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この嫌な感じはなんだろう

 長女が、集団一斉下校してきた。京都府内の学校に「子どもと教職員に危害を加える」という脅迫文が送られきたことによる処置だという。今日は、子どもだけの外出も控えるようにとの学校からの緊急連絡も入ってきた。

 東京では、なんとも物騒で、嫌な事件が続いている。元厚生事務次官や家族への連続殺傷事件は、官僚トップを狙った連続テロの可能性が示唆されるが、真相はいまだ謎だ。しかしそれ以上に不快なのは、事件に便乗し、厚労省に「年金問題の報いだ」とか「お前も同じ目に遭わせてやる」と言った、嫌がらせの電話や中傷メールが、何百件も相次いでいるとの記事を読んだことだ。いつの時代も、大きな事件の後は、類似した事件や模倣犯は現れるものだし、中傷や脅迫の大半は、たぶん重大事件へと直結するものではなく、単純な愉快犯の輩もいるだろう。しかし、現実に、尊いいのちが踏みにじられたというのに、その傷みや悲しみへの共感や想像力が著しく欠如していることが、なんとも恐ろしい。平気で、犯人を称讃したり、逆に被害者側を中傷したりする感覚や空気が、いま、まぎれもなく、ぼくたちが生きているこの社会を覆っているのだとすると、胸が痛くなる。

  確かにその背景に、格差社会が急速に進み、効率や利潤を最優先して、個々の人間性を疎外したこの社会にも問題があるのだろう。多くの人たちが、傷つき、不満や怒りを高めているのは事実である。しかしながら、それが、共に力を携えて社会を変革しようという社会運動や政治運動に向く気配はまったくなく、絶望感や無力感、時に自己や他者(特に弱者)への残虐なまでの攻撃性などにエネルギーが転嫁されているのが、いまの日本の最大の悲劇ではないか。

 そうすると、まったくそこで異なった視点も必要になる。実は、それを提示できるのは、生きとし生きる、すべてのいのちあるものを救い取りたいという、法蔵菩薩の人間の叡知を超えた深い深い理念と、その大悲のお心に摂取された、ぼくたち念仏者ではないか。その本質は、今生事ではなく、後生の一大事の解決にあるのだが、その上にたって、ちっぽけな人間のエゴは捨てて、改めて念仏者が力を合わせ、この社会に働きかけるすべはないのだろうかと思う、今日このごろ。確かに、難しい問題ではあるけどなー。

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コメント

後段のご感想まったく同感いたします。
真俗一体論の立場から念仏者の奮起を望みたいとおもいます。

投稿: | 2008年11月25日 (火) 19:35

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