『ブロークン・イングリッシュ』
「先生、来週はシュウカツで、実家に帰りますので、欠席します」。
講義が終わって、学生が話しかけてきた。「シュウカツ?」、思わず聞き返す。「えー、シュウカツです。たいへんなんです」。「ああ、そう。頑張ってね」と、適当に話を合わせた後、頭で「シュウカツ」「シュウカツ」と反復しながら、それが「就活」、つまり「就職活動」のことであることがわかったのは、少しあとになってからのことだった。ぼくの大学時代にはなかった用例。うまく省略するものだと感心したが、それから何年も時が経つと、新聞見出しでも使われる一般に定着することばになっていた。
それが、最近、「コンカツ」ということばを耳にするようになった。いまや若い女性も、「コンカツ」を熱心にしないといけない時代になたのだそうだ。そう、これは、「婚活」、つまり「結婚活動」の略である。
以上が、映画紹介のネタふり。 『ラースとその彼女』と続けてみた、『ブロークン・イングリッシュ』-アラフォー(いや、まだアラサァーかも)が、コンカツの末、異文化の地で恋を成就させるロマンス。(コンカツも、アラフォーも、近々死語になる可能性大だね)
30代独身女性の悩みが、等身大で描かれている。ノラ(パーカー・ポージー)は、NYのホテルで、VIP専門のマネージャーとして活躍する独身のキャリア・ウーマン。若い時はそれなりにもてた。これがけっこう曲者になる。仕事も最初は充実し、それなりの生活もある。ところが、フッと気がつくと、ひとりぼっち。母親(ジーナ・ローランズ)も、「あなたの年齢になって、いい男は残っていないものよ。どうして、あのとき、あの人と…」となんて、うるさい存在になっている。仕事まで、以前のように情熱はもてず、不満一杯、惰性で働いている。それでも、彼女の自然体の美しい姿は、まだまだ男性には魅力的。ならばと、コンカツに熱心になるしかない。ところが、いざとなると、そう上手くいかないのだ。この年になると、お互いにいろいろな事情を抱えて、交際は失敗続きにおわり、仕事まで低調気味になっていく。
「私を愛してくれる男性なんていやしなんわ」なんて完全に投げやり、あきらめモードに入った彼女の前に、若くて、情熱的なフランス人、ジュリアン(メルヴィル・プポー)が現れる。出会った時から、積極的にアタックする年下の彼だが、どこか軽く見えなくもない…。のぼせて傷つくのはもういやだと度重なる失敗に、どこか腰が引き気味でどうもギクシャクしてしまう。
映画監督、ジョン・カサヴェテスを父に、名優、ジーナ・ローランズを母に持つ、ゾエ・カサヴェテスの監督デビュー作。この女性からの等身大の視点は、男性のぼくにも、嫌味なくスッキリして好感が持てた。たぶん、監督自身の人生経験も活かされているのだろう。そしてなにより、NYでキャリアもあり、TPOに応じたファッションセンスと、知性や魅力的な会話力をもらながら、彼氏のいない30代独身女性の揺れる心情を、さらりと演じている主演のパーカー・ポージーがうまい。この映画は、その自然体が、魅力的なのだ。
すったもんだの末、結局、彼女に足りなかったのは、一匙の勇気だと気付くのだが、最後の大勝負?。現状を捨てでも、一歩踏み出す決心をして、彼の待つはずのパリへと向かう……。
タイトルの“ブロークン・イングリッシュ”は、文法的に正しくない英語という意味だ。いわゆるブロークンというやつね。日本人のぼくには、この言葉の微妙な行き違いは分からないけれど、単に微妙な相違をテーマにしたものではない。
また、NYとパリの男女の出会い、映画の題材としては、よくある陳腐なお話。ごく最近なでも、『パリ恋人たちの2日間』とかもあった。しかも、NYの自然体パートから、パリの話が、ちょっとご都合主義で展開が荒くなっていくのは、ちょっとたまにきず。それでも、まあ、出会いなんて、計算されたものではないのだよ、というメッセージと受け取れないこともない。同時に、人と人の出会いなんて、けっして、文法的に正しい言葉のやりとりがなければ、その正しい理解はできないなんて、そんな堅苦しい狭いものじゃないだよ、というメッセージがあるようにも思えた。その意味では、異文化の相互理解のためには、正しい言葉遣いよりも、もっともっと大切なものがあるだろうし、人生を変えるのは、他人ではなく、まぎれもなく自分自身の変化を恐れないで、一歩踏み出す勇気だということなのだろう。
| 固定リンク
« 損「徳」のはかり | トップページ | 胎動 »
「映画(アメリカ・その他)」カテゴリの記事
- 『サマー・オブ・ソウル』~あるいは革命がテレビで放送されなかった時~(2021.10.01)
- 映画『ライトハウス』(2021.07.24)
- 『FREE SOLO』(2020.06.23)
- 今年も206本(2019.12.31)
- 『草間彌生 ∞ infinity』(2019.12.30)
コメント
言葉と意識は人間にとって、重要な意味を持つと理解しています。最近の傾向として、音のノリで奇妙な言葉が幅を利かせていると、言う印象を私は感じています。
このことは非常に危険な傾向だと、私には思えてなりません。私の業界でも、専門用語のような響きを持たせ、その実は、明確に定義もしないまま、ただ雰囲気で用語を自分勝手に発しているように思えてなりません。受け取り手も、自分勝手に雰囲気で分かったような顔をしているように思えます。
実のところ、言葉をもてあそぶだけで何も伝達(コミュニケート)できていないのです。ここは断定してもよいと思います。
その結果、他者との関係性に自身が持てず、不安な状態で居ることすら気がつかず、表面を取り繕っているのでは?と、言う疑問すら生じてきます。
と、とりとめもなく怠惰にふけっています。
それではまた。
投稿: 如修羅 | 2009年1月15日 (木) 12:05
如修羅さん、ようこそ。
確かに、いまは、言葉はどんどん消費されて、痩せていきますね。
ところで、いろいろと見識あるご意見。どこかで、ご自分のHPやブログやってられるのなら、教えてください。
投稿: かりもん | 2009年1月16日 (金) 00:21
映画の話題は・・・知らない分野だったので、新鮮ですね。。
そういえば、安心問答の作者も映画大好き人間でしたよね?(私に安心問答の作者かー?)って聞かれて、うわ、違う!私、映画、苦手分野。でも・・・心にしみる映画ってあるんだなあ、とこのごろ、ふっとそう思えてきました☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆みなさん、たまに映画もみましょうよ。。。ってここに書いても、と思いながら、でも、映画って、結構楽しいものだと、最近思いました・・
投稿: 雪国の小さな姫 | 2009年1月30日 (金) 00:10