一時は、このまま涅槃かと……
1月末は、重要な提出書類期限もあるのだが、特に今年はいろいろあった。それで、元気に仏跡巡拜に出発するのが一番だと、最初は作成するつもりだった、旅行のガイドを早急に残念した。その代わり、『ブッタの旅』という岩波新書のカラー版を購入してもらうことにした。http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_071e.html
確かに、何もかもおまかせで連れていってもらえるのだが、一生に一度の方も多かろう。それなら、何冊か本を読んで、勉強していったほうが感慨も深い。
第2回は、27年前だか、その時は、引率のI先生が、とても立派なガイドブックの資料を作ってくださっていた。いま、読んでも感激するほどの出来ばえだ。連れ合いが、「せめて、必要な仏跡案内のところだけでも、それを入力したらどうだか」と提案してくれたので、5日前になって、ムラ君にタイピングを依頼した。さすがに、コースも違うし、事情も変わっていて、手直しや追加が必要だったので、それなら、やっぱり作ろうかと決めたのが、水曜日の夜。
せっかく入力してくれたムラ君にも報いたいし、前回の先生のご苦労も、少しは引き継ぎたい。ならば、少し頑張ってと、本格的に始めたのはいいが、これが時間がかかる、かかる。初日、2日目は、関空とバンコクなのですぐできた。でも、そこからが、メーンイベントの、ラージギル(王舎城と霊鷲山)と、成道の聖地、ブッダガヤ。もうここだけで、ほとんど朝から夕方まで費やしてしまった。もう、時間がないので焦る、焦る。こんなに必死に頑張ったのは、〆切に追われた修士論文以来かもしれんなーという勢いで、最後は、並べるだけでもいいとか、荷物もあるし、もう止めようという悪魔のささやきに負けそうになりながら、なんとか、ベナレスと初転法輪のサルナートをすませ、深夜にやっとクシナガラに達した。荷物もまだ手つかずだし、法蔵館の原稿もある。悪魔の誘惑は続いて、何度、ここまでにして、このまま涅槃に入ろうかと思ったことか。しかし、釈尊のご加護か、勇猛果敢にして、降魔の相を示し、もうひと頑張りすることにした。カットの入れ方や統一の仕方などの要領もえてきたので、ここからは案外早かった。
おかげで、サラバスティー、カピラ城、ルンビニーを経て、どうにかこうにか、今日の昼すぎにはカトマンズまで到着! もっとも、仏跡地ではない、カトマンズの2日間は、イラストの地図をのせただけのだが、最後の関空での解散までたどりつくと、ほんとうに旅行から帰ってきたぐらいの気持ちになった。いやいや机上の旅とはいえ、「お疲れさま、ご苦労さまでした」。
それにしても、勉強すると、あらためて「ヘエー」と思うことが多かった。まだまだ触れたいところもあるし、後半はかなり荒くなってしまった。校正も一度もしていないのでミスも多い。それでも、連れ合いが表紙を書いてくれて、ムラ君がコピーして、セッセセッセと製本。夜になってやっと完成した。ジャージャー! 40頁の超大作。表紙がつくと、我ながら立派なものになったと、眺めては、感心、感心。これで、次回(第4回)は、かなりいいものが出来ることは間違いない!
でも、つぎに、「この25部は、誰が持参するのか」と思うと、ガビ~ン。今回は、前日から泉佐野に一泊するで、京都、大阪、ナンバと、大きなターミナルを4回も乗り継いでいかねばならない。いや、これはまいったー。
ところで、前回は、まだワープロなども普及しておらず、書の達人の先生のすばらしい手書きだった。
そういれば、持ち物も随分かわったなー。PCはさすがにもっていかないが、デジカメに、電子辞書に、ICレコーダーに、デジタルオーディオプレヤーなど、電子機器だらけ。荷物は増える、増える。皆さんは、ケイタイも持参されることだろう。
やっとだいたいの荷物は揃ったので、明日の朝には、一仕事をすませた後で、パッキングしよう。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 億劫(おっくう)(2023.08.04)
- 報恩講始まる(2023.01.09)
- そして誰もいなくなった。(2023.01.04)
- 賀正(2023.01.01)
- メキシコ料理(2022.11.04)
コメント
ガイドブック、表紙、かわいいですね。
出来たら中(先生のご苦労)も読ませていただきたいです。
先生、皆様、どうぞお気をつけて行ってらっしゃいませ。
帰国後のお話を楽しみにしています!
(私も『ブッタの旅』を買って、家で旅気分を味わいたいと思います。)
投稿: Anne | 2009年1月31日 (土) 07:02
何か、地獄がどうのこうのというコメントがあり、気になっていました。私には地獄がどうの、極楽がどうのなど、どうでもよいことなのですが。どうせ、彼岸の彼方の話。
ふと思い出した言葉に、「たとひ法然上人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ。」だと。
たしか、西光先生が言っていた。カウンセリングでは、話を聴くために聴く。だから傾聴以外には無い。クライエントは自己を啓くに決まっているから、と。これが人間信頼だ、と。
信心のない、不思議の御縁を実感しようともしない、私にも、念仏申すために念仏申す、くらいの知識はある。
何かえらそうなことを書いていますが、さてさて、何も知らないことのほうが、中途半端に物を知ってしまうよりも、幸せかもしれませんね。これも師の言葉です。
投稿: 如修羅 | 2009年1月31日 (土) 11:07
僕も読ませてもらいたいです!
私ごとですが1月28日に第三子が誕生しました。
3384グラムの女の子です。母子ともに元気です。
名前も大経の華光出仏から華の字を一字いただまきました(長女、次女と同じです)。
いつかみんなで華光会館にお参りしたい、そして「華」の字のおいわれを分かち合いたいな。
いっしょにインドへもいってみたいな。
気をつけていってきてください。
投稿: ちょんまげ | 2009年1月31日 (土) 11:15
Anneさん、ちょんまげさん、ありがとうございます。
そうですか!ちょんまげさん、おめでとう
。よかったね。3人の娘の父親か。たいしてもでんすね。法を聞く子に育つといいですね。
如修羅さん、
ぼくは、地獄、極楽は、遠い彼岸の彼方の話でなくて、いまの私の問題にほからない世界だと思ってます。もちろん、いまが、地獄だとか、浄土だとか、または、こころの持ちようの世界だとかいう意味でなく、ぼくたちにはわからなくても、三世を貫く仏様の世界を聞かせていただくのだと。親鸞さんも、「浄土の真実を顕す」ためのご一生だと味わっています。
まあ、とりあえずこのあたりで。
留守の間、ブログもコメント欄も締めます。
投稿: かりもん | 2009年1月31日 (土) 14:44