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胎動

 報恩講法座が終わった余波もあってか、ここ3日間は電話やメールをいただく。報恩講の参詣者でないところから、ご示談の申込みや家庭法座開催の要望、御礼や近況報告などに加えて、報恩講参加者からの感想や心境のお知らせいただく。中には、とても有り難いメールをいただき、その心境の鮮やかなかめり目がうれしかった。またそのことにも触れたい。

 また、この3日間は、続けて遠方からの来客があった。それぞれに、ご本山の仕事や勉強会などで上洛されたついでに会館まで足を延ばしてくださった。共通していたのは、皆さん、僧侶やお寺関係の方ということ。もろちん、ひとりひとりの信仰について問うのが華光の第一義だが、華光会という小さな組織や会の名前にとらわれることなく、これまでお聞かせに預かてきた親鸞様の真精神を、いかに共有し、また分かち合い、いまは小さな点にすぎない力を、より有機的で、機能的なネットワークに展開していくのかも、華光の課題ある。これまでの地道な歩みの中での種まきが、徐々に芽をだしていく気配を感じて、とても楽しみになってきた。

 もちろん、あらゆる意味で、人の流れが活性かされていることは有り難いことだが、一方で、華光とあまり関わりの少ない、かじった程度の人が、華光会や伊藤先生の名前をだされた軽率な行動も耳に入ってきて、迷惑なことだとも思っている。

 しかし、これもまた折り込み済み。そんな外の騒音は無視して、ただわが道をしっかりと歩ませていただきたい。そろそろ、勇気をだして何かアクションを起こしてもいいのかもしれないなーと。たとえ小さな一歩でも、その時期は迫っている気がするのだが、そのためにも、しっかりと足元を固めたい。

 

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今日の華光会館」カテゴリの記事

コメント

久しぶりに書かせていただきます。
『華光とあまり関わりの少ない、かじった程度の人が、華光会や伊藤先生の名前をだされた軽率な行動』
とありますが本家本元のかりもんさんに一言。インターネット情報時代です。伊藤先生の信奉者は思った以上に広がっています。かじった程度のひとでもにこっと伊藤先生なら許していただけるような気がしますが。どうでしょうかね。
かじった一人として本家本元にお許しを頂きたいなと思います。

投稿: 和顔愛語 | 2009年1月16日 (金) 01:44

 ようこそ。冷えてきましたね。この調子なら、北陸方面は雪でしょうかね。
 まったくそのとおりだと思いますよ。止める権利もないし、何をいわれようが勝手です。それをいくら利用されようが、その方の自由だと思います。
 ただ、そのせいでさまざまな誤解や相当の迷惑を受けているのも事実です。それを表明したかったのと、なおさらますます自分のところをしっかり保たないという自戒みたいなものですね。
 ちょっとした伝言ゲームみたいなもので、次ぎ次ぎ伝達されていくうちに尾ひれついて歪みます。だから、迷惑をかけないなんてこそはありえない。ぼくもこのブログで迷惑をかけている方はあると思っています。だけれども、そのことも含めて、どれだけの覚悟でやっておられるのかということです。

投稿: かりもん | 2009年1月16日 (金) 18:01

かりもんさんの言われるとおりだと思います。
『どれだけの覚悟でやっておられるのか』
えりを正して傾聴させていただきます。

投稿: 和顔愛語 | 2009年1月16日 (金) 19:43

昨日、午後3時、お電話させていただき有難うございました。
 やっと、このページにたどり着くことができました。やはり、まわりまわって、内容を聞くのと、実際の文字にされたものでは、相当なインパクトの違いもあり、大変なことだ、と思いました。お声のトーンで、だいぶお疲れのご様子が、わかり、リンクしてか、御身がとても心配になってきました。ただ漠然と何がということは私のような者には、計り知れない事だと思いました。
 「覚悟・・」というお言葉も頂きました。その範囲は、私の計らいでしか、当然わからないのですが、私の場合は一度、家族も職業(教員でしたので)も財産も、全てを没収、というよりも、自ら捨てた程度の事しか、したことはありません。ですから、あとの覚悟は「死」、なんです・・・御指導有難う御座いました。今後共、よろしくお導きください。

投稿: 雪国の小さな姫 | 2009年1月17日 (土) 10:20

和顔愛語は、けさ 問い詰めたら、主人でした。
重ねてお詫び申し上げます。ネットに、ちょこっと書く
時間か、ちょこっと拝読させていただく時間しか無い
のは現実ですので、申し訳ございません。
主人は医者、しかも小児科ですので、24時間働けますか?
状態で、ほんとうにかじることしか、出来ないんですが、
患者様のためとは言いながら無常の命ですから、
なんとか隙間をぬってでもお聴聞させていただきたく
雪国の姫(妻)よりお願い申し上げます。

投稿: 雪国の小さな姫 | 2009年1月17日 (土) 11:12

 改めてこんばんは。素敵なお名前ですね。

 あくまで、僕自身の心構えを表明しています。
 まあ、偉そうにいっても、ぼくにもなんの責任もとれません。ただ、おろおろしながら、「申し訳ありません」とあやまるしかない。たとえば、ここでも、指摘する人があったけれども、まだ華光会が法人になる50年以上前に、一時、華光に関わっていた方が、恩師の忠告も門前払いしにして、行ない続けていることだって、華光の責任にさせられている。さらに今後、ちょっと関わった方が何をされるのかも、ぼくにはわからないですが、やっぱり、すべて華光の仕業と見る人もいるわけです。
 ならば、人のことではなくて、自分のところがブレずに、しっかりお聞かせ預かるしかないなーと。ほんとうに垂れ流すしかない人生に、すべての垂れ流したものを引き受けようという御方に会わせていただいたわけですからね。
 他人のことではないし、他人の心配でもない。ただ、自分自身が、信・未信関係なくその仏様のお心をお聞かせいただくしかないんじゃないかなーと。華光にお出でになる先生方も、決して教化者の姿だけではない気がします。伝道者であると同時に、一求道者として、共にご聴聞されている姿に、ぼくは育てられてきました。
 たとえば、いまは、ご法話をする身になったけれど、そのことを通じて、自分がお念仏に会わせてもらっていくしかないというところにいます。そこが、ブレたり、どこで(場所のことではいない)聞いているのかが分からなくなると、ちょっとね、恐ろしいですものね。
 聴くって、やっぱり頭を垂れないと、聞こえてこないものね。
 これからも、よろしくお願いします。

投稿: かりもん | 2009年1月18日 (日) 00:06

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