暖かな一日、グルジア映画『懺悔』を見る
暖かい。春の彼岸というのに、春を越えて初夏がやってきたようだ。
仕事も一段落したのだが、今月はこのあとも法座 や行事が立て混んでいる。いまの内に、散髪しておうこと、ダージリン紅茶を土産にカットに出かけた。お昼は、マノアマノというカフェでランチ。「ピクミン愛のうた」を歌ってくれたベイちゃんが、久しぶりにカウンターにいた。ここでもインドの話をあれこれ聞いてもらう。
その足で京都シネマへ。旧ソ連、いまのグルジア映画で、『懺悔』を見る。まだ冷戦時代のソ連末期(1984年)に、スターリン時代に起きた大粛清をテーマにした映画だ。上映が見送られ、なにかと物議を醸した作品。
冒頭のさわりを紹介すると、
グルジアのとある町。あるケーキ職人の女性のもとで、一人の男が新聞の訃報記事に絶叫する。長年、敬愛されてきた市長が死んだのだ。町の精神的な支えだった市長の死に、市民は大きな悲しみを受け、盛大な葬儀が行なわれた。しかし、その翌朝、彼の豪邸の庭に、彼の遺体が立っている。2度、3度と遺体は掘り返されて庭先に戻ってくる。誰かが、墓を暴き、庭先に置いていくのだ。警察や家族が墓で待ち伏せする中で、犯人が現れる。怒りに燃えた市長の孫が、銃を放って逮捕する。意外にも、その町に住むケーキ職人の中年女性だった。やがて彼女の裁判が始まる。彼女は、幼少期の彼女とその家族が、市長の強権発動による弾圧の苦悩を語り始めた。「これは復讐ではない。復讐では私は満足を得られません。彼は私にとって忘れ得ぬ不幸と苦悩の源泉なのです」と…。彼女の回顧と、それを聞いた、市長の遺族たちの葛藤、怒り、苦悩と続いていく…。
ただしフィルムが古くさく、内容も風変わりな寓話的な映画だった。少し退屈に感じたのは、かなり残虐な現実を、抽象的なメタファー(隠喩的表現ですね)を織りまぜられて奇妙な演出がなされているので、なーんとなく違和感を感じたからだ。それでもこれゃー深いんじゃないのーというテーマも隠されている。一度見ただけでは簡単に理解できそうにないが、じゃ、二度見たいかというと、ちょっとすぐにはその気になれない、ぼくにはそんな類の芸術映画だ。(本作はともかく、タイトルをクリックして、ちょっと公式HPをのぞいてやってください)
歴史的な時代背景(時代を先取りしていた)強烈にもった作品なのだか、同時に普遍化されたテーマが読み取れる。間違いなく、ぼくの足元にも、遠からずおきた父や祖父世代の過去の狂信的な過ちや暗黒の時代から続いているという事実だ。それは、過去の世代の遠い昔の、今とは無関係のことなのか。もしそう受け取るなら、その過ちは、形を代えて繰り返されていくだろう。そのとき、忘却することでもなく、「あの時代は難しい時代だった」と正当化するのでもなく、また絶望するのでもない。ただ懺悔があるのみだ。
では許しを請うのは、神仏なのか? その神はどこへ行ったのか? とラストは終わったような気がした。
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