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つめの先の土

 ある日、お釈迦さまが、アーナンダと街を歩いておられました。
 暑い一日。牛が、重い荷物を積まされ、汗をかきながら、フラフラと歩いてきました。
 「ああ、かわいそうに」、と思わずアーナンダがつぶやくと、お釈迦さまは立ち止まり、こうおっしゃったのです。

 「アーナンダよ。お前の足元にある土をすくいあげてごらん」。
 なんのことかなと思いながらも、アーナンダは、右手に一杯に土をすくいあげました。
 「これで、よろしゅうございますか」。
 うなずかれたお釈迦さまは、静かにアーナンダにお尋ねになられました。
 「その右手の平一杯の土と、この大地一杯の土とでは、どちらのほうが多いかね」。
 「申し上げるまでもございません。大地の土のほうが、はるかにおおうございます」
 わかりきったことにもアーナンダはまじめに答えると、お釈迦さまは深くうなずかれ、
 「そのとおりだ、アーナンダよ。この世の中に生きとし生きるものは無数にいるが、その中で人間に生まれるということは、右手の土ほどのわずかなものだけなのだ」、と仰られたのです。

 そして、次にお釈迦さまは、アーナンダに右手の平一杯の土を、左手のツメの先ですくってみようと仰せられました。
 アーナンダは、言われるままにツメの先で救うと、ほんのかぞえるばかりの土が、ツメの先にのこりました。
 すると、お釈迦さまは、
 「アーナンダよ、このツメの先の土と、右手の平一杯の土とは、どちらのほうが多いと思うかな」、とお尋ねになられました。
 「ハイ、申し上げるまでもございませんが、右手の平の土のほうが、ほるかにおおうございます」と、アーナンダは答えました。
 お釈迦さまは、静かにうなずかれ、
 「そうだよ、アーナンダ。同じ人間に生まれながらも、み仏の教えを聞くことができるものは、ほんの爪の先ほどの人だけなのだ。私達は、ほんとうに人間に生まれたことを、そして仏法を聞くになったことを、喜ばねばならないのだよ」と。

 アーナンダは、ためいきをついて、次々と行き交う牛や人々をながめるのでした。

 今日の日曜礼拝で、お聞かせに預かりました。

「人身(にんじん)受け難し、いますでに受く。
 仏法聞き難し、いますでに聞く。
 この身、今生(こんじょう)において度(ど)せずんば、さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん…」

 受け難い人の命をいただき、聞き難い仏法を聞く身にならせてもらっている。では、私はどこを喜び、何をお聞かせ預かっているのか。ほんとうに尊い尊いご縁を粗略にせずに、大切に、大切に、大切に、ご聴聞に預かるしかないですね。

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法座と聞法」カテゴリの記事

コメント

仏法 聞き難し。。なんと お懐かしい響きでしょうか。
初めて耳にした、心をひかれる言葉の数々・・
のちに悲劇を生むとも知らず・・
17の若い少女 まだ人生も知らない花をつみ
草にねころび 鳥を追いかけていたころ・・

戦争を知らないこどもたち

戦後生まれのこどもたちは、歴史を知らない
歴史とは、過去のあやまちを繰り返さないために
学ぶのでしょう 旧日本軍が展開したあの戦争は
アジアの国々、私達の先祖発祥の半島
さかのぼり中国、インド
日本は、何度も悲しいあやまちを繰り返してきた
秀吉によって、無謀な戦いを余儀なくされた朝鮮
水軍は、それでも母国を守る為に多くの人命を
失って
そして旧日本軍の攻撃によって、この子だけは、
助けて・・と差し出された赤子までも刺し殺した、
奪われた莫大な、被害をすべて 日本が償うと
したら、日本は、何回か破産せねばならない。。
 歴史を学び、日本人がせねばならないことは、
日本人として生まれた私達は謝罪・・
そして、美しい大韓の春から学ばねばならないことが
たくさんあるのでしょう
 一人ひとりは、とても小さな存在 それでも
一人ひとりが、アジアからゆるされて生きていることを
わすれては ならないのでしょう
 先祖と私は関係がない、そんなことを思っては
日本人はまた同じあやまちをくりかえす

人は、悲しい面があり自分の立ち位置から物を言うこと
しかできないけれど、もし、たまたま 大韓からのつばめ
がその美しい羽根をひとひら 落としてくだされたならば
ありがたく 大切に 大切に 大切に 
この小さなてのひらに たまたま
舞い降りていただいたならば
歴史を心して 生きていくことがたいせつなのかな。。

桜の季節を前に北陸の長い冬が終わりを告げはじめる
このごろ、ふと そんなことをおもってます・・

投稿: 雪国の小さな姫 | 2009年1月19日 (月) 09:04

かりもんさん、お久しぶりです。といっても、毎日読ませていただいています。他生で母を喰らい、父を喰らい、阿弥陀様を食い尽くして人間界に生まれさせていただきながら、爪の先に押し込んでいただいたのも、自分の手柄とうぬぼれる。この私、この逆謗の屍骸は本当に手がつけられません。なまんだぶつ。

投稿: どんべえ | 2009年1月20日 (火) 09:12

どんべえ 様 ほんとにそのとおりですね・・
☆爪の先に押し込んでいただいたのも、自分の手柄とうぬぼれる。この私、この逆謗の屍骸は本当に手がつけられません。なまんだぶつ。
 このとおりですね。。
「あいつについていったら、地獄だーー!」
「あいつは地獄の使者だ、」
 私は、言われながらとまどったけれども、空を仰いで
ああ、人の頭でこねくりまわした、地獄・・・それは一体
何なんでしょう・・一言でも、地獄がわかったと・・・
私は、ひとことも、言って無いけれど・・・
 私にはそんな智恵も才覚もなんにも無いから
そんな、人様の地獄なんて、到底 ・・・・
 地獄へいくか、極楽へいくか、賢い人は、そんな事が
わかってしまわれるのか・・・ああ なんということだろう

ばたばたしている娑婆に、今日も空は変わらないで、静かで
美しい
 ☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆

投稿: 雪国の小さな姫 | 2009年1月20日 (火) 15:16

雪国の小さな姫さん>連続の登場ですね。

どんべいさん>
ほんとうに久しぶりー。うれしいですね。

人は、いざ知らず。「地獄行きですよ」と教えていただいたら、ほんとうのことを教えてくだされたのだから、本来なら、喜ばねばならない私なのに、現実は、まったく違うのですから、ほんまに何を聞いているのやらと思う毎日です。無明というのは、ほんとに悲しい限りですわー。

投稿: かりもん | 2009年1月21日 (水) 00:19

今週は、少し コメントが 増えてしまい すみません
☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆
 お懐かしい京都へのお出かけを、決めてより。。なんだか
わたしの、わからないところで、・・・何をいわれてるのやら・・
 人様の・・・後生でもあるまいに・・私の心配か、誹謗か、
していただくのは・・・いいけれど、小さな 小さな 小さな 人間のすることで・・・ぴりぴりすると、体に悪いと・・・おもう。。
 「じごくだーあいつについていったらじごくだー・・」
。。。。ついていかなくたって、今、そんなになって、生き地獄でないのかな?・・・
 パソコンにうとい私に、そもそもこのブログにもたどりつくのが、やっと。。。つい、最近たどりついただけのこと・・・・
 誹謗(いくらされても文句の言えない私ですが)宇宙語がとびかっているようで・・・さーーぱり、わかりませんが。。
 ☆ なんでも、おっそろしい、音声を、ようつべ???
なんのことか、さーっぱりわかりませんが、そこへアップした
(あのーーー、私、そもそも音声を、ようつべ?とかいう機械に
アップ・・?アップって書き込むことなんですかね?やっただろー☆)と言われても・・・・言葉の意味も、わからない。。
 
 ねえ・・・そんな、小さな小さな、当の本人、なんにもわからんことを、言って心配してくださるのは、ありがたいけれど・・・
 そんな、毎日が、むなしいと、思いませんか?私は、、
いいですよ。。なんとでも言ってもらっても、知らないのですから・・・ただ、小さな 小さな 小さな ことに、気をとらわれてる間に、すぐに、年を重ねていくの。。。
 昨日はもうもどらない、今この瞬間が、どんなに大切か、
そんな、目を吊り上げて、さわいでも、さわがなくても、
 もうすぐ、いえ、そこに 棺おけが、待っている・・・・
だから、そんな わけのわからないことで、さわぐ時間がある
のなら・・・・真実を、聞かれませんかね・・・・私には、なーんも、力は無いけれど、・・・なんも、しないのに、引っ張り出されて、今がある・・・みんな、わが力にではない・・・みんな、
 すべてが御用意されてくだされたと、思う(人は思えない)でも、そうお聞かせいただくことで、わが身が、少しでも・・・
 そんなふうには・・思っていただけないでしょうか・・
って・・・ここに、書く内容ではないのですが、読まれていらっしゃる方々がおられるようなので・・これをご縁に、何か、思う事があられたら、私の仕事じゃないけれど・・・いいなあ、と
 おもったりして・・・雪国の小さな姫の独り言。。。。
 

投稿: 雪国の小さな姫 | 2009年1月21日 (水) 23:13

ああ、雪の日 やっと、京都にたどり着いたときには、
もはや、富山発の特急は40分も遅れていたんです。。。
現地の知り合いの女性は、真っ青な顔で、「今(その方)の
家族が、誰と会ったのだ、と富山に出かけた主人が、何度も
電話をかけてきた。。離婚だと騒いでいる・・・(プライバシー
なので、お名前はだせませんが)」といわれる、、
 これは、一体、何事が起こっているのかと、心配になった。。私は、かりもん さんに会えて、遅れてしまったので、中途の参加でしたが、一言二言、思いを発言させていただいた。。本当は、何もかも、全てを、謝罪し、・・と思っていたのですが、そんな気負われた雰囲気もまったくなく、暗い顔の私に、、むしろ、笑顔で接してくださる。。。不思議だなあ。。とおもいました・・そして、一言一言が、なぜか、ぴたーーっと
その核心にせまってこられる。。ああ、ごちゃごちゃ、言おうと
思っていたのが、なにもかも、、、気が付いたら、目と目がただ、あっていた、そして、笑顔で語りかけられた、たったその
瞬間で、言葉にならない、ただ心が、(本当は、ぼろぼろだったはずなのに)何か、吸い込まれるように、気が付いたら、うなずいている自分に、はっと気づく。。。これは、一体何であろうか・・・固い挨拶を考えていたのも忘れて、かりもんさんの
お言葉に、吸い込まれていった・・・不思議でした。。。なぜ、
あの短い、目と目があって、気さくに笑顔を見せてくださる中に、ああ、、なぜ、私の心に、すっと 入っておみえになるのか、お聴聞の機会を今後も、頂きたいと思わずにいられない、そんな不思議な、3時間。。。でした。☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆ほんとうに、ありがとうございました、と心から、思わずにいられず、気づけば 南無阿弥陀仏、
とくりかえしていたことに、きづいて、涙がこぼれました。

投稿: 雪国の小さな姫 | 2009年1月29日 (木) 00:00

雪国の小さな姫さん、短時間でしたが、大雪の中、お参りくださりありがとう。うれしかったです。すぐに、聞き損じる私ですから、破って、破って、お聞かせに預かりたいものですね。

投稿: かりもん | 2009年1月29日 (木) 00:29

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