お叱り
子供を寝かせて、「さあ、ブログ」と思った矢先、華光誌の記事で、お叱りのお電話をいただいた。事実に偽りがあったとか、内容がおかしいの類ではなく、記事の中にお名前が掲載されたことに対するものだ。
実は、掲載にあたって、その部分は、充分に検討し、イニシャルにする、もしくは省くなどの処置を相談していた。しかし、著者の「お参りくださり、ほんとうにありがとうございました。これからもご一緒にご聴聞して参りましょう」という温かい気持ちを汲み、あえて、原文のどおり參加者全員へのメッセージとして、掲載することにしたのだ。
もちろん、個人情報保護の視点から、今年から、住所や電話などの連絡先は掲載は中止している。しかし、華光誌は、一般の仏教雑誌ではなく、華光同人誌である。その創刊も、華光同人の通信や消息の連絡のための手段として出発した歴史がある。原則、一般に販売はせず、華光同人、華光誌友、ならびに寄贈者のみがその対象になっている、身内向けの雑誌だといっていい。したがって、体験記などは、個人の氏名のオンパレードになるものも少なくない。そこで、一応の原則を立てていて、法座のなかでおこった場合、第三者のことは、イニシャルで対応するケースがある。また、華光同人、誌友以外の場合も、イニシャルにしている。あとは、適宜判断する方針で、場合によっては、ご本人に掲載の有無を確認するケースもあるが、なるべく、臨場感をそこなわない方向で掲載することにしている。その意味では、今回のケースは、普通なら、問題になるものではない。
それでも、(まだ文章を読まれたのではなく、ある方からの報告を勘違いされた電話だった)、事実として不快な思いをされたのだから、ひたすら、その気持ちをお聞きして、謝罪することにつとめた。もちろん、文面に氏名が掲載されることの確認を取らなかった当方に責任はあるのだ。その意味では、いまも、その点では「申し訳ありません」とお詫びするしかない。誰の記事であっても、それを発表した責任はぼくにあるのだし、今回の掲載に関しては、実は、かなり迷って何度も検討した上での掲載だったので、冷静にお話をお聞きすることができた。ただし、事実の誤認や中傷誹謗の類ではまったくないので、回収するまでの責任はない。それで、いろいろとお話をお聞きした結果、華光同人向けだけならなんら問題かないことは分かってきた。それなら、第三者の目に触れて、万が一不利益を蒙られるようなことがあるのなら、「『華光会とはまったく関係ない。勝手に掲載されて困っている。まったく勝手なひどい団体である』と、仰ってください。」との提案をすると、逆に、驚いておられた。
結局、午後11時すぎまで、90分近くお付き合いしたが、しっかりお聞きすると、声のトーンが変わってくるのが分かる。ほとんどが華光会のことではなく、他の団体の批判を話し続けられる。ぼくが理解できないところも、丁寧に説明されていた。もちろん、電話を変わる際に、ぼくは自分の氏名を名乗っているが、興奮されているのか、通話者を、夜間の事務職員だと思っておられたのだろうか(確かに、夜の事務職員だ)、後半近くに、やっと相手がぼくであることが分かられたのか、また声のトーンが変わった。これまでも電話でお話したり、ご挨拶程度だが面識のある方だ。
翌朝には、逆にお詫びのFAXや電話までいただいた。
たぶん、とりまく環境や個人的な事情により、その情報に驚かれ、そして、その個人のたいへんな状況を理解してほしかったのだろう。ただ、その逆縁でも、直接、お電話をいただいたことで、ぼくには、いろいろと人の姿が知れ、「ほんと世間虚仮で、仏説まことやね」と、教えていただくご縁だった。「お電話いただき、ありがとうございました」と、お切りした。
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