最小限度伝わる
8月は休会、9月は仕事で休んだので、久しぶりの月例研究会。キャンパスは、キャンドルで飾られたり、学祭の準備が始まっていた。見事な満月。大きく、皓々と美しい。しばし立ち止まり眺めてから研究室へ。
ロジャーズ論文を輪読する。建設的な成長に関するカウンセラーの態度の仮説に、クライエント側に存在しなければならないひとつの条件がある。いわゆる「伝達」、クライエントの知覚である。つまり、カウンセラーの純粋性や、クライエントに対して経験している受容や共感的理解を、クライエントが「最小限度」知覚する時に、パーソナリナィーの発達と行動の変化がおこると予測されるという。たとえ、カウンセラーが自己一致や、受容、共感と並べてみても、それがクライエント側に知覚されることがないのなら、自己満足にずきない。カウンセラー自身も経験されているある種の心理的雰囲気が、クライエントの関係のなかで、ある程度、知覚され、経験されたときに、成長や変化が起こるというわけだから、カウンセラーも伝える道に充分な配慮が必要なのである。もっとも、ここでいう、「ある程度」とか「最小限度」という言葉に意味深いと思う。すべてが分かるはずはないし、その必要もまったくないが、同時にすべてでないところが尊い。
これは、弥陀の本願をお伝えする時にも通じるものがあるのではないか。たとえ、常に昿劫より我を照らすみ光りも、障りは衆生の側にある。しかし、さまざまな善巧方便によって、この無慈悲な心にも、その大悲のおこころに初めて触れ、それが涙となり、南無阿弥陀仏の声となって響く。まさに、大悲のおこころに貫かれた瞬間だ。それにしても、その大悲のお心のどれだけを聞き、気付いたというのだろうか。きっと、そのみ光りのあまりの神々しさに直々に触れたなら、この無明の眼などつぶれてしまうだろう。広大無辺で果ても、涯りもない大悲のおこころが、凡夫の限りある無漸無愧の心に、分かるはずなどないのだ。その何兆分の1どころですまないほど、大悲のおこころのほんのほんのほんの一旦に触れさせていただくただけで充分なのである。そこに、他力のお心によって、すべてがヒックリかえるだけの膨大なお徳が備わっているのだ。それを、たった一言を聞くだけである。そして、たった一声で、すべてがすむのである。でも、この最小限度の一言がないかぎり、闇は闇のまま、迷っていかねばならないのである。
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コメント
真宗とカウンセリングを融合させることを実践でやっておられることを知り、おどろいています。少しの経験ですが不登校のお子さんのカウンセリングに関わったときにロジャーズも参考にしたのを思い出します。一生懸命共感していくと子どもたちが変わっていき何人も登校できるようになったときなんだカウンセリングは簡単だと思ったそのときすごいスランプに自分がおちこみました。子どもたちは元気になるのですがカウンセリング終了後自分が苦しくて寝込んでしまうのです。自己流ではダメだと思い臨床心理士の先生の勉強会に通いました。そこで教えられたのは共感するというのは相手の心と同調しすぎて相手と一緒に落ち込むことではなくカウンセラーは共感しながらもそれとは別に客観的な自分をもちあたかも共感するということが大切だということです。うつ状態や攻撃性は風邪のようにうつることも知りました。相手を思っていればいいという自己満足のため、知恵がたりなかったとしらされました。やはり、慈悲と智恵両方兼ね備えていないところには世間ごととはいえ、救いはないということでしょうか。
投稿: 和顔愛語 | 2008年10月17日 (金) 21:04
和願愛語さん、連日の登場、ありがとうございます。
そうですか。いろいろと貴重な経験をされているんですね。
慈悲と智慧がほんとうに円満しているのは、南無阿弥陀仏以外にはないのですがね。
また、おっしゃるとおり、「あたかも○○」(as if)というのが、なかなか難しいですね。ぼくも、すぐに巻き込まれたり、または冷たく伝わったりと、成長を促進するある種の雰囲気って、なかなか簡単でないですね。たまたま、先々月の担当が「共感」の箇所だったので、その話題でエントリーしたこともありました。(CF:「カウンセリング、DPA」のカテゴリー)。
一度、お目にかかってお話を聞きたいものです。
投稿: かりもん | 2008年10月18日 (土) 00:26