最初のボタンをかけ直す
週末は、輪読法座、広島支部法座と続いた。先週は、連れ合いも、大学院の試験やレポートのピークで、かなりたいへんそう。ぼくも少しはサポートのために、法座の合間も、子供の送迎やお守りもあって、ちょっとブログも連休。輪読でも、広島でも、法座に「出」ると、やはり味わうことがあるが、今回はパスした。
それでも、広島のH家での家庭法座では、最終の新幹線まで、皆さんと懇談してきた。心尽くしの手料理をいただきながらの仏法讃嘆。和気あいあいとして楽しかった。おもてなしがどんどん豪華になってくる。今回はフライヤーをもちだしてのお座敷天ぷらで、広島名物のカキや皆さんの持ち寄りでの珍しい一品に、舌の方も滑らかになった。ご馳走さまでした。
せっかくご馳走になりながら、それではせいがないので、ひとつだけ気付いたことを書くと、聞法、聞法と気張っていても、特別なことを聞くのではない。最初にお聞かせに預かり、分かっていると決めつけているところを、もう一度、自分に返して、確かめ、お聞かせに預かりたいのものだと思った。一番最初につけたボタンがちぐはぐのままでは、いくらうえを修正していっても、またどこまで重ねて連ねてみも、ぜったいにビッタリと会うはずはない。「わからん、わからん」、と長年、悩んでおられる方、自分で「有り難い」といいながら、「でも」が付く方や、皆さんに受け入れてもらえる感じのない方せ、もう一度、もう一度、原点に立ち返って、なんのために阿弥陀様がご本願を起こされたのか。誰の、どの姿をみそなわしてのことなのかという、仏願の生起のところを、あらためて焦点をあてて聞いてみほしい。分かったつもりでも、いざとなると、聞いてないんじゃないかなー。これはぼくたちも同じことで、繰り返し、巻き返し、ご法に返して聞かせていただくしかない。
さて、今週は、同人会ニュースの発行(今日は送付)、文化庁や本山への提出書類に、来年度の真宗カウンセリング研究会のパンフレットの作成に、会報の原稿、そこへ出版社との交渉やら、エアコンやエレーベーター交換の交渉などなど…。早めから用意していたものも、相手のあることなので、何もかも重なってしまった。時間は限られているのだから、ひとつ、ひとつ小さな連絡や書類作成などを片づけていくしかない。
インド仏跡巡拜の資料を作るために、にわか勉強も始める。本や資料だけは山のように整ったが、どうなるのか不明。前回、引率してくださったI先生に電話をいれて、久しぶりにお話を窺う。ほかにも、最近の経験者の声も聞いて、参考にさせてもらった。ありがとう。どうにか形にして参加者に配りたいのだが、どうなることか。荷物もそろそろ準備しないといけないし…。まあ、この世のことはなるようにしかならないなー。
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コメント
ありがとうございます。
昨日、聞きあう会で、「何のために阿弥陀様が本願を起こされたのか」という所に焦点をあてて、聞きなおしさせていただきました。御法座の中で、先生が、「どんな私のために、なんとおっしゃられているのかということを全部、お話してくださっていました。それなのに、私は、たとえ話のほうで、ウロウロしてたり、「地獄行きの私」になろうとしてたり、特別な、かっこいいことを感じようとしてたりして、大事なお心を聞いていませんでした。
なろうとせんでも、今、私のやっていることが、地獄行きで、
その私こそがおめあてなんだと、聞かせていただきました。
ご法座にお参りすることが出来ない方が、「全徳施名」を涙されて喜んでおられるお姿を見させていただいて、
ご法座にお参りさせていただきながら、聞いていない私が、
なんと申し訳なく、もったいないのかということを
思わせていただいています。
投稿: Tねこ | 2009年1月28日 (水) 08:42
Tネコさん、報告を兼ねたコメント、いつもありがとう。それにしても、有り難い友同行に囲まれていますね。それだけでも、尊く、幸せなことだ思います。
あと、書初展の写真は、せっかくのTネコさんの初出展作もあったのに、アップした中には写ってないですね。ゴメン。でも、写真には写しましたので、また送ります。
投稿: かりもん | 2009年1月29日 (木) 00:27