奥が深いぞ
高山法座の懇親会で、ある方が連れ合いを絶讃してくれた。彼女は、初めての華光会館で、その自由な雰囲気に、押さえていて自分を開放(解放)されつつあるようだが、その雰囲気の象徴として、連れ合いを観ているようである。ぼくのプログで、「何か月ぶりで掃除機を握っている妻を見た」とか、「今年も台所から小バエ発生の季節が来た」という記事を読み返しては、大笑いしているという。まあ、こんなマニアの皆様のおかげで、長続きさせてもらっている。うれしいかぎり。
で、その彼女が、華光大会の分級座談のおりに、1階の台所で、「干からびた生姜」が、テーブルの上に鎮座しいるのを目撃したそうだ。何日も、冷蔵庫に入れないまま、干からびながらも使われつづける生姜。このおおらかさ、自由さは、なんとすばらしいことなのか! となったようである。
ほんと、世の中って、何に感心されるのか、ビックリである。 ただし! こんな程度で驚かれているようでは、まだまだゆうこ道のほんの序の口だ。
日常生活は、まさに凡人には、ワンダーランドのるつぼである。先日も、面白いものを発見した。
たまたま、昼食のあと洗い物をしていたら、お茶碗やらカップやらが、いくつも流しの窓際に放置されていた。そこに長らく置かれていたのは知っていたが、ついでに洗っておこうと、手にとった。やりだしたら、徹底的にきれいにしないといけない性分だ。茶碗は、何も入っていなかったが、その底には、緑色の丸い模様が2つある。こんな模様の茶碗ではなかった。汚れかなと思って、流しにいれて水を張った。そして次ぎの瞬間。なんと、その模様が立体となって、ユラユラと浮かび上がってくるではないか。ついに、見事なキュウリとなって復活したのだった。
太陽が温める窓際で、食べ残したのキュウリが水分を失い、腐らずにみごとにドライフラワー化して干からび、模様のように茶碗の底に定着していたのた。それが、再び、水分をえて、もとの姿に戻ったのである。
もう、カップラメーンの具(フリーズドライなので低温だけど)じゃないっちゅうの。ほんとに恐るべしだなー。
Hさん、喜んでいただけましたか?
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コメント
もちろん!のけぞって笑いました。
緑色の丸い模様って?・・・・・さすが京都、上等のお茶を飲むとそうなるんだろうなぁと思っていたら、本当に奥が深すぎ、きゅうりとは。でもそういう奥様を全て受け入れている先生、そしてそういう人を見つけ伴侶にされた奥様、そのことが何より奥が深いと思います。(生姜の一件はあまりの感動に数人の人に話したので、今後もしコメントするときは名前を変えなくては・・・)
投稿: ジンジャー | 2008年12月10日 (水) 23:03
そっさく、コメントありがとう。新しい人のコメントって、うれしいです。
最初、「ジンジャー」さんて、お洒落なニックネッムだなーと思っていて、コメント覗いて、なるほどね、これはうまいネ。
ちなみに、湯飲み茶碗ではなく、ご飯茶碗でした。
この程度で喜んでもらえるのなら、もう書きたいこと満載の面白さなんですが、ちょっと自粛するようにとのオーラが出ておりまりますので、最近は、控え目ですね。
それにしても、ご縁て不思議ですよね。今年の初めに、こんなことになるなんて思ってもみなかったでしょう。
何かが開けて動きだした、記念すべき初年度になりましたね。
のけぞって笑うような感じで、仏法も聞きましょうか!
投稿: かりもん | 2008年12月11日 (木) 00:20
さいこ~ですね(笑)もはや芸術の域。私もなんだかはげまされました。
投稿: さち | 2008年12月11日 (木) 13:10
いや、さちさんも、けっこうまけてへんなー。
ただね、おおらかさもこわいことがある。昨晩は、小さな鍋に少量の水とお茶パックを、レンジの火をかけたままで、就寝なさいました。たまたま、ぼくが華光誌遅くなったので、何時間後に、焦げ臭い匂いとケムリで気付いて大事にはならなかったけれど、ごi本人は、ケロッとされている。さすがに、これは笑えんかったなー。まあ、たまにですがね。
投稿: かりもん | 2008年12月12日 (金) 00:50