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2009年2月の14件の記事

マサラチャイ

Img_5363  昨夜のお客さんから、黄金に輝くプリンをいたいだ。「SHIN」ですか、ぼくにピッタリのネーミングだ。

 インドで買ったマ サラティーで、チャイ(マサラチャイ)を淹れた。作り方は至って簡単。茶葉をティースプーンに軽く一杯。それを水から煮て、数分間沸騰させたところで、少Img_5361 し多めの砂糖を加える。砂糖が溶けたら、ミルクを加えて中火にして再沸騰させる。火を止めたあと少々蒸らしてから、茶漉しを通して器に注ぐのだ。今日は、水1対しミルク2ぐらいにした。安めの茶葉に、マサラという香辛料-ショウガやカルダモン、シナモン、コショウ、胡椒、クローブなどがまぜてあるもの。30年前には、インド料理店などでしか飲めなかったのが、いまでは普通にカフェのメニューにもならでんいる。昔から、少し甘めにして飲むのが好きで、いまでは、お気に入りのチャイを出すお店があるほどだ。

Img_5122  紅茶大好きの連れ合いのために、現地価格で、100グラムで、25ドル(だいだい2400円)する有機栽培のダージリン(セカンドフラッシュ(夏摘み)のマスカテルフレーバー)を買ったが、かなりストロングな香りと味わいがして、とてもおいしい。もちろん、100グラムで50ドル(4800円)、100ドル(9600円)以上するダージリンも紹介されたが、ちょっと手が出なかImg_5124_2 った。もちろん、高級茶葉には、きりがない。どんな香りや味がするのだろう。

 その点は、マサラティーは煮出すので安めの茶葉のほうがいいらしい。これも6ドルと手頃だった。もう少し多めに買ってもよかったなと思うが、3ドルでマサラのパウダーも買ったので、工夫できるかもしれない。

Img_54022 何度か、外でチャイを飲んだが、外では素焼きに淹れて、使用は1度かぎりで、飲み終えたらそれを割ってしまう。ぼくはひとつもって帰った。

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『子供の聖典』持参のこと

 今週末は、東京支部法座だ。宿泊の人数はそう多くはないが、ここは通いでもお参りくださる方がある。初めての方の申込みもあったし、遠方からの参加あるようだ。可能なら、土曜日の懇親座談会にも出席してもらうのもいい。

 今回は、広島でも行なった、『こどもの聖典』のお釈迦様の一生を輪読し、そのあとインド仏跡の写真を見てもらう予定だ。そこでお願い。今週の東京支部、来週の高山支部法座に出席の方は『こどもの聖典』華光会刊・600円)をご持参ください。たぶん、初日(土曜日)に使う予定だ。万が一、お持ちでないのなら、ぜひご購入ください。

Img_56522  ところで、インド仏跡で、私達の現地のガイドをしてくれたジャマールさんという、デリー大学出身のエリートだ。イスラム教徒だったが、並の日本人、いやそこらの坊さんよりも、インド仏跡や釈尊の伝記には詳しい。でも、サルナートで゛1冊の『こどもの聖典』を輪読をしたのを聞いていた彼は、旅行の別れ際に、「先生、もしよけれど『こどもの聖典』を分けてもらえませんか」と、遠慮がちにいった。意外な申し出に喜んで贈呈してあげたのだが、あとで添乗員さんから、「総ルビで、分かりやすいと、すごく喜んでましたよ」とのことだった。今後、ジャマールさんがガイドする日本人の仏跡ツアーでは、これが基本テキストで説明されるとなるなと、ちょっと愉快な気がした。

 他には、四十八願を重ねて誓われた『重誓偈』(三誓偈ともいう)の、三つの誓いについての法話などを予定している。

 なお、華光会館(京都)では増井悟朗先生で聖典講座が開かれる。

1)東京支部法座:2月28日(土)~3月1日(日)

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/02/tokyo2009-2.htm

2)聖典講座:3月1日昼1時30分~5時(悟朗先生)

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/03/seiten2009-3.htm

 ついでに来週分も告知しておきます。高山支部も、『こどもの聖典』ご持参ください。

3)高山支部法座:3月7日(土)~8日(日)

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/03/takayama2009-3.htm

4)大阪支部法座:3月8日昼1時30分~4時30分(悟朗先生)

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/03/osaka2009-3.htm

 いずれも、案内をクリックしてもらうと、会場近辺の地図が表示されているので、参照の上、お出かけください。なお、3)高山支部法座は、遠方のかたは、事前申込の上ご参加ください。

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図説釈尊伝『シルクロードの仏たち』

 旅行の資料を作成にするために、釈尊の伝記や教義的な本以外に、仏跡巡拜の旅行記やガイドブックを集めた。

 『遺跡にみる仏陀の生涯』は、前回は最新資料だったが、いまは古本でしか手にはいらない。でも、ネットなら新品同様で簡単に入手できる便利な世の中になった。

 いまなら、前田行貴著の『インド仏跡巡拜』があれば、ぼくたちの旅行なら十分だ。

 あとは、岩波新書の丸山勇著『ブッダの旅』は、新書判のわりにカラー写真が豊富で気軽に楽しめる。

 手軽な写真集で生涯を辿るなら、河出書房新社の図説『ブッダ』もおすすめ。

 もう一冊ならば、講談社選書の白石凌海著の『仏陀を歩く』~誕生から涅槃への道~あたりが、少し教義的なことにも触れている。

 少しだけ毛色が異なるおすすめは、図説釈尊伝『シルクロードの仏たち』。口絵以外の写真は、白黒だが、インドやガンダーラ、ボロブドール、そして敦煌などの初期仏教美術-仏像やレリーフ(浮彫)や現地の写真を通して、釈尊の生涯のみならず、その前生譚やさまざまエピソードをたどっていくもの。その仏跡地そのものに捕らわれないで、イキイキとした釈尊の生涯が、仏像やレリーフで綴られている。そのひとつひとつが史実かどうかよりも、大衆にどのようにブッダの教えが受容され、そして崇拝されていったのかが窺えて面白い。

 ところで、釈尊誕生の年代は、南伝、北伝などがあって定かではない。大きく、紀元前566年に生誕のBC486年入滅という南伝系の説と、紀元前463年に誕生され、BC383年の北伝説などがある。中村元博士は後説だが、紀元前3世紀中頃のアショーカ王の年代から推定されているわけだ。そのアショーカ王は、中国でいうと秦の始皇帝よりも少し古い。しかし、その後、イスラム教の侵攻などで荒れ果てた仏跡地の多くが、紀元前に建てられたアショーカ王の石柱が出土し、発掘調査がおこなわれたおかげでなどで、その位置が推測されているのである。いずれも19世紀後半から20世紀のことである。

Img_56222  そのアショーカ王時代にはまだ仏伝図はなく、だいたい紀元前2世紀ごろから、釈尊の伝記物語が生まれて、仏伝図が造られ、その後、仏像が造られていくようになる。

 ご承知のとおり、釈尊自身は、自己を礼拝や信仰の対象とはせず、当然、仏像などはなかった。しかし、釈尊入滅後、その遺体が荼毘にふされた時、ブッダの遺骨Img_53182 をめぐって大国間の戦争へと発展しかねない状況だったのが、舎利(遺骨)を八分割し、釈尊を慕う人々の間で公平に分けられた。その仏舎利を納めるためにストゥーパ(仏塔)が建てられ、礼拝の対象となっていった。

 ストゥーパの周囲には、釈尊が前世での修行物語である本生説話(ジャータカ)などをモチーフにした、レリーフが刻まれるようになったが、釈尊があまりにも尊い存在だったたので、その顔や姿が顕されることはなく、悟りを開かれた菩提樹の木や、釈尊の足跡を石に刻んだ仏足石、法輪などが釈尊の代わりとして刻まれた。ブッダなき仏伝図だった。み跡を慕うという言葉があるが、言葉どおり、当時の人々は、釈尊のお姿ではなく、そのみ跡を崇拝し、その歩みのごとく仏道修行に励まれていたのである。

 しかし、その後、時代が経る連れて釈尊追慕の念がますます高まると、BC1世紀頃から、仏像としての表現がなされるようになる。仏像生誕の地はガンダーラ地方(現在のパキスタン北部)ともいわれ、ほぼ同時期にマトゥラー(インド北部)にも仏像が作られるようになり、仏教伝播と同じく東アジアのほぼ全域へも仏教が広がる推進力のひとつにもなっていくのである。

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『40歳問題』

  レイトショー(深夜からの映画)で、『40歳問題』を観た。中江監督の前作の『恋しくて』 (BEGIN原作で、イカ天もでてくる少し自伝的な音楽映画)が、ぼくにはいまいち感(沖縄音楽のところはよかった)が強かったので、ぎりぎりまで迷った。でも、そんな時は進めの原則で見に行くと、予想以上に面白かって得した気分になる。同世代(40代前半が中心だけれど)で、クリエイティブな活動をする人たちの、いまが聞けて、なにか自分を問われたり、投影されている気がしたからだ。

40sai  40代の人は、ちょうど1960年の高度成長期に突入する時代から誕生し(2月23日生まれの皇太子がまさにそうだ)、大半が80年代後半のバブル期に社会人になった世代である。当然、景気のよい時代だったので採用も多くて、現代では余剰、過剰人員となっているところもある。しかし正規採用なので、経費が掛かる割に、簡単に首切りが出来ず、結局、派遣や非正規の若手がワリを食らっていたのだか、とうとうこの中堅層にも不況の嵐が押し寄せてくるかもしれないというのが、いまの社会問題にもなりつつある。

 でも、この映画に登場するのは、そんな一般のサラリーマンではなく、リリー・フランキー、作家の角田光代、元おにゃんこの新田恵利、格闘家の小川直也、女優の洞口依子など、今日までクリエイティブな活動を続ける、各界の40代が登場して、40歳になった自己とその活動についてコメントしている。

 ただし、それはあくまで刺し身のつま。中心は、3人の40歳前半のミュージシャンが、エンカウンター的な、半ば強制的なコラボレーションで、オリジナル曲を作るというものだ。「エンカウンター」と言ったのは、ぼく自身がそう感じたので、既成の安定調和の自分でも、十分に対応できるだけの経験と実績がある3人だが、それでは3人が出会う意味がない。どれだけ、日常の「毛皮を脱いで」(大沢の言葉)、裸の一個の人として出会い、その混沌とした中で、創造できるものが、あるのかないのか。曲の結果よりも、そのプロセスが、ぼくにはエンカウンター・グループに似ていて面白いと思ったのだ。

 バブル絶頂期の80年代終わりからのイカ天とか、ホコ天なとのバンドブームがおこった。ちょうど華光会でも、この世代の人達の音楽好きは有名だけれども、女の子にもてたければ、猫も杓子もとりあえずバンドという時代があった。イカ天出身のBEGINがちょっと顔を出すが、
 主役のひとりフライングキッズの浜崎貴志もその代表格のひとりだ。
 そして、真心プラザーズの桜井秀俊と、
 大津出身で関西弁でヅバヅバと言いたい放題の大沢伸一という3名の40代(アラフォー世代)が、「40代のいまをテーマにした音楽を作れ」という映画企画のオファーを受け、共同作業を行なうその製作プロセスを追いながら、実はその生きざまを追いかけるドキュメンタリーだ。曲づくりはあくまできっかけで、音楽という共通の言語をもちながらも、性格も、生活も、指向も違う3人の、日常生活や内面にもカメラは入っていく。40代としての悩み、表現者としてのこだわりなどが垣間見れて面白い。特に、安定調和でまとまりそうになった世界を、常に破壊していこうとするとんがった大沢伸一と、どんな無理難題にも、好々爺のように受け止める真心の桜井秀俊の丸みのある感覚の対比が、曲づくりだけでなく、お互いの私生活とあいまって、同じ40歳代で括っみると面白く感じられた。

 残りの二人と異なり、桜井だけは、平和そうな、どこにでもあるごくごく平凡な家族の風景の中にいる。閑静な郊外の一戸建てでおしめをかえ、ベビーカーを押し、小さなユニットバスで子供を風呂に入り、一家団欒で楽しい食事し、テレビを見ながらビールを飲む…。一般的には、破天荒なイメージが先攻する芸術家やミュージシャンだが、現実はかなり違う。でも、なんか自分の姿を見ているようで、ここまで私生活をさらされるとちょっとこっばずかしい感もある。

 撮影当時、47歳だった中江が、途中で語っている。今回の映画の企画に際して、「両親が生きている間は、自分は死んではいけないと思っていたが、その親が共に死に、自由に生き死にできる身になった」という言葉が、40歳問題のひとつの象徴なのかもしれない。

 親の介護や子育て、そして仕事も家庭生活も厳しい現状の中で汲々とした生活を送らざるえないのが、いまの40代である。もう夢を追うには、現実と向かい合いすぎているのかもしれない。しかし、今後はその介護や子育てから解放される年を迎えていく。その時になって、果たして既成化した、ルーティーと化した日常生活を、つまりは、いまの安定調和にある自分自身をぶち壊してまで、生まれ変わっていくことができるのだろうか? 

 そして、完成した曲が、「LOST CONTROL」というのだから、かなりできすぎの話だ。

 それでも、エンカウンターのプロセスの面白さを感じていると、深夜の閑散とした劇場の中で、「で、結局、お前は、これから何を創造していきたいのか」と、画面を見ながら自問自答しているぼくがいた。

  追伸:翌日には、さっそく真心ブラザーズのCDを購入するのでした。

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仏・法・僧の三宝

 広島法座の帰路、いまは新幹線の車中だ。朝は晴天だったが、夕方には少し強めの雨になった。でも、この時期にしては、暖かい雨だ。

Img_5360  今日の会場は、新広島球場が狭い道路を隔てたすぐ前。ちょうど広島駅からの順路にあたる。いまは周辺の道路などの整備をしている。デーゲームの日曜日の試合と重なったら、ちょっと法座は開けなくなるかもしれない。

 冒頭、お釈迦様ご出世の意義のような、ちょっと小難しい話をした。演壇からだったので、居眠りしている人がよく見える。
 続いて、『子供の聖典』のお釈迦様の一生の輪読をする。サルナートのダーメク・ストゥーパーの前でもそうだったが、できる限りまん丸に座り、小さな1章ずつを順番に読んでもらった。下手な法話をやめて、次の機会ではここから入ってもいい。今回、冊子を造るに当たって、いろいろな本を読んだが、結局、小学生向けに書かれたこれが一番しっくりくる。簡潔な表現だが、詳しい所にも触れていてるし、忠実にブッタ伝を踏襲しているのだ。ただ、「聞き慣れないカタカナの名前や地名が次々と出てくるので、馴染めなかった」という感想があった。短い文章なので、どうしても外観的になるのは仕方がない。

Img_5162  初転法輪の地は、歴史上初めて仏・法・僧の三宝が揃った「仏教」の聖地。ここで、お釈迦様の一生を、法友たちと輪読するのは、その後の釈尊の伝道生活のご苦労に直に触れるかのようで、ぼくには今回、一番感激した勤行になった。伝道を躊躇する釈尊への梵天の勧請によって、その一歩みを進まれた釈尊が、5人の比丘を得てここに仏教が始まり、その教えが源流となって、今日の私のところまではるばると、時間も空間も超えて流れてきたわけだ。感慨無量だった。 

 今日は、購入したばかりのプロジェクターとノートパソコンを持ち込んで、インドの写真を見てもらった。用意してもらった白い布切れがスクリーン替わり。想像以上にクッキリと見えた。講話中は、居眠りしていた人も楽しそうに見ている。でも、写真の量が多くて(これでもかなり減らしたが)1時間以上かかり、後半とあきてこられた。少しだけデジカメでビデオ撮影もしたので、そちらも見てもらった。これは20分プラスになる。もう少し減らすなり、見せ方に工夫が必要かもしれない。

 今回、広島支部から4名が旅行に参加されたが、最後にそのお一人からインド土産が配られた。菩提樹の葉に描かれたお釈迦様の絵か、ネパール特選巾着袋。写真だけでなく、ちょっとしたものがあると、印象がよくなる。次回があるのなら、この中の方ともご一緒できるかもしれない。

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新しいFAXとプロジェクターも 

Img_5341  昨日から事務所のFAXが新しくなった。ずっと調子が悪かったのだが、もう20年以上も使っている松下製で、すでに製造打ち切りで修理部品がない。送信は難しいが、なんとか受信はできるので、熱転写用の用紙かある間だけ使用していた。それが、紙切れになったので、すでに購入していたものと交換した。プリンターやコピーとの一体型も視野にあったが、取りあえずは、別物を考えた。ブラザー製。サイズも、重さも、1/3以下ぐらいとコンパクトだが、お値段は1/20程度も違う。昔は、FAXは高価な電化製品だった。それがメール使用が増えて、年々需要が減っている。Img_5340家庭用の普通に電話でも利用できる普及版。1万円台で特売日に購入した。安くて、ちょっと拍子抜けしたが、いまの使用頻度なら、このクラスでも十分だ。B4は送信できないが、普通紙なので扱いが楽。
 ただ、これまでの機種は、前の華光会館からあるのもので、なんとなく寂しい気がする。もう後ろのトレーも壊れてヨレヨレ。でも、大きくて重量感がある。最初は、わざわさ年間メンテナンス契約までした高級品だった。「長年ご苦労さまでした」という感じがするので、記念撮影をした。

 同時に、注文していたプロジェクターも届いた。プロジェクターは、だいぶ前からムラ君にいろいろと探してもらた。企業のブレゼン向けの製品は50万円以上からという代物だが、もちろん、そんなものは買えない。最初は、大手メーカーのエプソンとか、ソニー、三菱などの定番の普及版を探していた。それも10万円前後で納めたい。いまは、それなりの普及価格も出ているし、中古という選択肢もある。FAXと違って、とりあえず映りますというの程度なら、2、3万円からあるようだが、子供大会で観るには光量不足だ。個人用ではないので、ある程度の明るさ(2500lm以上)もいるので、ムラ君が、何度もショップを尋ね、ネットでいろいろと探してくれた。そして、加賀コンポーネント社のDLP方式の3000LMの機種を提案してくれた。定価は32万円もする。それがいまなら、ネットで13万円で購入できるというのだ。2500LMの機種と2万円も違わないので、予定よりワンクラス上の上位機種を購入した。

Img_5342  さっそく、皆で試写会をすることにした。2㎏程度と軽量で、コンパクト。これなら、ノートパソコンと一緒に、持ち運びができる。それに、3000LMの光量があるので、昼間にも変わらずこれまでのスライド用のスクリーンが小さいぐらい、クッキリと映った。50人ぐらいが、道場で観るにはこれで十分だ。DVDの場合、音響システムをどうするのかという課題があるが、写真や少人数の場合は問題ない。さっそく明日の広島支部法座から活用することにしょう。おかげで、昨夜は深夜3時すぎまでインドの写真の整理をするハメになる。1600枚は撮影しているが、1時間程度で見れるものに編集し直さないといけない。多少、時間はかかるが、嫌な作業ではないのがすくいだ。

 おかげで、いろいろな教材に活用できるそうだで、楽しみである。

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またまた誕生日祝い

 午後から夫婦で、誕生日ランチ。

 わが家には、結婚記念日を祝う習慣はない。「もしかして、もう過ぎたんじゃないの」と、ほくが話題にする年はましな方。すると彼女は、「そうかいねェ?11月だった、10月だっかなー」などと、月日もあやふやな様子だ。年が明けてすぐに、阪神大震災があったので、だいだいの年数は記憶している。でも、二人とも固執していないので、一度も夫婦で問題になったことはない。もし、これがどちらか一方が覚えていて(だいたい奥さんだろうが)、片方が無頓着なら、格好の夫婦ゲンカの材料になるのだろう。

 そのかわり、互いの誕生日は、二人でランチにでかけることにしている。Img_5333 いつも顔を合わせているわりに調整が難しくて、2月と4月合同ということもあるのだが、今年は、早めに実現した。久しぶりにフレンチを希望して、Cache-Cache(カシュ・カシュ)という店で待ち合わせ。四条木屋町をほんの少し上ったところにある小さな店だ。ぼくは、キッシュと、定番の牛ほほ肉の赤ワイン煮を選んだ。値段も安めの割に、質も悪くなくて、これなら満足。夫婦とも食が細いので、今日は、昼一食でも過ごせそうな気分だ。平日のお昼から少しワインも呑むと、かなり贅沢な気分になる。ゆうこはImg_5336 、インド土産の緑色のネックレスをつけている。ぼくは、観てきたばかりの『ベンジャミンバトン』や、昨夜のレイトで観た『40歳問題』という音楽映画を肴にあれこれ話した。
 このところ、別行動が続くので、たわいもないことだけれども、こんなことの積み重ねこそが実は夫婦に大事だと思う、今日この頃だ。

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縮小する失業者対策

 真宗カウンセリング研究会の月例会。
 参加者の中に、ハローワークの窓口で働く方がおられる。
 メンバーのチャックイン(一口紹介)の時、「もう来るところまできてしまいました。ほんとうに限界です」と、不況が深刻化し、失業者が長蛇の列をなしているにも関わらず、対応する職員が不足して、援助的な面談というより、機械的にどんどんとさばいていかなければならない現状を、リアルに語られた。超多忙な現実に反して、その方自身も派遣された職員で、身分は安定していないという。

 実は、数日前に、新聞の読書の投稿欄に、ハローワーク勤務の公務員が、「ハローワークは不要?」と題して、投稿されていた。自分が不利になる可能性もあるのに、実名で批判の記事を寄せていたのである。要約すると、昨夜の話と符合する内容だ。

 昨秋に比べても、今年に入ってからの状況は悲惨で、開庁から閉庁時間まで、長蛇の列で、3~4時間待ちは当たり前、人数なら50人は待たねばならず、それでも対処しきれずに、帰っていく人も多数あるのが現状だという。しかも、この社会状況である。改善されるどころか、ますます深刻になっていくのは目に見えている。にもかかわらず、国の「公務員5%純減」(5年間で、自衛官を除く、約3万3千人近い国家公務員を削減する方針)に伴って、対応する職員数は減らされている。しかも、効率化の名のもとで、統合・閉鎖、あるいは出張所への格下げという形で、ピーク時には700ヶ所あった施設が、2007年末には576ヶ所まで減少しているのだ。

 失業者は増加する一方、ますます一カ所で対応する人数が増加し、しかも職員が減少する以上(きっと派遣やパートでまかなっているのだろうが)、職員ひとりあたりが対応する人数が増加するのは当たり前の話で、これで満足する対応をせよというのも無理な話だ。

 確かに、リストラや倒産の危機にある民間に比べて、裏金問題や待遇面で安閑とした公務員への風当たりは全般的に厳しい。もちろん、無駄や不正は糺していく必要はある。でも結局のところ、正当なサービスを受けるべき納税者自身に、そのつけが回って来るのでは、どこかやりきれない思いがする。中高年のリストラや失業問題、派遣切りや内定取消しなどの若者の雇用不安、難題が山積しているにもかかわらず、実は、身近な窓口が縮小されている対応一つとっても、雇用政策の貧弱ぶりが窺えるのだ。昔はある程度機能していた社会のセーフティーネットも、「自己責任」の名のもとで綻ぶ続けている。先日取り上げた、『この自由な世界で』の映画ではないが、誰もが、明日の我が身となる可能性を秘めながら、社会的弱者がますます弱い立場へと追い込まれていく社会状況は、今後ますます深刻化していくのだろう。

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輪読法座、広島支部、京都家庭法座。

  皆さん、元気のように見えたインド旅行だったが、下痢や風邪で体調を崩す人がかなりあった。なかには、最初の訪問地で、初めてバスを下りた王舎城の城壁跡で転んで腰を打った人や、悪路に大揺れのバスで頭をぶつけてケガをした人もあったが、旅行中は、気持ちが張っているので、大事にはならなかった。しかし、帰宅してから、疲労もあって、風邪(インフルエンザ)になった人が多かったようだ。インドやネバールは、いまは冬。乾季なので雨は降らない。一点の曇りもない真っ青な空が続くいて、30度を越して真夏の太陽が照りつけるのだが、朝晩は、4~5度ぐらいになってかなり寒く、体調管理が難しいのも一因だろう。でも、おかげさまで、ぼくは至って元気。だか、ひたすら眠い。この1週間は、十分睡眠時間は確保しているのだが、それでも昼間でも眠たくなる。本調子に戻るには、もう少しかかるのかもしれない。

 このところ寒暖の差が激しく、いまは寒気が厳しいので、皆さんも、体調管理お体ご自愛の上、しっかりお参りください。

1)華光誌輪読法座 (華光会館)
 2月21日(土) 昼1時30分~5時
 華光誌68巻1号の誌上法話(聞法の要点)の輪読会。比較的な平易な表現の誌上法話です。あまり多くない人数で車座になり、皆さんのペースで読んでいきます


http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/02/rindoku2009-2.htm

2)広島支部法座 (荒神集会所)
 2月22日(日) 昼1時~5時
 インド仏跡巡拜で味わったことを中心にした法話を予定しています。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/02/hirosima2009-2.htm

3)京都支部(家庭)法座 (華光会館)
 2月22日(日) 昼1時30分~4時30分(終了後、京都支部会)
  増井悟朗先生のご法話と、座談会。たぶん、インド土産が配られます?

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/02/kyoto2009-2.htm

 また、法座案内には、アップされていませんが、来週火曜日にも、聞き方、伝え方の中心にした集いがあります。

4)くらしの中のカウンセリング(華光会館)
 2月24日(火) 朝10時~13時
 担当:増井裕子。必ず、華光会館までお申込みください。

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寒中仏青研修会~座談会が苦手な君へ~

 昨日、今日と、粉雪が舞う寒い1日。数日前の寒中仏青研修会は、「寒中」は名ばかりで、春の陽気だったのに比べると、一気に真冬に逆戻りで、寒さが身に沁みる。

 仏青の諸君には、ささやかなインド土産を用意していたが、足りないことを心配するほどの盛況ぶりだった。初参加者が8名もあったが、S会関係の新人はなし。そのかわり、7名までが、真宗の寺院の子弟だった。それもいろいろなルートの参加。ゆうこの同級生の大学院生の学生、仏青のメンバーの元大学の教え子、華光同人の娘さんがその友人(お寺の方)を連れて参加されたりもした。ほんとうの意味での、求道・聞法という姿勢までには至らなかったように思うが、それでも華光の法座に触れてもらっただけでも、大きな前進である。若い僧侶には、これからの期待もあるし、今後の展開も楽しみになってきた。気がつくと、仏青メンバーも、少しは学生世代も増えてきて、新鮮な顔ぶりになっている。その意味では、過渡期で、これまでの主力級のメンバーとの世代間で力量にギャップがあるのも事実だ。

 華光に来て間がない参加者から、少人数での分級座談会が苦手だという発言があった。まだ、大勢のひとりとして法話を聞いたり、一対一で話すのはいいが、7、8名の少人数でも車座になって何か感じていること、聞いたところを発言しろと迫られると、困惑するという。そして、ビビッているうちに、ますます発言が、いま、ここでの、自分を離れ、具体性に欠けた、「どうしたら」の方法論やグルグル回る頭の思考が中心になってしまい、自分が抜けて、ますますみんなに受け入れてもらえた感じがしないようだ。

 もちろん、発言が苦手だという個人の資質もあるだろが、それ以上にお育ての違いが大きい。子供大会から育ったメンバーなら、たとえ仏法が嫌いでも、分級が苦手でも、そのことをうまく表現することが出来る。法話を聞いたら、テーマは何か、何が話されたのかということと、そのところで動いた自分の感想や思いを分けて捉えることが出来るのだ。別にそのことを強く意識しなくても、自然と身についているように思える。このこと一つでも、お育ての尊さを感じのだが、そうでない人は、いまさら歎いていても埒は明かないのだから、それなりの工夫をし、分級座談に臨む必要があるのだ。

 いまの学校教育では、自由な気持ちを思いを発言をする機会は少ない。子供たちに求められているのは、「正解」を決められた時間内で、定められたルールに基づいて出す能力である。時に、個人の主観に属する意見や気持ちを尋ねられるが、教室内での教師の求めるある種の正解があるのだ。いかに空気を読んで、その「正解」を早く出すのかで、優秀な子供が選ばれるシステムだといってもいい。だから、そのままの姿勢で、華光の座談会に初めて出て、戸惑う人が多いのも仕方がない。または、一方的に法話を聞くだけだったり、法話のポイントをただ覚えて正解を並べる能力を磨いていた人にとっては、空気を読んだ「正解」を並べたときの、みんなの冷めた反応に戸惑うことも多いのではないか。そこで、強く批判されたりすると、何をどう話したらいいのか分からなくなる。そして、どうも座談会が苦手だという、苦手意識にますます頑になってしまう。。

 確かに、いま、ここでほんとうに感じている気持ちを、自分の言葉で表明することは、至難の業だ。自分の身に添った言葉を出すには、自分の中で、いま、確かに動いている、言葉になる以前の感じに気づき、それを言葉として発する必要があるからだ。実は、相手を聞くのもそのところで聞き、自分を語るのはそのところで語り会うしかないのだが、そのことを意識しながら、信仰座談会を臨んでいる方は、ほんの一握りでしかないのも事実だ。たぶん、大方はそんな意識をせずとも、長年のお育てで自然と身についていのるかもしれない。そのところを、促進できる司会者の養成も大切だ。

 その点をわかり易い表現で示したのが、今号(68-1)号の巻頭言「心の天気を感じてごらん」なのだが、示唆に富んだ指摘なので、もっと座談会の席で生かせたらと思う。もし、本気でご法を勧めたいと願う人や、どのように発言したらいいのか悩んでいる人は、このあたりもしっかり学んでほしい。いや、もう私はいまのままでよいのだと、成長を望まない人は、それもいい。その方は、その方で、しっかり自分の問題としてご聴聞されればいいのだから…。ただし、近い将来、「座談会は変わってしまった」と、自分の勉強不足を棚に上げて、相変わらず歎き、愚痴をまき散らすことになるのは、ゴメン蒙りたい。

 さて、苦手は苦手としても、せっかく華光とのご縁ができたのだ。カメが甲羅に隠れるように、嵐が去るのを待つように座談会に臨んでいても、いつまでも空しいだけだ。もう一歩、勇気を出して、自分を表明してみよう。聞いたところを、率直に話してみよう。覚えたことや、考え方を表現するのではない。だから、何度も何度も、直されたり、聞き間違いを指摘されることだろう。時には、受け入れられずに傷つき泣くこともあるかもしれない。でも、それが仏法聴聞じゃないのかなー。自分の枠でしか聞けない、その枠を破ってもらうのだから、黙っていては意味はない。苦手の座談会こそ、ほんとうに自分を聞かせてもらう絶好のチャンスなのである。悪循環を断つには、自分自身が腹を括って、甲羅を硬くしたカメを止めて、俎の鯉になるしかない。そうすると、きっと上手に料理してもらえるはずだ。

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『この自由な世界で』

 『この自由な世界で』は、見応えのある濃厚な作品だった。時間は、100分にも満たない小作だけれども、さすがは、大御所ケン・ローチだ。金権主義、グローバル化された現代社会の闇を鋭く切り取りながらも、社会の矛盾を告発するような正義感の社会派ドラマとしてではなく、しっかり市井の小市民のこころの光りも闇をも描き切っている。単純な善悪二元論の分類ではなく、「さるべき業縁の催さば、いかなる振る舞いもすべき」人の性のおぞましさを、見応えのある人間ドラマとして描いているところにある。いつもながらの重層的な味わい深い作品で、本作の余韻が渦巻いてしまって、間をあけずにみた2作目(悪くなっかったのに)が霞んでしまった。

Konojiyu_01  ロンドンの下町で暮らす30代の女性、アンジーは、EU圏内(特にボーランドのような旧東欧圏)で雇った安価な労働者をイギリスに派遣する会社で働いている。美人で、仕事にも熱心だったが、理不尽にも突然解雇されてしまう。彼女には、まもなく中学生になる男の子がいるシングルマザーだった。経済的にも苦しく、養育は両親にまかせて、ひとり頑張っている。首になってもへこたれることなく、学歴がありながら単純労働に甘んじるルームメイトと共に、前職のノウハウを生かした、日雇い労働者の派遣ビジネスを立ち上げることにした。文字通り、ゼロからの出発だが、最初は、もぐり営業。きれいごとですまないことは分かっている。軌道にのるまではと言い訳して、税金をごまかし、手数料をピンハネし、労働者の宿舎賃であくどく儲けていく。一方で足元をみられて、賃金を踏み倒されたり、未払いの賃金を労働者に迫られて、脅迫や傷害などの悪戦苦闘の毎日。搾取の一方では、貧窮した不法滞在の移民に力を貸して本気で肩入れするのだから、人間は不思議だ。

 また、母親から引き離されたわが子は、学校で荒れて問題を起こす。思春期の不安定な時期に、母親が必要だとわかりながらも、年老いた親にまかせきることしかできない。実直な典型的な労働者としてリタイヤをした両親には、娘の危なげな姿が気がきではない。しかし、親の忠告も、「批判ばかりで、女ひとりで、ここまで頑張っている私を評価してくれない」と、一介の労働者として終わった父親に反発し、すぐにぶつかってしまう。それでも子供のことも、両親のことも愛しているのだ。

 さまざまな修羅場で傷ついた末、儲かるためには、不法と知りながらも、より安価で、従順な労働を求めて、偽造パスボートによる不当移民の斡旋に手をそめていくようになる。自分の目的達成のためには、弱者をも踏みにじる血も涙もない行為をし、共同経営者にまで逃げられてしまうが、もう後戻りはできない。

 この作品の視点の面白さは、本来ならば、仲介業者に搾取され、ろくな保証もないまま不安定で劣悪な労働環境に甘んじている先進国(イギリス)の移民労働者が主役になりそうな中で、資本側と労働側を仲介する、もぐりの仲介業者にスポットライトが当てている点だ。リストラされた、若いシングルマザーの彼女も、社会的弱者なのである。ほんらいなら、気立てのよい、明るい母親であり、女性であるだろう彼女が、自己の幸せを買う為には、他者の犠牲も厭わず、エゴ丸出してで、さらなる社会的な弱者を踏みにじっていかざる得ない。その現代の資本主義、自由経済の構造的な悲しみを、ひとりの名もない女性を通して描いているところにある。

 彼女には、光りも、闇も、やさしさも、非道さも、誠実さも、さまざまな面が混在しいている。そして、一線を越そうとしたときにも、実は何度も引き返し、やり直す出会いがあった。子供の発する警告、斡旋で知り合ったボーランド人の恋人のやさしさ、共同経営者との決別、そして父親の厳しくも慈愛の溢れた忠告…。しかし、恐ろしいことに、「この自由な世界」の中では、「もう少し、もう少し」、「このくらいなら、このくらいなら」と、自分や家族のささやかな幸せや成功を願う彼女のブレーキは、いつのまにか効かなくなってしまっているのだ。さほどの罪悪感をもたないままに…。

 改めてタイトルの「この自由な世界」(it’s a free world)のネーミングの意味深いをおもう。この「自由な世界」とは、生き残るためにはなにをやってもいい社会という意味である。同時に、それはすべてに「自己責任」だという一面もある。自分が搾取され、下層階級に甘んじていても、他人や社会は一切頼りにならない。自らの手で、他の弱者を食い物にしても、立ち上がっていくしかない。頑張って、成功し、幸せになることがなぜ悪いのか。それもまた自由な才覚なのだという厳しい現実を、リアリティー溢れる切り口で描いているのだが、いまこそ、ほんとうの意味での「この自由な世界」とはどういう意味なのかが問われいる気がした。

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3度の誕生日祝い

 今年は、3度も誕生日の祝いをしてもらうことになった。しかも、インドと、ネパールと、日本の3ケ国と、かなり贅沢な話。

 その日は、早朝5時起きして、ガンガーの沐浴風景を見学。美しい日の出を拝したあと、初転法輪のサールナートをゆっくりと参拝。猿回しをみたり、土産物も楽しんだあと、午後からお涅槃の地、クシナガラへと向かった。高速道路といっても、トラクターも、牛車も、人も歩けば、脇道からの割り込みも平気、それどころか大型トラックがドンドン逆走してつっこんで来る危険きわまりない一本道。ただ二車線あることを称して高速道路といっているにすぎない。もちろん、仏跡地では、一つの信号機も見なかった。停電になったり、誰も守らないのだ。揺れに揺れたバスは、到着時間を3時間ほどすぎた午後10時すぎ、ようやく目的地のクシナガラに到着した。横揺れ、縦揺れのバスでの8時間近い長旅。到着すると、部屋に入らずそのまま遅い夕食に向かった。早朝からの日程にみんなクタクタ。早く食べて、明朝の出発に備えないといけない。食事の言葉をすませて、さあというときに、「ちょっと待ってください」との声。

 「今日は、還暦のお祝いを迎える方がおられます」と、アメリカから参加のKさんが、紹介される。さらに「今回の2月1日からの仏跡巡拜中に、なんと4名方のお誕生日があります」と、広島からの2名の女性に加えて、ぼくも紹介された。サプライズだ。ケーキが運ばれ、シャッパンでお祝い。サライさんからプレゼントまでもらった。みんな疲労困憊の中で、こころよく祝福をしてくれた。ありがとう。でも、ゆっくり呑みましょうというには、あまりにハードな1日だった。

 そして、2月10日の誕生日は、ネパールの首都、カトマンズで迎えた。カトマンズでのお別れパーティー。ここでは、特別な祝福はなかったが、わざわざプレセント持参くださった方もあって、こころのこもったカードも3組の方からいただいた。部屋に戻ってからも、有志が集いお別れの宴もって、最後はかなり呑んだ。

Img_5278  そして自宅に帰ると、お土産を渡す前に、いきなり子供たちが手作りのプレゼントをもらった。「お父さん、お誕生日おめでとう。48歳?」、ほんとはう47歳なんですが、まImg_5280あ、いいでしょう。手作りの箱をあけると、絵と、手作りカレンダーに、貯金箱に、そしてお小遣いで買ってくれたスリッパと白いハンカチ。ゆうこは、お洒落なパックをくれた。夜には、子供たちが作ったケーキと、自作自演のダンスを披露。二人で何度も練習した3幕からなるバレエ風のもので、なんか感激。疲れが一度に和らいだ気がした。

Img_5281_2  それにしても、3度もお祝いしてもらって、3つ早く年をとるかもしれませんが、なんとも素敵な誕生日祝いでした。

 5歳の次女。字も少しずつ書けるようになってます。

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帰国

  仏跡巡拜の旅から、無事、帰国しました。

 バンコクで1泊してから、ガヤに入り、
 王舎城(ラジギール・霊鷲山や竹林精舎)→
 ナーランダ大学跡→
 ブッダガヤ(成道の地)→
 前正覚山、苦行林やスジャータ村→
 ヴァラナシー(ベナレス、ガンガーの沐浴)→
 サールナート(初転法輪の地)→
 クシナガラ(涅槃の地)→
 サラヴァスティー(舎衛城と祇園精舎)→
 カピラパストゥー(カピラ城跡)→
 ルンビニー(生誕の地)、
 カトマンズに2泊して、ヒマラヤ遊覧と、カトマンズ市内観光という行程。

 20代のハネムーンカップルから最高齢は83歳の男性まで、まさに老若男女、地域もさまざまな総勢24名の珍道中。とても充実した、意義深い旅だったと自負しています。

 途中、2度ばかり橋が壊れた影響で、未舗装の道を2時間も迂回したり、干上がった川を走ったりと、悪路悪路の連続でバスは大揺れ。それでも、インドやネパールでは珍しいほど、予定どおりの行程を進むことができました。ハイシーズンの仏跡地での勤行の待ち時間も、満点に近い出来ばえとか。

Img_5062  ただ、27年前とは、随分、雰囲気が変わっていました。一言でいうと、想像以上に仏跡地の世俗化が進んでいたこと。これも、日本以外の仏教国(タイや在外のチベット人)の経済発展と無縁ではなく、お金の落ちる観光地は囲われ、整備され、土産物屋が並び、ホテルは便利で高級になり、日本人向けの土産物屋には、日本人用の品物が、日本人プライスで並び、商魂たくましく、私達も浅ましく買い物三昧でした。

 お釈迦さまの時代から構造は変わっていないと教えられていた荷牛車の車輪が、木からタイヤになっていてびっくり。でも、この間の私達の周りの日本の変化の方がよほど激しいものだということには、なかなか気づきません…。どんどん利便性や効率ばかりを追いかけて、コンビニエンス化している国から、混沌とした自然と共存する大地の国の空気に触れるだけでも気付くことは多々ありました。
 もっとも、それも2度目となると鮮度が落ちるのは致し方なし。むしろ、今回は、お釈迦様のご生涯のところで味わうことが多かった気がします。旅行前につくった冊子がほぼ巡行どおりだったので、それに沿ってブログを綴っていこうかとも思いますが…。

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ただいま仏跡巡拜中

 ただいま、仏跡巡拜の旅に出ています。

 その間、ブログもお休み。スパム(迷惑広告メール)に対応できないので、その間のコメントも、トラックバックも休止状態にして、反映されないのでご了承ください。

 事務所のTさんも一緒に参加。華光会館の法座活動はいつもどおりですが、テープの注文などは、先になります。

 今週からの予定です。

1)聖典講座 (悟朗先生)
  2月1日(日)昼1時30分~5時 華光会館
 http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/02/kantyubussei2009-02.htm

2)日曜礼拝
 2月8日(日)昼1時30分~5時 華光会館
 http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/02/nitirai2009-2.htm

3)東海支部法座 (悟朗先生)
  2月8日(日)昼1時30分~5時 JR勝川駅前すぐ
 http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/02/toukai2009-2.htm

4)仏青研修会
 2月14日(土)昼1時30分~15日(日)4時30分

  華光会館・ 原則、全日程参加ですが、一部参加も可能です。
 http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/02/kantyubussei2009-02.htm

 もし、無事に帰国できたら、さっそく仏青研修会からの参加します。いまのところ、かなり初参加者が多いようです。一応は締め切ってますが、また日数があるので、迷っている方は、ぜひご参加ください。ただし、青年会なので年齢制限あります。

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