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但馬国分寺の揮毫

 一昨日、豊岡市日高より珍しい用件での、華光同人の来客があった。

 父に、但馬国分寺の本堂、薬師堂に掲げる額の揮毫(きごう)の依頼があったのだ。

 なぜ、依頼があったのかの経緯は略するが、国分寺とは、聖武天皇741年に国状不安を鎮撫するために、各国(60余州)に、国分寺と,国分尼寺との建立を命じた、歴史ある寺院である。各国に、国分寺と国分尼寺が一つずつ、国府のそばに置かれ、国庁とともに、その国の中心地、最大の建築物であった。そして、大和国の東大寺が、全国の国分寺の、いわば総本山と位置づけられている。(1)

  但馬(兵庫県北部あたり)の地にも、奈良時代(いまから1200年以上前)には、この日高町国分寺が、中心地で、ずいぶんの大寺があったようだ(2)。しかし、その後、度重なる災害や、秀吉の焼き討ちなどの戦火によって、まったく歴史的な大寺の面影はなくなり、明治期から昭和の始めにかけてはさびれて、無住になっていた時期もあったという。それが、戦後、細々と復興されて、最近、やっと檀家や護持する人達も増えてきたという。古来の位置とは少し離れているが、そこは由緒ある但馬国分寺を継承するお寺で、平安や室町の重文の如来も所蔵されているし、歴史的経緯から、寺号の石碑も東大寺の管長(別當?)が揮毫されたものが刻まれている。

  各地の国分寺は、律令体制が崩れ、国家の庇護がなくなり、廃寺になったところも多いが、中世には、本来の性格(国立の政治色の強い鎮護国家の寺)と異なり、さまざまな宗派を選び、今日まで継承されているところもある。ここは、浄土宗のお寺で、阿弥陀如来の他に、薬師如来が安置されている。

Tjidou   それで、依頼の字は、「南無阿弥陀仏」ならぬ、なんと「南無薬師如来」である。宗派も異なり、左の薬師堂に掲げるものなのだから、当然といえば当然だけれども、なんとも妙な感じがする代物。父は、伊藤康善先生の当専寺にも「華光道場」の扁額を書いているが、他宗派の寺院の申し出は初めてだろう。まあ、せっかくの有難いお申し出なので、お受けすることにしたようだ。

  完成後には、日高法座の帰りにでも、拝観に寄せてもらいましょうか。

(1)国分寺についてhttp://www.city.toyooka.lg.jp/kokubunjikan/HTML/kokufu_kokubunji.html

(2)但馬国分寺について(遺跡)
http://www.city.toyooka.lg.jp/kokubunjikan/HTML/kokubunji_.html

http://inoues.net/club2/tajima_kokubunji.html

(3)但馬国分寺について(お写真も拝借しています)
http://members.at.infoseek.co.jp/bamosa/tajima.htm

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