« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »

2008年11月の22件の記事

『国道20号線』

 『国道20号線』という、マイナーなインディペンデント系の映画をレイトショーで観てきた。宮台真治が勧めていて見たというプログ(http://blog.livedoor.jp/hobo18/archives/51214271.htmlを読んで、京都上映を待って出かけた。

Koku  京都は、2日間限定の2回上映のみ。それでも、監督の舞台あいさつがあるので、珍しく、外から列が出来ている。並び方が変則だったので、最後尾と思われる人に、「ここが最後ですが」と尋ねたら、「ぼくたちは並んでないので、前へどうぞ」と言われ、その人の前で待つ。関係者かと思ったら、それが監督と脚本家だった。普通の若者風情で、外の階段のところで並んでいた。まだ36歳と若い。終了後にも、すこしだけ声をかけて話させてもらった。今日は、東西本願寺をなど少し京都見物してきたということだ。パチンコ屋の上にあるこの劇場にビックリされていたが、これが京都のよさで、こんな映画が上映されても多くの客がくる。それに、劇場を出れば、国道1号線だが、目の前には、国宝の東寺の五重の塔が見える歴史的なロケーションでもある。

 映画はなかなか面白かった。まず、オリジナリティーがあったこと。最近の映画は、ほとんどが、ベストセラー小説か、定番の有名作家の作品、またはヒット作のマンガを原作にした、確実に当たるものばかりが目立っているのなかで、こんな映画はメジャーではまず難しいだろう。
 そして、その人物設定、ヤンキーやチンプラ風の下層生活が、息づかいが感じられるほどのリアリティーがあったことかよかった。監督や脚本家の友人、知人だそうだ。

 国道20号線と言われても、まったくわからない。監督の出身地の山梨県らしいが、実はどこにでもある見慣れた風景こそが、この映画のひとつのテーマがある。今日も、ある人との会話の中で、「いま住んでいる城陽市と、九州のある地方都市の風景がそっくりなんですよね。国道がズバーッとあって、そのまわりに大型店がポンポンと立っているんですよ」と話していた。そう、彼女の見ている光景は、まさしくこの映画の背景にあるものだ。日本国中、特に中途半端な都会や田舎ほど、画一化された国道の風景が拡がっている。古い国道が手狭になって、バイバスと称して四車線の広いまっすぐな道がズドンとできて、その左右には、大型の駐車場を持った同じような建物が並んでいる。大規模なパチンコ店、家電量販店があり、コンビニがあり、回転寿司かファーストフードがあり、ドンキやホームセンターがあって、そして必ずサラ金の無人ATMがあるのだ。

 終了後の舞台あいさいでは、映画のきっかけは、国道で信号待ちをしていた時に、パチンコ屋から出てきた男が、国道を渡ってサラ金のATMに入ったいたのを見たということだ。すごくわかりやすい情景だ。そして、なんと便利だと思っていたけれど、あれ、ほんとうに便利? どこかでこれは踊られれているんじゃないかと、違和感を覚えたことがきっかけだそうだ。

 物語は、定職も持たず、パチスロで稼ぎ、シンナーもやめられず、ダラダラとした同棲生活をおくるヤンキーのカップルと、友人のヤクザな闇金業者の男を中心に、その体たらくな生き方の背後に、ひたひたと迫るグローバリーデーションの名のもとでの、個性を奪い、効率と利便性と利潤優先で、ますます画一化されていく、いまの社会の恐ろしさをすくい取っている。まさに希望もなく、適度に与えられた範囲の中で、何も考えることもなく、歯向かう牙も抜かれ、ただ生殺し状態でシンナー中毒のように朦朧と生きている人々の姿を等身大で描かれているのだ。とにかく、セリフがリアル。

 確かに、ヤンキーなんて人ごとのようだけれども、多少は上等なふりをしても、この大きな歯車の中では、ぼくたちの生き方も、実はそうかわらないんじゃないのかー。なんでも、かんでも、ネットで情報ばかり追いかけて、知らぬ間に操作されている知らずに、自己で選んでいると錯覚していることも恐ろしいなー。そうして与えられたもの中で満足するのではなく、一度ぐらいは、ほんとうに自分の頭で考えて、行動してみろよということか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『縛師』

 今夜も、廣木隆一監督の『縛師』という、縄に見せられた男たちのかなりマニアックな(ここまでくると、ひとつひとつの話が深すぎて、感銘するしかない)な映画を観て帰ってきた。R指定の映画を、一般の劇場で、真面目にとりあげてもらえることがうれしい。客も、カップルや若い女性が多かった。

 映画にも出てきたが、身体と性、そしてエクスタシーは、死へといざなうもので、実は、宗教的体験とは、いちばん遠いようで、実はもっとも緊密に隣接する領域なのだが、「聖」と「俗」を二分化し、意識や知性、理性偏重の現在では、意識でコントロール不可能な情動や身体的のありようを極端に恐れ、低俗の名のもとで完全に封印しようとしている。特に、今日の浄土真宗では、そのよう身体的な行や、神秘的な体験を極端に嫌う潔白な傾向が強烈で、個人も、その闇を内面に深く深く閉じ込めているのが、現実であろう。それが、時放たれた時に輝く瞬間が垣間見られる作品だった。

 もうひとつ、身体的な接触(別に性的な問題や暴力だけでなく、日常的な触れ合いも含め)を拒んだ、人と人のコミニケーションは、実は成り立っていかないことがよくわかる。コミニケーション不全は、言葉やコンテンツ、スキルの問題だけでなく、実は、身体そのものも問題なんじゃないかなーと。人間は、人と人の「間」なのであって、その距離感は、現実的な身体感覚に依っているのだろう。そんなことを、アンダーグランドの男女から、教えれました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

出版計画

  ここにきて、各種の出版計画が現実味を帯びてきた。

 まず、京都の伏見にある仏教出版社の社長さんが来館されて、これからの出版計画についての見通しをアドバイスいただいた。さすがに、餅は餅屋だ。伊藤康善先生の全集計画なども、ただ既成の書物を並べるだけでは意味がなく、どうのような戦略で発表するのかを練ることが必要だという。書簡や未発表のもの掘り起こしに加えて、再評価する論文や解説、年表などの掲載がとても重要。さらに、装丁などの外郭などにも、専門家(編集力)の的確なビジョンが必要だという。そうして、大学や図書館などへの販路を狙っていくことも意味があるのだそうだ。そうなると、華光にも、細々だがその手の人材がないわけではない。予算が必要になってくるが、いまのうちにプロジェクトでも組んでみるのも意義があるだろう。先生の出身の興正派にも働きかけることだって、夢ではないかもしれない。

 ほかにも、華光の特色である体験記や体験的な法話集はあるが、テキスト的な要素の出版物がない。といって、コンテンツがないかというと、講習会、聖典講座などの膨大な記録がある。三帖和讃には、たいへんな量の(もちろん質も高い)のプリントがある。次々と、「華光○○シリーズ」化し、定期的に出版していってもいい。それに、一定程度、華光の内部で供給が見込めるのなら、それも安定して可能なのだ。いまは、正信偈の準備を進めてきたが、まずは和讃のプリントに目が留まった。確かに、たいへんな労力の産物で、これを出版して世に問わない手はない。これ一つをとっても、華光の集まりが、いかに教学的にもしっかりした教えであるかがよくわかるだろう。

 一方で、導入となる初心向けの書物もある。ここが、華光の一番の弱点。それには子供大会の法話集が最適ではないか。ただ、出版計画もあったが、いろいろな問題点が指摘されて、いまはストップしている。はやく進めていってもいい。また、ぼくの法話集との有り難い声もいただいている。ただ、かならずしも初心向けとはならないので、このあたりが悩みどころだ。

 そして、今日は、法蔵館に赴いて、増補版『念仏の雄叫び』の再版の打ち合わせをしてきた。ちょうどお東は、報恩講の板東曲がご満座の日。団参などで混雑していた。従来のものに、増補する形で発行することになる。いろいろと候補があって、M先生などにアドバイスをもらい、また悟朗先生からも賛同があった、『三度目の成仏』に決めて、作業を進めていたものを、引き渡した。確かに、一般には難しいが、従来の『念仏の雄叫び』の流れを損なうことのなく、他力回向のおこころを余すところなく伝える内容だと自負している。来年の4月をメドに、発行の最終の編集作業に入っていった。

 また、伊藤先生のもの、増井先生のものも、ちょうどいま、品切れ状態で滞っている。古いものを再版しつつ、新しいものを出版していくのに越したことはないが、限られた予算と、人員と、時間の中で、あれもこれもはなかなか難問なのは確かだ。ただし、将来へのコンテンツは充分あって、ひとつ歯車があうと、かなりの可能性のある話なので、ぜひ前向きに進んでいきたいものだ。あれこれ、可能性を考えると、元気が出てくる気がするなー。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

対岸の火事?

 タイ、バンコクの国際空港が占拠されて、完全に閉鎖されている。とうとう非常事態宣が出されたが、事実上の戒厳令なのだろう。いつもなら、遠くにながめる事態も、今回は特別の思いでニュースを観ていた。まだ2ケ月先のことだが、今回は、バンコク経由のタイ航空で、しかも、バンコクで宿泊する予定があるからだ。だいたい、この旅は、ネパールの政情がある程度安定するのを待って、カトマンズやヒマラヤ遊覧を加える計画にしたのだ。

 それが、翌日には、インド、ムンパイ(旧ボンベイ)での大規模なテロ爆撃事件が起きて、さらに驚いた。バンコクの空港の閉鎖は、何ケ月も長期化はないだろうが、こちらは、日本人も含めた外国の人達にも死傷者が多数出ている。前回の仏跡旅行では、アジャンター、エローラの石窟寺院も訪れたので、ムンパイにも立ち寄ったが、今回は空港も含めて、ニュー・デリー、コルカタ(旧カルカッタ)などの大都市には、まったく立ち寄らない。大都市に比べると、今回の訪問先は田舎で、この手の大規模なテロは考えにくいのだが、しかし実際のところは、報復行動も含めて、この先、どのような事態になるのかが、予断を許さないようだ。ただなんとか安定してほしいと願うばかり。

 近辺で治安が少しずつ悪化し、ますます体感不安度が増しているこのごろだが、他のアジア諸国のニュースに接すると、やはり日本は、世界でも有数の民主的で、安定した、安全な国だといえる。とはいっても、この先、将来の展望がハッキリしないところに、不安があるのは事実なんだけどなー。

 聴聞と同じで、遠い国のニュースも、自分がかかって来ると、対岸の火事ではなくなるものだと、改めて実感する次第。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

わが身に引き寄せる

Img_4398_2   もう1泊して東京支部法座に臨んだ。
 年間スケジュールの時点ではなかったものが、今回の結婚式に合わせて企画されることになったのだ。おかげで、講師陣も、司会陣も、華光会館の行事並に豪華な顔ぶれとなった。こんなこと、支部法座では、初めてじゃないかな。当然、参加者もいつもの法座よりかなり多くなって、なかなかの盛況ぶり。先月の東京公開講演会の成果が早くも現れて、そこから新たに5名もの参加者があったことが、うれしかった。その中のお一人から、「公開講演会だったので、思い切って参加できた」と話を聞く。きっと、関心を持ちながらも、戸惑ったり、躊躇されている方も多いのだろう。その意味では、少し敷居の低い、あまり詮索されない集いも、大いに意義があるのだ。
 そして、今回は、法話が2回のほかは、3グールプに分かれての分級(ぶんきゅう)座談会が中心となった。
 法話は、「善太郎さん」の法語中心に、聞法の焦点をしぼって、お伝えした。一文不通でありながら、「この善太郎」と、わが身に引き寄せて聴聞し、大胆にもお聖教の中身まで「この善太郎」と読み替え、具体的な生活の中に、地獄の姿を観て、日々の暮らしの隅々に、如来様のご恩徳を仰いでいかれた尊い先達である。

1)具体的に、
2)いま、ここの、
3)私ひとりと
 「聞く」ことがないと、いつまでも遠い遠いおとぎ話で終わってしまう。そして、「後生の一大事」が迫ってからでも、無常や罪悪が実感できてからでもない。まさに、いまここで、この私のままに、具体的なわが心と、如来のお働きに触れていくのである。誰の人も、早く、「後生の一大事を心にかけて」、わが身に引き寄せて、引き寄せてお聞かせに預かるのである。

  ある初参加者の感想にもあったが、これまで、どんなに熱心に、かつ真剣に、何十年もの間、聞法してきたつもりだが、如来様は常に遥か遠くで、わが心の懈怠ぶりはまったく変わらない。その心を「なんとかもっと真剣に」「なんとか、なんとか」「どうすれば、どうすれば」ばかりを求め、わが心の変化を追い、その方法を探ることが、真摯な聞法の中身にすりかわっていて、まったく自分が抜けた甘い聞き方をしてきたというのだ。法話の内容をよく覚えて、聞いた正解を口に出すことは出来ても、一度だって、わが身に取り詰めて、「いま、ここで聞く」、そして「ほんとうに、いま、どう聞いていたのか」と、自らも、また他からも問われることがなかったのだという。その意味では、「後生の一大事」とか「信心獲得」という言葉が単なるスローガンで終わっていたのである。遠方への聴聞で、時間も、金銭も、労力も、そしてピシッと正座をして真剣に聞いてきたと思っていたが、実に安易な、甘い聞法だったということに気付かれたようだ。

 結局、具体的な自己のわが身の浅ましさも聞かず、そのわが身にかかる、如来のご恩徳の高いことも聞かずに、「感動した」とか、「泣けたからよかった」、「居眠りしたり、よそ事だったのでダメだった」とか、つまりは、法話が、わが心の良し、悪しばかりにこだわるための道具になっているだけのことである。だいたいそんな聞法では、教義ばかりの観念的な捉え方で、現実の自分はお留守になる。だから、いつか、どこかで、誰かがと、つまり、完全に「人ごと」としてしか聞いていけないのだ。そうすると、「聞けない」のではなく、そうしか「聞いていない」のである。

 ご聴聞は、その聞き誤りを教えていただくばかりだ。

 法蔵菩薩の兆載永劫(ちょうさい・ようごう)のご修行も、けっして遠くにあるのではない。このいかりとむさぼりの心で荘厳された、懈怠と愚痴一杯の、わが心の底に、飛び込んで、いのちをかけてくださっているのである。いま、ここの、私にである。よそ事や、きれいな、立派なところばかりを求めても、絶対にそのおこころが至り届くことはないだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

披露宴

Index_img02 築地本願寺での挙式が済んで、フォーシーズンホテル椿山荘に会場を移しての、豪華な披露宴。都心にある、緑豊かな由緒ある庭園だ。このロケーシImg_4339_2ョンだけでも、すばらしい。それにしても、何事につけ ても、やっぱり東京。人も、モノも、カネも地方に比べてヒトケタ違うイメージ。そして、ここにきて、仏青メンバー、また同じ僧侶といっても、かなり「格差」社会は進行していてる。いつか、下流からの反乱が起こるんじゃないかなー。

Img_43412  さて、本題。小学校2、3年生から中学生、(高校生の間は抜けて)大学生、大学院、そして社会人まで、ずっと仏法を中心にしてお付き合いをさせてもらいるお二人の結婚式。生れた地域も、環境も、大学も、そこで専攻したことも、また職場も、まったく異なる二人。唯一の共通点、接点が、両方の祖母(このふたりのご法のイメージも、一方は厳しく、一方は暖かくというふうに違うから面白い)からの、深い、深い仏縁により、導かれるように仏の子供大会で、二人も、またお念仏にも出会ったことが、すべてのは始まり。そして、大学生になり、今度はお手伝い、先生役として、同じ場所で再会して、その後、仏法を聞く仲間として励まし合いながら、ご法を求めて、聞いてきたお二人が、遠距 離恋愛の末、結婚するのだから、ほんとうにみ仏のお導きとしかいいようがない。両家のご両親、ご兄弟とも、ご法の上で、深いご因縁がある。また、二人の幼き日から、まさに再会のその場面にも同席していたのご縁もあって、ぼくも感無量だ。Img_43162

 それにしても、とにかく豪華な式だった。興が乗った本派某布教師 など僧侶3名が、”羞恥心”ならぬ、『異安心』なるユニットで、大ブレイク。まあ洒落にならない面白さで、ごく一部では大ウケ。実は、ぼくも「スーパーシン」での登場の打診があったのだが、今回は、大役があったのでご辞退した。
 二次会も、フォーシーズンホテルでの、さらに大勢の列席者が集う華やかなパーティだった。

 どうぞ、お幸せにネ。合い共にお念仏をご相続ください。

Img_42252 左(連れ合いの描いたウェルカム・ボードの絵の前で)

右(ブレイジャー師も来Img_43522 賓として列席)

| | コメント (2) | トラックバック (1)

挙式

Img_4214    まさか、ぼくが、こんなところで

Img_4212

 こんなことを

Img_4190_2こんな感じですることになろうとはねImg_41972_2

 しかも、早くから打ち合わせし、念を押して『ない』と聞いていたことが、開始 直前になって予定変更されて、もうドキマギの連続。

 でも、「ああ、世間は、1+1=2になったことを喜ぶけれど、ぼくがお聞かせに預かるご法は、1+1も、1+1+1も、つねに『1』(独)なんだー」と、お話しながら、しみじみと味わわせてもらう尊いご縁でした。個人的には、いろいろなご縁を思うとき、なんとも有り難かく、感無量。

 別院関係者の某氏によると、だいたい外部の司婚者や勤行が加わることは異例。当然、「後生の一大事に心かけて…」などという「表白」や「誓いの言葉」にしても、法話のような祝辞や、式の時間にしても、この本堂でとは、「かなり異例の結婚式」だということでしょうね。
 「知らない」ということは、ある意味、恐ろしいわね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

これから築地本願寺

 お早うございます。

 珍しく早起きして、東京の築地本願寺へ。司婚の大役をいただきました。「おめでとう」。「表白」もパッチリ作ったし、法話も、その後の志向も考えた。お二人とも仏の子供大会からの長年のお付き合いだから、なんの心配もない。でも、実は、ひとつだけ心配がある。そう、新婦が双子で、よく似たお名前なのだ。日頃、分かっていても、思わず間違うことがある。緊張して、「李(り)」というところ、「希(き)」と言ってしまわないかなーと。妹と結婚することになっちゃ困るものね。
 まあ、余計こんなこと書かないほうがいいかもなー。

 翌日からは、東京支部法座。先月の東京講演会の成果もあって、初参加者がずいぶん多いです。楽しみにしてます。

 では行ってきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

この嫌な感じはなんだろう

 長女が、集団一斉下校してきた。京都府内の学校に「子どもと教職員に危害を加える」という脅迫文が送られきたことによる処置だという。今日は、子どもだけの外出も控えるようにとの学校からの緊急連絡も入ってきた。

 東京では、なんとも物騒で、嫌な事件が続いている。元厚生事務次官や家族への連続殺傷事件は、官僚トップを狙った連続テロの可能性が示唆されるが、真相はいまだ謎だ。しかしそれ以上に不快なのは、事件に便乗し、厚労省に「年金問題の報いだ」とか「お前も同じ目に遭わせてやる」と言った、嫌がらせの電話や中傷メールが、何百件も相次いでいるとの記事を読んだことだ。いつの時代も、大きな事件の後は、類似した事件や模倣犯は現れるものだし、中傷や脅迫の大半は、たぶん重大事件へと直結するものではなく、単純な愉快犯の輩もいるだろう。しかし、現実に、尊いいのちが踏みにじられたというのに、その傷みや悲しみへの共感や想像力が著しく欠如していることが、なんとも恐ろしい。平気で、犯人を称讃したり、逆に被害者側を中傷したりする感覚や空気が、いま、まぎれもなく、ぼくたちが生きているこの社会を覆っているのだとすると、胸が痛くなる。

  確かにその背景に、格差社会が急速に進み、効率や利潤を最優先して、個々の人間性を疎外したこの社会にも問題があるのだろう。多くの人たちが、傷つき、不満や怒りを高めているのは事実である。しかしながら、それが、共に力を携えて社会を変革しようという社会運動や政治運動に向く気配はまったくなく、絶望感や無力感、時に自己や他者(特に弱者)への残虐なまでの攻撃性などにエネルギーが転嫁されているのが、いまの日本の最大の悲劇ではないか。

 そうすると、まったくそこで異なった視点も必要になる。実は、それを提示できるのは、生きとし生きる、すべてのいのちあるものを救い取りたいという、法蔵菩薩の人間の叡知を超えた深い深い理念と、その大悲のお心に摂取された、ぼくたち念仏者ではないか。その本質は、今生事ではなく、後生の一大事の解決にあるのだが、その上にたって、ちっぽけな人間のエゴは捨てて、改めて念仏者が力を合わせ、この社会に働きかけるすべはないのだろうかと思う、今日このごろ。確かに、難しい問題ではあるけどなー。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

その背後に流れるもの

 真宗カウンセリング研究会の月例会。

 それにしても、急に寒くなった。朝、いつもの調子で自転車に乗ったら、ブルブル震えてきた。夜は、真冬並の防寒具で出かけたが、この気候では、夜の会合の參加者は少ないだろうなーとの予想が、うれしいことに初参加を含めて10名の参加があった。

 カウンセラーの態度が終わって、その背後にある哲学と、その成果の客観的検証についての項目。哲学というと難しいけれど、態度を支える理念というか、基本的な人間観のところを読む。担当のゼンゼン君が、苦労しながら、さまざまな引文を載せてくれていたが、要は、人格変化の中核条件としての援助的な態度の背景にあるものは、いま流行りのお手軽なマニュアルやHou to物、または単なるテクニックではないということだ。つまり、その態度の背後には、人間と人間がもつ可能性を大いに尊重する、そういう哲学に支えられていなければ意味がないというのである。「人間はその核心において信頼に値する生活体である」という、人間中心のアプローチがよって立つ基本的な人間観である。

 「人間の生命力・成長力への信頼が深まれば深まるほど、つまりいのちのたくましさとすばらしさに、手放しで感動できるようになればなるほど、小賢しく『カウンセリングをしてやろう』『相手を変えてやろう』といった、尊大な気持ちにはなれなくなるのだ」(『暮らしの中のカウンセリング』)

 どこかで相手を変えてやろう、しかも即効性のある方法を学びたいとなると、マニェアルどうりに操作して、テクニックを覚えていけば、目先のことなら役立つかもしれない。それなお手軽さが求めれている社会であることも、よくよく分かっているし、時に、必要なものもあるだろう。しかし、その本質において、ほんとうに互いがこの人生をかけて、成長しあい、人格変容を遂げていく道には、そんなまやかしは通用しない。

 横道に逸れるが、以下の故村瀬孝雄先生が、ロジャーズの態度を実感をこめた日本語に意訳された言葉に、いま、心引かれている。

 「ひとりひとりのかけがえないの存在を大切にいとおしく思い、相手の身になって気持ちを汲み、率直にあるがままに接していきさえすれば、どんな人でも率直に生き生きとなり、本来の力や希望が湧いてくるものですよ」

 こういう意味のことをロジャーズが述べているときの彼の気持ちを忖度してみると、彼の独り言が聞こえてくるのである。

 「こう言ってしまうとあまりに簡単で当たり前のように聞こえるかもしれないが、もちろん実現はなまやさしくないことで、どうすればいいかなどと具体的に他人に教えることなぞ誰もできないし、そう試みること自体これを個性的に実現する努力を損なう恐れが大きい。結局のところ、一人一人が苦労を重ねながら、その人の智恵をつかむより他に路はないのだよ!」

 たぶん、突き詰めていけば、この考えが正しいだろうということは、昔から気付く人は知っていたはずである。
 『ロジャーズ』~クライエント中心療法の現在~

  まったくもって身も蓋もない言葉だが、たぶん、これが正しいのだとぼくも思っている。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

大いに異議あり

Img_3581_4 前の記事で、善太郎さんの法語のポスターの写真を掲載したが、この写真ではわからなかったが、クリックして拡大してみると、横に現代語訳がついているのに気付いた。最後の一文に、多いに異議ありだ。尊い法語も、この訳じゃまったく意味がなくなる。せっかく、「この善太郎」と出たのに、「みんな救われている」鷹揚な阿弥陀様に逆戻りしてどうするの。 「この善太郎」こそが思いとられてるんですよね。善太郎さんが、そう阿弥陀様と真向きになられたように、ひとりひとりが、「この○○」として聞かせてもらわないかぎり、お救いはこのわたしに至り届いて来ない。「私ひとり」と聞かせてもらうことが、ご聴聞なのになー。

原文=「おがんで助けてもらうんじゃない。
おがまれて下さる如来さまに
助けられてまいること
こちから思うて
助けてもらうじゃない
むこうから思われて、
思いとられること
この善太郎」

ポスターの訳=「阿弥陀様に対して、普通なら、こちらからお助けいただきたいと思い、願って、お助けいただくのだけれども、そうじゃない。実はそうじゃないんです。向こう、阿弥陀様の方から、わたし善太郎のことを心にかけくたさって、お救いにくださるのです。ほんとうにありがたいこと、この善太郎、そしてみんなが、救いとられるのです。」

 なんともヘタな訳だが、「そしてみんなが、すくいとられているのです」の、みんなって、どこの誰なのだろう? 第一、原文のどこを探しても、そんな文言はない。善太郎さんの胸をえぐるようなお言葉も、結局、「みんなも、救われてるんですよ」なんて程度だったのだろうかと思うと、悲しくもなる。でも、これが典型的な浄土真宗のご聴聞なんでしょうね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

週末の東京法座

 今週末は、子供大会で知り合い、仏青で再会し、めでたくゴールインされるお二人の結婚式で、東京へ。M先生から提案があり、最初、カウンセリング研修会を考えていたけれど、せっかくなら、より多くの方が参加できる東京支部法座にしました。それで、M先生のほかにも、京都からもTさんなど大物の参戦が予定されています。華光大会並の講師や司会陣です。そのわりに、コマーシャルが少ない気がするので、あまり浸透していないようですが、一日、一座だけでも参加可能ですし、2グループ以上のグループ分けも考えています。結婚式の出席者の方も、もう1日居残って、顔を出していきませんか

▷日時=11月23日(日)1時~24日(祝)4時半まで
▷会場=全林野会館

 宿泊や食事以外は、申込みは不要ですが、できれば、参加希望を出してもらえると有り難いですね。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2008/details/11/tokyo2008-11.htm

 10月の講演会に出席された方も、もう1歩出でみませんか?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

この善太郎…

 姫路の旅から帰宅すると、深夜から雨になった。せっかく、日曜日は日曜礼拝の遠足(ハイキング)で、お世話の先生が何度も下見に行って準備万全だったのに、中止になって残念。父は、大阪支部の法座。ぼくは、広島支部法座で、五日市での支部(家庭)法座だ。新幹線を西に下ると、姫路城が遠くに見える。このあたりまでくると、雨は止んでいた。

 なかなか京都の華光会館にはお参りは難しいが、広島の法座には欠かさずお参りくださる方も多い。ここのご縁は、お友達の紹介が多くて、後は真宗カウンセリングや別院などを通じて知り合う方ばかりだ。最初のうちは、どうしても今生的な聞き方で、結構なところ、有り難いところだけ聞いて、どうしても自分がお留守なのだが、それでも聴聞を重ねるうちに、明らかに聞き方が変わってこられるから、不思議だ。ただし、自分や今生のものさし、自分の気持ちを基準に、いくら熱心に聴聞しても、絶対に、仏様のおこころは届いて来ない。ご法を喜ぶ先達の言葉も、同じレベルで捉えて、「あなたは××からもしれないが、自分の思いは○○だ」などと、対等にやりあっているうちは、仏法話にはならない。なぜなら、その判断するものさしが、日夜ころころ変わる私の心や今生の規範、またこの世の相対的な善悪ではなく、すべて阿弥陀様のお言葉、おこころをものさしにして、わが身をみせてもらうのが、ご聴聞だからだ。ここが切り替わったら、ご聴聞はグングン進むのだが、なかなかここに難しい関門がある。この手前で留まっている人も案外多い。

 今回は、華光大会と同じく、善太郎さんの歌を中心にいただいた。あの時は話題が3つあって、詳しく話せなかった彼のエピソードや触れられなかった歌(ご恩の歌)も交えて話させてもらった。もともとの『妙好人伝』での記述では、濡れ衣を甘受したことや泥棒も前世のご因縁と喜んだこと、奇瑞などが取り上げられて、どうもいま一つ分からなかった。ところが、今回、聞法旅行で、無学で、一文不知、当て字だらけのヘタな文字と、その生きた文章に触れて、こころが揺さぶられた。彼の領解に、一切今生事はないだ。

 初めての方もあったので、ご聴聞の要として、1)いま、ここの、2)私ひとりと、3)具体的に聞くことをお話した。まさに、善太郎さんの歌そのものである。常に、彼は、初事、初事として、善知識様のご意見を、「この善太郎」ひとりのところで、具体的に聞いておられるのだ。罪悪も、如来さまのご恩も、この泥凡夫の生活の中に生きているのだ。死の3ケ月前に「この善太郎」と始まる長い歌がある。その最後に親鸞様の高僧和讃、
「五濁悪世のわれらこそ 金剛の信心ばかりにて
ながく生死をすてはてて 自然に浄土にいたるなれ」
を引用され、次ぎのように歌われた。
「金剛の信心ばかりにて ながく生死をへだてける この善太郎が」
 そうである。如来さまのお救いを遠く十万億土の彼方にながめていてはダメなのである。そして、それは誰のためなのか。まさに「この善太郎」ひとりのためである。まさに、私ひとりのところで、私の地獄と向きあい、そして、私ひとりと如来さまのご本願を聞いておられるのである。

 今回の法座で、口数は少ないが、このところご聴聞が進んでおられると思っていた方が、ご法話そのままに、「この善太郎」をすべて「この○○」と自分として聞こえてきた方があった。そして、「ただ、涙しかありません」と泣かれるのだ。そう、せっかくそこまで出させてもらったのだ。「いいえ、ただ涙だけでなく、ちゃんと聞こえているじゃありませんか。この耳に、南無阿弥陀仏と入ってきたら、その聞こえたままを、この口を通して南無阿弥陀仏と出させてもらうんですよ」。そしてまた、耳で聞こえ飛びこんでこられた南無阿弥陀仏を南無阿弥陀仏と口に出していく。まさに、念仏循環なのだ。いつも遠慮気味に、一番後ろで聞いておられるが、今日はご正客。なんの遠慮もいならい。どうぞ、真っ正面に座って、聞こえるままを称えさせてもらいましょう。
 その横では、「この善太郎がために 阿弥陀如来のお体、千本の釘を打ちこんで、その釘を抜いて、あとの穴に油をついで、灯しみ(灯心)を入れて、火をとぼしてくだされたとはこの善太郎がためとは、ありがたい」の歌を、自分の姿と聞かれた女性が、すごい勢いで念仏されている。ただ、かなり上Img_3581_2半身に力みが入っているのが気になった。しばらく様子を観ていたが、力みが抜ける気配がないので、ちょっとその力みを少し抜いてもらうアプローチをした。頑張ってきたんだよなー、この世も、仏法も…。でも、如来様の前では、まったく頑張る必要はないんだよ。
 残り時間10分、皆さんにも促して一緒にお念仏申した。ぼくは、とても冷静で、ただ静かに称えさせてもらった。結局、このボスターの他力回向のお心そのままでした。ひとり、ひとり、それぞれの味わいを胸に、お念仏と共に、法座を終えた。最後、2、3分、黙想の時間を設けてもよかったなとも思っている。

Img_4174  余韻と共に、7名ほどの方が残られて、心尽くしのお料理(ひとつひとつが手作りで、こころがこもっている)をいただき、さまざな話題に花が咲いて、ほんとうに楽しかった。宿泊の方もあったが、最寄りの駅まで送迎してもらったのに、15分ほど前にひとつ前の駅で人身事故が発生。五日市駅で電車がSTOPしている。復旧に一時間はかかるそうで、最終の新幹線に間に合いそうにない。結局、妙誓さんを呼び出して、広島駅まで送ってもらうことになった。会場、食事、そして最後に予定のなかった送迎まで、お手数をおかけしました。おかげで、最終の新幹線のうまく乗れて大助かり。凡夫の予定、計画なんて、ちょっとしたことで外れて、あてにならん。でも、これもまた一興。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

姫路の旅

 家族六人揃って、1泊の近場への温泉旅行に出かけてきました。

Img_3975 一昨年から、まだ、みんなが元気なうちに、小さな子供たちと、父母が一緒に、年に一度は、こんな機会をもとうといことで、1泊の旅行を始めました。今年が3回目。

 一昨年の同じ感想なんですが、ぼくの中Img_3998 で同じ旅をすることで、両親の老苦、病苦が実感として迫って来てくることと、同時に、子供たちの成長を実感する機会です。個人の内面だけでなく、家族という単位でも、新陳代謝が進行しているんですね。特に今年は、予想以上にたくさん坂道や山道、階段を歩いたことで、父の老化と、逆転するかのように下の子の成長をひしひしと感じました。去年までは、すぐに「抱っこ」と言っていた5歳の子が、今年は、どんどん先頭をきって山道 を走るように歩いていく。長女にいたっては、旅館でも車中でも、もう何も手がかからず、全部、自分でできるようになっている。一方……、まあ、いまは重苦しい話題はやめておきましょう。楽しい報告のみ。

Img_3996  訪問先は、姫路。車なら100分足らず。姫路城と、塩田温泉、そして書写山円教寺。姫路城は、ぼくが子供の時に家族旅行した思い出の地。もう37、8年前になるんでしょうか。でも、詳細は、みんな忘れている。やっぱり立派で、Img_4003とても美しい。ディテールの意匠なんかも、幾何学的で、モダン。でも、こんな坂道や急な階段を登った思いはまったくなし。天守閣の最上階への眺望も美しい。紅葉も、青、黄、赤と、色合いが一番美しい時でした。それにしても広いなー。時間がなくて、見逃したところも多くあって残念。

Img_4063  このあと、鄙びた山間にある塩田温泉へ。3年前の聞法旅行で訪れた温泉で、その時は、夢乃井というホテル。今回は、塩田温泉の湯元、上山旅館へ。こじんまりした由緒ある旅館だけれど、ここも美しかった。お庭も見事で、木漏れ日のなかで紅葉が映えている。自然のなImg_4061 かで飾り気のない露天も、湯元の源泉のお湯もよかった。のんびり、リフレッシュ。大浴場も、こじんまりと蛇口が3つ程度のもの。でも、父と息子の二人、親子水入らずで入浴して、父のあいかわらず大きな背中を流しました。右の写真は、露天風呂入浴中の一コマね)

 今日は、西の比叡山と言われる、書写山円教寺へ。ロープウェイで山頂へ。ここも、紅葉が美しい。性空上人が平安時代に開かれたImg_4098 観音霊場。近年でも、宮本武蔵や、トム・クルーズ主演の『ラストサムライ』のロケ地ということもあって、姫路城とならでん、外国人率がとても高かった。母も、ぼくもここは初めてで、伊藤先生の『化生の世界』などで、よく六根Img_4118 清浄の悟りを開かれた性空上人の神通力を発揮された法話をよく聞くので、ぜひともお参りしたかったところ。ここも、期待以上に見事。如意という意味の梵語で、摩尼(マニ)堂は舞台造りの壮大な建物。そして、『ラストサムライ』で撮影された、大講堂、食(じき)堂、常行堂の三堂も重厚な荘厳さがありました。ちょっと比Img_4143叡山の西塔の釈迦堂と常行三昧堂のあの場所を思い出させます。ほかにも、たまたまこの3日間だけ、天井画(天女の写真)の特別拝観もあり、なにより、性空上人坐像を間近に拝ませてもらえて、とても満足。なんかひきこまえるようでした。ここの話題や写真は、機会があればちょっと触れたいです。たImg_4165 だ、かなりの山坂続きで、高齢者にはたいへんでしたが、それだけの値打ちありました。

 たった2日間ですが、一年に一度でも、「今年が最後かなー」と思いを持ちながら、家族で旅Img_4171行させていただくことも有り難いです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

充実した一日

  今日は、朝から夜まで、めまぐるしくも、充実した一日。

 やはり自転車で子供を保育園に送る某パパさんを横目に、ぼくも保育園、小学校、大学院と送迎をした。朝のミーティングを終えたら、来年の法座の日程の調整、インド旅行の問い合わせなどが続く。インドは、〆切が迫って来る共に、急に参加者が増えて、定員をオーバしそうなので、旅行社とも打ち合わせ。とりあえず、現状まではOKということで、いろいろな調整をした。合間の時間をみて、久しぶりカットへ。来週、築地本願寺である結婚式で司婚役を頼またのだが、今日を逃すといけそうになかった。

 その後、すぐに、挙式の打ち合わせ。おめでとう! 経過が経過だけに、自分のことにようにうれしいが、半分、叔父さんの気分だなー。お昼をご一緒したが、ほとんどは、華光や真宗カウンセリング(DPA)での実践してきた経験や蓄積について、どのように表明や表現をしていけばいいのか、どんな可能性があるのか、その序論を少しだけ話した。たいしたことは言わなかったが、話すうちに自分のなかでは、熱いものが立ち上がっている。というのも、ぼくの中で、弥陀の本願のこそが、究極的なバーソン・センタードだという思いが強くなっているし、あるゆる意味で、「聞」のきわまりが、「弥陀の本願」を聞くという一点に集約されるとも思っている。
 現実的な拡がりという点でも、細々なからも、点が線となり、極小さいながらも面となって有機的なつながる素地は出来つつある。それをいかに立体として立ち上がっていくのか。まだ、ぼくなりにぼんやりと考えていることだが、そのためには、華光会という小さな枠ではなく、別の手段を講じていくことも、密か(もう密かじゃないないな)に考えていることなどを聞いてもらった。
 華光会は、伝統的な浄土真宗のご法を内容を墨守する貴重な存在ながら、一方で、その伝え方や法座のあり方、組織のあり方なども、さまざまな工夫をして、(あくまで浄土真宗や伝統仏教教団の中でだが)その最先端を走っているとの強い自負はある。しかし、まだその表現や拡がりという点では、まったく不十分だという認識もあるし、伝統派の一部からは、頑な偏見や誤解も受けているのが事実だ。ぼくとしては、そんなところで後ろ向きな無駄な労力を費やすより、もっとその精神が流布するような広い視点から、さまざま実践、研究・理論、そして学際的な拡がりや交流といった課題に取り組んだり、そのような実践者を育て、支援する拠点づくりの必要性を、前々から考えている。そのためには、私財を投じても実現したいとも思っているのだが、これに先立つものがないことには、いまは夢物語だ。そんなこんなで、午後から輪読法座が始まる時間だ。

 あわてて帰宅すると、平日にも関わらず、15、6名もの参加があった。遠く、兵庫県や鳥取からの参加や、有給を取っての参加者もおられた。
 「聖教のこころ」も一読してから、「真宗の信心」の輪読が始まる。

 真宗の信心は、
1)阿弥陀様からいただく、たまわる「他力回向」の信心であり
2)すべてを阿弥陀さまにおまかせする「安心」の心だという点を押さえた上で
A)決定しない、疑いが晴れず不安な「自力建立の信心」のたとえと
B)一方的な先手の親心から起こる、「安心」の心、「他力回向の信心」のたとえ(仕組み)について聞かせていただいた。
 本文に関連して、先日の華光大会での座談や法話の分かち合いがなかなか有り難かった。残念ながら、話題豊富で、思うほど進行しなかったが、次回にところにある、聞名得忍の仕組み、「聞く耳までいただきもの」(7頁)の、「なぜ、南無阿弥陀仏ひとつで大満足できないののか。南無阿弥陀仏を聞いてないからです」という姿そのままの求道者に関わり、あらためて「私には聞く耳さえなかった。私は絶対に聞けなかった」ことに出会わせてもらった尊さを味わった。

 夕方からも、再版予定の『念仏の雄叫び』について検討があったり、子供が体調を崩したり、書道の練習にも出て、ミニカウンセリングの研修会の会場提供もあってと、最後までめまぐるしい一日は、このブログで終わった。

 お疲れさまでした。明日から二日間は、家族旅行に出ます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

パスボート

 来年2月のインド仏跡旅行。計画段階での、皆さんの反響はすごくて、瞬く間に定員になる勢い。「定員オーバーしたらどうしょう」とか、「数年以内に、第2弾を速攻、計画せんといかんな」などと話していたが、どうやら捕らぬタヌキのなんとやら。いざ、申込みが始まると、なかなか人が集まらず、ヤキモキ。説明会の直前に、やっと最低施行人数の15名になって、ホッとするありさま。
   ところが、華光大会でのこの説明会がよかったのか、ここに来て申込者が急増して、最終〆切の今月末を待たず、定員25名に達した。参加したくても、涙を呑んだ方も多いのだが、逆に、計画段階では、お互いにまったく知らなかった方も含まれているのだから、縁とは不思議なものである。
   ほんとうは定員は、何名でもOKなのだが、長距離移動のバスが疲れるので、ゆったり座席を確保したいことと、バス2台になると一体感が薄れることを心配して、この人数にした。単なる観光旅行ではない。それに、仏跡だけが尊いのではなく、バスの中やホテルでの会話や出会いも含めて、一緒に巡拜に出かけることに大きな意義があると思っているので、大人数にはしたくないのだ。前回の第2回の時は11名で、添乗員もなく、いろいろなトラブル続きだったが、そのことが余計に印象深い旅になった。

 ぼくも旅行の手続きに入る。まず、パスポートの有効期限が切れているので、手続きに行く。以前、取得してから、10年経っていた。京都の窓口が、四条烏丸から、京都駅の伊勢丹デパートの駅ビルに移っていた。すべて書類が揃っていたので、あっさりOK。ただ、写真の裏に描いた氏名が、ちょうど目の位置で、ちょっと強すぎたようで、そこを確認された。ずいぶん、確認事項で細かな点がうるさくなっていた。それと、いろいろ賛否両論ある住基ネットを初めて利用した。そこでびっくりすることが分かった。ぼくの名前「信」は、SHINと読んできたが、そこでは、makotoと読まれて登録されているのだという。これまで、3度パスポートを取得したが、いつもSHINだった。そうか、46年間、ずっーとSHINと名乗ってきたが、住基ネットでは、makotoになっていようとはなー。ちょっとびっくり。いまの出生届には、「よみかた」の項目もあるのに、昔はなかったのか。それとも、事務手続き上で発生したことのだろうか。ちょっと謎。
  あとは、以前のパスポートの写真が別人のようだっということ。子供たちも、「わあ、すごい」(なにがすごいんだか、よくわからんのだが)。連れ合いには、「『整形したのですか』と疑われないか。それにしても、なんでこんな髪型してたの?どんな意味あったん?」と言われる始末。でも、そんな人と結婚された彼女も、どういう気持ちだったのかね。まあ、10年経って若返ったのだから、よしではあるが。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

アメリカ同行の訪問

 朝、所用で出かけようとしたら、玄関で、九州の小倉からの突然の訪問者があった。ちょうど誰も不在だったので、対応に出る。初老のご夫婦。名古屋に住むご兄弟から紹介だそうだが、そのご兄弟にしても、まだ東海の集いに1、2度参加された程度で、京都にはお出でになられたことがない。それでも、ここで聞かせてもらうしかないとの強い思いをもっておられて、ちょっと驚いた。九州法座のこと、来年の行事のこと、そして仏書を購入されていかれた。少しこれまでの経緯もお聞きしたが、真面目に求めておられる方なので、きっとご縁が出来ることだろう。楽しみである。

 夕方から、アメリカのロサンゼルスからの同人をお迎えした。何年ぶりにお会いするのだろうか。アメリカ布教の時と、日本でも1、2度お目にかかった程度だが、ひとしおアメリカの華光同人は懐かしい。昨日、京都に入られ、日野誕生院や鈴虫・松虫のお墓など、親鸞聖人ゆかりのご旧跡を回ってこられたそうだ。父や母と一緒に、夕食をご一緒する。ご法義の話になる。浄土真宗に家に生まれながら、その後の宗教遍歴のことをお聞かせに合う。そして、不思議なご因縁で、父の米国布教のご縁に出会われたというのだ。10数年の間、2月と3月の2ケ月は、アメリカ布教に出ていた。また訪米団を結成して、日米聞法の集いを開催し、何百人もの念仏者が集っておられた。それが、2世の高齢化と、日本語を理解する人達が減り続けるいま、彼女の周りでも、華光のご縁にあった同人が、少なくなったという。それに、なかなか納得できるご法話やご法縁に会えないことを寂しがっておられた。英語の法話が増えているそうだが、特にもの足りないという。それはそうだろう。英語で伝えることがダメというのではく、英語世代の人たちに、ご法話を受け取るだけのお育てが充分でないことは、容易に想像がつく。単なる言葉の壁だけではない、難しい問題があるようだ。難しいことはともかく、今夜は懐かしい話にも花が咲いた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

執着の強いひと

 急に、秋が深くなった。山間のPAで、車を止めたら、予想以上の冷気に驚いた。
  年に二度、兵庫県豊岡市の日高支部にお世話になる。いまでこそ、豊岡市になっているが、もともとの古いご縁は、豊岡が先で豊岡支部があり、隣接する日高町に駅名をとって、江原支部があった。共に、華光有数の強信な同行を輩出した地。ところが、豊岡支部の方が、早く高齢化が迎え、いまとなっては、生きておられる、華光誌創刊時の67年以上前からの同人がお一人になられた。創刊時からの唯一の生き残りだ。この日高町が合併で豊岡市になったのは平成の大合併で、最近の話。いまだに日高支部のままだ。

 でも、ここも激しく高齢化が進んでいる。亡くなられた方も多い。お参りも、一人欠け、二人欠けと、年々寂しくなってくる。夜の法座は、10名程度。その代わり、お宅を直接、訪問して勤行をし、ご法義話もすれば、時に愚痴話の聞き役でもある。7、8軒程度だが、ボチボチ家族の方ともご縁が出来ることはうれしい。若いお嫁さんが、2日目の子供会にお参りくだされたりもする。でも、今回は、突然、地域のお寺さんとの複雑な相談を受けた。いや、これはたいへんだー。まあ、これはここまで。

 そして、今回もお宿をしてくださった年老いたお二人と夕食を供にする。滋味深いお味わい。風呂やトイレの掃除のために、デイーサービスを頼まれるのに、いまだにお世話くださる。50年以上続いてる。昨年の東京大会のことを盛んに喜ばれ、華光の世代交代を楽しみにされている。
 「支部長さんが、とてもよくして下さる。会館でも若い皆さんに、ご厄介になるばかりで何も出来ませんわ」と言われた。
 でも、そんなことない。これまで、どれだけご法のために活躍されてきたことか。「五十数年にわたり、いまだにお宿してくださり、さまざまな求道者のお世話してくださったじゃありませんか」と言うと、
 「不思議なご因縁で、先生と50年間に渡って、ご一緒させてもらえたことが、どれだけの幸せかわかりません」と仰る。そして、先生に一日でも長く、ご法を伝えてほしいとの念願を語られる。
 ぼくが、「さすがに、最近は、同じ話が多くなりましたよ」と言うと、
 「いえいえ、それでいいんです。最初は、これも聞いた話だと思って聞き出すけれと、最後にかならず、涙とお念仏になります」。そうなんだなー。これも知ってる、これも聞いた、この話は…という聞き方は、知識や話題だけを追いかけている。結局、お聞かせ預かるのは、いつもひとつのおこころをでしょう。どんな話題やテーマも、大事なご法が外れたら、意味ないなのね。
 その後、お念仏の讃嘆がはじまり、そして亡くなったT同行の話題へ。評していわく、
 「あれだけ、仏法に執着の強い人は、もう出ませんなー」。
 なるほどね、確かに執念の人だった。強信な人とか、篤信家なんて言葉はあるけれど、仏法に執着の強いとは、Tさんを言いえている。

 でも、阿弥陀さんほど、執念深いしつこい人はないよなー。その阿弥陀さんが、「この私が、地獄で泣いていがるを、ひと目この阿弥陀如来が、ご覧あせられたのが、不憫のはじまり」なわけですね。すべて、そこから出発している。

 2日目の朝は、子供の報恩講。ご法話は、繰り返し同じテーマでお伝えする。手を合わせてもらえる身となったこと、お念仏にしても、そして食事の言葉にしても、それを教えてもらえたおかげで、犬や猫と違う人間らしく生きられることをお伝えした。そこに、どれだけのご恩徳やお手間がかかっていることだろう。今回は、夏の仏の子供大会に、中学3年生までズッーと参加してくれていた方が、お母さんとなって、子供(ぼくの下の子と同級生だったので、年中さん)さんが、二組も初参加された。彼女は、子供の時の面影を残しつつ、もう立派なお母さんになっていた。20年以上の歳月があって、街ですれ違っても分からなかっただろう。でも、彼女には、「先生のことはわかりましたよ」と言われたが…。
 これも、何十年も、ここで子供会をされてきたT同行の執念のたまものだ。
 その背後には、ひとりひとりに、「わたしをひとりを救ってみせる」の執念の塊の阿弥陀様がついておられる。
  そこを見ずに、そこを聞かずに、表面の言葉や行動だけを追いかけて、一喜一憂していたては、この人生、瞬く間に空しくすぎてゆくばかりだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ほんまいろいろありますわー

 朝、小学校の学芸会へ。劇の出番は、昼前だが、トップバッターで、手話を交えた「開会の言葉」の担当になったので、1分ほどのために、一番から出かけた。緊張がアリアリだったけれど、無事にこなして、親もホッとした。その足で、下の子を保育園に送り、明日の法座の準備にかかる。お参りしてくれた子供へのちょっとした買い物をしたり、紙芝居を借りたりして、学校に戻って、劇の鑑賞。本番は、子ども忍者の役。小さいながらも、からだ一杯、頑張っていた。

 帰館すると、留守の間の電話の説明。その中に、フジテレビで放映される島田紳助の番組で、京都のお坊さんへのアンケートを撮影に行きたいという打診があった。その質問というのは、1)あなたにとって、今年、特筆することは何か?2)すべてを捨てでも一緒になりたい女優さんは誰か? という二つで、面白いものが採用されるのだそうだ。またまた、「なんで? ほんとかな?」、新手の詐欺の類?という感じの電話だったが、テレビと聞いただけで、T事務員は思わず前乗り。ただし見たこともないバラエティー番組で、まったく布教活動とは関係ない。別に、華光やぼくを特定したものではなく、寺院名簿か何かで、ランダムに探しているようだ。これで、何か発展があるかなーとも思わなくはなかったが、僧侶にこの質問をするのに、どんな意味があるのかがまったく理解できない。第一、最近、いろいろと微妙な問題も起こっているし、質問も質問なので、そちらに悪影響にもなりかねない。意味のある問いかけなら、ともかくね。当然、止めておくのが無難そうだと、結局、華光や伝道活動と無関係なので、お断りすることにした。

 別に僧侶とは無関係の問い掛けなので、皆さんにも…。皆さんなら、1)今年の特筆すべきことは? 2)すべてを捨ててでも一緒になりたい女優さん(もしくは男優さん)って誰かいるかな? 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

今週の法座

 怒濤の華光大会が終わり、さあ、一気に、『念仏の雄叫び』の作業を終えるぞ!と、意気込みだけはあったれど、当然、大会の後片付けはあるは、伝道研究会もあり、さまざまな相談や会議があったりで、いろいろな思いが交錯する。いろいろな課題も多いし、すごく張り切っていた思いがあったのになー。もう早くも週末の話題。出版は、のんびりする時間はないけれど、焦っても仕方ないしね。明日は、子供の学芸会ですね。ちょっと覗いてきます。

1)日高支部法座=11月8日(土)・9日(日) いまは古老になられた方に、華光の皆さんもお育てを受け、そして華光を支え、ぼくも育ててもらった大恩ある方々とのご法座です。お参りが無理な方を中心に、こちらからお参りに窺います。だから、大人の家庭法座は、1座だけ。翌日は子供の報恩講様と、お参りもあります。支部以外の方でお参りを希望される方は、かならず事前に連絡してください。宿泊の場合、各自ですね。↓

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2008/details/11/hidaka2008-11.htm

2)聖典講座= 11月9日(日) 華光会館では、『御文章』のご講話がございます。詳しくは、下記のHPをご参照ください。↓

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2008/details/11/seiten2008-11.htm

| | コメント (0) | トラックバック (0)

収まるべきところに収まる 

 今夜は伝道研究会。というより、華光大会の分かち合い。法座の問題点や、有り難かったこと、尊かったことを分かちあいました。

 いろいろな意味で、良くも悪くも変革の時です。参加者の顔ぶれをみても、また現代という時代も、ハッキリと大きなうねりが起こっています。しかし、うねりに逆らうことなく、それでいて流されるだけななく、うまく舵取りをして進むべきところにいきたいものです。結果ではなく、そのプロセス、道行きが大切。いろいろと都合が悪いことも起これば、傷つくこともある。逆に、うれしいことも、励まれることもある。でも、はっきりと成るべきものに向けって、進んでるんですね。それを無理に動かすのでも、また流されるでも、逆らうのもでなく、信頼して、おまかせして、誠実な態度さえ保っていけば、たとえ時間がかかろうと、収まるべきところにしっかり収まっていく気がします。いま、ここで起こっている事柄や事象も、そして人もです。

 今夜の伝道研究会(ほとんど役員会)では、何年かぶりに、とてもスッキリした提案を出せました。進むべき道が見えてきたし、ブレーンとなって力を貸してもらえる人達の収まるべき場所も、はっきりした気がします。災いもあるけれど、どうやらそれが転じるかもしれません。それは、華光の中の流れ、滞りをスッキリさせるだけでなく、小さな枠にに留まらないで、華光精神を外部との関係も拡張させていけることにもなるかもしれない。先生方の役割、若手の成長、そしてそれを支える人達、運営する人達。そして、その裏付け。すべてこれまでの先輩先生や同人のお世話のたまものでありますが、ぼくには信頼できる方が多くおられるのです。同時に、それは、ぼくが、いま、そしてこれからやらねばならない要請なのです。まだ、小さな小さな歩みですが、楽しみになってきました。

 まあ、とても大きなバックがついてるものなー。大安心。

 もう一点。単なる信仰の問題だけでなく、実は信仰を隠れ蓑に、長年の心理的な葛藤や深い悩み、本人も気付けずにいる問題を抱えた人達が集うようになってきました。みな、暖かさ、つながりをもとめているんですね。寂しいもの。そこをしっかり受け入れるには、まずその枠組みを造って向き合わないと、なかなかたいへんです。今回でも、法と、御同朋のこの厳しくも温かい雰囲気に触れ、自然と癒され、そこをステップに始めて、自分自身と法に向き合っていかれた方があります。これって、西光義敞先生が提唱された、真宗カウンセリング(DPA)そのものじゃないですか。その意味では、場面構成も必要。契約とまでいかなくても、しっかりとした枠組みも造らないといけない。その意味でも、今回の総会で提案された案は、経済的な問題だけでなく、とても大切ですね。華光の法座は、単にご法話を一方的に聞くだけでないので、座談会にしても、情報交換や意見交換、知識、学習の場ではなく、ある種の心理的なセラピーの要素も含まれるわけですから、安心した場でなくてはいけないということですね。もちろん、後生の一大事の解決に焦点を当てる法の場でもあるわけですから、そな中にも、かなりデリケートな問題もあります。

 誰まで関わり、どこまでその任を負うのか。その枠組み作りの意味でも、会員制や事前申込、会費制度、責任の明確化、資格なども大切になっている時代は、もうすぐ来ています。そのための受け皿となる、しっかりした組織づくりも必要になるわけです。
 まずは、その小さな一歩から、始まります。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

華光大会の余波

 華光大会、熱気ありました。まだ、その余波が続いています。
 まず、当番の東海支部の皆さんが、支部長さんを中心に一丸となって、数年に1度回るだけの仕事を、うまくこなしてくださいました。お世話の皆さん全員のお名前を列記させてもらいたいぐらいの大活躍。お疲れさまでした。 

 昨晩も、そして今日も、その余波で「大きな聞き間違いをしていました!」と、電話口で号泣されるお電話がありました。その時は、言葉にできなかったのに、お家に帰られてから大きな気付きがあったようですね。しっかりくさびがうたれていたのでしょう。

 それにしても、これまでの記念大会並に参加者の多い大会でした。すごい念仏のエネルギーに撃たれました。もうこうなると、単なる理屈でも、単なる感情のレベルでもないです。生きたご法の働きに、ぼくも撃たれ放し。

 ご法話も、5名の先生方が、それぞれの特色のある法話でした。若い先生に到るまで、すべて各自におまかせで、なにも打ち合わせをしていないのに、目には見えないバトンが大切につながれてきて、最後のぼくのところまで流れてきた感じがします。ぼくのテーマは、「仏法を具体的に聞け」。蓮如さまが言われるように、粗略な聞き方、大様な聞き方ではなく、こころを微細(みさい)に砕き聞いていく。これは、ほんとうの自分を抜きしていては、絶対に届いて来ないところです。羽栗先生の罪悪のめあて、善太郎さんの歌、そして法蔵菩薩のご修行と、盛り沢山の内容でした。ほんとうは、六波羅蜜の大乗菩薩行のなかでも、布施の行に触れて、毎日、365日、三度、三度、法蔵菩薩の投げ出されたいのちを食らっていることと、善太郎さんの「ご恩」の歌とあわせて、最後の結びにするつもりでしたが、そこに行くまでにすでに時間オーバーで、その節はカット。2回分の材料でしたね。それでも、皆さん、涙とお念仏と受け取ってくださって、ありがたかたっです。

 4名の方の信仰体験発表も、それぞれ味がありました。まさに、老若男女、経過も、年数も、その歩みも違うのに、最後にはひとつの大きないのちに収まる不思議さ。ご法の躍動を感じたし、番外のK先生の腹底からの懺悔もすごかった。初参加の方は、ビックリされたでしょうね。『仏敵』じゃないけれど、「ここはお化け屋敷か」と思われたことでしょう。みんな、生きた証明です。

 分級座談は、華光大会は、じっくりという時間がないので、ぼく自身も、遠慮なく動かせてもらいました。特に最後、ラスト15分、この前の壮年の集いから気にかかっていた方に、ほんとうに集中して、無後心の心境で関わらせてもらいました。最後は、その尊い姿に、ぼく自身もお念仏申さずにはおれませんでした。残り時間はあと5分。「聞こうとしたが、聞けませんでした」と、グッと涙された姿に、ここが先途と、相手ではなく、ぼく自身からまず一歩出てお迎えに出ました。もうあの歩みの時には、すでに大きな、温かいいのちに動かされていました。そして、その促しに、しっかり応えてくださいました。頑な態度や表情とは裏腹に、すでにその底にはハッキリ届いてるいのちがあったんですね。
 よくぞ、ほんとうに「聞けない」自分、「聞いてない」自分に出会わせてもらえました。聞けない自分こそ、絶対に救われない自分、地獄真っ逆様の自分。その自分に諸手を挙げてそのまま出会わせてもらうしかない。それが、「救う手がかりがまったくない」「絶対に救われない」「唯除」されている私の姿。善太郎さんの歌なら「この善太郎が、地獄で泣いていがるを、一目この阿弥陀如来は、ご覧あらせられたのが、不憫のはじまり」の、地獄で泣いている姿にほかならないのです。そして、そこにしか、如来さまの願いはかかっていない。だから「、聞けない、わからない」のに、なぜか「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、飛び出てくださるのですね……。まさに、不思議としかいえませんわー    

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »