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2009年3月の25件の記事

第2回広島真宗カウンセリングWS

 5日間、連続での出張法座。これまでも、広島と九州と連続での一泊法座をもったり、法座が続くこともあるが、今回はふたつの集いの内容がユニーク。2日間が日高支部だが、ここは月忌参りや子供会の花祭りを含めた法座で、そのあとは広島での真宗カウンセリングワークショップに3日間参加した。

Img_5496  カウンセリングWSといっても、半数は華光の広島同人。残りは地元の僧侶や学習をされている同行さん。日頃から学習を深めている顔なじみばかりで、その点Img_5493では深まりを期待できる顔ぶれだった。しかも3日間、固定したグルーブで、参加も20名弱に絞っている。M先生が主導くださるし、運営も地元の方が全面的に持たれるので(お疲れさまでした)、身軽に参加すること ができる。法話の準備もいらない。法衣ももたないし、スーツも着ない。信頼を寄せるM先生となら、簡単な打ち合わを車中でする程度で、特に準備の必要がない。かなり経験がものをいうし、そのためには、出来る限り体調を整え、いま、ここの自分を引っさげて出席することこそが大切だ。Img_5490

 広島の廿日市市の山道をどんどん登った、緑豊かな温泉施設が会場。山間の静かな田舎。いい雰囲気だ。天気も、快晴で、青空が広がる。風は少し肌寒いが、心地よい。桜も咲いたりImg_5501 、蕾がいきおいよく膨らんで開花寸前。こんな会場の天気や、雰囲気に象徴されるような集まりだったかなー。

 ぼくとしては、参加者ひとりひとりが、遠慮なく、躊躇することなく、自分の実現したいことを、安心して実現できる雰囲気の中で、もう少し動きがあれば、もっと面白かっただろうなーとは思いもあるが、それでも、長年の華光と、カウンセリングのお育てで、畳みの目ひとつひとつでも、確実にそれぞれのところで成長されていることも強く実感させられた。

 いろいろと味わうことがあったが、残念ながら内容に伴うことに一切触れるわけにはいかない。もし自分の感想として述べられる範囲があるなれ、また報告してみたい…。

 でもいまは、疲れてますね。「ご苦労さまでした。ゆっくり寢てください。」と、やさしく自分に声かけして休みましょう。(↓寒緋桜は満開でした)

Img_5500_2 

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定点観察

 これから広島での真宗カウンセリングワークショップの集い。

Img_5487 M先生と新幹線の車中。

 車中から、ずっと定点観察(?)で撮影しImg_5488 ていた広島新球場が、とうとう完成した。

 新幹線を意識して、バックスクリーン裏に「ようこそ ときめく広島へ」という歓迎の文字かありますね。

 送迎バスで、廿日市の温泉施設まで。50~60分程度かな。

 では行っています。

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白木蓮

 本願寺の門前町にあるお寺に、見事に白木蓮が咲いていた。青空じゃないのが残念。
 向いは、広瀬精一氏の寄進された親鸞聖人像、斜向いに羽栗行道先生のお寺がImg_5455ある。

 いまから、日高支部法座に出かける。金曜、土曜と変則になったのは、日曜日からの3日間、広島で真宗カウンセリングWSがあるためだ。

 ちょうど、土曜日から高速料金が、1000円均一(もっとも京都は除外)の初日にあたる。帰路は高速は避けたほうがいいかもしれないなー。

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『おくりびと』だけじゃない!

 07年が、ホロコースト物で『ヒトラーの贋札』。そして、08年が東ドイツ諜報活動を描いた『善き人のためのソナタ』東ドイツの”シュタージ”という体制支配の中枢を担っていた強力な国民環視の非人間的組織と、芸術、ひいては人間性の相剋を描いた佳作。これはいい)と、わりと歴史的な社会派ドラマが強かった。それが、前評判を覆し、『おくりびと』がアカデミー賞の外国語作品賞を受賞した。

 たいしたものだなー。

 別に受賞したことではない。

 いつものことながら、外国で箔がつくと国内の評価がうなぎのぼりになる、その過熱ぶりに驚いているのだ。もう1ケ月近くになるのに、先日の京都新聞の一面下のコラムにも、また2面の山折哲雄氏のエッセイにも、この話題に触れられている。山折さんは、青木新門さんついての記事だった。

 ぼくのこの小さなブログだってそうだ。『おくりびと』と『納棺夫日記』についてのエントリーをしているので、そのフレーズで検索されるアクセス数が、ずっと急上昇中。「納豆国の美白いのち姫さん」からも、「観てきました」との報告と、エントリーを読んだら「なーるほどと思った」とのことだ。

 でも、『おくりびと』と『ポニョ』だけが、日本映画じゃない。
 
特に昨年は、ぼくが「これはいいなー」と思ったものと、世間や評論家の評価とが、合致した年だった。

 『ぐるりのこと。』『実録・連合赤軍~あさま山荘への道程~』『闇の子供たち』が、ぼくのベスト3。偶然、京都シネマでみたものばかり。他にも、歩いても、歩いても』『休暇』『クライマーズ.ハイ』などもよかった。以上はここにエントリーしている。
 その他、触れることは出来なかったけれど、

 エリートサラリーマンのリストラを契機に、もともとあった家族の亀裂、不協和音が頂点に達するまでの緊迫感と、予想外の外部からの侵入によって急展開する「アレレレ」感のある後半の対比が面白い、黒沢清監督の『トウキョウソナタ』

 『東南角部屋二階の女』は、取り壊し寸前のボロアポートを舞台に、偶然集まった若い男女の3名。宙ぶらりんの冴えない3人に、認知症で沈黙をまもる祖父と、アパートのオーナーで彼の世話する上品な初老の女性との深い想い交差する、ぬくもりのある作品。

Ichiban1  さすがは今村昌平のDNDが生きている『世界で一番美しい夜』は、「エロと愛が世界を救うのだ!」というオリジナリティー溢れる力強い作品。一見、かなりばかばかしいようで、でもしっかり踏みとどまって、独自のエネルギーを発している。多少好き嫌いあるかも。

 蒼井優がぴったりはまっていた『百万円と苦虫女』自分探しって、結局、自分が嫌いで受けいれずに逃げてるんだよね。海へ、山へ、そして町へと。探そうが、逃げようが、実はどこに行こうが決して隠れも、見失いもできないですがね。タナダユキさんいいです。ラストの解釈は? ネタバレになるのでここまで。

 あと、ぼくの傾向からみると保守的作品だけれど『明日への遺言』も悪くはなかった。東京裁判を主舞台にした動きのない枠で、藤田まことが毅然とした岡田資(たすく)中将を演じている。法戦か!

 ドキュメンタリーでは、世間を騒がした『靖国』には触れているが、Flowers_image

 他にも、ベトナム戦争での枯葉剤散布の罪を取り上げた花はどこへいった』は、単なる一過性の戦争の悲惨さに留まらず、次世代、また孫世代へと続く恐ろしさと同時に、当事者(加害者)たちの無責任、無自覚な姿勢がまざまさと知らされる。これはヒロシマやナガサキの原爆被害と同じ構図だ。夫の死という私的な悲劇が、人類共通の深いテーマへと昇華されていくようだ。

Nakba  『パレスチナ1948・NAKBA』)イスラエルが建国され、パレスチナ難民が多数発生した。この事件をパレスチナ人は、NAKBA(ナバク・大惨事)と呼んでいる。この年、400以上ものパレスチナ人の村々が消滅、廃墟となってしまう。そして、いまなお、パレスチナ人が暮らす場所は破壊され、追放する動きは続いているのだという。若き日の写真家の監督自らが、イスラエルの社会主義的な共同体キブツに傾倒してかの地で働く中で不思議な光景を目にする。そして、「ホロコーストを経験したユダヤ人のキブツが、パレスチナ人の村を破壊した土地に建てられている」……。その事実に衝撃を受けた彼は、失われた村の住民を捜し始めるのだが、それは、現在も続いている「破壊と追放の歴史」を辿る旅でもある。日本人にはもっとも無関心な問題を、日本人が取り上げている。

   堅い社会派の3本が並んだので、最後は『タカダワタル的ゼロ』で。
 オフビートで、ウィットに富んだ魅力に加えて、鋭く本質を見抜いた風刺が効いている高田渡を取り上げた『タカダワタル的』に、その2があるなんて思ってもみなかった。「2」ではなくて、「ゼロ」になっているところがいい。同じ舞台に立っていた泉谷しげるが、高田の歌を聴きながら、流れる涙が押さえるために天を仰いでいるシーンがいい。
 おかげで、高田渡をよく聞いた。『ごあいさつ』、『系図』、『石』のいわゆるベルウッドの初期三部作が好きだ
 そういえば、最近、三条堺町のイノダでコーヒーを飲むことはなくなったなー。

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利便性を追いかけると…

 華光会館の維持のために、エレベーターの補修と、エアコンの入れ替えが時期がやってきた。便利さを求めるには、それだけの対価が必要。それを維持するのにも、相当の経費がいるのだ。何事もお金はかかる。

 旧会館は階段しかなかった。横幅が広い、昔の学校の階段だった。布団も弁当も、みんなでリレーして二階に運んだものだ。

 エアコンもなかった。そのころはどこの家庭でもそうだった。それが、かなり後になって家庭用に後付けしたが、道場や教室に対応するには、音がうるさい大型のものしかなかったので、結局、ないまま過ごした。
 冬は、ガスストーブ。行事は人が集い熱気があるので、寒さを感じなかった。でも、夏は暑かった。まだ道場の窓を開けると風が入ってきたが、両隣がビルになり、周りがアスファルトになり、交通量も増えて、都市化が進むほど、暑さも増してきたのだ。それで、華光会館の8月の行事は(外への子供大会と聞法旅行に切り換えて)休んでいた。6月~9月の行事にしても、1階の家庭用扇風機を何台も運んで来て回した。夜の行事はそれでもよかった。さすがに、7月に壮年の集いを始めたら、多人数の熱気で、小さな扇風機はまったく役立たなかった。「暑い、暑い」と不満をいう方(なにをやっても文句の方だが)もあったが、大方、何も言われなかった。だって、クーラーがないだから仕方がない。我慢して参加すればいいだけのことだ。

 それが、新会館は3階建てになり、小さいながらもエレベーターが設置されて、足の不自由な方や行事の時の弁当や荷物運ぶは、格段に便利になった。
 全館にACが入ったので、夏でも冬でも、暑さ寒さの心配はなくなった。とくに、夏の行事は有り難い。

 でも、設置費用に、日頃の電気代もかさみ、地球温暖化も促進している。そしてメンテナンスと交換と、負担は増えるばかりだ。それも快適さを求めた結果である。

 エレベーターは予定外だったが、エアコンはある程度予想していた。順番に調子が悪くなり、交換が必要なものが出てきている。それを毎回、個別に対応していくと、工事費も含めて1,000万円を楽に越えることになるのだ。それもあって、設計士の先生と何度も検討した結果、これから3年間をかけて、フローア毎の総入れ換えすることになった。多少は割安になるとはいえ、維持管理もたいへんである。

 印刷屋、旅行社と相談が続いた直後に、業者との契約と日程の打合わせをした。エレベーターは永代経前に、エアコンはその後の作業となったが、充分夏には間に合う。快適な中で、せいぜいしっかりご聴聞ください。 

 ところで、ぼくは冷房が苦手で、なるべく使いたくないのだが、人が集ってくるとそうもいかない。もちろん、真夏には恩恵もうけている。事務所も、寒がり3名に、暑がり1名の構図だが、なぜか暑がりの人が、力関係で強い。面白いことに、彼女は冬と夏しかないのか、数日前の温かい日には、いきなり半袖アロハのいでたちになっていた! もし温かい日が続くと、扇風機が回る日も遠くないだろう。

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WBCと『悲夢』と~日韓激突~

 OFF。午前中は自力整体で、どこかでゆっくりランチをしてから、みなみ会館で『愛のむきだし』という、4時間もある長編の日本映画を見に行く予定にしていたが、WBCの決勝がある。今日は勝つ予感がありあり。とりあえず録画もしてレッスンに出かけた。ここは、ぼくより年上の女性が大半なので、野球にあまり関心なさそうな様子。ランチはパスして、急いで戻って自宅観戦と決めた。昼休みの時間帯で、ワンセグを観ながら歩いているサラリーマンがやたらに多い。みんな気になるんだなー。うまい具合に、旅行社、出版社、空調と各業者のアポは、明日になっている。

 5回表。まだ12時を少しすぎたところ。2時30分の映画までは2時間以上ある。でも、ちょうど三振、盗塁失敗のダブルプレーのシーンからで、1点リードしていたが、イヤな予感。チャンスはあるのに、決定力が不足している。案の定、同点になったが、ファインプレーが出たりで、日本に流れがまだあるような感じ。もうここからテレビ前に釘付け。ときおり、電話がかかってくるのが煩わしい。突き放し、追いつかれてと、特に後半の3回は、喜んだり、ドキドキ心配したりが交互にやってくる。ところが、緊迫した場面で、横のゆうこが「あのヘルメットにの『世界をつかもう』ってなんなん」(日本のスポンサーで、でもイチローはマクドが嫌いなんだ)と、最初は答えていが、「ダルビッシュって何人なん?」「紗栄子って誰なん?」(いまはいいじゃん、奥さんのことは)。とうとう「なんで陣内は浮気したんやろなー」(もっと関係ねえー)など、矢継ぎ早のボケた質問や雑音は、早々に無視した。とうとう9回裏も2アウト。このまま終われば、ちょうど映画にも行けるなーと思っていたが、どうも雲行きがあやしい。やっぱり、「ああーああー」。こうなれゃー、最後まで見るしかない。追いつかれたものの、一度もリードーされていないので、なんとなくまた分がある気もするが、追いついたほうにも勢いがある気もせんでもないと、ハラハラしていたが、不振だったイチローがかっこよく決めて、最後もしっかり納まった。ヤッタHimu_01ーね!

 おかげで『愛のむきだし』は無理だったけれど、機嫌よくナナを迎えに行ってから、別の劇場で別の映画に出かけた。京都シネマのキム・キドクの『悲夢』。韓国の鬼才監督と、オダギリー・ジョーの、こちらも偶然、日韓激突だった。いつもながらキム・キドクってすごいやー。きれいごとじゃない、むきだしの愛の本質を追求しようとする映像作家だ。勝負事とは違うところで、ドキドキさせられる。満足。

 もちろん、こんな夜は、スポーツ(今回は一般の)ニュースをはしごして、今日をしめくくるのでした。

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人間模様

 講習会が終わってから、仏跡巡拜のメンバーと交歓会。

 さすがに、アメリカ、九州と参加者が各地に散らばっているで、全員が揃うのは無理だが、半数の12名が集い、旅の思い出を語り合いながら、楽しく会食した。これまで、アメリカ同行の地への訪米団、中国の祖師巡拜なども各2度を開催しているが、その後も集まるのは仏跡の旅だけだ。前回も、インド料理のアショカという店に集った。今回は、ネバール料理のお店を予定していたが、ママのネバール行きと重なり、残念。

 写真の交換会を兼ねて、プリントも観てもらった。便利な世の中になって、デジカメになり、その膨大なデータを、ネット上で共有できるシステムも利用できるようになった。それでも、半数以上の方はネットとは無縁なのて、プリントしたものを選んでもらった。結局、スライド用、プリント用、ネット用と、3回の手間があって、便利になったことに振り回せれるようになったのである。なかには、さらに良いものをと考えてトリミングもする方もあったが、さすがにぼくはそこまでは手が回らなかったなー。

 だいたい1500枚と、かなり写真を撮ったと思っていたが、上には上がいて、2000枚以上は撮っている人もいた。上手に、しかも細かなところまで、まめに撮影されていて、感心した。ぼくは、他にデジカメで動画も撮った。

 27年前のインドの写真も見たいという話になって、第2回の写真も見てもらった。皆さん、熱心に見ておられる。たぶん、旅行前なら感心も薄かっただろうが、自分たちが訪れた場所が、どんな変化がしていたのか、その違いに驚いたり、もしかすると、お釈迦さま当時からも、あまり変化していないのではないかという悠久の流れも感じて、それなりに面白かった。

 でも、「ずいぶん、ブッタガヤは騒がしくなったなー」とか「ルンビニーはまったく違うね」と違いを発見しながらも、いやいや、一番、変化したのは、ぼく自身だということに気付いたのだ。「えー、これが…。わかりませんでした」と、皆さんからいわれること多数。歳月とは恐ろしいものだが、なかには「いまの方が若くみえますね」なんて、いわれてうれしいような、ショックなような、複雑。

 たった11日間だったが、ずいぶん皆さんと仲良くなり、一体感が生まれた感じがする。それに、いろいろな楽しい思い出を分かち合って笑うと、さらに高揚感に拍車がかかる気がした。

 もっとも、24名も集い、またそれぞれに家族や関わりがあるのだから、何もいいことづくめのはずはない。まさに凡夫の人間模様を感じることも、チラホラとね。

 でも、それも当たり前の話で、織り込み済み。

 だって、ぼくの中にもいろいろな心がある。108どころか、貪欲、愼恚、愚痴、そした等分と、84,000もの煩悩があるのだもの。それが縁によってさまざまな形で現れて来る。愼恚にも、忿があれば、恨もあり、害もある。それを覆とごまかしたり、悩となやみ苦しんだりする。貪欲だって、妬みすれば、ものおしみでけちる(慳)。そのために騙したり、諂ったりで、ときにのぼせあがり(悼挙)、ときに落ち込み(惛沈)、それでいて無慚無愧、ただしいことを知らない…。まだまだ続くがきりがない。要は、その煩悩(身を煩わし、心を悩ます)元が、死ぬまで絶えないのが私だ。そんな正真正銘の凡夫同士が寄り合って、お互い「我」をぶつけっあって、さまざまな社会や組織を造っているのだものなー。

 縁に触れ、折に触れ、さまざな人間関係に触れて、いろいろな煩悩が見事に(毒花を)開花していくのである。百花繚乱だ。

 でも、アジャセさんも言っている。
Img_5503  「『世尊、臭い、臭い、わが伊蘭のタネから、清浄な香ばしい栴檀樹が生じたのを、初めて目の当たりにしました。仏法を聞く心のない私に咲いた他力回向の無根の信だ」と。まさに、それは泥の中に咲く清浄の蓮ですね。

 でも、まあいくら分かっていても、確かにイヤなものはイヤだし、面白くないものは面白くないだろうなー。
 でも、それだけでは終わらないところが、なんとも勿体ないにね。 

 写真は、お釈迦さまの故郷、カピラバストゥー(カビラ城)跡。(これはスイレン?) ここに、冬も、雨季も、夏も楽しい三時宮殿があったのでしょうね。

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お釈迦様のご生涯

  講習会が終わった。

 悟朗先生が、2月に右手小指を亀裂骨折し、軽症でも文字が書きづらいので、講習会は危ぶまれていた。講話はともかく、テキスト(たとえ下書きにしても)の作成が不自由だったからだ。おかげて思ったよりも早く回復し、先週から包帯も取れたので、予定通りおこなうことになったが、苦手の午前は、ぼくが担当することに決めていて、「釈尊の一生」と仏跡との関連についと1時間ほど話して、残りでスランドをみてもらうことにしていた。

Img_5658  もっと簡単に話すつもりだったが、子供さんもいたので、「子供の聖典」読んでもらい、ご生涯に添いながら、仏教の基本や釈尊の行実の意義のようなもにも触れて聞いてもらった。

 釈尊が、無憂樹の許でお誕生ルンImg_5494ビニー園)された意味。

 農耕祭、四門出遊という人生の苦 悩(カピラヴァストウー)から、

Img_1097  すべてを「捨」て「出」家された意味(求道=苦行林、前正覚山)。

 2人の師匠の仙人の境地を「出」て、快楽主義や苦行主義を「捨」て(ネーランジャー河)中道を歩み、Img_1072菩提樹の下で瞑想にはいられ、八軍の煩悩を「破」り、悟りを開 かれた(成道・ブッダガヤ)、そのこころ。

 さらには、静かなブッタから、動態としての仏が説法(慈悲)としImg_5131て動かれた初転法輪伝道サルナート)によって、仏・法・僧(伽)の三宝がそろった意義と、

 そして45年のご生涯をかけて、中インド一帯に、その法りが大きく展開する(王舎城=竹林精舎、Img_5438 霊鷲山や、舎衛城=祇園精舎)のである。その間、ビンビラーラ王やスダッタ長者のような庇護者にもあり、六師外道やダンバダッタのような敵対者もあり、舎利弗や目蓮尊者のような仏弟子から、スジャーターやチャンダ、スバッタ(最後のお弟子)、アングリマーラのような無数の人達との仏縁を通じて、仏法が広まっていくありさまと、

Img_5245  最後に、サーラの林で涅槃(クシナガラ)に入らたお心に、荼毘に付されて八分骨されることで、展開していく仏法のこころのようなものを外観した。Img_5119

 お誕生にしても、ご出家にしても、中道精神にしても、もちろん、成道に、伝道宣言に、さらには、霊鷲山や祇園精舎のお説法、そして、お涅槃にひとつをとっても、何一つが欠けても私のところには、仏法は届いて来なかったのである。

 ところで、私達は釈尊のように、家もてらず、煩悩もれず、この身がある限り悟りを得て仏することできない。そんな煩悩具足の凡夫も、てさられるものがあり、っていただくものがあり、 この身このままで、じてっていく世界があるのだ。  

 さて、何を捨て、何を破っていただきましたか。そして、どう成らせていただきましたか。

 実は、この他力回向の体験的な心相こそが、今回の講習会のテーマであった、二種深信だといっていいわけですね。この点は、また別の機会に…

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年忌

  3日続けて春を越えて初夏のような陽気の日が続き、桜の開花もかなり早まるとのことだ。でも今日は、風も強くて、ちょっと肌寒かった。これでも平年よりも温かなのだろうが、今日までの陽気で、法衣姿だと、余計寒さを感じたのだろう。

 午前中に、近所の同人宅で年忌があった。今年の法事の予定は、このお宅一軒だけ。ご主人が亡くなったことをご縁として、これまで聞法されたことのない奥様までご聴聞されるようになられた。かなりゆっくりと一同で勤行し、ご法話も聞いてもらう。ほかのご親戚の方も、熱心にお話に耳を傾けてくださった。最後に、皆さんと、少し長めに称名念仏してもらった。

 明日からは、華光講習会。『二種深信』がテーマだ。

 http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/03/koshukai2009-3.htm

 帰宅すると、そうじや準備に、三々五々お出でになっていた。昨日と、今日の昼の部、・夜の部と、三部制(時に四部制)のそうじに変わった。都合のよい時間に、都合のよいだけお手伝いくださる方式のようだ。明日も、テキストのコピーなどの準備があるが、宿泊行事の中では、講習会はお世話が楽な部類の行事だ。人数も少なめで、出入りもあまりない。勤行や分級座談などもないし、体型をも崩すこともないからだ。

 それに、常連でも、講習会はパスする人もある一方で、講習会なのでと参加される方もあって、例年、世話役の顔ぶれもわりと固定している感じもする。それでも、今年は新しい方も多い。宿泊は無理だが、受講だけなら、当日の飛び入りでもOKである。迷っておられる方があったら、ぜひお参りください。

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暖かな一日、グルジア映画『懺悔』を見る

 暖かい。春の彼岸というのに、春を越えて初夏がやっImg_5436てきたようだ。

 仕事も一段落したのだが、今月はこのあとも法座 や行事が立て混んでいる。いまの内に、散髪しておうこと、ダージリン紅茶を土産にカットに出かけた。お昼は、マノアマノというカフェでランチ「ピクミン愛のうた」を歌ってくれたベイちゃんが、久しぶりにカウンターにいた。ここでもインドの話をあれこれ聞いてもらう。

 その足で京都シネマへ。旧ソ連、いまのグルジア映画で『懺悔』を見る。まだ冷戦時代のソ連末期(1984年)に、スターリン時代に起きた大粛清をテーマにした映画だ。上映が見送られ、なにかと物議を醸した作品。

 冒頭のさわりを紹介すると、

Zange_01  グルジアのとある町。あるケーキ職人の女性のもとで、一人の男が新聞の訃報記事に絶叫する。長年、敬愛されてきた市長が死んだのだ。町の精神的な支えだった市長の死に、市民は大きな悲しみを受け、盛大な葬儀が行なわれた。しかし、その翌朝、彼の豪邸の庭に、彼の遺体が立っている。2度、3度と遺体は掘り返されて庭先に戻ってくる。誰かが、墓を暴き、庭先に置いていくのだ。警察や家族が墓で待ち伏せする中で、犯人が現れる。怒りに燃えた市長の孫が、銃を放って逮捕する。意外にも、その町に住むケーキ職人の中年女性だった。やがて彼女の裁判が始まる。彼女は、幼少期の彼女とその家族が、市長の強権発動による弾圧の苦悩を語り始めた。「これは復讐ではない。復讐では私は満足を得られません。彼は私にとって忘れ得ぬ不幸と苦悩の源泉なのです」と…。彼女の回顧と、それを聞いた、市長の遺族たちの葛藤、怒り、苦悩と続いていく…。

 ただしフィルムが古くさく、内容も風変わりな寓話的な映画だった。少し退屈に感じたのは、かなり残虐な現実を、抽象的なメタファー(隠喩的表現ですね)を織りまぜられて奇妙な演出がなされているので、なーんとなく違和感を感じたからだ。それでもこれゃー深いんじゃないのーというテーマも隠されている。一度見ただけでは簡単に理解できそうにないが、じゃ、二度見たいかというと、ちょっとすぐにはその気になれない、ぼくにはそんな類の芸術映画だ。(本作はともかく、タイトルをクリックして、ちょっと公式HPをのぞいてやってください)

 歴史的な時代背景(時代を先取りしていた)強烈にもった作品なのだか、同時に普遍化されたテーマが読み取れる。間違いなく、ぼくの足元にも、遠からずおきた父や祖父世代の過去の狂信的な過ちや暗黒の時代から続いているという事実だ。それは、過去の世代の遠い昔の、今とは無関係のことなのか。もしそう受け取るなら、その過ちは、形を代えて繰り返されていくだろう。そのとき、忘却することでもなく、「あの時代は難しい時代だった」と正当化するのでもなく、また絶望するのでもない。ただ懺悔があるのみだ。

 では許しを請うのは、神仏なのか? その神はどこへ行ったのか? とラストは終わったような気がした。

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温かで、やわらかな気分

 華光誌の仕事が終わって、データを印刷所に渡した。あとは、完成を待つだけだ。華光誌が終わると、一息つく。発送作業は、4月3日の予定している。

 法蔵館から刊行される『念仏の雄叫び』も、すでにぼくの手元を離れている。華光誌と同じ印刷所が引き受けていることが、わかった。以前の版に、新しい章を加えて、増補新刊という形で刊行するのだが、こちらも、4月上旬が発行予定。増頁になるが、なんと価格は据え置くことになった。ただし、消費税分が上乗せされるので、1,260円が定価になる。表紙は、以前のイメージを踏襲するが少しだけ変わる。お楽しみに、そしてぜひとも「よろしく」です。

 年度末で、なにかとバタバタしている。法座や出版以外にも、華光会館の維持や管理の仕事もいろいろあるからだ。ただし、10月が決算期なので、その点ではまだましだ。

 夕方は、真宗カウンセリング研究会へ。こちらも、4月からのプログラム(パンフレット)が完成してきた。巻頭言を書いた「会報」と合わせて、月例会の前に発送作業を行なうことにした。一式、重たい荷物をもって大学に急ぐ。休み期間中なので、構内は静か。鍵を取りにいくも、春休みでいつもの入口が閉まっていて、あっちこっち走る。なんとか、ぎりぎり約束の時間に間に合ったのだが、誰も来ていない。あんなに急いだのになーと思いつつ、一人で作業を始めた。その内、代表のM先生もかけつけ、助っ人を名乗り出てくれた会員さんも(ありがとう)加わって、3名になると作業も一気にはかどった。

 今年度の最終回。一年かけて読んだ論文(『対人関係・ガイダンスの核心』)を、頭から通読して、まとめにするとにした。

 私とあなたとの「出会いの質」こそが、援助的な人間関係なのかで、テクニック・技術や知識、専門的訓練にましても、いちばん重要なのだという言葉が、今日は届いてきた気がした。出会いの質か…。

 そして、よく感じることなのだが、ロジャーズの論文にしても、また西光先生の文章にしてもそうなのだが、いま流行りのマニュアルやHou to物、テクニックやスキルの開発といったお役立ちブックにはない、深みを感じずにはおれない。といって、決して難解な表現や特別なことが述べられているわけではない。むしろ、表現も、内容もわかりやすい(もっとも実行は堅いが)もので、サラッっといきそうになるが、しかしその態度の背後にある人間尊重の深い理念や、自己への内省力、そして人間性の暖かさ、さらにそこひとつを伝えたいという熱情のようなものが、言葉を超えた文体や行間から滲み出てくる気がするからだ。読んでいて、ジッーンとしたり、ワクワクうれしくなってしてくる。しかも、それを同じ志の皆さんと輪読することで、新たに気付かせてもらうことも多い。当然、ぼく自身も、その温かさに包まれて、晴れやかな高揚感で帰路につかせてもらうのである。

 これもまた、この場の持つ力のおかげだと、感謝している。

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デジャヴ?

 長女の学校で、インフルエンザが大流行。クラスでも、31名のうち、16名も欠席している。でも、学期末なので、学級閉鎖にはならないようだ。

 長女も、熱が出てきて、月曜日から欠席した。彼女は、昨秋から、原因不明の微熱が続いて、日赤などで検査してもらっているが、最初は鼻炎の影響を疑われたが、結局、よくわからずじまいで、一応の終結。まあ、なんとなく納まっていたのが、高熱は久しぶり。でも、至って元気で普通に暮らしている。どうも、熱には慣れているらしいと、苦笑。

 そういえば、3年前の3月、彼女がインフルエンザで寝込み、次女にうつり、女房が寝込んだ。それが、いまと同じようにWBCの開催中で、準決勝の韓国戦の時に、高熱の家族を看病しながら、横目でテレビ観戦をしていたのを、よく覚えている。結局、そのときは、幼稚園の卒園式まで欠席した。そして、みんなが治った後で、最後にぼくにもうつった。最後のものは、全員のものを引き受けるのか、その後でひどく寝込むことになった。もっとも、医者にいかず、クスリも飲まなかったので、その後も、しばらく微熱が下らなかったことを覚えている。また、悩んだけれど、初めて法座もキャンセルしてしまった。3月の日高支部だったので、日曜学校の子供たちや高齢者に迷惑をかける可能性もあったからだ。いまのところ、そんなことはその時が最初で最後だ。

 長女がインフルエンザになり、事務所のスタッフが調子を崩し、WBCがあり(しかも明日は韓国戦)、法座や華光誌で多忙で、月末には日高支部がある。なんか、3年前と同じ状況なのだ。

 でも、どこかで、あの時に、しっかり自己治癒力で引き受けたので、免疫力がUPしていて、今回は大丈夫な気がしている。それとも、楽天的な思い過ごしか…。

  まあ、それはこれからのお楽しみということで。

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真宗カウンセリング研究会HP

 真宗カウンセリング研究会のHPが出来ました。

 http://dbpca.web.fc2.com/

 以前から声はあったものの、結局、有志の集まりのなので、問合せ窓口の対応が充分できないので、のびのびになっていたもの。

 以前、この研究会は、さまざまな関心や広がりはみせるものの、事後処理や、その後の事務などは、そこから派生した人たちが、「なんとかするだろう」みたいな体質があって、ぼくなどはちょっと振り回せれる感がありました。それが、代表者が変わって、身の丈にあった運営という方針になり、かなり小振りになったけれど、その点は改善されてきています。
 でも、正直、有志の集まりの限界も…。以前から、引き受け手がないので、華光会館で事務所を当面の形で引き受け、事務局も引き受けてますが、ますます各世話人が自分の仕事に多忙になったり、若手が地方に拡散したり、高齢化したりと、そろそろ次ぎの一手を考える時期に来ているのは確かです。

 今年度からMANU.さんに事務局に加わってもらうので、代表からのGOサインも出て、全面的におまかせして完成。その経過やこだわりは、彼のブログに詳しく書かれていますので、以下を参照。

 http://blog.goo.ne.jp/buddist18/

 別に、会員向けには掲示板やMLもありますので、ここには一方的な発信が中心ですが、4月からのプログラムも掲載されていますので、情報発信にはなります。

 今年度は、真宗カウンセリングWSも充実していますが、どれも少人数の募集なので、参加希望の方は、お早めにお申し込みください。

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真宗の要はお聴聞

Img_5409 本派の連続研修会(連研)の最終回の講師を依頼された。

 山間のお寺だが、中国縦貫道のICからすぐなので便利。今回の会所(普通の言葉では会場ですね)は、初めて訪れるところ。でも、ご住職は、学生時代に宗教教育部(宗育)から派遣されて、華光日曜学校の先生をされていた。ぼくがまだ中学校のころのお話。名古屋の姉と同級生でもあるのだが、それが、いろいろと巡りめぐって、こんなご縁になった。Img_5408

 手入れの行き届いたお庭に、椿と梅が鮮やかに咲いている。なんでも、 昨日はちょっと寒くて、小雪が舞ってImg_5406 いたそうなのだが、もう春は来ている。

 「聞法のつどい」と題して、「真宗の要はお聴聞」のテーマをいただいた。「聞法」「聴聞」と、聞くこと言葉ばかり。垂れ幕だけでなく、わざわざ印刷した封筒まで作り、プログラムや配布物まであって、組をあげて力をいれておられる。お参りも、120、30名はあった。なかには知った顔もある。決して、面白い話をしたわけではないが、皆さん、真剣な様子で反応は悪くないと思ったが、もう少し具Img_5411 体的な例話があったらよかったかもしれない。ほんとうの聞法の要、初歩の初歩のだけれども、ここが肝要という点を聞いてもらった。

 11月の出講依頼も受けたが、ちょうど華光大会と重なる。でも、その次ぎの永代経法座の時は、うまく時間が取れそうで、またご縁ができそうだ。

 帰路は、名塩から宝塚からのあたりがひどい渋滞。夕方の時間帯はいつものことで、仕方がないが、休日1000円(京阪神は除外だが)になると、もっとひどくなるだろうなー。倍近く時間がかかったので、少しお疲れ。今夜は早く休もう。

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広島支部法座

 二日続けて、本格的な雨

Img_5400  でも、西に新幹線が向かううちに、小降りになり、曇りになり、岡山を過ぎたあたりから青空が広がってきた。帰路は、京都も晴れだろう。
 例によって、広島駅直前の広島新球場を撮影。新幹線側がスコアボード側になるようだ。内外野の天然芝がみえている。4月10日こけら落としなので、次回(3月末日)には、完成しているだろうか。

 久しぶりにM家での家庭法座。アメリカで羽栗行道先生、伊藤康善先生のご縁を受けた方からのご縁で、かなり古くからの華光同人のお宅だ。いまや、お子さんだけでなく、お孫さん、曾孫さんへ、その縁者の隅々にまで生きた仏法が染みわたっているのだ。末世、無仏の世にあっては、まさに尊いご一家である。

 今日は見慣れぬ若い男性が、皆さんと離れてポッンと座っておられた。どこかであった方だなーと会釈をしても、まだ思い出せなかった。自己紹介で、「先日の仏青研修会に参加したMです。」、あー、なるほど、広島の安芸高田市のお寺のご子息! 1日だけとはいえ、ぼくのグループだったのに、あの時は、初めての方が6名、しかも龍大学生さんが中心だったので、すぐに思い出せなかった。失礼しました
 今日、広島に帰省されたのに合わせて、ネットで調べて、不便な中をわざわざ参加してくださったのだ。まったくお誘いしていないのに、これはかなりうれしかったなー。 しかも、最後に「頭を垂れて」というところで、これからの聞法の姿勢について発言してくださった。

 若い僧侶の方が、自分の問題、後生の解決に 焦点を当ててご聴聞くださるようになるとしたら、もう望外の喜びである。真宗繁盛の礎である。

 明日は、ある本派の組(そ)への連研のまとめの布教2009031420490000にでる。帰宅したら、担当者から、詳細と写真が送られていた。

 「聞法のつどい」と題されている。それにしも、すごい垂れ幕。「真宗の要は、お聴聞」ですか。話したいことはたくさんあるが、焦点を絞ろう。さあ、準備にとりかかろう。

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ピアノのおさらい会

 輪読法座終わって、間をあけずに、華光文化教室のピアノのおさらい会があった。

 発表会は、年に一度、合同でホールであるのだが、3月の学期最後に、おさらい会として、保護者の前で日頃の成果を披露してくれる。今回は、輪読法座の参加者も、顔をだしてくれた。

 長女が、昨年の6月ごろからピアノを習い始めた。まだまだ1年にも満たないが、短い「こぎつね」を弾いてくれた。彼女にとっては簡単なものだが、大勢の他人の前で弾くのは始めてだったが、うまくできたようだ。短期間で、ずいぶんうまくなったものだ。そして、少ない人数だが、こうして順番に弾いていくと、上達ぶりがよくわかる。最後の子などは、もう立派なピアノ曲になっていた。
 最後には先生も一曲弾いてくださる。今年は、ショパンのワルツで、OP69-2だった(たぶん)が、きれいな楽曲で、目の前での生演奏に感銘を受けた。

 締めくくり、先生から生徒へ一言もあった。

 別に特別の才能はなくても、少々遅いスタートでもいいのだそうだが、毎日30分、練習し続けるならば、誰でも上達するとのことだった。最初は、みんな喜んで練習をする。でも、だんだん難しくなって、嫌になってくる。ても、そこが上達のポイントで、そこでもただひたすら、繰り返し練習するだけだという。逆にいうと、その根気とか、モチベーションの維持ということが、ある種の才能なのだろうと思って聞いていた。そして、学年が上がるに連れて、忙しくなってくる。でも振り返ると、その時、その時は「忙しい、忙しい」と思っていても、実はかなり時間があるものだ。低学年から高学年になったら忙しくなったように思い、中学へ、高校へ、大学へと、それぞれたいへんになったように思ってきた。でも社会人になると、学生時代の忙しさは遊びのようなものだったと思えるほど多忙になる。でも、それで留まらず、さらに家庭をもち、子育てや介護が加わるのだから、常に「忙しい」「たいへん」は留まることをしらないのだ。でも、常に、その限られた範囲の中で、どれだけうまく時間を利用できるかどうか。受験などのときにこそ、ピアノを継続することができれば、実は勉強もうまくいくとの話だった。要は、両立する能力こそが、才能だというのであろう。子供向けの教訓だったが、いまのぼくにもピッタリの気がした。

 というのも、法座が続いたり、華光誌があったりするが、おかげさまで、以前のような「忙しい」を感じることは少なくなった。さすがに、〆切間際とか、大会の前などはそうでもないが、普段はこころに余裕がある。ただし、これは、なにもぼく自身の成長ではなく、事務を助けてくださる人達が増えたおかげなのだ。当然、仕事の質も変わってきて、打合わせや訪問などで、外部の人と会うことが多くなってきている。第一、家庭での役割も変わってきているが、以前より、自分の時間を大切にできるようになったのが、いちばん有り難いところだ。惜しむらくは、もう少しお聖教に親しむなどの専門(真宗方面ですね)の勉強をしたほうがいいとは思うが、これはこのところズッーと触れている課題だなー。

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頭を垂れて聞く

 輪読法座。
 華光誌を読む。
 平日の午後。始まった当初は、喜んで参加されていたのに、いつのまにかお見かけしなくなった方もある中で、 たまたま仕事が休みだったのでと1年以上ぶりで参加された方があれば、わざわざ有給休暇を取って東京から参加者もあった。また水曜日が定休日だかと、名古屋から姉も初めて参加してくれた。平日の午後にもかかわらず、集まってくださった皆さんに感謝である。

 分かっているつもり、一度、サァーと読んだらそれでお終い、もしくは「誌上法話は難しいそうなので、パス」といって中で、こうしてわざわざ集ってきてくださった皆さんと、声にだし順番に輪読していく。中には疑問点も出て来る、わからない箇所もあったりする。ひとりで黙読していたときには気付なかったり、絶対に味わえない気づきもある。少人数とはいえ、観衆の一員として声に出して読むだけでも、緊張感が違うのだろう。

 最後の章、「頭を垂れて聞く」。要約する以下の感じか。

 頭が高いとこの法は届かない。頭を垂れて聞かせてもらう。知るのでも、得るのでもない。己を空しくして、教えを請うていく姿勢。己に当てはめて、「ほんとか、ウソか」「響くか、響かないか」というような聞き方しかできない。でも、たった一度でいいので、そんな驕慢な姿勢は捨てて、この私にかけられた本願-本願を信じ念仏申すものは、必ず仏にしてみせるぞ-という阿弥陀様のお心と、本気になって真向かいになってみる。そして、「どうか聞かせてください」と、頭を下げて聞いてみる。「わからん、わからん、どうしたら、どうしたら」と堂々巡りで繰り返すわりに、これまで、一度でも、「聞かせてください」と、頭を垂れて聞いことがあるだろうか。生死を離れて、仏に成る一大事がここにあるのもかかわらず、いつも踏ん反り返って、「聞かせてみい、救うてみい、わからんぞ」と大きな顔してるから、阿弥陀様が頭下げておられるお姿がわからない。普段の生活なら、わからないことを教えてもらうときは、「すいません」と頭を下げ、教えてもらったら「ありがとう」とお礼をいうのに、後生の一大事を聞くときには、その頭が下らない。でも下ったことのないい頭を下げてみると、私の方からじゃない、仏様の方が南無の心で頭を下げて、私を呼んでくださっていることがわかる。自分から聞くんじゃなかった。仏様の方が先に南無して、「どうか聞いおくれ」と頼んでくださっていた。ほんとうに何も聞いてない自分むかって、この下がらん頭を撫ぜて、「どうぞ」と先手をかけて私を信じきって呼んでくださってる南無阿弥陀仏の六字様がおられたことが、ハッキリする。一文不通のこの泥凡夫そのままが、本願を信じ、念仏申さば仏に成る、仕組みが南無阿弥陀仏の中に出来上がっている。南無のこころは、私のこの何でもありの腹底に、南無阿弥陀仏と飛び込んで、私を呼びかけてくださってる。だから、分からないことがあったら、頭を垂れてほんとうに尋ねてみてください。必ず道は開けます。「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と、先手をかけた念力で、この私が念仏を喜ぶ身になる。そうさせてみせるぞという親がおられるわけです。

 「分からないことがあったら、頭を垂れてほんとうに尋ねてみてください。必ず道は開けます」

とのご意見を、ただ頭を垂れて聞かせてもらうだけなのに、

 今は「頭を下げる」気にならないとか、
 そんな殊勝な奴ではないとか、
 下げる気がないから失格だとか、
 下げても何も変わらんのではないかとか、
 どうしたら「頭が下る」のかとか、
 頭が下った後はどうなるのかとか、
 有り難くもないのに、下げたくないとか、
 そんなのは方法論じゃないかとか、
 どうしても頭が下らないとか、
 理屈じゃわかるが、腹底からそう思えんとか、

 まあ並べる並べる。
 聞いているつもりで、まったく、頭を垂れて聞いていないなー。
 自分の気持ちや、考えや、思いや、姿勢は、教えと違っている。だって迷っているのだから。だからこそ、まずは正しく教えの鏡をいただかない限り、絶対に聞こえるわけはないのた。

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香木

  先日、インド旅行の参加者のおひとりから、土産物を拝ませてもらった。

 たぶん、今回の旅行で、一番、積極的に旅を楽しまれたお一人で、拝観にしても、買い物にしても、初めからしっかりした目的をもっておられた。

 そのひとつが、彫刻用にするための香木(こうぼく)を入手することであった。

 香木とは、自然に芳香を放つ木材のことで、皆さんがよく聞くのは、沈香(ぢんこう)とか、白檀(びゃくだん)、そして最高級の伽羅(きゃら)などが有名だ。薄片に削ったものを加熱して芳香を楽しむのに用いたり、仏像などの彫刻、扇子や数珠などの材料として用いられる。ただし、白檀と称して、後で香りをつけたバッタものや粗悪品が多いのも現状で、ホンモノは高価だ。

 日本で一番有名な香木は、東大寺正倉院の宝物にある、巨大な「蘭奢待(らんじゃたい=各文字それぞれ「東」「大」「寺」が隠れている)だろう。正倉院には、1メートルを超す巨大な香木が、他にも収納れているのだが、いずれも1200年の時をこえて、類まれな芳香を放っているそうだ。特に、150センチをこえる巨木の「蘭奢待」は、『伊藤先生の言葉』にも触れられているように、各時代の権力者が力の保持の象徴とし切り取っている。室町幕府8代将軍・足利義政、織田信長、そして明治天皇の3人については、付箋でその切り取り跡が明示されている。

Img_5390_2 いまでも、伽羅は、1グラムで金1グラムの価格に相当するといわれる。残念ながら、伽羅ではないが、今回のツアーでも、旅行会社のプランとして、小さな小さな破片を集めたお香用の沈香を、21,000円也で勧められたが、手が出なかった。たぶん、日本での価格より、お安いのだろう。(ちなみに、華光会館では、焼香用に使われるのも沈香で、1両目(15gぐらいか)で、8,000円程度の、極上のタニ沈香という上質のものを買っています)

 しかも、写真のようなまとまったものを、いまの日本ではなかなか入手が困難だ。ネットで検索しても、手を引いている業者もあるほどで、すべて要見積り、時価で販売されるほどの貴重品。一瞥すれば、そこらに落ちている木切れとなんら代わりがない代物にみえるが、さてさて、お値段は?

 詳しく聞いたが秘密…。インド旅行代金が安く思える程度だったとは、お伝えしておこう。それでも、国内の時価の1/4、1/5以下だそうだ。値打ちを充分にわかり、目が利く人だからできる買い物である。

 ところで、この名人は、以前、ウン百万円(こちらもビックリ)もする香木を材料に、不動明王の彫刻の依頼を受けたそうである。誰もビビッて(失敗したら、同じ材料は手に入らない)辞退されたそうだ。なんでも、20㎝ほどのものが、完成後、立派な厨子に入り、東京のデパートに並ぶと、二倍以上の価格がついて(ハイクラスのベンツが買える)売りだされたら、即完売したというのである。バブル全盛期のころのお話。けっして、彫刻家の本人の懐に入るわけではないが、庶民の感覚ではわからない。

 さて、この香木で根付などの作品を造られるそうだが、当然、削りカス(カスでも、クズでもないが)が出る。大事に集められるそうなので、それImg_5389 をお香用にいただけるそうである。まあ、この程度が、スモールシンにはピッタリかもしれないなー。

 さて、写真の仏像もたいしたもの。わざと古くした新しい3つはともかく、右下の涅槃像はかなりの年代物と見た。重量感もタップリあり、異様に重い。別ルートでの買い物で、これひとつでぼくの総土産代金に匹敵するようだ。

 なんともかんとも、何事もお金に換算しないと、値打ちがわからないというのも、悲しい話ですが……。

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輪読、広島、連研講師

 高山法座では、涅槃経の阿闍世王のことや、質問のあった無明について、あれこれ味わった。機会があれば触れたいが、いまは華光誌を優先だ。遅れているのに、法座も続くからだ。でも、そんな時ほど、いろいろと相談や頼みごとがやってくる。変わったものや面白ネタも満載だっだが、面白いものほど触れられないのが、至極残念。

 ほんとうに、いろいろな人がいるものだー。

 今月は月末にかけて、法座や出講が続く。華光法座にくわえて、お寺への出講や、カウンセリング研修会があると、その合間、合間が詰まって忙しくなるようだ。

1)輪読法座=11日(水)昼1時30分~4時45分(終了時間厳守)

 明日は、平日だが、華光誌輪読法座がある。2階道場が会場だ。水曜日なので、名古屋からも姉が、娘を連れて参加してくれるうよだ。楽しみ。華光誌68-1号の誌上法話を輪読する。なるべく平易な表現に努めている。それでも、一般には難解だろが…。

 5時からは、華光文化教室のピアノの発表会(おさらい会)がある。カンロも、初めて出てる。先週は、本格的なバレエの発表会があった。残念ながら法座で参加できなかった。今回のピアノはおさらい会なので、普段練習の延長だ。時間がゆるせば、輪読法座の方にも参加してもらってもいい。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/03/rindoku2009-3.htm

2)広島支部法座=14日(土)昼1時~5時

 広島も、土曜日の法座にしてもらった。翌日曜日にお寺への出講が入ったからだ。
 正木家でのご法座は、当家の有縁の方もお参りくださるので楽しみだ。
 ここでも、華光誌の輪読法座を予定している。68巻1号を持参いただきたい。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/03/hirosima2009-3.htm

)本派本願寺派宍粟組連続研修会=15日(日)昼1時(受付)~4時

 当然だが、出講する行事なので、案内は掲載していない。でも、「聞法の集い」ということで、連研ながら今回は一般にもオープンにした集いだ。「真宗の要はお聴聞」というテーマをいただいた。真宗は「聴聞に極まる」のだが、その要をはずした聞法は、いくら聞いてもいくら聞いても、こころが満ちることはないのだ。そのあたりを、なるべく具体的な話題で話したいと思っている。

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明日は高山

 このところ、華光誌の仕事をしている。誌上法話の話が、あっちこっちと展開するので、整理に苦心している。その他の原稿は、かなり新鮮な顔ぶれになった。体験記も、新たに始まる。こちらは、わりときれいに納まりそうだ。でも、進行状況は遅れ気味で、ちょっと急がないといけない。3月後半は、行事かギッシリ詰まっている。

 なにかと雑用がある。「念仏の雄叫び」の校正や、9月の聞法旅行の打ち合わせが、重なってしまった。それでいて焦って仕事をしたがらないぼくがいる。ブログもバカ正直にまめに更新している。映画も、自力整体も休まない。いまは、インドの写真の整理に煩わされている。プリントアウトするために、ネット送信をしたら、容量が大きすぎて、3回に分けないといけない。しかも、1回の送信時間が80分以上かかって、閉口した。一眼レフに、8GBの大容量のSDカードをいれたので、その1枚で、4000枚ぐらいOKなのだ。最初は、Sサイズで撮っていたが、途中から、せっかくの機会だと、Lに変更したら、やたらに容量ばかりが大きくなった。逆にブログにアップするのが難しい。何度も画質を落とす作業が必要なのだ。それに、上映用の(いわは)スライドを選んだり、ネット上の共通のフォルダに送信したりと、写真だけで3つの手間があった。結局、便利な道具に踊らされて、余計な仕事を増やしているのだ。おかげ睡眠不足で、ちょっびり風邪気味の今日この頃。誰のせいでもない。

 明日は、高山支部法座だ。高山は内陸の盆地で、かなり寒冷地だが、ここ数年は暖冬のイメージがある。今年も、そうなんだろう。体調もあるので、宿泊の支部法座は、いつも今夜こそは懇親会はほどほどに早寝するぞと、始まる前は本気で思っている。しかし、お酒が進み、法談が弾むと、いつのまにか、寝るのが惜しくなる。だから、いまだかって守られたことがない。でも、いつもそう考える。なぜか。泥凡夫そのものだからだ。「わかっちゃいるけど、やめられない」のである。

 でも、それなりの目安はある。高山の場合だったら、出来上がったO支部長が、グダグダ駄々をこねる求道者をつかまえて、「○○、そんな聞法なら華光やめてしまえ」の決めぜりふが飛びだすぐらいまでは、まず起きている。高山法座にお参りする求道者は、一度は、彼の洗礼を受けないといけない。特製ラーメンを食べ、このセリフが飛び出したあたりで、ぼくは就寝することに決めている。翌日も、二座の法話が待っているからだ。

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必聴!二種深信がテーマ

  3月21日(土)~22日(日)の講習会の〆切が迫ってます。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/03/koshukai2009-3.htm

 講習会は勉強会だと思って、案外、躊躇される方も多いし、法座の常連でも、ここはお休みと決めている方もある。確かに、形式は、悟朗先生から、体系的に真宗の安心(あんじん)の要についての詳細な講話です。でも講話といっても、単にお勉強ではないことはいうまでもなく、いつものような法話になったり、体験談になったりもするし、時に参加者の声をに寄り添いながら進行していきます。

 第一、こんな形でまとまって体系だった悟朗先生のナマのお声を聞けるチャンスは、今後、ますます貴重になってくると思われるので、ぜひ、広くご参加いただきたいですね。

 しかも内容は、「二種深信」。安心編の中でも、信心論も大詰め。
 機の深信、法の深信が、二種一具(機法一体とは別物です)といわれる、信心の心相を詳しくお聞かせいただきます。信心論の要ですね。

 最近、「信心決定」したと自称する人(その人自身には会っていないのに、その「いただいた」という声だけだ)が、なぜか(推測はつくが)増加してる。でも、その方々の二種深信の味わいを聞けば、一味かどうかがよく分かるはずだ。いつのまにか、必墜無間が抜け落ちた縁他力の喜びだったり、機の深信も単なる生活上の罪悪観に留まっている人が大半じゃないのかなー。

 ここのところをシッカリと聞き分けて、わが信を問わせてもらわないと、お聞かせに預かった詮がないといっても過言じゃない。ちょっとした不思議な体験や喜びがあっても、そんなものはすぐに色あせていく。いつの間にか、何を喜んでいるのか分からないようになるのは必至ですよ。そんな人ばかりたくさん見てきましたからね…。逆に、いくらこのご文がスラスラ言えても、わが胸がお留守なら、これもまた空しいですが…。

 ただし、悟朗先生は、少しケガの影響もあってちょっと不自由な点もあるので、ぼくが日曜日(22日)の午前中を担当します。すでに、地方の支部法座でご覧になった方は重複するが、1時間ほどインドの写真をみてもらうことにしている。実は、先日、M先生からのリクエストがあったのだ。法話にしても、ワークにしても、支部法座でやってことが、案外、地元の京都の方が、一番遠くなっているかもしれない。残り時間は、法話にするか、流れで分級座談会にしてもいいと考えてます。

「深心といふは、すなはちこれ深信の心なり。また二種あり。
 一には、決定して「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた常に没し、常に流転して、出離の縁あることなし」と深信す。
 二には、決定して「かの阿弥陀仏の四十八願をもって、衆生を摂受したまうふ、疑いなく慮なく、彼の願力に乗ずれば、定めて往生を得」と深信せよ」となり。
 今この深信は、他力至極の金剛心、一乗無上の真実信海なり。」(二巻鈔)

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今日は楽しいひな祭り~華光寿司?~

 伝道研究会があったので、一日遅れで「ひな祭り」。

Img_5366  娘が二人なので、ひな祭りだけは、一家で食事をすることにしている。子どもたちが手伝って、チラシ寿司と、手作りのデザートつくり、甘酒も飲んだ。「今日は楽しいひなまつり」と、今年も照れくさそうに歌ってくれた。チラシ寿司は、一応、似顔絵で子どもがつくったもものだ。

  母が嫁入り道具のおひなImg_5384 さま。先代からのもので、かなりの年季もの。母は紀州(和歌山)のなので、もしかすると豪華なのかもしれないが、ほんとうは御殿つきで、 内裏様とお姫さまが二組あるタイプだ。七段かざりに、もう1段、Img_5383胡蝶の舞までがついてる。しかし、毛氈をひいて台を組み立てて、飾ることはなくなった。場所をとるからである。こうして道場の前に並列でならんでいる。たぶん、週末の日曜礼拝まで。

Img_5382  玄関にあるのは、 長女が生まれた時に、広島の義母が手作り(そういうキットですが)で組み立てて、心がこもったものだ。

 特別なことはなにもしないけれど、家族がそろって笑顔で食事するだけでも、小さな娘たちには、楽しいひとときのようだ。突然、こんなことを、下の娘が言い出した。

「なあ、お父ちゃんは、将来何になりたい?」

「え? ナナちゃんは、何屋さんがいいの?」(下の子から、「将来」という言葉が出てきて、ちょっとびっくりした)

「そうやな。私はカフェ屋さんになりたいなー」

「そうか。お店をだしたら、毎日、お父ちゃんは通うわ。ほんじゃ、ナナちゃんは、お父ちゃんが何にやったらいいと思う」。

「そうやな。やっぱりお寿司屋さんやなー」。

 エーッ! 意外な答え。ぼくの人生で一度も寿司屋どころか、飲食店なんか考えたことがないー。

「じゃ、おじいちゃんは将来、何屋さんがいい?」と尋ねると、しげしげ、おじいちゃんの顔をみて一言。
「そうやなー。お寿司屋さんの顔や。お父ちゃんとしたらいいわー」。

 これまた以外な答え。そうですか。親子ともども寿司屋の顔してますか? まあ将来があるのや、ないのやらわかりませんが、そんな転職は考えたこともなかったなー。華光寿司ですか。万が一、転職することがあっても、ちょっと寿司屋は考えておりませんが…。

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権化の仁

Img_4687_2  先日の東京法座で、釈尊教団についての概要をお話した。案外、長年真宗のご聴聞し、教学も修めている人でも、釈尊在世時の原始教団についての外観を、ほとんどご存じない。霊鷲山の実物の写真を初めて見Img_913 たという人も多く、「感激しました」と言われた方もあった。ビンビサーラの牢獄跡に至っては、「アニメでしか観たことがなかったので、架空の物語だと思っていました」と、ひどく驚いておられる。そして、喜んでスライドを見て下さった。ちょっと予想していなかった反応に、むしろこちらが驚いたほどだ。ビンビサーラも、アジャImg_4681セ王も、ダイバダッタも(経典の評価とは異なる点もかあるが)、歴史上の実在した人物なのである。それで、教義以外のところで、釈尊成道の後、どのように伝道布教をされてImg_4704いったのか。どのような経緯で仏弟子が増加し、教団が拡大していったか。またどんな日常生活、修行生活を送っておられたのかなどにも触れた。

Img_4739 それを、親鸞聖人は、苦悩する一切の煩悩具足の悪衆生を救わんがために、仏様と菩薩方が大芝居をうって、弥陀の本願で救われる正客は誰なのかを、目にめをみせてご覧くだされりのだと、味わっておられる。権化(ごんけ)の仁(にん)なんですね。しかも、親鸞さま自身は、自分こそが父殺しのアジャセそのもの、まさに五逆罪をImg_940_2つくり、法を謗り、仏道に背く、絶対に救われるはずのない悪人だ、宣言されているんです。信巻に引かれた、「涅槃経」のアジャセの廻心に ついての現代語訳も拝読。こちらも、意外な反応がありました。

Img_955   いや今夜は、ほんとうは、「律」(戒律)、五 戒を話題にするつもりだったのに思わぬ方向が違ってきました。なんかモタモタで、イライラです。霊鷲山のことに触れるにしても、あまりに中途半端だ。まあ、今日はここまでにしておきます。

  写真は上から、1)、2)=霊鷲山第三峯の香堂跡。
3)=ビンビサーラの道。5時起きしてこの道を登る。
4)=きれいだった霊鷲山からの朝日。
5)、6)=王舎城の牢獄跡。背景の山が霊鷲山。
7)=牢獄跡の物乞いの少女

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『フツーの仕事がしたい』

 以前、仏青の人に「○○の集まりはどうたった?」と尋ねたら、「ふつうによかったです」と返答されたことがある。「はぁ? どっちなの? 『よかった』のか、『ふつう』(平凡)だったのか」と、思わず聞き返してしまった。それがいまでは、「『フツーにおいしいよ』 これってホメことば?」という、NHKのアナウンサーの歌があったように、ずいぶん聞き慣れた言葉になって、なんか妙だなーと思いながらも、だいたいは肯定的な意味で使われるんだろうなーと理解している。

 70分のドキュメンタリー『フツーの仕事がしたい』を見る。この映画の「フツー」ってどういうことなのだろうか。よく「フツー」が言いって言うけど、「フツー」でないのはどんなことなんかー、と言葉に疑問を感じながら、みなみ会館のレイトショーへ。なんでも、監督が京都出身で龍谷大学の卒業生。公式HPでは、みなみ会館のよく通っていたとある。劇場ですれ違っていたにちがいないと思うと、少し親しみも湧いて来る。

Shigoto  そして、一目見ただけで(何がフツーかはわからなくけも)「確かに『フツーの仕事がしたい』と叫びたくなるなー」というほど、過酷で、異常で、フツーではない主人公の仕事ぶりに、ビックリさせられた。なんとも壮絶なのだ!

  主人公は、住友大阪セメント系列の輸送会社の、その下請でセメント輸送する36歳のトラック運転手だ。その少し前、別の下請業者の車が、法定積載量をオーバーして横転し、運転手は死亡、巻き添えでケガ人も出てしまった。事故の時、運転手は40度の熱がありながら、「有給休暇を取ったら解雇だ」と、会社に言われて働いていたという。人ごとのように思っていた主人公も、ある月の労働時間が、552時間34分あった。数字だけみてもよくわからない。1カ月(30日×24時間)のすべて時間は、720時間。そのうち、552時間も働き続けているというわけ。つまり、1日24時間のうち、18時間以上の労働時間になる。正確には、1日に仕事以外の時間は5.7時間しかないのだ。この6時間足らずの間に、食事をし、入浴や睡眠時間があるわけ。労働基準法で定められた1週間の労働時間は40時間。1ケ月だと180時間足らず。まあ、この厳しいご時世に、そんな優雅な仕事ぶりの人(最近の不況で、「残業するな」「休日出勤するな」となっているが)はいないとしても、この552時間はあまりにも常軌を逸している。当然、1カ月の間に帰宅できたのは1度だけ。しかもそれだけ働いても、月給は30万円ほどしかない。

 なぜなのか。完全な歩合制。それも「経営が厳しい」という理由で、どんどんその比率は低くなり、完全に輸送量に比例する給料体制、償還制に一本化される。みんな一人一人が親方というわけだ。こうなれば、労働時間は関係ない。残業も、休日も関係なくなる。完全な成果だけが問われる。社会保険や雇用保険だってあやしい。会社ぐるみで過積載も当たり前だ。「なぜ、これまで声をださないのか」と、憤るように見ているが、これがこの業界の悪しき常識で、常態化している。つまり、みんな周りが似たりよったり環境で、これが業界の「フツー」だっというわけ。みんながそうなら、「厳しいご時世だから」とか、「自分ひとりが声をだしても」となってしまいかねない。この心理状態は、「なんか変だぞ」とおもいながらも、閉ざされた世界や業界ほど、よくある話だ。

 現代の建築や土木にはセメントはなくてはならない。私達の生活を支える必需品だ。不況にもかかわらず、東京や都市部はあいかわらずの建築ラッシュ。しかも昼夜をとわず、稼働し続けいるから、ナマもののセメントの需要度はますばかり。しかし、経費はすこしでも削減したい。ならばどうなるのか。もともとは、大手の輸送会社なら年収600万~700万の仕事だったのが、どんどん川下の下請けにおりてくる間に、人件費が削られるのは「フツー」の話。弱い立場の人が、厳しい契約条件で働かざるおえない。

 でも、この映画は単に社会的弱者の現状を告知し、社会の矛盾を啓発するためのものではない。ここから彼は立ち上がる。派遣やパートでも一人でも加入できる「ユニオン」という労働組合にはいって、奮闘する(周りが)物語だ。これが一筋縄ではいかない。会社側は、彼を労働組合から脱会させるために脅迫や暴力まで使って圧力をかける。一時は屈しかけた彼も、仲間の励ましで再度立ち上がる。すると、ヤクザ顔負けの荒くれ男たちが、母親の葬式にまで乱入してくる。対する組合側もかなりのプロ。負けちゃいません。ここから壮絶といっていいほどの戦いが始まるのだが、その途中で、彼は難病にかかり倒れてしまう。もう過労死寸前の状態だったのだ。

 労働者たちはさらに抗議行動を起こす。川上へ、川上へともともとの発注もとの大手企業の前での座り込み。最初は、資本提携の関係はないとか、当社は、常に法令遵守(コンプライアンス)を求めているとの建前一点張りだったが、大手企業ほど、イメージ戦略に弱い。本社前での強硬な抗議、緊急上映会も始まり、とうとう劣悪な労働環境の改善を約束させられることになるのだ。

 ラスト。「ユニオンがあってよかった。労働組合のおかげだ」と、主人公の親子ともども絶讃して終わる。だって、これは「ユニオン」という労働組合の依頼によって造られたもの。プロパガンダ映画か。いや、権力側ではないし、はっきり監督の立ち位置を明確にしているので、プロパガンダというより、内定取消しや派遣切りなど、ますます労働条件が悪化し、孤立化を深めるなかで、労働弱者も「声をだすだけでなく、力を合わせて立ち上がって行動しよう」という力の啓発映画といったほうがいいかもしれない。その壮絶さに肩入れし、同時に、一人ではなく力を合わせて立ち上がることの意義も分かった。その意味では、かなり面白かったけれど、あまりにも一方的な視点に違和感を感じなくもない映画ではあった。

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東京雑感

   東京法座の帰路の車中。反省会と称して、有志10名ほどで呑んだ後で、上機嫌でキーボートをたたいている。インドのスライドが思った以上に好評だったし、巡拜された参加者が饒舌にその熱い思いを語り、現地にたって心境が動いた人もあって、企画や準備はたいへんだったが、その労が報われる思いがした。

 今回は、2月から3月にまたがる法座。随分、新しいご縁が増えたとつくづく感じた。今回の参加者の半数は、この1年以内、というより10月以内のご縁の方が大半だ。でも、どこかで古くからの知り合いだった気もするし、短期間に信頼関係を築けている人もいる。そう、誰だって最初の出会いは、初対面なのだ。中には、まだ2~3度のご縁でも、毎日、このブログをチェックして身近に感じてくれている人もいる。そういえば、アクセスのランキングで神奈川県はいつも上位だが、東京支部といいながら、神奈川の人が一番多い。

 人が新しくなっても、有り難いことにそんな人たちの人となりや、肉声もしっかり届いていきている。特に東京法座では、初参加者と席を同じくして呑む機会も多い。ネットでくる人の中には、直接的なコミニケーションが苦手な人もいるが、苦手だという人でも、本音では暖かなコミニケーションを望んでいる孤立した人も多い。身近な人とのコミニケーションすらもままならない、厳しい現実があるのだ。今回の法座も、部分だけだが急な新顔のお参りが数名あった。不参加だったが、問い合わせも、随分、多かったようだ。いずれもインターネットをご縁にした人たちで、中には数年前のNHKのこころの時代を見て心に留めていてくれた人もいた。みな30代、40代の人たちだ。伝統、新興のさまざまな宗教遍歴をしている若者もいた。

 伝統的な真宗寺院の法座は、60代、70歳代以上の高齢者が中心で、「若い人に仏法を聞いてもらえない」とあきらめている雰囲気がある。中には、若い人を集めるために、ジャズコンサートや人集めイベントを企画している寺もあるが、そこでご縁ができた若者が、法座にも積極的にお参りするようになったいう話は聞かない。当たり前なのだ。人は集まるご縁も大切だが、本質的な解決にはほど遠いのである。ある先生がおっしゃっていたが、もうすでに魚が枯渇した釣り場で、相変わらず昔ながらの釣り糸を垂れて「釣れなくなった」と歎いているが、実はその川下では、癒しやスピリチャルといって精神的な世界を求めて、苦悩する若者がひしめきあっている。では、その人たちが、伝統的な既成の教えに魅力を感じていないのかというと、そうではない。皆、なにかを求めているのである。漠然とは、釈尊や親鸞聖人の教えにも魅力を感じてもいる。しかし、親鸞聖人の魅力=既成教団(お寺)に魅力を感じるのかというと、それはまったく別だ。なんのことはない。形式や建物ではなく、伝え手(僧侶)の信仰や喜びを、シビアな目で見ているのである。面白みや魅力を感じないところには、若者は集わない。お金も使うわけがない。浄土真宗が、現代人の一般に分かりやすく、「感謝の日々」や「生きる喜び」程度を訴えて迎合し続けていく限り、お寺の法座には閑古鳥が鳴き続けるだろう。それなら別に浄土真宗でなくてもいいし、心理的なアプローチやスピリチュアルな教えのほうが、もっと得体のしれないが、しかし我が身に非日常の体験を与えてくれそうなあやしい魅力があるのだ。だから、もし浄土真宗のおみのりを喜んでいるのなら、その喜びそのまんまを、妙な小細工なんかやめて、ガツンと伝えたほうが、どれだけ伝わるかと思うのだが、なぜか、既成教団はそんな当たり前のことに気付いていないようだ。なんとも不思議なのだが、そのおかげで、ぼくは生活をさせてもらえるのだがら、これゃ、ご本山に足を向けて眠れんわー。

 東京法座に触れなかったが、まもなく京都につく。ちょうどきりがいい。 

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