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華光誌終わった!!

 『華光誌』、やっと印刷所に渡りました。ブログも3日休み、伝道研究会と、昨晩の真宗カウンセリング研究会も、やむなく欠席。今週は、事務所の二人も、休み返上してもらって、連日、深夜までの残業。それでも、3名での仕事をしているので、父と二人、ないしひとりで作業していたころのように、最後は徹夜しないと仕上がらないという心配もなく、「一心不乱、若一日、二日、三日…若十日」ぐらい頑張ったつもりでも、まだ若干の余裕があったかなー。
 今回は、『年賀交歓』と『年間行事表』の作成があるのだけれど、今年は、 合計で78頁分もあって、40頁立の通常号の2倍近く。年賀交換も好評で、4頁分も増えたり、新年号は表紙も変更-「華光」の文字がドドドーンと復活-と、作業も難航したわりには、頑張れました。これで年内には発行されるようですね。

 誌上法話は、昨年の華光大会のぼくの法話で、「聞法の要点」と題して。「本願を信じ、念仏申さば仏になる」という歎異抄第12章を取り上げています。やさしめのわかりやすい内容です。

 巻頭言は、ゆうこで、なかなか実践向き。座談で、質問を受けたときに、その場の空気をよんで、「正解」を答える求道者への対応ですね。確かに、この雰囲気はよくわかる。最近は、なかなか回転のいい、空気も読めるし、頭もよい方が増えてきているけれど、正解を並べても、ご法に近づかないものね。逆、いま、ここでの「その人」がどこにいるかということが、分からなくなる。その意味では、世間の会話とは別物。ある意味、日常的な礼儀も必要だけれども、こと仏法のことになると、先生や周りのご機嫌をとるために、聞法しているわけではないのですからね。実感のない、正解はまったく不要。いま、ここの自分を伝えなきゃ意味はない。

 体験記は、前回の続きで仏青のKさんのもの。なかなかいいね。。最後に、いいところに立ってきますね。ちょっと先攻して紹介すると、

 「……泣きながら、大声でお念仏した。そして少し落ち着いた後に、「私はこういう場に立たされてお念仏している時、『ここでなんとか心境が変わってほしい!なんとか助かりたい!』と思っていたなあ。そして後から、『念仏してもやっぱり何も変わらん。有り難い心境が続かん。後生がはっきりせん。やっぱりまただめだった』と思ったなあ」と思い出していた。では、今は、どんな心境なんだろうかと、我に返った。すると意外にもあっさりと、もうしらけているのだ。たったいま、熱くなって念仏していたのは、一体何だったんだろう。そして、なぜ私の心はこんなにしらけてるのに、私の目からは涙が流れ、ノド、腹、そして口から、お念仏が出るのだろうかか? そう考えると、この涙が阿弥陀様、このお念仏が阿弥陀様だったんだなと思った。
 それを、皆さんの前で話していたら、「今までは、変わると思ってたなー。しらけてる自分が嫌で、いつまでも熱くないとダメだと思っていた。一生懸命、私の心をしらけさせないように必死だったなー」と思えていた。今までだって、しらけている自分から南無阿弥陀仏と何度も出させてもらってきたのに、そこには気付かなかったと思うと、なんとも滑稽で、笑えた。同時に、これまでそんなふうにしか考えていなかったことが、本当に申し訳なくて泣けた。
 その後、先生が、ある方に「後生はどうですか?」と問われていた。その方は「真っ暗です」と答えられた。
 私はどうか。私も「真っ暗だ」と答えるしかない。続けて先生が、「真っ暗のまま、出ていけますか?」と問われた。
 あ!私は、今、そのまま出ていける。不思議だった。」

 ね、前の3回分とあわせて、この話の伏線というか、これまでの流れと合わせて読むと、これはおもしろいですね。高校生の時の仏青大会だったか、ぼくが話たことと、これは符合してくるんですね。凡夫の機情なんておいかけても、そこにどれだけ熱いものを求めても、ダメだものー。ご法のおかげで、一時熱くなっただけ。それより、熱くするもと、変わらない真実をお聞かせ預からないとなー。わかっていても、ここがみんな聞けない。変わるところばかりを求めないで、変わらないもの(法)を聞かなきゃなー。

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