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初自力

 今年も、いろいろな方から年賀状をいただいた。

 ぼくに来たのか、連れ合いに来たのかは、名前を見なくてもだいたいすぐわかる。

 ぼくの場合、僧侶の方や真宗学の大学関係の年賀状を頂く。まじめな定型のものか、お聖教の言葉や、黒一色のモノトーンの文字だけのものもあって、総じて地味。カウンセリング関係の方も、至ってまじめな雰囲気。

 華光の関係の人は、文面がかなり濃い、濃い、濃い、池のこい。元旦早々から、地獄やら煩悩具足やら書いてある。たまに、「今年こそ、信心獲得したいです」とあるが、「まあ、そんなことを言っている間は、まだまだ遠いなー」とつっこみ、一方、「今年こそ、地獄一定の身になります」とあったので、別に、無理にそんな身にならなくても、今がまさに、地獄の道中なのになーと、つっこむ。「獲信」というか、「墜地獄」というかの言葉の違いだけで、発想、視点が同じで、所詮、わが身かわいいの自己中心なのことに気がつかない限り、なかなか難しい。

 子供の保育園や学校関係でのお付合いの方は、家族写真が中心。華光の人も、同世代の家庭はそうだ。このごろはパソコソで作ってカラフル。子供が小さいと、家族か子供だけの場合が多い。まあ、わが家もそうである。

 一方、ゆうこの場合は、芸大関係の付き合いが広いから、ほんとうにセンスのよい賀状が多い。画家やデザイン・写真を本職にしている玄人なので、かなり凝っている。

 そうそう、変わったところは、自力整体教室のお友達。「今年も自力のこころを高めていきましょう」とあたり、「昨年は、ボチボチの自力でした。今年こそは…」とあって、苦笑。ボチボチの自力ってなんなのよ(もちろん、ボチボチしか自力教室に通えませんでしたの意だけど)。こちらには、「自力のこころをふり捨てて」と書かれたものがあるのだから、この対比はなんともシュール。もっとも、この「自力」は、自力・他力の自力ではなく、然治癒の自力であり、自己の心身を、他者に依存し、人任せで治療や癒してもらうのではなく、自らの力で、食を整え、心を整えることとセットで、身も整えていくいう意味がある。自らの力といっても、独善的なものではなく、むしろ、他力の精神にだって通じる「自力」なのではある。

013 というわけで、今日は、年末年始の不摂生したからだを、リフレッシュ。教室が、京都駅前に移って、ぼくにはずいぶん便利になった。自然木を床や壁にもはめ込んだ「空」(くう)という場所での初レッスン。床にはめ込んだだけの自然木が微妙に揺れ、すぎやひのきの香りがする、なかなかいい会場だ。

 でも、その夜は、伝道研究会や役員さんたちとの新年会で、さっそく不摂生。ちょっとカロリー多すぎたのと、生野菜や甘いものでからだを冷やして、帰宅したら、さっそく下痢。でも、すぐに反応するのはいい調子で、おかげで、食べたカロリー分は、その日にほとんど排泄し、今日は、朝、昼で調整して、報恩講に備えている。

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コメント

 他力信心他力信心と、一向に他力にちからを入れて、頼み込み候輩は、つひに他力縄に縛れて、自力地獄の炎の中へ、ぼたんとおち入候。

そんな金言をふと思いました。

南無阿彌陀佛

投稿: はらほろひれはれ | 2009年1月 7日 (水) 23:38

 最近つらつら観ずるに、他力の計らい、自力修行、とまあ色々とあるんだなあと。さて、僕にはそのようなことは如何でもよい。何が自力で、何が他力かすらよう分からん。
 ただ、言えることは、目の前の現実だけは、しっかりと観ておきたい。何が善なのか、何が悪なのかもあまり気にしないようにしておきたいが、世間のしがらみは、法律、道徳、社会通念、倫理等などで真綿の如く僕を包み込もうとしている。
 先ほど、野間宏の『歎異抄』を再度読み終えた。念仏以外の善はなし。なるほど、そうですかと、他人事の僕。
 さて、ロジャーズさんですが、カウンセリングは、クライエントの話をただひたすら聴くのですか。どうやら僕には、クライエントの話に刺激され、嫉み、自惚れ、怨み等など厭味な私と向き合うことを余儀なくされているとしか感じられない。
 これが自己の成長なら、あまり歓迎したくはない。けれども首を突っ込んでしまったからには、もう逃げれない。

 まあ、新年早々、こんなところか。

投稿: 如修羅 | 2009年1月 8日 (木) 17:57

はらほろひれはれさん、今年もよろしく。
 別件ですが、ワンちゃん、かわいいですね。新たな一面を知りました。

如修羅さん、新春からようこそ。
 真宗カウンセリング研究会などでお会いしたことある方でしょうか?
 

投稿: かりもん | 2009年1月11日 (日) 00:14

何が自力か、他力か、そんな分別ようつかん・・・
そんな、感じ☆
ただ、いかなる時も、確かに世間は虚仮・・ですが、
だからこそ、人を信じ、無常だから変わらぬように尚
努力すること、って大事かなあと思いました。
どれだけ生きていること自体が、迷惑
であるか、わかればわかるだけ、できる限りのそのような
発言を相手様にはさせては、ならないと、肝に銘じるこの頃
です。
迷惑かけぬ、というならば、死ぬのがベストでありましょう・・
しかし、そのことで、また迷惑になる、これは、無限のループ
になっていきます・・
だから、不可能なのに、それでも、人を苦しませてはいかん、いかん、と思う、これは非常につらい・・
でも、人間として大事なことでないかと思います

投稿: 雪国の小さな姫 | 2009年1月17日 (土) 15:10

京都で、お聞かせいただいた、お言葉に、全文は覚えて
はないのですが・・「真実しらされておきながら、真実いまだ
ご縁のない人よりも、怒ったりすることがある・・そんなとき
なんということだ、と思う・・」というような、お言葉が聞こえて
(いいえ、私の、心が、そう聞こえたか、知れません・・)
言葉尻でなくて、心が、ああー・・そのように、思う私がいるなあ・・なんということだろうか・・・切り刻みても飽くかよ!!と
言われて、「はい、そのとおり なのです」どころか、思わず、
わかってないのは、どっちのほうや・・・・と、肩を落とすままが、御法に触れさせていただくと、・・なってないのは、自分の方や・・・と思わされてくる どれだけ聞かされても、たらん・・・きょうも、聞いた・・・地獄の使者ーー極悪人ー関わると大変なことになる☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆いつまで・・続くのか、、いやいや、そのとおりでありますよ・・これを、御縁に、どうぞ 御法を、、それが私のできることなのかなあ。。。ようこそ、と、心して (できぬ私ですが)
。。合掌

投稿: 雪国の小さな姫 | 2009年1月29日 (木) 16:56

インド・・・皆様、行かれるんですねえ・・・広いですね
世界って☆ 人は、小さな箱物が、私の宇宙になってしまう・・例え ギネスに載ったって、やっぱり 小さな小さな
 存在 ましてやそこで、戦争ごっこのようなこと、、、
やめようよ 御法にふれたら、人様 傷つけんとこ、と
思うから☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆
 皆様、お気をつけて、いってらっしゃいませ

投稿: 雪国の小さな姫 | 2009年1月29日 (木) 23:56

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