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充実した一日

  今日は、朝から夜まで、めまぐるしくも、充実した一日。

 やはり自転車で子供を保育園に送る某パパさんを横目に、ぼくも保育園、小学校、大学院と送迎をした。朝のミーティングを終えたら、来年の法座の日程の調整、インド旅行の問い合わせなどが続く。インドは、〆切が迫って来る共に、急に参加者が増えて、定員をオーバしそうなので、旅行社とも打ち合わせ。とりあえず、現状まではOKということで、いろいろな調整をした。合間の時間をみて、久しぶりカットへ。来週、築地本願寺である結婚式で司婚役を頼またのだが、今日を逃すといけそうになかった。

 その後、すぐに、挙式の打ち合わせ。おめでとう! 経過が経過だけに、自分のことにようにうれしいが、半分、叔父さんの気分だなー。お昼をご一緒したが、ほとんどは、華光や真宗カウンセリング(DPA)での実践してきた経験や蓄積について、どのように表明や表現をしていけばいいのか、どんな可能性があるのか、その序論を少しだけ話した。たいしたことは言わなかったが、話すうちに自分のなかでは、熱いものが立ち上がっている。というのも、ぼくの中で、弥陀の本願のこそが、究極的なバーソン・センタードだという思いが強くなっているし、あるゆる意味で、「聞」のきわまりが、「弥陀の本願」を聞くという一点に集約されるとも思っている。
 現実的な拡がりという点でも、細々なからも、点が線となり、極小さいながらも面となって有機的なつながる素地は出来つつある。それをいかに立体として立ち上がっていくのか。まだ、ぼくなりにぼんやりと考えていることだが、そのためには、華光会という小さな枠ではなく、別の手段を講じていくことも、密か(もう密かじゃないないな)に考えていることなどを聞いてもらった。
 華光会は、伝統的な浄土真宗のご法を内容を墨守する貴重な存在ながら、一方で、その伝え方や法座のあり方、組織のあり方なども、さまざまな工夫をして、(あくまで浄土真宗や伝統仏教教団の中でだが)その最先端を走っているとの強い自負はある。しかし、まだその表現や拡がりという点では、まったく不十分だという認識もあるし、伝統派の一部からは、頑な偏見や誤解も受けているのが事実だ。ぼくとしては、そんなところで後ろ向きな無駄な労力を費やすより、もっとその精神が流布するような広い視点から、さまざま実践、研究・理論、そして学際的な拡がりや交流といった課題に取り組んだり、そのような実践者を育て、支援する拠点づくりの必要性を、前々から考えている。そのためには、私財を投じても実現したいとも思っているのだが、これに先立つものがないことには、いまは夢物語だ。そんなこんなで、午後から輪読法座が始まる時間だ。

 あわてて帰宅すると、平日にも関わらず、15、6名もの参加があった。遠く、兵庫県や鳥取からの参加や、有給を取っての参加者もおられた。
 「聖教のこころ」も一読してから、「真宗の信心」の輪読が始まる。

 真宗の信心は、
1)阿弥陀様からいただく、たまわる「他力回向」の信心であり
2)すべてを阿弥陀さまにおまかせする「安心」の心だという点を押さえた上で
A)決定しない、疑いが晴れず不安な「自力建立の信心」のたとえと
B)一方的な先手の親心から起こる、「安心」の心、「他力回向の信心」のたとえ(仕組み)について聞かせていただいた。
 本文に関連して、先日の華光大会での座談や法話の分かち合いがなかなか有り難かった。残念ながら、話題豊富で、思うほど進行しなかったが、次回にところにある、聞名得忍の仕組み、「聞く耳までいただきもの」(7頁)の、「なぜ、南無阿弥陀仏ひとつで大満足できないののか。南無阿弥陀仏を聞いてないからです」という姿そのままの求道者に関わり、あらためて「私には聞く耳さえなかった。私は絶対に聞けなかった」ことに出会わせてもらった尊さを味わった。

 夕方からも、再版予定の『念仏の雄叫び』について検討があったり、子供が体調を崩したり、書道の練習にも出て、ミニカウンセリングの研修会の会場提供もあってと、最後までめまぐるしい一日は、このブログで終わった。

 お疲れさまでした。明日から二日間は、家族旅行に出ます。

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