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喝飲ごとく聴く

 道綽禅師が『安楽集』で、説聴の方規、つまり、法を説くもの、聴くもののこころ構えについて細かく触れておられる。その2番目に、『大智度論』の次ぎの言葉を引用されている

 「聴くものは端視(たんし)して、喝飲(かつおん)のごとくせよ。
 一心に語議のなかに入り、法を聞きて踊躍(ゆやく)し心に悲喜す。
 かくのごとき人にために説くべし」

 「端視(たんし)」は、「ひたすらに心を傾けること」。「喝飲(かつおん)」とは、「のどが渇いた人が水を求めるような思い」。そして、「語議(ごぎ)」は、「言葉の深い意味内容」ということ。(『浄土真宗聖典・七祖篇』参考)

 つまり、聴聞者は、一心に心を傾け、炎天下で喉がカラカラに乾いた者のように、ことば尻ではなく、その深い意味に入り込んで聴聞し、踊躍して喜ぶのである。こういう人のために法を説くべきであると。

 明日から、親鸞聖人の報恩講法要法座が勤まる。ここ数日、冷えてきた。体調を崩したり、天候でキャンセルが続いているのが、残念だ。会場の準備は整った。すでに、高山と福岡の同人が来館されている。

 今回の世話役のリーダーのちょんまげさん始め、みなさんよろしく。

 本年の年頭を飾る大切な法要法座だ。
 2日間と短い法座だが、喝飲(かつおん)のごとく、ご聴聞させてもらいたい。

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よろしくおねがいします。
聴聞させていただきます。

投稿: ちょんまげ | 2009年1月11日 (日) 04:52

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