« 輪読法座と、通夜と…(1) | トップページ | 明日の「暮らしのカウンセリング」ですが… »

輪読法座と、通夜と…(2)

  (続き)終了して、夜には、同人の皆さんと一緒に、京都元同人の方のお通夜に列席。この方、昔訪米団で、アメリカを訪れた時のメンバーでした。享年62歳。10年以上の闘病生活の末のご逝去でした。3人の息子さんもみな、日曜学校、仏の子供大会に参加されて、いまも仏青とのご縁あります。

 浄土真宗の勤行。ここが、いちばん、世間のお寺と違うところで、門信徒さんは、それぞれ別のお寺に属しているので、家の宗派は必ずしも浄土真宗とは限らないし、ぼくが導師をすることは稀なかの稀ですね。もうここ何年もありません。それで、お通夜にいったら、いちばん前に座って、一緒に声を出して勤行します。華光の方もそうされます。もちろん、大声でお念仏もします。すると、つられて周りの方もされることがあります。なぜ、お寺さんは、列席の皆さんに、そうお勧めにならないのでしょうか。今日のお家なら、ご家族の方も、ご親戚の方も、『正信偈』ならお勤めできます。もし出来ないお家でも、「南無阿弥陀仏々々」とお念仏は必ず出来るはずです。「ご一緒に、声に出して南無阿弥陀仏々々とお念仏しましょう」と、一言言えばいいのにナー。ただ、葬儀屋の言いなりの進行で、「ご一同!合掌、礼拝」ではね(今夜はこれもなかった)。

 ただし、ご住職は、ご法話をなさいました。このところの浄土真宗の僧侶のは、ご法話をなさいますし、いい加減なことを話されなくなっている傾向は、ありがたいことだと思います。たいへん、キッチリとしたお話でした。ただし、帰りの車の中は、法話の批評大会になっていました。まあ、これを「頭を垂れて聞け」というのも、無理からぬ内容ではあります。なぜなら、「死苦」を、肉親の死別、つまり自分の死ぬことではなく、2人称の死と捉えて、「それが人生のいちばんの苦しみだ」と断言されていました。それは愛別離苦でしょう。自分の死ぬことも、後生の「ご」の字も出てきません。「凡夫の苦しみは絶えないが、阿弥陀様が護ってくださるので、それにおまかせして、安堵して、強く明るく生き抜きましょう」という内容。それでも、この方の名誉のためにいうと、かなりしっかりしたご法話だというのが、残念なことで、いちばん肝心のところがボケる。焦点が定まらないところが、いまの浄土真宗の最大の問題点しょうね。そのおかげで、ぼくはおまんまを食べていくことができる。「華光会隙間産業論」ですね。高いレベルの教学・学問の確立された世界がある。また葬儀に代表される習俗の世界もある。でも、要の真ん中の、私との具体的な接点が、スッポリ抜けている。当然、仏願の有り難いことは話されても、生起-わが機のところは抜け落ちてますわー。

 「この私の後生は?」。ここを、いま聞かせてもらっているわけですね。

|

« 輪読法座と、通夜と…(1) | トップページ | 明日の「暮らしのカウンセリング」ですが… »

法座と聞法」カテゴリの記事

コメント

華光会が、実はニッチマーケティングだったとは!( ̄ー ̄)ニヤリ

投稿: ねこ丸 | 2008年12月21日 (日) 21:41

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 輪読法座と、通夜と…(2):

« 輪読法座と、通夜と…(1) | トップページ | 明日の「暮らしのカウンセリング」ですが… »