最終講義
真宗学教授の退官最終講義を聴講に出かける。少し遅れていく と、満堂の人々々。立ち見になった。「自然法爾の道理について」と題して、親鸞浄土教における自然法爾思想の形成過程から、その現代的な意義、さらには発展的な解釈論など、ご自身の深い思索を講述された。
終了後、控室にごあいさつにむかう。実は、長年、大学に籍を置いていながら、残念ながらこの教授とはすれ違いで、講演を聞いたことがある程度で、授業も受けたことがなかった。それが連れ合いの関係で、最後に花束を携えてごあいさつをさせてもらえた。ほかにも、久しぶりの先生方に会ったり、なんちゃて女子大生の友人たちを紹介してもらったりと、彼女がキャンパスライフを堪能している様子がよくわかった。
夕方、久しぶりに大学院時の恩師に電話する。
お元気そうなお声だ。この世を生きていくことは、いろいろな厄介な制約がある。ほんとうに骨のある先生で、たとえ体制であろうが、権力であろうが、自信のところを歪めず主張し続けておられる歴史がある。簡単に解決する方法などないが、おかげて少し元気をもらった。不利益を蒙るかもしれないが、もっと大きなスケールで考えたいなー。そんな励ましもいただく。これもまた自然の動きなのだろう。ただし、制限時間一杯まで、ウーンと悩み、考えることにはしょう。
「蛸壷や はかなき夢を 夏の月」
伊藤康善先生が愛された芭蕉の句である。
なーるほどね。これや我が身の姿やなー。所詮は、小さな小さな蛸壷しかしらずに、そこで淡い夢を見ているだけなんだなー。明日には、蛸壷ごと、無常の漁師に釣り上げられるとも知らずにね。
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