得体のしれないが、しかし我が身に非日常の体験を与えてくれそうなあやしい魅力があるのだ。だから、もし浄土真宗のおみのりを喜んでいるのなら、その喜びそのまんまを、妙な小細工なんかやめて、ガツンと伝えたほうが、どれだけ伝わるかと思うのだが、なぜか、既成教団はそんな当たり前のことに気付いていないようだ。なんとも不思議なのだが、そのおかげで、ぼくは生活をさせてもらえるのだがら、これゃ、ご本山に足を向けて眠れんわー。
東京法座に触れなかったが、まもなく京都につく。ちょうどきりがいい。
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コメント
2日間のご法座ありがとうございました。
不思議な余韻に浸っています。
最後の座談、それぞれに自分の思いを語りながらも、
そこに流れる一体感というか、今のこの出会いを喜ぶと
いうか暖かいものを感じて、何かいい感じ~と
思ったのは私だけでしょうか。
投稿: Anne | 2009年3月 2日 (月) 09:06
Anneさん、こちらこそありがとう。
「信心獲得せねば…」という魔の呪縛から解き放たれて、とても、自由で、自然なAnneさんがおられた気がします。だからこそ、これまで避けていた未解決の問題が、いまこそハッキリと見えてきたのだと思います。その結果は、自分の願いどおりなるかどうかは、わかりません。でも、どんな結果になろうとも、初めて向き合え、進みだそうとしていること自体が、もう一歩を踏みださせてもらった尊い姿ですから。あとは、恐れることなく、躊躇することなくですね。
投稿: かりもん | 2009年3月 3日 (火) 00:32
先生、コメントありがとうございます。
決心しても、不安な気持ちでいっぱいですが、
先生のコメントに勇気づけられています。
投稿: Anne | 2009年3月 3日 (火) 23:00