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華光大会の余波

 華光大会、熱気ありました。まだ、その余波が続いています。
 まず、当番の東海支部の皆さんが、支部長さんを中心に一丸となって、数年に1度回るだけの仕事を、うまくこなしてくださいました。お世話の皆さん全員のお名前を列記させてもらいたいぐらいの大活躍。お疲れさまでした。 

 昨晩も、そして今日も、その余波で「大きな聞き間違いをしていました!」と、電話口で号泣されるお電話がありました。その時は、言葉にできなかったのに、お家に帰られてから大きな気付きがあったようですね。しっかりくさびがうたれていたのでしょう。

 それにしても、これまでの記念大会並に参加者の多い大会でした。すごい念仏のエネルギーに撃たれました。もうこうなると、単なる理屈でも、単なる感情のレベルでもないです。生きたご法の働きに、ぼくも撃たれ放し。

 ご法話も、5名の先生方が、それぞれの特色のある法話でした。若い先生に到るまで、すべて各自におまかせで、なにも打ち合わせをしていないのに、目には見えないバトンが大切につながれてきて、最後のぼくのところまで流れてきた感じがします。ぼくのテーマは、「仏法を具体的に聞け」。蓮如さまが言われるように、粗略な聞き方、大様な聞き方ではなく、こころを微細(みさい)に砕き聞いていく。これは、ほんとうの自分を抜きしていては、絶対に届いて来ないところです。羽栗先生の罪悪のめあて、善太郎さんの歌、そして法蔵菩薩のご修行と、盛り沢山の内容でした。ほんとうは、六波羅蜜の大乗菩薩行のなかでも、布施の行に触れて、毎日、365日、三度、三度、法蔵菩薩の投げ出されたいのちを食らっていることと、善太郎さんの「ご恩」の歌とあわせて、最後の結びにするつもりでしたが、そこに行くまでにすでに時間オーバーで、その節はカット。2回分の材料でしたね。それでも、皆さん、涙とお念仏と受け取ってくださって、ありがたかたっです。

 4名の方の信仰体験発表も、それぞれ味がありました。まさに、老若男女、経過も、年数も、その歩みも違うのに、最後にはひとつの大きないのちに収まる不思議さ。ご法の躍動を感じたし、番外のK先生の腹底からの懺悔もすごかった。初参加の方は、ビックリされたでしょうね。『仏敵』じゃないけれど、「ここはお化け屋敷か」と思われたことでしょう。みんな、生きた証明です。

 分級座談は、華光大会は、じっくりという時間がないので、ぼく自身も、遠慮なく動かせてもらいました。特に最後、ラスト15分、この前の壮年の集いから気にかかっていた方に、ほんとうに集中して、無後心の心境で関わらせてもらいました。最後は、その尊い姿に、ぼく自身もお念仏申さずにはおれませんでした。残り時間はあと5分。「聞こうとしたが、聞けませんでした」と、グッと涙された姿に、ここが先途と、相手ではなく、ぼく自身からまず一歩出てお迎えに出ました。もうあの歩みの時には、すでに大きな、温かいいのちに動かされていました。そして、その促しに、しっかり応えてくださいました。頑な態度や表情とは裏腹に、すでにその底にはハッキリ届いてるいのちがあったんですね。
 よくぞ、ほんとうに「聞けない」自分、「聞いてない」自分に出会わせてもらえました。聞けない自分こそ、絶対に救われない自分、地獄真っ逆様の自分。その自分に諸手を挙げてそのまま出会わせてもらうしかない。それが、「救う手がかりがまったくない」「絶対に救われない」「唯除」されている私の姿。善太郎さんの歌なら「この善太郎が、地獄で泣いていがるを、一目この阿弥陀如来は、ご覧あらせられたのが、不憫のはじまり」の、地獄で泣いている姿にほかならないのです。そして、そこにしか、如来さまの願いはかかっていない。だから「、聞けない、わからない」のに、なぜか「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、飛び出てくださるのですね……。まさに、不思議としかいえませんわー    

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コメント

「華光大会」ありがとうございました。
本当に尊いご縁でした。

お当番も無事終える事が出来て「ホッ」としています。
毎度毎度泣いてばかりですが、でも毎回毎回が初ごと
です。

なにひとつ欠けても私に届かなかっただろうと本気で
思います。

着込んでいたものを脱ぎ捨て「全くもって救われない私」と対面し、阿弥陀さまのお心に泣きました。

「聞けば聞くほど響くお念仏♪」
本当ですね。かりもん先生のご法話の途中で私も
「K先生2号」になりそうだったので道場から出て
外でお念仏させてもらいました。もうヤバすぎです。

投稿: 蓮華 | 2008年11月 5日 (水) 23:31

蓮華さん、お疲れさまでした。なんかすごかったね。おかげで、後から、後から、法悦が湧き出てきます。
そうか、K先生2号になりそうだったのか。いや勿体ない。遠慮も、我慢もせずに、その場でなれば、また面白い展開になってたでしょうね。
法座日記も楽しみにしてるよ。

投稿: かりもん | 2008年11月 6日 (木) 00:07

かりもん先生、華光大会では有難うございました。
十数年振りに旧友に会って、懐かしく思いました。
まさか、華光会館で会えるとは夢にも思っていませんでした。
体験発表は新鮮な気持ちで聞く事が出来ました。
今回聴かせて頂いた事を生かしていきたいと思います。

投稿: 淀川コナン | 2008年11月 6日 (木) 20:52

淀川コナンさん>ようこそ、お参りされました。御礼申します。そうなんですよ!きっと、この再会が、頑なこころを少し柔らかくした大きな力になったと思いますよ。だって、懐かしく、すごく和やかにされてたいものなー。ほんと、無駄なものはなにもなかったですね。

投稿: かりもん | 2008年11月 7日 (金) 00:50

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